譲れない部分


 その夜。

 葡萄ジュースを飲み干したオズウェルは、勢い良くワイングラスを机へ叩き付けた。


「くっそぉぉぉ、模倣犯めぇ……彼女の偽者の癖に、彼女から逃げ回るとは小癪なぁ……」


 真っ赤な顔で歯を食い縛り、ズレた眼鏡を持ち上げる。


「犯人共も犯人共だ。何で彼女に協力しない。わざわざ彼女が聞いているんだぞ? なのにだんまりを決め込むなんて……っ。許される事じゃないっ!」


 据わり切った目で、天へ向かって吠えた。


 向かい側に座るティムは、大きな体を跳ね上げる。その拍子に、スプーンで掬ったオズウェルお手製オムライスを、皿の上へ落とした。


「あ、で、ですが、ラヴさん、あ、ラヴレスさん、は、特に、気にされている、様子は、ありませんでした、よ? いつものように、楽しそうに、していました」

「そんなの分からないだろうっ。お前がそう思っているだけで、実際は物凄く困っているかもしれないじゃないかっ」


 ティムは、クリフォードへ関係者との面会を依頼するラヴの顔を、思い浮かべる。けれど、やはり何か変わった様子は見られない。


「あぁ、大丈夫だろうか、ラヴィニア。僕が傍にいたら、きっと君の役に立ってみせるのに。いや、例え離れていても、僕は君の役に立ってみせる」


 オズウェルは切なげに顔を歪め、ワイングラスへ葡萄ジュースを注ぎ入れていく。


「一応、僕の方でも色々調べてみたんだ。彼女の模倣犯など、最早彼女を侮辱しているとしか思えないからな。

 けれど、手掛かりになりそうな話は見つけられなかった。精々、犯人が警視庁の管轄内にいる可能性が高い、という事位だ」

「え? そ、そう、なんですか?」

「あぁ。なんせ殆どの事件発生場所が、警視庁の管轄と被っているからな。まぁ、こんな事、既に彼女も分かっているだろうが」


 ティムは、感嘆の溜め息を吐く。


「犯人の年齢も、職業も、行動範囲もバラバラ。奴らは、どうやって模倣犯と知り合ったのか。その共通点はないか。色んな角度から探ってはみたものの、結果は惨敗だ。まぁ、彼女がてこずっている位なのだから、僕如きが解けるわけがないがね」

「あ、で、ですが、凄いです。そうやって、自力で事件を、調べてしまう、のは」

「例え凄かろうと、結果が伴わなければ意味などない。彼女の役に立てない僕なんか、価値はないんだ。彼女が助けを求めているというのに……はーぁ。僕は、恋人失格だ」


 オズウェルは、机に突っ伏す。


「い、いえ、そんな事は、ありませんよ」

「あるんだよ。お前には分からないだろうけどな」

「で、ですが、ラヴレスさんは、そのような事は」

「吐き出された言葉が、全て本音というわけではない。時には、本心と反対の事を言う事もあるんだ」


 頑なに決め付けるオズウェルに、ティムは眉を下げる。本当にそんな事はないと思うのだが。

 けれど、ティムの言葉は届かない。

 込み上げた溜め息を飲み込み、オムライスへ静かにスプーンを差し込む。



「……やはり、あいつを使うしかないか……」



 オズウェルは、徐に立ち上がる。覚束ない足取りで、隣の部屋へ向かった。

 ラヴの隠し撮り写真や私物の溢れる部屋に入ると、オズウェルは紙袋を持って帰ってくる。


「おい、デカブツ」


 持ってきた紙袋を、ティムの目の前へ置いた。


「明日、これを持って刑務所へ行け」

「な、何ですか、これは?」


「爆弾」


 何て事なく言われた言葉に、ティムはスプーンを咥えた体勢で、固まる。


「……え? ば、ばく……?」

「爆弾。僕お手製の」


 呆然とオズウェルを見つめるティムの口から、オムライスが零れ落ちる。



 かと思えば、目を見開き、勢い良く仰け反る。



 座っていた椅子の脚を壊すも、気にする余裕はない。壁際まで逃げ、顔を青くさせながら、持っていたスプーンで紙袋を指す。


「ば、ばく、爆弾って、ほ、本当、ですか?」

「僕が嘘を言うとでも思っているのか?」

「でも、だって、お、お手製だなんて……っ」

「どんな爆弾だって、誰かしらのお手製だろう」

「そ、それは、そうかも、しれませんが……っ」


 だからと言って、何故オズウェルが作ってしまったのか。

 そもそも爆弾とは、そんなやたらに作れるものなのか。

 ティムは唇を戦慄かせ、喉を上下させた。


「彼女が逮捕されてから、ずっと考えていた。どうしたら彼女を助けられるのかと。

 そうして辿り付いたのが、刑務所を爆破し、その混乱に乗じて彼女を救い出すという方法だ。だから爆弾の作り方を調べて、何度も設計図を作り直し、改良を重ね、漸く形になった」


