クリフォードの覚悟
クリフォードは、取り出した手錠をラヴの手首へ嵌める。ラヴは特に抵抗もせず、微笑みながら受け入れた。
「……リトル」
「は、はいっ」
ティムは立ち上がり、姿勢を正す。
「何故お前は、こんな所にラヴレスといる。見つけた時点で刑務所へ連れ戻すか、私へ報告すべきだった。それは、理解しているのか」
「あ、は、はい……」
「ならば何故しなかった。お前はこいつの助手かもしれないが、所属は警察であり、私の部下である。つまり、優先すべきはこいつの意志ではなく、私の指示だ。認識を違えるな」
「す、すいません……」
「まぁまぁ。落ち着きたまえよ、クリフォード」
ラヴが、場違いな程軽く微笑んだ。
「ティムは、頑張って止めようとしていたよ。何度も私の前に立ち塞がり、戻りましょうと言い募った。
けれど私は聞かなかった。ティムを無視して、散歩を続けたんだ。
なんせクリフォードの持ってきた事件が、あまりにも難解だったからねぇ。これは気分転換をしなければやっていられないと、そう思ったんだよ」
ふふ、と喉を鳴らし、手錠の鎖を擦り合わせる。
「しかし、本当に難解な事件だった。なんせ、読めば読む程、通り魔的な快楽殺人にしか思えなかったのだからね。
被害者と接点のない犯人程、見つけ出すのは難しい。どうにかして手掛かりを見つけられないか。そう考えていたら、ふと閃いたんだよ。
被害者のロデリックは、長時間死なない程度に嬲られた挙げ句、最後は首をかき切られ、あっさりと殺された。けれど実際の所は、嬲ったのではなく、単純に力が足りなかったから、死なない程度にロデリックを痛め続ける事になっただけなのではないか、とね。つまり、故意ではなく偶然の結果というわけだ。
そう考えたら、怪しい人物が一人浮上した。息子のピーターだ。彼の犯行だと考えれば、推理もある程度筋が通った。
けれど、あくまで怪しいというだけで、何の確証もない。半分以上が私の想像でものを話す事となる。
ならば当人と実際に会って話をしよう。通常ならば、私はそう考えるだろう。だが、いくら怪しいと言えど、五歳の子供を刑務所へ召喚するなど、ましてや犯罪者と面会させようなど、許可が下りるわけがない。少なくとも、クリフォードは許さないだろうと思った。君は案外子供に優しいからね。
どうにか別の方向から攻められないかと考えたが、どうにもいい案が思い付かなかった。だから、気分転換に散歩へ出たんだ。
そうしたら、この公園でピーター君と遭遇し、話をしている内に、彼が犯人だと発覚した。
いやぁ、こんな偶然があるだなんて。私を憐れに思った神の思し召しなのかねぇ」
然もありなんと頷き、ラヴは頬へ手を当てる。
「しかし、ピーター君の健気な想いには、流石の私も感服したよ。母親を泣かせたくないから、父親を躾けた。方法に問題はあったものの、その気持ちは大変尊く、素晴らしいものだ。
もし私が精神科医時代に彼と出会っていたら、間違いなくもっといい方法を教えていただろう。事故か自然死として処理され、確実に捕まらないような方法を、ね」
「黙れ、ラヴレス。これ以上言葉が過ぎるようなら、司法取引の無効もあり得るぞ」
「言葉が過ぎるのは、君の方ではないのかい? クリフォード」
「……何だと」
クリフォードの眉が、片方持ち上がる。
「先程、ピーター君に言っていたじゃないか。『お前達を守る』と。『約束する』と。君の口からそんな台詞が出てくるだなんて。ふふ、私はもう、可笑しくて堪らなかったよ」
ラヴは口に手を当て、喉を鳴らす。肩も揺らし、微笑んだ。
直後。
「――なんせ、出来もしない事を、さも出来るかのように語るのだからね」
美しい顔から、表情が抜け落ちた。
「君だって分かっているだろう。今の行政のやり方では、ピーター君達は救えない。それどころか、第二第三のピーター君を生み出すだけだ。
指導をしようが観察をしようが、人間はそう簡単には変わらないよ。ピーター君の父親のような人間は、特にね。平気で嘘を吐き、人を欺き、自分より弱い者を傷付ける事に、何の罪悪感も持たない。
精神科には、そんな奴らに苦しめられてきた者達が、沢山くるんだよ。警察に保護された経験のある者もね。
