第5章
思い込みの激しい男 オズウェル
ティムは、オズウェルが作ったミートスパゲティの皿を抱え、少し後ろへ下がる。
「彼女の模倣犯が現れただと……っ? くそっ、ふざけるなよっ」
オズウェルは、葡萄ジュースの入ったワイングラスを、勢い良く机へ叩き付ける。酔っ払いのように顔を赤くし、目を据わらせた。
「い、いえ、違います、オズウェルさん。模倣犯、ではなく、ラヴ、レスさんの、ように、殺人を、促した、人間がいる、と、ただそれだけで」
「つまりっ、彼女の真似をしているという事だろうっ! くそっ、なんて図々しい奴なんだっ。お前如きが彼女に成り代われるとでも思っているのかっ? 思い上がるんじゃないぞこの野郎ぉっ!」
歯を噛み締め、怒りに天を仰ぐオズウェル。
ティムはミートスパゲティを頬張りながら、眉を下げた。
何度となく訂正しているにも関わらず、一向に聞いてくれない。それどころか、どんどん思い込みが激しくなり、もうオズウェルの中では、第二のラヴが現れた、という事になってしまっているようだ。
話さない方がよかったか、と後悔の念が込み上げる。
けれど、ラヴのストーカーである彼ならば、何か心当たりがあるかもしれない、という期待もあった。
「おい、デカブツ。それで、その父親を殺した息子は、彼女の模倣犯について何て言っているんだ?」
「あ、えっと、ピーターさんは、お兄さんだった、と、言っています。公園で、母親の、迎えを、待っていたら、知らない、お兄さんに、声を、掛けられた、と。先日、面会の時に、教えて、くれました」
けれど、幼いピーターから得られる情報は少なく、また説明も満足に出来ない。
なのでピーターの精神面を考慮し、負担にならないよう、時間を掛けて少しずつ引き出していく事になっている。
「全く。そんな悠長な事をやっていてどうするんだ。さっさと聞き出して、さっさと捕まえるべきだろう。これ以上模倣犯をのさばらせておいていいのかっ?」
「で、でも、あの、こういう事は、ゆっくりの方が、いい、と、ラヴレスさんも、おっしゃって、いますから」
「そ……そうか。それなら、まぁ、子供に関しては、それでいいのかもしれないけどな。
だが、模倣犯逮捕に向けては、もう少しこう、やってもいいんじゃないのかっ? いやっ、やるべきだっ。なのに何の進展もないだなんて、弛んでいるんじゃないかっ? あの刑事は、一体何をしているんだっ」
オズウェルは眉をつり上げ、勢い良く葡萄ジュースを煽る。
「大体偉そうなんだよあいつはっ。彼女を誤認逮捕した挙げ句、自分の都合のいいように利用しやがってっ。
お前がしっかりしないから、彼女が代わりに大勢の人間を救ったんだぞっ。尻拭いをさせた癖に、そんな彼女を犯罪者呼ばわりするだなんてっ。
今だってそうだっ。彼女がいなければ、事件も解決出来ない癖にっ。いい気になっているんじゃないよっ」
舌打ちを零しながら、ワイングラスへ葡萄ジュースを注いでいく。
相変わらず、クリフォードの事が気に入らないらしい。ティムはスパゲティを咀嚼しつつ、眉を下げた。
オズウェルの話では、どうやらラヴを逮捕したのは、クリフォードだったようだ。
二人は、ラヴがまだ精神科医として働いていた頃、病院で知り合った。ラヴは虐待を受けている患者の保護を依頼し、クリフォードは、患者の引き取りと詳しい話を聞く為に、病院へとやってくる。
当時は今程殺伐とした関係ではなく、寧ろ互いを尊敬し合っていたらしい。
「あの頃から嫌な予感はしていたんだ。彼女を見るあいつの目。まるで同志を見つけたような、そんな目をしていた。なのに今は、ぞんざいな一瞥をかますばかりだ。
あぁ今思い出しても苛々する。何なんだあいつは。勝手に期待して、勝手に幻滅して、なのに彼女から離れようとしない。本当に勝手な奴だよ。
彼女も、あんな奴さっさと見捨てればいいのに。まぁ、そういう慈悲深い所も、彼女らしいと言えばらしいんだけどね」
怒ったかと思えば上機嫌に鼻を鳴らし、オズウェルはワイングラスを揺らした。
ティムは相槌を打ち、スパゲティを口へ詰め込む。
と、不意に、ずっと気になっていた事を、思い出した。
「んぐ。あ、あの、オズウェルさん。一つ、質問、なのですが」
「ん? 何だよ」
「あの、ラ、ラヴレスさんと、ジャッジ班長は、以前、その……お、お付き合い、などを、さ、されて、いたのでしょ――」
「ないよ。全くない。一片たりともない」
据わり切った眼差しが、勢い良くティムへ叩き付けられる。
「なにふざけた勘違いをしているんだお前は。お前の目は節穴か? どこをどう見たら、彼女とあの刑事が付き合っていたように見えるんだよ。えぇ?」
「あ、す、すいません。少し前に、ラヴレスさんが、ジャッジ班長の、事を、その、『それでこそ、私の愛した、クリフォード・ジャッジだ』、と、おっしゃって、いたので」