 オズウェルは、紙袋の中から、時計が付属している金属の箱を取り出す。


「上の部分に、赤いボタンがあるだろう? これを設置した際に押すんだ。そうすると時計が動き出して、時間になると爆発する。

 一応、爆発はお前が帰った後にするよう設定してあるが、万が一という事もある。もし爆発に巻き込まれた場合は、速やかに逃げるように。

 まぁ、馬に蹴られて打ち身で済んでいるお前なら、例え巻き込まれようとも、掠り傷で済むとは思うけどな」


 ふんと鼻を鳴らすと、オズウェルは爆弾を紙袋へ戻した。


「それと、設置場所はトイレやゴミ箱が望ましい。本当はお前が普段使っていない通路なんかがいいんだが、そんな場所をお前がうろついていたら、逆に怪しまれるだろう。

 刑務所内が難しいようなら、刑務所の裏や、外から塀の中へ投げ込んでおけ。そうすれば、適当な時間に爆発するだろう」


 紙袋片手にティムへと近付いてくる。



「全ては彼女を助け出す為だ。頼んだぞ」



 そう言って、爆弾をティムへ突き出した。


 ティムは、声もなく首を横へ振る。けれどオズウェルは、強引に紙袋を持たせようとティムの手を掴んだ。


「っ、む、むむむ、無理ですっ。俺、そんな事、で、出来ませんっ」

「出来なくない。大丈夫だ。ただこれを置いて、上のボタンを押すだけだ。簡単だろう?」

「で、出来ませんっ。無理ですっ。無理です……っ」

「だから、無理じゃない。いいから、ほら」


 しかし、ティムは手を固く握り締め、決して受け取ろうとしない。


 オズウェルは舌打ちをし、踵を返した。机の下に置かれたティムの鞄を掴み、紙袋を突っ込む。


「あぁっ。や、止めて下さいっ」

「煩い」


 伸ばされたティムの腕を押し退け、オズウェルは鞄の口を手で押さえる。それでもティムは、どうにか紙袋を取り出そうと、オズウェルに纏わり付いた。


 そうして床に座り込んで、押し問答を繰り返していると。



「あっ」



 ティムが鞄を掴んだ瞬間、メキャ、という音が、部屋に響いた。


 オズウェルが押さえていた鞄の口から、金属の破片が、零れ落ちてくる。



「お、お前ぇっ! 何するんだこの馬鹿っ!」

「す、すいませんっ」

「すいませんじゃないだろうがっ! あぁっ、折角完成したのに……っ」


 オズウェルは、慌てて鞄を開ける。破れた紙袋から、握り潰れた金属製の箱が姿を現した。

 粉々となった時計の文字盤に、眦をつり上げる。


「す、すいません。壊してしまって、すいません。ほ、本当に、すいません」


 ティムは真っ青な顔で、大きな体を竦ませた。

 戦慄く唇で謝罪を繰り返すティムに、オズウェルは顔を歪める。怯える巨漢を睨み上げ、やがて、深い深い、溜め息を吐いた。


「全く……お前はそうやっていっつもいっつも謝って」

「す、すいません」

「煩い。黙れ」


 ティムは、言われた通り固く唇を結んだ。顎に皺が寄り、情けない顔を俯かせる。


 部屋に、オズウェルの溜め息が、もう一つ、落とされた。



「……まぁ、火薬の量が、少々気にはなっていたからな。丁度いい。作り直すとするか」



 徐に、床へ落ちた爆弾の残骸を、拾い集める。



 ティムは、恐る恐る、顔を上げた。


「あ……オ、オズウェルさん……」

「何だよ」

「その……作り直す、の、ですか……?」

「そうだよ。どこかの誰かが壊してくれたからな」


 机へ置かれた爆弾のなれの果てに、ティムは眉を下げる。


「言っておくが、僕はまだ怒っているんだからな。これを完成させるのに、一体どれだけの時間と金が掛かったと思っているんだ。


 いいか。二度目はないからな。また同じ事をしたら、今度こそ怒るからな。それだけじゃなく、今すぐここから追い出すし、もう食事もご馳走してやらないからな。

 分かったか。分かったなら、大人しく僕お手製のフライドチキンでも食べていろ、って、お前、椅子も壊しているじゃないか。あーぁ、どうするんだよ、これ」


 折れた椅子の脚を拾い、オズウェルは溜め息を吐く。


「まぁ、いい。取り敢えず、僕の椅子を使っていろ。

 いいか。絶対に大人しくしているんだぞ。無駄に何かしようとせず、僕が戻ってくるまで適当に食べているんだ。そしてここの片付けが終わったら、彼女の奪還計画について詳しく説明してやるから、きちんと頭に叩き込むんだぞ。分かったな」