そういう人間は、大抵元の場所へと戻され、更なる虐待を受ける事となる。病院から警察に再度保護を依頼しても、指導したから問題ないだの、当人も反省しているだの、生温い事をぬかしてくる。
そんな教科書通りの対応で、一体どれだけの人間が死んだと思っているんだ。その癖口では、『弱者を守るのが仕事だ』などと嘯いてみせる。自分がその弱者を見殺しにしていると、自覚もしないでね」
淡々と語るラヴからは、何の感情も見えない。
「けれど、クリフォード。君はきちんと自覚している。法の限界を知っていて、その上で己の正義を貫いている。助けられない人間の存在を理解し、だからこそ、助けられる人間は、己の全てを賭けて助ける。
常に自身の無力を悔み、それでも愚直に前を向き続ける君が、私にはとても愛おしく思える。君のような警察官がいるからこそ、私も行政という組織に失望しないでいられたんだ。
だが、それも終わりだよ。
クリフォード。君はピーター君に嘘を吐いたね。
『二度とこのような事は起こさせない』『お前のような者を生み出さない』『お前も、お前の母親も、必ず守る』……ふふ。そんな事、出来るわけがないだろう。
いくら君がもがこうとも、国が変わらなければ何も変わらないよ。そんな事、とっくの昔に分かっているだろうに。全く、どの口が言うんだか。
あぁ、残念だよ、クリフォード。健気な幼子をその場しのぎの言葉で騙し、己の業務を優先するだなんて。君はそんな人間ではないと思っていたのだがね。
あぁ、本当に残念だ」
深い溜め息を吐き、ラヴは一度目を伏せた。
数拍間を開け、また無表情な顔を上げる。
「君には大変失望したよ。今後君からの依頼は受けない。一切な。
こんな下らない事を言う輩など、私の愛した男ではないからね」
強い意志の籠った声に、ティムは息を飲む。見つめ合うクリフォードとラヴを見比べ、眉を下げた。
「……言いたい事は、それで終わりか」
「取り敢えずはね」
そうか、と頷くと、クリフォードは口角を下げた唇を、開いた。
「お前の発言を、認めよう」
その言葉に、ティムは目を見開く。
「今の行政のやり方では、彼らは救えない。その通りだ。
当人も反省していると、生温い事をぬかす。その通りだ。
教科書通りの対応で、何人もの弱者を見殺しにしている自覚がない。その通りだ。
いくら私がもがこうとも、国が変わらなければ何も変わらない。その通りだ。
お前の言っている事は正しい。それがこの国の現状だと、認めよう」
ラヴを見下ろすクリフォードの目が、つと鋭さを増す。
「だが、一つだけ否認する。
私は、その場しのぎの言葉で騙し、己の業務を優先しようなどと、一度足りとも考えた事はない」
眉をつり上げ、拳を握り締める。
「確かに、法には限界がある。助けられなかった人間は存在する。自分の無力など、数え切れない程感じている。
それでも、私は自分の信念を曲げるつもりはない。救いを求めてきた相手に、嘘を吐くつもりもない。
私は全ての言葉を実行する。その為に法の改正が必要ならばやってみせるし、国の改革が必要ならばやってみせる。
そうして、守られるべき者全てを、私は守ってみせる。実現してみせる。苦汁を舐めようが泥水を啜ろうが、それで助けられるならば安いものだ。
使えるものは何でも使う。例えそれが、犯罪者でもな」
鋭い眼差しに、力強い輝きが帯びる。
「お前が私をどう思おうと、知った事ではない。失望するならするがいい。
だが、依頼だけは受けろ。
私に出来る事ならば、犯罪に関わる事以外何でもしよう。道理を踏み外さない限り、お前の望むようにしよう。
だから依頼は受けろ。解決しろ。
そうして平和への礎となれ。
それが、道理を踏み外したお前がすべき、贖罪だ」
断言したクリフォードを、ラヴは無表情で見つめる。
「……自分が何を言っているのか、分かっているのかい? 君は、私に頼む立場にいるんだよ? なのに、依頼を受けろやら、お前がすべき贖罪だやら、随分と上からものを言ってくれるじゃないか」
「気に入らないなら言い直すが」
「結構だ。下手におべっかを使われても気持ちが悪いだけさ」
ラヴは手錠の鎖を揺らし、小首を傾げる。
「それで? 君は、私に依頼を受けさせる為ならば、何でもしてくれるのだったか?」
「犯罪に関わる事以外で、だ」
「そうか。では、私に口付けをしてくれたまえよ。今すぐ」