「それは、友愛という意味での愛しているだ。決して男として愛しているというわけではない。分かったか。分かったなら、二度と不愉快な勘違いはするな。いいな」
「は、はい。分かり、ました。す、すいません……」
「なにが、すいません、だ。そこは、分かりました、だけでいいんだよ。意味もなく謝っているんじゃないよ馬鹿」
ふんと鼻を鳴らし、オズウェルはワイングラスを傾ける。
軽快に喉を上下させるオズウェルに、ティムは内心ホッとする。
「あぁ……しかし、なんて可哀そうなんだろう。無実の罪で囚われ、友愛を覚えた相手からはぞんざいに扱われ……さぞ辛い毎日を送っているに違いない」
悲しげに顔を歪め、オズウェルは首を横へ振る。
「僕にはね、分かるんだよ。彼女の気持ちが。きっと助けを求めている。冷たい刑務所の中で、何度も僕の名前を呼んでいるんだ。そうして、ここから救い出して欲しいと、涙を堪えて願っているんだよ」
そう、なのだろうか。ティムは口に付いたミートソースを拭いつつ、首を傾げた。ティムが見る限りでは、毎日を中々楽しそうに過ごしているのだが。
「いや、違うね。彼女は、お前や周りに気付かれないよう、強がっているだけさ。
けれど本当は心細いんだ。あんな場所で一生を過ごさなくてはならないなんて、考えるだけで恐ろしくなるだろう。未来が閉ざされているんだぞ。ぼ、僕とも、結ばれる事は、ないからねっ。
だから本心としては、今すぐあそこから解放されたいんだ。僕の助けを待っているんだよっ。僕には分かるっ」
オズウェルは、ワイングラスごと両腕を天へ広げた。そして、澄み切った目を輝かせ、高らかに宣言する。
「待っていてくれラヴィニアッ。僕は君を助け出してみせるっ。必ずっ」
そんな事があった、とティムは次の日、ラヴに話をした。
「気持ちは嬉しいがね。だが私は、今の暮らしの方が気に入っているんだ。助けは必要ないかな」
その夜。ラヴの言葉を、オズウェルに伝える。
「いやっ、そんな事はないっ。きっと彼女は遠慮しているんだっ。僕に迷惑が掛からないよう、本音を飲み込んでいるんだっ」
と、オズウェルが言っていたと、次の日ラヴへ話す。
「遠慮などしていないし、私は本心からここにいたいのだがね」
その夜。オズウェルと食事に行った際、そう伝えた。
「なんて慎み深いんだっ。僕は何度でも君に恋をするっ。あぁっ、今すぐ救い出したいっ。そして彼女の涙を拭ってあげたいっ」
葡萄ジュース片手に興奮するオズウェルを、自宅まで送り届けた、次の日。
「泣いた記憶はないのだがねぇ」
その日の夜。
「ラヴィニアッ、あぁラヴィニアッ! 待っていてくれっ! 必ず、必ず君の無実を証明してみせるからっ!」
次の日。
「彼はつくづく、人の話を聞かないねぇ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「す、すいません……」
ティムは、人一倍大きな体を丸めて、空の木箱片手にラヴへと近付く。
肩を落とすティムを、ラヴは鉄格子越しに流し見た。
「なに、君が謝る事ではないよ。オズウェル君は、元々思い込みが激しいからね。こうだと思うと、そのまま突っ走ってしまう。否定した所で火に油を注ぐだけ。よくも悪くも、以前と変わりはないようだ」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは手元の資料へ視線を戻した。
ラヴの周りには、大量の事件資料が積み上げられている。
ここ五年の間に起こった殺人事件の資料で、既に解決したものもあれば、未解決のものもあった。
「しかし、オズウェル君にも困ったものだね。彼に私の言葉は伝わらないのかな。こうも噛み合わないと、流石の私も諦めざるを得ないよ」
微笑みを浮かべ、ラヴは、鉄格子の傍に築かれた紙山の天辺へと、読み終わった資料を置いた。それから、新しい資料へ手を伸ばす。
「い、いえ。多分、俺が、ラヴさんの、言葉を、上手く、伝えられて、いないだけ、です」
「ティムは優しい子だね。けれど、あまり私を甘やかしてはいけないよ。オズウェル君の事もそうだ。時には相手の欠点を口にする事も、大切且つ必要な事だからね」
ティムは、困ったように目を彷徨わせる。
「まぁ、ティムにとっては、相手の欠点を指摘する行為自体が、とても難しいのかもしれないな。
無理をする必要はない。ただ、覚えておきたまえ。君には、そういう選択肢がある、という事をね」
「う、は、はい……」
おずおずと首を縦に揺らし、ティムは、鉄格子の隙間へ手を入れた。積み上げられた資料を掴み、木箱の中に入れていく。一杯になったら蓋をし、入口の脇へ運んだ。
この作業を何度も繰り返していく内に、ラヴを取り囲んでいた資料の山は姿を消した。
後には机の上に置かれたものと、ラヴが読んでいるものだけが残る。