 指を突き付けて釘を差すと、オズウェルは掃除道具を取りに立ち上がった。




「…………い、嫌です……」




 しかし、聞こえた囁きに、すぐさま止まる。


 オズウェルは、ゆっくりと振り返った。



 ティムが、拳を握り締めて、俯いている。



「……何だよ、デカブツ。よく聞こえなかった。何だって?」

「っ、お、俺はっ、いいい、嫌ですっ。オズウェルさんの、お手伝いは、し、しませんっ」


 床に向かって、叫んだ。


 眼鏡の奥で、オズウェルの目が、細められる。


「何を言っているんだ、お前。僕の言う事が聞けないのか?」

「そ、そうですっ。俺は、やりませんっ。ば、爆弾なんて、使っては、危ないですっ。犯罪ですっ。そ、そのような行為、神様は、お許しには、なりませんっ」


 右の拳を胸に押し当て、人一倍大きな体を小刻みに震わせた。緊張で息は荒く、顔も引き攣っている。


 そんなティムを、オズウェルは無言で見上げた。



 沈黙の中、ティムの喉が上下する音が、小さく響く。




「……ふぅん、あっそ」




 不意に、オズウェルは眼鏡を持ち上げた。


「ならいいよ。別にお前の手なんか借りなくたって、彼女の奪還計画は成功する。寧ろ、下手な事をされて予定が狂う位なら、最初から僕一人でやった方が効率的だな」


 自分の椅子を引き寄せ、腰を下ろす。


「そもそも、お前に大事な爆弾を預けようなんて考えが無謀だったんだ。設置する前に、また壊されては堪らないからな。

 段取りを間違える可能性もあるし、お前の態度から看守に気付かれる恐れもある。いや、気付かれるだろうな。お前の事だから。そう考えれば、決行前に気付けてよかったというものだ。


 全く。何でこんな簡単な事も気付かなかったんだろうな、僕は。お前なんぞを、計画の一部に組み込もうとするだなんて。

 まぁ、使い勝手のいい位置にいたのだから仕方ないか。きっと彼女でも、僕と同じ事を考えた筈だ。だが、彼女はすぐにその案を捨てるだろう。何故ならお前が使えないからだ。囮にしようとでも思わない限りは、協力などさせないだろう。

 はぁ、僕もまだまだだな」


 独り言のようにつらつらと語りながら、オズウェルはワイングラスへ葡萄ジュースを注いだ。揺れる紫色の液体を、じっと見つめる。


 ティムの眉が、情けなく下がる。

 目線も下がり、けれど、と、拳を握った。



「……オズウェルさん。止めましょう」



 ぎこちなく唇を動かし、ティムは、顔を上げた。


「オズウェルさんが、やろうと、している事は、とても、いけない事、です。危険な、事です。警察が、動きますし、きっと、犯人を、特定して、捕まえます。

 オ、オズウェルさんは、犯罪者に、なって、しまいます。それは、とても、嫌です。だから、や、止めて、下さい。爆弾なんて、作らないで、下さい」


 ワイングラスを傾けるオズウェルを、必死で見つめる。


「も、もし、オズウェルさんが、止めて、くれないの、ならば、お、俺は、オズウェルさんの、邪魔を、します。何度も、何度でも、爆弾を、壊します。

 例え、どんなに、頑丈に、作っても、絶対に、壊して、使えなくして、だ、だから、オズウェルさんは、とても、大変です。止めた方が、いいです」


 机へ近付き、オズウェルへ語り掛けた。無視され、悲しくて、心が折れてしまいそうだったが、それでもティムは、懸命に口を開いた。拙い言葉を、紡ぎ続けた。


 オズウェルに罪を犯して欲しくないから。



 自分のように、誰かを傷付けて、苦しんで欲しくないから。



「お、お願いです。オズウェルさん。お願いですから、考え直して、下さい。

 俺は、嫌です。オズウェルさんが、悪い事を、するなんて。計画が、成功しても、失敗しても、嫌です。成功したら、オズウェルさんは、警察に、追われます。失敗しても、捕まって、しまいます。だから、止めて欲しい、です。


 そ、そう、願っているのは、俺だけでは、ありません。

 ラヴさんだって、そうです。


 ラヴさんは、今の暮らしが、気に入っている、と、言っています。オズウェルさんは、本心ではない、と、言っていますが、俺は、そうは、思いません。

 ラヴさんは、毎日、楽しそうです。ジャッジ班長が、持ってくる、事件を、楽しそうに、解決、しています。お、俺の体を、調べるのも、とても、楽しそうです。本当に、そうだと、俺は、思います。本心からの、言葉だと、思います。


 ラヴさんが、望んでいない、のに、ラヴさんを、助け出そうと、するのは、違うと、思います。そんな事を、しても、ラヴさんは、喜びませ――」



 ビシャリ、と、ティムの顔に、紫色の液体が振り掛かる。



 空のワイングラスを持つオズウェルの手が、中途半端な位置で止まっていた。



「……帰れ」

「っ、オ、オズウェルさん」

「帰れっ!」


 ワイングラスを机へ叩き付ける。

 今まで見せた事のない形相で、葡萄ジュースの滴るティムの顔を睨み付けた。


 ティムの眉が、ゆっくりと下がっていく。

 歪む顔も俯かせ、込み上げた涙を堪えようと、唇を固く噛み締めた。

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