すると、クリフォードは、何の迷いもなくラヴの唇を奪った。
すぐ傍で見てしまったティムは、小さく悲鳴を上げ、慌てて両目を手で隠す。
「これで満足か」
「情緒もへったくれもないね。せめて目を瞑って、私を抱き締める位したらどうだい?」
「依頼を受けるのなら、やってやってもいい」
「なんて横暴なんだ。乙女が理想の口付けを強請っているというのに、事をかいて『やってやってもいい』だなんて」
「戯言を聞く気はない。私が欲しい答えは一つだ」
「成程。では私から、この言葉を贈ろうか」
クリフォードの胸倉を掴み、ラヴは背伸びをする。
「『それでこそ、私の愛したクリフォード・ジャッジだ』」
そうして、クリフォードの頬へ、口付けを落とした。
クリフォードは、不愉快そうに顔を顰める。
そんな反応に、ラヴは、目と口元へ、緩やかな弧を描いた。
「酷いな。折角人が見直してやったというのに」
ふふ、と喉を鳴らし、上機嫌にクリフォードから手を放した。
「あぁ、すまないねティム。気を遣わしてしまって。もう目を開けて大丈夫だよ」
ティムは、大きな体を跳ね上げた。顔や耳を真っ赤にして、目を隠していた手を、恐る恐る外す。
ラヴと目が合うや、慌てて顔を逸らした。
「ふふ、ティムは可愛いね。こんなに照れてしまって。クリフォードももう少し見習いたまえ。これ位初心な反応をしてくれたら、私だってもっと優しくしてあげるのに」
クリフォードの顔が、一層歪む。
返事代わりに、自分の唇と頬を拭った。
辺りに、ラヴの楽しそうな笑い声が、響く。
「あぁ、そうだ」
不意に、ラヴが手を叩いた。
「今回の事件、気になる事があるんだ。クリフォードが腑抜けならば、教えてやるまいと思っていたのだが、まだまだ見所があるようだからね。依頼を受けた者として、最後まで己の仕事を全うする事にしよう」
口角を持ち上げ、クリフォードを振り返る。
「まずは、ロデリックが口を塞がれていた事だ。
ピーター君は、父親に躾をした。だから彼は、父親が自分にしてきた躾を、そのまま行った筈だ。
けれど、ピーター君は口を塞がれてはいなかった。近所の住民の証言からも窺えるし、ピーター君自身が、私の『許してと言っても許してくれなかった』という発言を肯定した。
つまり彼は、父親に声を掛ける事が出来たんだ。なのに何故、今回に限って口を塞いだのか? これが一つ目の疑問だ。
二つ目は、ピーター君がロデリックを拘束出来た事だ。
いくら酔っ払っていたとは言え、うつ伏せにされ、手足を縛られ、更には首輪まで嵌められたんだ。そこまでされて、果たして目を覚まさないものだろうか?
仮に覚まさなかったとしても、躾中に痛みで覚醒する可能性は高い。そうしたら、ロデリックはどうするか? 勿論暴れるだろう。ピーター君を遠ざけようともがき、攻撃するに違いない。
けれど、ピーター君に反撃されたような形跡はない。暴れる大人相手に、躾を敢行出来るとも思えない。なのに彼はやり切った。一体何故? これが二つ目。
そして三つ目は、首の傷だ。
ピーター君の首には、刃物で出来た傷痕は残っていなかった。つまり、あの場所は躾の際、切られてはいないのだろう。なのに、何故ピーター君は、最後に首をかき切ったのだろうか。しかも、わざわざ頸動脈を正確に狙って。
偶然切ってしまっただけなのかとも思ったが、ピーター君の様子から、意図的にやった行動だと思われる。その理由とは、一体何なのだろうか?」
クリフォードの眉間に、皺が寄る。
「……お前の推理では、どうなっているんだ」
ラヴの微笑みが、つと深まった。
「ピーター君に、入れ知恵をした人間がいる」
クリフォードとティムの目が、見開かれる。
「事前に睡眠薬を渡し、酒に混ぜるよう指示したのだろう。それを飲ませた上で口を塞ぎ、躾を施し、最後に頸動脈をかき切るよう言った。
終わったら血を綺麗に洗い流し、公園で母親が迎えにくるまで遊んでいるよう教えた。私はそう考える」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは口角を持ち上げた。
「殺人教唆とは、まるで私のようだね」
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