「……ふむ」
ラヴは、徐に手元の資料を膝へと置いた。それから机に乗る資料を開き、内容を見比べ始める。
数拍後、ゆっくりと口角を持ち上げた。
「失礼する」
クリフォードがやってきた。入口の傍に積み上がる木箱に、一瞬足を止める。
「あ、す、すいません、ジャッジ班長。すぐに、退かします」
「いや、このままで構わない」
しかし、ティムは積み上げられた木箱を一気に抱え上げ、壁際へと移動させた。
大量の紙が詰まった木箱を、片手に二つずつ。計四つ持ったまま、ティムは危な気なく歩く。
クリフォードは、鋭い目付きを密かに見開いた。
ラヴは、微笑ましいとばかりに唇を緩ませ、椅子から立ち上がる。
「やぁ、クリフォード。いい所にきたね。丁度君と話がしたいと思っていたんだ」
「……そうか。では、この事件が解決したら聞いてやる」
クリフォードは、抱えていた分厚い封筒を開く。
取り出された資料に気付いたティムは、木箱を下ろし、クリフォードの元へ近寄った。
しかし、ティムが受け取る前に、資料は横から掻っ攫われてしまう。
「おい、ラヴレス」
クリフォードの目が鋭さを増す。
けれどラヴは気にせず、奪った資料へ素早く目を通していく。
「ふむ、成程。
放火犯は、使用人のラーラだね。動機は痴情の縺れ。彼女は、被害者一家の主と不倫していた。焼死体の懐からなくなっていた懐中時計は、恐らく彼女が隠し持っているだろう。抜き打ちで身体検査する事を、私はお勧めするよ」
ラヴは微笑みを浮かべ、鉄格子の隙間から、資料をクリフォードへ差し出す。
「さて。事件も解決した事だし、ゆっくりと語らおうじゃないか」
クリフォードは眉を顰め、ラヴから資料を奪い取る。
「話したい事というのは他でもない。ピーター君に入れ知恵をした人間についてだ」
ティムが、小さく息を飲んだ。
「私はあの事件の後、ここ五年の間に起こった事件資料を、全て持ってくるよう頼んだね? そうして先程、全てに目を通し終えた。その中から、怪しいと感じた事件が、これだ」
と、机まで戻り、積まれた資料二山を手で叩く。
「奥の資料が、未解決のもの。手前の資料が、解決済みのものだ。どちらも私が推理し直し、犯人は誰なのか、既に見当を付けている。まぁ、その辺りは後で改めて説明するので、今は置いておくとしてだ。
こちらの、解決済みのもの。私の推理と捕まった犯人は、全員一致している。警察の優秀さに感心したよ。けれど、どうにも違和感が残った。
確かに、罪を犯したのは彼らだ。それは間違いない。だが、彼らだけで犯行が行われたとは思えない。所々に不自然さを覚えた。
未解決事件に関しても、私の推理が正しければ、まるで誰かに教わった事を、忠実に再現しているかのような印象を受ける。
つまり現時点では、ここにある事件には、黒幕もしくは共犯者がいた可能性があると、私は考える」
「……その人物が、ピーターに父親を殺させた男だとでも言いたいのか」
「断言は出来ない。だがいくつかの事件には、関わっているのではないかな」
ラヴは、徐に口角を持ち上げる。
「というわけで、クリフォード。君にいくつかお願いがあるんだ」
嫌な響きを覚える言葉に、クリフォードの顔は自ずと歪んだ。
「私がこれから語る推理を元に、未解決事件の犯人を全員逮捕してきてくれたまえ。それから、ここにある事件の犯人達と話がしたい。場を設けてくれたまえ」
「……どいつとのだ」
「全員だよ。犯人全員と、直接話がしたい。でなければ、どの事件が実際に該当するのか、分からないじゃないか」
ふふ、と喉を鳴らすラヴに、クリフォードは一層怪訝な顔をする。
「……一体、何を企んでいる」
「企んでいるもなにも、私はただ、己の職務を全うしているだけだよ」
「積極的過ぎる。何か別の目的があるとしか思えない」
「成程。相変わらず素晴らしい勘をしているね」
クリフォードの眉が、ピクリと跳ねる。鋭い目付きを更に研ぎ澄ませ、楽しげに微笑むラヴを見下ろした。
「まぁ、一言で言えば、興味があるのさ。この黒幕とやらにね」
ラヴは椅子へ座り、足を組んだ。
「彼または彼女が関わっていると思われる事件は、そのどれもが未解決か、難航の末に解決されたか、私の元へと回されてきたものばかり。つまり、かなり高水準の犯行を、常に生み出していたという事だ。中々出来る芸当ではない。
同じ殺人教唆の犯罪者として、とても好奇心が擽られるんだよ。是非とも対談してみたいね。だから、いつになく真面目に働いている、というわけさ」
椅子の背に凭れ、ラヴは、眉間に皺を寄せるクリフォードを見上げる。
「それで、クリフォード」
美しい顔へ、微笑みを浮かべた。
「私のお願いは、いつ叶えてくれるのかな?」
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