166・願うは貴女の幸せを
「いつぶりでございましょう。貴方様の健やかな御姿を拝見いたしましたのは……」
「ふむ、確かあれは誓約に向かった時だな。ともすれば……約五年、といったところか。
どうだ? 私の姿は……あれから変わっていないだろうか?」
そう言って服を広げるかのように見せるその御姿は、まるで過去の映し身。
服装どころか……装飾具すらあの時のまま。
……なんという、なんということでしょう。
あの時確かに死んでいたはずです。それは私と――お嬢様がなによりも知っております。
首の無い胴体。
それを鞘代わりに収められた剣。
魔王様が大切になされていた思い出のロケット。
その全てが変わらずあの時のまま。まるでクレリス様だけ過去から切り取ってきたかのような感覚にさえ陥ってしまいました。
「……ティファリスはどうしている? 久しぶりに会いたいものだが」
「なぜ……なぜ貴方はこちらの軍を……?」
「うん? いや、私も斬るつもりはなかった。
だがな、私も発狂したように襲いかかってこられてはどうしようもないというものだろう?」
なんのことはない。
そう言うかのように苦笑するあの方は偽物なのだ。悪魔族が擬態した……虚像なのだ。
頭の中ではそんなことはわかっている。ですが――ああ、ですが。
腰に軽く手を当てる動作。片目を閉じて仕方なさそうに笑う……その仕草の一つ一つが私の覚えているクレリス様と重なって……。
「貴方は、貴方は……本当にクレリス様なのですか?」
「ああ、そうだとも」
「なら、なぜエルガルムとの戦いの時に貴方様は姿をお見せにならなかったのですか! なぜ……なぜ、ティファリスお嬢様にお会いになろうとしなかったのですか!!」
いけない。感情的になってはいけない。
自分が聞いててもわかるほど悲痛な――みっともない声は頭の中を揺さぶり、余計に私の心を乱す。
「それは……」
クレリス様は顔を伏せ、悲しくも物憂げな表情を浮かべ、固く拳を握りしめていました。
「……私も本当は無事を伝えたかった。リカルデ、お前に。なによりも、メイセルを失ったあの日からふさぎ込んでいたティファリスに」
メイセル様……お嬢様の母君様。もしや……もしや……。
考えれば考えるだけ嫌な予感が胸中に降り積もる。
「だがな。私も他国に身を隠していた身。彼らは私が表へ出ることを嫌ったが、今回どうしてもお前たちに会いたくて……説得したくてここまで来たのだ」
「それを……そんな世迷い言を信じろと言うのですか?」
警戒心を強めている私の言葉に、クレリス様はやれやれと
その眼はどこまでも真剣で……もしかしたら本当にクレリス様なのでは? という考えが脳裏によぎりました。
「信じたくない気持ちもわかる。だが、信じてくれ。お前が今戦闘行為をやめれば、こちらの軍もこれ以上無益な殺しはしない。そう、彼らとも約束している。だから……信じてくれ」
やめてください。そんな目で、顔で、声で、私の感情を揺さぶらないで……。
冷静ではいられない頭が警告/安堵する。このままではいけない/いいのだと。
相反する感情が、私の動きを鈍らせ、行動を徐々に遅らせてくる。
こんなことまでするのですか……どれほど私達を――魔王様を貶めれば気が済むのですか……!
怒れ。
感情を赤く染め上げろ。
この御方は……この男は断じて私の信じた魔王様ではない!
鞘から剣を抜き放ち、これ以上何も言うまいとそのままの勢いで私はクレリス様――いいえ、クレリスに突撃をかけました。
「……お前もか。残念だよリカルデ。お前にも私の言葉が届かないとはね……」
「黙りなさい。今この場でのその発言が、どれだけクレリス様御本人を蔑ろにされているか……!」
「ふっふふ……」
刃を合わせ、幾度となく剣を交えました。
私の力量も上がっていたおかげか、『
「どうした? 動きが鈍っているぞ?」
「……くっ」
クレリスの剣が私の右肩をざっくりと斬られ、血しぶきを上げました。
……これでは腕が満足に持ち上がらないでしょう。私はとっさに持っている剣を左手に切り替え、クレリスの動きを注意深く観察しました。
……やはり、私の知っている魔王様ではない。改めてそう感じるのですが、心が、思い出が……私の動きを鈍らせる。
それほどまでに私にとっては大切な御方。主君と崇め、お使えした御方。
姿が、記憶すらもあの時のままのこの男を……無情に殺められる……はず、ないじゃありませんか……!
