171・記憶の在り処

「いいだろう、この勝負お前の勝ちだ」


 明らかに致命傷を負っているはずの彼なのだけれど、平然と喋っていることに驚きを隠せずに思わず目をパチパチさせてしまった。

 こっちはまだ右胸に剣がぶっ刺さったままで相当苦しいのに、なんて涼し気な顔をしてるんだか……。


「少し痛いぞ」

「くぅっ……」


 言ってすぐに『ヴァニタス』を消す辺り、遠慮も何もあったものじゃない。

 どうせそんな事だろうと思って覚悟してたけど、実際やられたら痛いとかそういう問題じゃないくらいだ。

 物理的に抜かれるよりはずっと痛みが少ないだろうから、そこら辺りはマシだとも言えるけれど。


「『リ・バース』」


 彼はそのまま私に回復魔導をかけてくれたけど……『ヴァニタス』のせいで右胸はポッカリと空いたままだ。

 だけどさっきよりも痛みがずっと薄れている。血の方も止まったようだし、多少の息苦しさを除けばまだなんとか生きてはいられるだろうけど、完治するまではまともに動くことは出来ないだろう。


「無茶なことをする女だ」

「無茶するのが女の甲斐性よ」


 にっこりと笑ってやると、彼の方はため息をついて私の事をまるで娘が色々やんちゃしてるのを見て心配そうにしてる父親みたいな目で見ている。


「なによ」

「そこまで言い切られたら俺の方からはなにも言えないと思ってな」


 再度『リ・バース』をかけてくれる彼の様子をじっと見てみる。

 さっきまで好戦的だった彼も、今なら色々な質問に答えてくれるだろう。

 そう思った私はこの戦闘中に一番気になったことを聞くことにした。


「ねえ、なんで魔導を使わなかったのよ。あれだけの力、魔導を使えば容易く私を倒すことが出来たでしょう?」

「……お前も気付いているだろう。『神創具』を使っている間は魔導は使えない。

 いや、正確に言えば今の俺では使えない、か。お前と力を分割してるんだからな」


 分割してる割には私よりもずっと強いじゃないか。正直、彼の調子が崩れていなかったら私は完全に負けていた。

 私の魔導は彼を傷つけることが出来ても、彼の動きを止めることは出来ていなかったのだから。


「それにしちゃ、随分差が出てたじゃない。反則もいいとこよ」

「こっちの方が力の割合が大きいからな。その分魔力の上限はお前の半分の半分……よりまだ少ないからな。

 だから『神創具』は一つしか出せなかったし、魔導は使えない。足りない分は生命力で補っていたから、使っていると負荷が相当強く体力も減っていく……以前の俺は、よくこんなものを自由に振り回していたなと思うほどだ」


 それで『ヴァニタス』を出現させて以降は魔導を使ってこなかったし、動きも最小限に留めていたというわけか。

 恐らく魔力の総量が多い私が使うのであれば、『ヴァニタス』も完全に発動することが出来るだろう。


「なるほど……。それで、貴方はなんで致命傷を受けてるのにそんなにピンピンしてるのよ」

「俺はいわば記憶の塊のようなものだ。ま、それでも痛いと言えば痛いがな。

 ……だがお前に負けた以上、俺は消える。お前に全てを渡してな」


 そこにはなんの表情も読み取れなかった。

 当たり前の事を当然のように語る……。その姿には違和感を覚えるほどだった。

 そこまであるがままを受け止められるのであれば、なんで私は……彼は転生しようと思ったのだろうか?


「ねえ、貴方は……本当に私なの?」


 この戦いを始める前からずっと聞きたかったこと。

 リカルデを失い、それでも戦わなければならない。なら、更に力を得て……今度こそ、守れるものを守りたい。

 それを見透かすように夢の中に現れた彼。未だに名前を思い出せないこの人は……本当に以前の私なのだったのだろうか?


