空間の捻れ
育ての母を目の前で殺された怒りは暴走を起こす。
「ガァァァァ!」
言葉ならざる奇声を発するクリームパイ。頭上に何かが具現化した。
「スライム...?いや...」
来訪者にもその正体が分からない。紫色の液体の雫のようではあるが、完全に水分ではなく、多少は硬さがあるように見える。その塊は大きくなり続けている。
「クーちゃん!待て!」
エルクの言葉も届かない。肩を掴んで揺すっても兄の存在など全く意に介さず、目の前の敵のみに意識が集中している。
「アァァァォァ!!!」
クリームがさらに叫ぶと、その液体の塊は周りに溢れ出した。敵味方関係なしに飛び散る。
「エルク!なにかまずい気がする、逃げるぞ!」
トウヤが身の危険を感じ、エルクを抱えて逃げ出す。
「トウヤさん、離してください!あんな状態の妹をほっとくなんて」
抱えられている状態から抵抗してなんとかクリームパイの方を向いたエルクは、言葉を失った。
紫色の液体が、津波のように押し寄せて来ていた。エルクたちの方まではまだ到達していないが、教会は完全にその液体に飲み込まれた。
「うわああああ!!!」
「どうしたエルク」
トウヤも教会の方へ振り返る。そしてエルクと同じ反応になったがトウヤは大人だ、エルクを守る義務がある。その責任感が足を動かした。
「くっ...、お前ら兄妹は、何者なんだ!」
それは決してエルクを責めているわけではない。だがこんな状況を子供ながらに作り出すとあらば聞かざるをえないだろう。
「.....あっ」
エルクにはそんなトウヤの言葉など頭に入っていない。目の前の惨状を受け入れるだけで精一杯だ。いま、ナッツとアキノリが紫色の津波に飲み込まれた。
「トウヤさん、来てます...!」
「分かってるよそんなこと!」
抱えて走るトウヤの元にも着々と紫色の津波は押し寄せている。進行スピードからして逃げられないと悟ったトウヤは逃げるのをやめ、津波の方を向く。
「なにを!?」
「どうせ捕まるくらいなら、抵抗してやる」
《炎剣:フレイムスラッシュ》
炎を纏う剣技で津波を斬る。するとどうだろう、若干引いたではないか。
「炎が弱点か、なら...」
しかし二激目は発動しなかった。
「う、動かねぇ...」
引いたのは僅かな間だけ、すぐさま津波が押し寄せトウヤの剣を飲み込み、固定した。
「なんだこりゃ、接着剤か」
剣を引き抜こうとするがびくともしない。剣を諦め、捨て逃げようとしても時すでに遅し。足が捕まってしまって動けない。
「エルク、俺の上から降りるなよ!」
「トウヤさん...」
「俺が埋もれても、もしかしたらお前に到達するまでには止まるかもしれねぇ」
とは言うが、既に膝下まで埋もれている。
「なんで...なんでこんなことに...」
エルクは涙を流す。これほど大粒の涙を流したのは六年ぶりだ。だが泣いてはいられないと、涙を拭い妹の方を見た。今も尚、津波を生産し続けている。
教会もナッツやアキノリもハルおばさんも全て飲み込まれた。
「あいつも...」
来訪者の姿も見えない。津波に飲み込まれたようだ。
だが、そう思った瞬間
《炎攻撃魔法:ボルケーノ・バースト》
見たこともないほどの大規模な炎が津波の中から燃え上がった。炎の位置から津波が引いていく。炎が消えるとクレーターができていた。
「飴...ですね。熱すれば融解しますが、冷えると固まる」
来訪者は生きていた。津波に飲み込まれながらも解決策を見つけ出し、脱出したのだ。
来訪者は炎で飴の津波を押し退けて妹まで進む。
「子供だと思って油断してました...。ですが、もう容赦はしない。本気で殺します」
妹に向けて魔法陣を向ける。そこから放たれるであろう魔法を喰らってしまったら妹が死んでしまうのは誰の目からしても明らか。
エルクは何も出来ない。トウヤから降り、踏み出せば飴に捕まり自滅する。その光景を見ることしかできなかった。
「死ね」
来訪者が魔法を発動させる前に魔法陣が消えた。なにか、空間の捻れに吸い込まれていったのだ。来訪者は驚き、辺りを警戒するが、来訪者も捻れに吸い込まれていった。それだけでなく、妹の頭上にある飴の津波の源も吸い込まれ、津波が止まった。
「え.....?」