いくらこの身に怒りの薪をくべても、いくら憎しみの炎を滾らせても……姿も記憶も……思い出のあのままであるならば、それは過去の投影。クレリス様の映し身。それをどうして……どうして私が手にかけることができましょうか?
「ふふっ、リカルデ……そろそろ観念したらどうだ?」
「ざ、残念ですね。私は……まだまだ戦えます」
「そうか……ならばこれが最後だ。リカルデ……
「……え?」
無防備になった刹那――。
私は左胸の方に痛みを覚えました。
頭をゆっくりと後ろに向けると……そこにはかつてお嬢様のお隣で微笑まれていたあの日の姿のままのメイセル様が。
クレリス様のお妃様。ティファリスの母君様が。
――ああ、懐かしい。長い黒髪も、その琥珀色の目も、優しげな笑み、その香りすら……。
この御方も全てがあの時のまま。お美しい……初めてお目にかかったその時からつくづく思っておりました。
クレリス様、メイセル様……ティファリスお嬢様。この方々に尽くせるこの身のなんと幸せなことか。
「メ……イセル、様……」
「残念ねリカルデ。貴方が頷いてくれれば、またあの頃のように幸せな日々を送れたはずなのに……」
辛うじて左胸のやや下――急所を外れてはいますが、この状況、回復を受けられそうもありません。
このままでは私はどのみち死んでしまうでしょう。
であるならば……今の私が出来る最大限の方法は……。
「くっ……がはっ……」
「メイセル。わざと急所を外したな」
「あら、だって必要でしょう? リカルデも」
それだけで周囲が華やぐような笑顔を――まるで悪意がないかのように振りまくメイセル。
そうやって寄り添っておられる御姿は、生存なされていた時のままを彷彿とさせます。
「……そうだな。生きていなければ意味がない。リカルデも随分、私達に仕えてきたことだ。恩賞を与えてもいいだろう」
「ふふっ、でしょう?」
……このままでは、私も悪魔族に名も、姿も……記憶すら全て奪われ、お嬢様に牙を向けるでしょう。
それならば……私は……!!
「あっ……くぅっ……」
「……その体になって尚、戦おうとするとは。国に身を捧げるその姿勢、やはり失くしてしまうには惜しいな」
「そ、それは……大変、嬉しゅうござい、ます」
「でもね、今は休んだ方が良いわ。その方が貴方の為よ?」
お二人が笑ってらっしゃる……ああ、当に失われた時が……戻ってくるような錯覚さえ抱くほどに。
まだ、身体は動く。私はまだ……やれる!
「はっ……ああああ、あああああああっっ!!」
今出来うる限りの全力。張り裂けんばかりの声をあげたせいで余計に身体に力が入り、血を流す結果になったとしても……。
よろよろとよろけながらも走る姿。客観的に見ればさぞかしみっともないでしょう。
ですが――最後まで焼き付けておきたかったのです。二人の、御姿を。
「ふぅ、これ……で……!?」
「ええ、これで……」
私の右肩に、再び火を入れたかのような痛みが走る。恐らく剣を取り上げようと左腕を狙ったのでしょうが……よろけた拍子で再び右の方に当たった形になったのでしょう。
しかし、これは都合がいい。
私はそのままクレリスに倒れ込むように寄りかかり、そのまままっすぐ腹の方に剣を突き入れました。
――最愛の御方。殺めることなど出来はしないと本当に思っておりました。
ですが、私は……。
私は……。
今を生きる
「リカ……ルデ……!?」
「クレリス!」
「クレ、リス、様……ごふっ、私は、罪深い……男で、す!
せめて……せめて、ごほっ、地獄の底で再び会われたときは! 貴方にもう一度、ごほっ……もう一度、お、お仕えさせて、ください!! 『フォルス』!!」
メイセルの叫び声が聞こえるのを無視して、私は力を強化する魔法を唱え……痛む右肩を無視して両手で握り、力の限りその剣を上に振り上げました。
私に降り注ぐように飛び散る血。ちょうど右腹の方から上斜めへ……左胸側へと切り裂れ、生命の花を散らすクレリス――様の御姿。
これが私の罪であるならば、潔く受け入れましょう。過去の映し身であるとは言え、私のお仕えした主君。
それを自ら手にかける。これが執事として、どれだけ罪深きことか。
「リカルデ……貴方……!!」
最後の力を振り絞り、もう一つ……罪を重ねようと動こうとしたところを、再び左胸を刺すような鈍い痛みが。
今度は躊躇うこと無く私の……い、のち……を……。
ティ、ティファ、リ……スお嬢、さ、ま……。
ど、どう……か、お幸せ、に――。
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