隠者は誤解を招きやすい。


「ちょっと、誰か連れ込んでるならもう一人分払ってもらうからね?」


 ゆっくりと女将の足音が近付いてくる。


「おいお前、どうしてくれるんだ。これじゃ俺まで追い出されかねないぞ」


「うっ、うるさい! お前が私に乱暴しようとするから……!」


 頭に虫でも涌いてるのかこいつ。


「俺はお前にベッドを譲って床で寝ようとしただけなんだが!?」


「……えっ」


 にゃんこが苛立つ俺の顔を見つめ、しゅんとなる。


「ご、ごめん……てっきり、私の身体が目当てなのかと……」


「鏡見てから言いやがれ!」


「なっ、いくらなんでもそれは酷くないか!? 私だってちゃんと乙女なんだぞ!? 傷付くんだぞ!? 泣くぞ!?」


 泣くな鬱陶しい……。


「ちょっと! どういう事か説明して……」


 バァン! と部屋のドアが勢いよく開け放たれる。


「……なんだい女将さん。起こさないでくれって言ったと思うんだが」


「あれ? 確かに女の声が聞こえたと思うんだけど……」


「この部屋のどこに隠れる場所があるんだよ……気になるなら適当に探してくれ。満足したら出て行ってくれよな。俺はもう寝る」


 女将にそう伝えて俺は布団に潜り込んだ。


「う……私の勘違いだったのかねぇ……嫌だわ歳は取りたくないねぇ……」


 女将は一応部屋をもう一度見渡して、すごすごと出て行った。


『しかし緊急事態とはいえ君もむごい事をするものだ』


 ただ腹に一発入れて黙らせただけだろうが。ちゃんとおぶってやったしベッドにもこうして入れてやったんだ。文句言われる筋合いはねぇだろ。


『ふむ……だが今は君もベッドに入っているね?』


 それがどうした。女将をごまかす為に一時的に一緒に入っただけだろ。すぐに出るさ。


『そうか。しかし彼女は既に目を覚ましているよ』


 えっ?


「……ッ!! 急に布団に連れ込むなんて……何考えてんだよぉ……」


 にゃんこは意外と元気そうで、両手で顔を覆いプルプル震えていた。


 大声を出さないだけマシだと思うしかない。


『しかし加減をしすぎたのかね? 随分目覚めるのが早いようだが』


 確かに。勿論加減しなければ死んでしまうだろうからそれなりには加減したけれど、こんな早く意識が戻るような殴り方はしなかった筈だ。


 それに痛がっている様子も無い。

 こいつ、本当に何かあるのか?


『ふむ、興味深いね。ますます私はこの子が気に入ったよ』


 興味深いって所には同意だが気に入るかどうかは別問題だな。だってうるせぇし。


『しかし今はそれこそ子猫のようだよ』


「は、初めてはもっと……お、思ってたのと、違う……」


「何言ってんだお前。とりあえずそのままベッドで寝ちまえ。俺は床で寝るから」


「えっ、あぁ……うん、そうだよね。ごめん」



 分かればいいんだよ分れば。



 結局その後にゃんこは騒ぐことも無くベッドで小さな寝息を立てだした。


『彼女の事、どう思う?』


 別に。もしかしたら何かあるかもしれないけれどそれは明日になれば分かるだろ。


『君は本当に自分から一歩踏み出そうとはしないのだね』


 そういう訳じゃないさ。明日分かる事を今無理に知らなくてもいい。

 ただそう思ってるだけだ。それに……。


「『楽しみは取っておいた方がいいだろ』」


「……」


『君の考える事は私にも分かるさ。何せ君なのだから。……理解できるかどうかはまた別問題だが、楽しみを取っておくという考え方には賛同できるね』


 回りくどい。面倒だから明日直接見て確かめようと思っただけさ。


『ふふふ……そういう事にしておこう』



 分ってる。俺はこうやって無気力な生きるゴミみたいな生き物として日々を過ごしているけれど、本当は……心の底から楽しめる何かを探している。


 そういう衝動が身体を支配している。

 俺に流れ込んできた奴の記憶、そして知識が、何をどうしたら面白くなるかという計算を始める。


 しかしそれを拒む自分もわずかに残っていて、必死にそれらを見ないふりしている。


 まだしばらくはこのままでいい。

 どうしても衝動に耐えられなくなってしまうまではこのままで。


 まだ少しだけでも人間であるのなら、耐えられる筈だ。



「……なぁ、起きてるか?」


 にゃんこがベッドで寝息を立て始めて四時間ほどした頃だろうか。外もすっかり真っ暗で星すら見えないような漆黒が広がっている。


「なんだ? こんな時間に……。トイレに行くなら音を立てずに静かに行ってこいよ」


 この宿は部屋毎にトイレが付いているほど設備が良くない。共同の物があるだけである。


「ち、違うよばか。……そんな所に転がってて身体痛くならないか? 寒くないか?」


 俺の事を心配してるのか。いらぬ世話だ。


「酷い環境で寝るのは慣れてる。別に大丈夫だし寒くも無い」


「そ、そうか……」


『君という奴は何も分っていないのだね。さすがに私でもわかるぞ』


 何がだよ。今のやり取りにそれ以上の何があるっていうんだ。


「おい、やっぱりその……私が落ち着かないからベッドで寝ろよ」


「は? お前に譲ったんだから構わないさ。それに俺がベッド使ったらお前はどうするんだよ」


「……べつに、二人くらい寝ても余裕あるだろ……?」


 確かに寝相が悪くなければ二人で寝てもなんとかなるかもしれないが……。


『ほらね。君も少しは女心という物をだね……』


 わかんねぇ……。

 俺が馬鹿なのかこいつらがおかしいのか……。


『私がおかしいという事はだ』


 分ってるよ。俺もおかしいって事だろ?

 知ってるさ。


「べ、別に変な事してもいいって意味じゃないんんだからな!? 勘違いして触ったりするなよ? それくらい分ってるよな?」


 ……知らねぇよ。

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