その光景を見ていたのはエルクとトウヤの二人だけ。どちらにも理解はできない。
三秒と満たない間の時間で、魔法陣が消え、来訪者が消え、津波の源が消えた。
妹は意識を完全に失い、飴の上に倒れた。このままだと沈んで溺死してしまう。そう思ったが、妹は空間の捻れから出てきた手に
「あなたがこの子の兄、カムルショット・エルクディスですね」
捻れの中から声が聞こえた。女性の声だ。
「え、あ...その...」
エルクは酷く混乱した。なぜ空間の捻れが生じたのか、なぜそこから手が出てきたのか、なぜ妹を助けたのか、なぜ誰にも言っていないはずの自分の本名を知っているのか。
「警戒しなくてけっこう、私はあなたの味方です」
「そう...なんですか.....」
人は混乱がピークに達すると、全てを受け入れるしかなくなる。
「魔王の子供がまだ生きていると聞き、探しに探しましたよ。UNKに先に見つけられていたのは驚きましたが、間一髪助かりました」
「はい...ありがとう...ございます.....」
なぜこの人は自分たちが魔王の子供だと知っているのだろう。疑問には思ったがそれを口に出す気力も残っていない。今日は色んなことが起こりすぎる。
「この子は有望ですよ、六歳なのにこの魔力...ふふ」
飴の津波はもう止まっていたが、被害は甚大だ。どこもかしこも紫色に覆われている。
「この子は人間と共に暮らしていたため、戦闘訓練は一切していないんですよね」
「そう...です.....」
「なのにこの強さ。流石は魔王の娘だ。連れて行きます。あ、あなたはいりませんよ。死ぬほど弱いバカ息子ってことは知っていたので。聞いていた話以上に弱いですねあなた。では」
捻れの手は去ろうとする。
「ちょっと待てよ!」
エルクが動けない代わりにトウヤが妹を掴み、連れていかせないようにする。
「なんですか、この人間は」
「俺はこの子たちの保護者だ!この子たちが魔王の子供だ?何をそんな...。とにかくクーちゃんを連れていくんじゃねぇよ!」
「エルクディスさん、この人間殺していいですよね」
捻れから出る手がトウヤの首を掴もうとする。
「な、やめ」
「.....やめろ!!!」
エルクがその手を力いっぱい握り、止める。トウヤの声で正気に戻ったようだ。
「そうですか。分かりました。そう言えばクーちゃんと呼ばれていましたが、この子の名前は?」
「言わない」
「なぜ」
「クーちゃんを連れていくなら僕も連れて行け...!そうしないと名前は教えない...!」
「駄目です。あなたは弱すぎる。我々の組織に弱者はいらない」
「なら、強くなる...!僕が強くなったら...!」
「...いいでしょう。分かりました。なら条件を付けましょう。あなたはこれから旧魔王軍、つまりはあなたのお父さんの元部下たちを従えてください。それができたら仲間に入れてあげましょう。我々、【世界不適合者連合】に」
そう言い残し、捻れはクリームパイを連れて消えていった。
トウヤとエルクだけがそこに残った。
♢
なんとか足に固まりついていた飴を破壊し、脱出したトウヤとエルク。
「トウヤさん...。この度は、僕たちのせいで、本当に...ごめんなさい!!!」
エルクは土下座をした。飴に頭を叩きつける。
「いいんだ、お前は悪くない」
「捻れが言っていた僕らの正体は本当です。黙っててごめんなさい。僕はこれから捻れの言う通り、旧魔王軍の残党たちの元に行きます。これでさよならです」
エルクは立ち上がり独りで向かおうとする。
「エルク!いや、エルクディスか」
トウヤが呼び止める。
「俺も行く。子供を独りで危険な目に合わせられない」
「でも.....」
「俺も帰る場所がねーしな」
「.....」
「よーし、前向きに行こう。過ぎたものは仕方がない。なら残された希望のために、進むぞ」
「はい.....ありがとうございます...」
「泣くな、男だろ」
「.....はい!」
エルクは涙を拭い、歩み出す。妹を救うために。
魔王のバカ息子、王にはなれず敗北者 狐狸夢中 @kkaktyd2
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