「言っただろう? 俺はお前だが、お前は俺じゃないとな」

「答えになってないわよ」

「……」


 そこから思考を巡らせるように考え込んでいる彼だったけど、やがてゆっくりと言葉を選びながら私に問いを投げかけてきた。


「お前は、転生した時……自分の意識がきちんと目覚めたと自覚した時はいつだったか覚えているか?」

「……初めて覚醒した時よ。父を亡くした後の話ね」


 それ以前の記憶はあいにく持ち合わせていない。偶に過去……のようなものを思い出すのだけれど、それ以上のことは何も思い出せずにいるのだ。


「……俺が初めて自分の意識が目覚めたのは、生まれてしばらくした後だったか。

 赤ん坊で言葉もろくに喋ることが出来ず、戸惑っていた事を今でも覚えている」


 驚いた。つまり彼は私より先に意識が目覚めた事になる。それはつまり、彼が私の体の正当な持ち主ということになる。

 ……なら私は? 今ここにいるティファリス・リーティアスは一体誰なんだろう?


「その後すぐに俺は、自分の記憶毎能力を封じることにした。そうなると当然、新しい人格が形成される。まだ話せるようになって間もない頃だったから違和感も少なかっただろう。そうして生まれたのが、お前だ」

「……なら、なんで私は覚醒してすぐ、転生前の男としての記憶があったの……痛ぅ……!」


 あまりの事実に、思わず声を荒げてしまった。そのせいで胸の痛みがひどくなったけど、私は構わず彼を睨む。

 だって、それなら男としての記憶がある事自体、おかしな話になるじゃないか。


「お前が力を望んだ時――覚醒した時に俺は自分の持っている魔導を含む力の記憶を渡し……お前の記憶を一旦預かることにした。

 お前の……ティファリスの記憶があったままだと、何が起こるかわかったものじゃなかったからな」


 そう言われてようやく合点がいった。

 私が覚醒した時、記憶が曖昧だったのは彼のせいだったってことだ。

白覇びゃくはの勇者】としての記憶が、ティファリスの記憶にどれだけの影響を及ぼすかわかったものじゃないのだろう。

 下手をしたら上手く整合を取ることが出来ず、壊れてしまうかも知れない。彼はそれを防いでくれていたというわけだ。

 ついでにあんまり記憶を戻しすぎるとそれはほとんど彼と同じ。ティファリスの記憶が戻れなくなる可能性が非常に高かった。


 ……そうして誕生したのが彼の記憶を中途半端に保有した私というわけだ。

 いわば彼でもない。ましてや昔のティファリスでもない……『3人目の自分』というのが一番しっくり来る表現だろう。


 また随分と手間を掛けてくれたものだ。そのせいで色々とややこしいことになっているのだから。


「……私が夢を見る度に色々思い出していたのは?」

「俺が少しずつお前に記憶を戻していたからだ。これなら負担は少なく……徐々にお前が望んだ自分に近づけるというわけだ。

 ……もっとも、俺の記憶というデメリットもついてくるが、それくらい構わないだろう? 俺の力を望むってことは、俺の全てを背負うということなんだからな」


 そういった彼はどことなく寂しそうだった。

 彼も本当は私のように生きたかったのだろうか?

 それとも……もっと別の生き方をしてみたかったのだろうか?


「……なんで貴方は記憶を封じることにしたの? 後から生まれた側の私が言うべきことじゃないのかも知れないけど、そのまま生きていれば私なんて出てくることもなかったのに……」


 彼の話を聞いた私の一番の疑問。

 それはなぜ彼が彼のままこの世界を生き抜くことをしなかったのか?

 こういうものなんだけど、私は結局父も母も……大切な執事も失うことになった。

 これが彼ならばこうはならなかったはずだ。それだけの力があることは理解できた。


 それなのになぜ……私の頭の中はそれで一杯になってしまった。


「……眩しすぎた。俺には」


 そこからぽつりぽつりと彼が語ったのは、転生を選んだ理由、そして……なぜ記憶を封じることにしたか、その理由だった――。

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