二人の約束
「やぁ、クリフォード。今日は随分と迎えが早いね。もう少しゆっくり探してくれてもよかったんだよ? そうすれば、私ももう少し、ピーター君とティムと、三人で散歩を楽しめたんだが」
クリフォードの視線が、ラヴからティムとピーターへ移る。
ティムは体を跳ねさせ、目を泳がせた。反対にピーターは、大きな目でじっとクリフォードを見つめる。
「所で、クリフォード」
ラヴは、徐に手を叩く。
「こちらの話は、どの程度聞いていたのかな? もし聞き逃しがあるのならば、改めて説明するが」
「……大体の流れは聞き取れた。事件の真相もな」
「良かった。ならば、後は頼むよ」
クリフォードは、拳銃をラヴへ向けたまま、静かにティムへと近付いていく。
「リトル。子供を下ろせ」
「は、はい」
ティムは、ゆっくりと身を屈める。
「ピーターさん。自分の力で、下りて、頂けますか?」
「おりなきゃ、だめ?」
「そ、そうですね。そちらの、刑事さんが、下りて欲しい、そうなので」
「ねぇ、おじさん。おりなきゃだめ?」
ピーターは、ティムの頭にしがみ付き、クリフォードを見やる。
「……下りなければ、駄目だ。君には、聞きたい事がある」
「でもピータ、もっとゴーレムと、あそびたい」
「駄目だ」
「なんで?」
「君が悪い事をしたからだ」
「してないよ」
「父親であるロデリックを拘束し、暴力を振るって殺しただろう」
「ピータは、パパをしつけただけなの。しつけは、わるいことじゃないでしょ?」
「あんなもの、躾ではない。虐待と言って、とても悪い事なんだ」
「……うそだぁ」
「嘘ではない」
「だってパパは、いつもピータとママに、やってたもん」
「君の父親が間違っているんだ。君の父親は、悪い事をしていたんだ。真似をしてはいけない事なんだ」
「なら、なんでパパは、けーさつにおこられないの?」
ピーターは唇を尖らせ、眉を寄せた。
「まえにね、ピータとママ、パパにしつけされてたら、けーさつのおにーさんが、きたの。でね、パパをいっぱいおこって、ママとピータを、しせつにつれていったんだ。
でもね、すぐにしせつを、でなきゃいけなかったの。ピータもママも、もっとしせつにいたかったけどね。パパのところにかえりなさいって、もうだいじょーぶよって、しょくいんさんにいわれてね。だから、かえったの。
そしたら、パパ、ピータとママを、いっぱいしつけたの。いっぱいいっぱい。
けーさつは、とってもわるいこを、おこるのが、おしごとでしょ? ピータしってるよ。けーさつのおにーさんが、いってたもん。
でも、パパはおこられないの。だからパパは、とってもわるいこじゃないでしょ?
だったら、パパとおなじことしたピータも、とってもわるいこじゃないでしょ?」
クリフォードは、何も言わない。眉間へきつく皺を寄せ、何かを耐えるように唇を固く結ぶだけ。
周りを取り囲む警察官達も、皆複雑に顔を歪める。
この場に、やり切れない、やるせない空気が、流れていく。
「あ、あの……ピーターさん……」
つと、ティムが、頭上の温もりを見上げた。
「お願いです。俺の上から、下りましょう。そして、警察へ行き、この刑事さんの、質問に、答えましょう」
「やだ。もっとゴーレムとあそぶ」
「う、で、では、もっと、俺と遊んだら、この刑事さんの、お願いを、聞いてくれますか?」
「……やだ」
「な、何故ですか?」
「ピータ、とってもわるいこじゃないもん」
ピーターは、一層唇を尖らせ、頬を膨らませた。ティムの頭に、自分の額を擦り付ける。
「ママがなかないように、してあげただけだもん」
ティムは、身を屈めたまま眉を下げた。
しばし目を彷徨わせると、徐に、その場へ膝を付いた。
「ピーターさんは、お母さんが、泣くと、嫌ですか?」
「……うん」
「お母さんが、笑ってくれると、嬉しいですか?」
「うん」
「お、俺も、そうです。お母さんが、笑うと、嬉しいです。泣くと、嫌です。悲しいです」
「……ゴーレム、ママいるの? ママゴーレム?」
「う……そ、そう、です、ね。ママゴーレム、です」
ティムは、照れ臭そうに頬をかく。
「お、俺は、今まで、ピーターさんの、お父さんの、ように、誰かに、痛い思いを、させたり、泣かせたり、してきました。
殆どは、わざとでは、ありません。ですが、感情に、任せて、腕を、振るった事も、あります。こう、バチン、と、相手を、叩いたのです。
ピーターさんの、お父さんも、ピーターさんを、こうやって、叩いた事が、ありますか?」
「うん。いつもピータとママを、バチンするよ」
「……そう、ですか……俺が、そうやって、バチン、とすると、相手は、とても、痛がります。警察が、やってきて、俺を、連れて行く事も、あります。
そうして、家族が、学校や、警察署に、呼ばれ、俺の為に、頭を下げて、くれるのです。何も、悪くないのに、俺のせいで、何度も、何度も」
ティムは、地面を眺めながら、ゆっくりと深呼吸をした。
「家族は、俺を、責めません。怒りません。
けれど、俺が、家族を、馬鹿にされて、怒って、それで相手を、バチン、と、叩いたと、知ると、とても、悲しそうに、していました。俺を抱き締めて、悪くないのに、『ごめんね』、と、謝るのです。
とても、悲しかったです。悪いのは、俺なのに、何度も、何度も、頭を、下げさせて、しまって、泣かせて、しまって、俺も、涙が、出てきました。今、思い出しても、とても、とても、悲しいです。
ピーターさんは、あの時の俺と、同じ事を、したのだと、思います。お母さんの、為に、お父さんを、バチン、と、しました。
お母さんを、もう、泣かせないように、しよう。その気持ちは、とても素敵だと、思います。
けれど、ピーターさんは、方法を、間違えました。
ピーターさんが、行った、方法では、お母さんは、喜びません。もっと悲しみ、泣いて、しまいます」
「ううん。ママ、ないてないよ」
「……今は、何故、お父さんが、いなくなったのか、理由を、知らないから、泣いて、いないのだと、思います。
けれど、ピーターさんが、お父さんを、バチン、としたと、知れば、きっと、悲しむでしょう。
そして、ピーターさんに、『ごめんね』、と、謝るかも、しれません。
泣きながら、『こんな事を、させてしまって、ごめんね』、と、何度も、何度も、言うかも、しれません。
そんな、お母さんを、見るのは、とても、辛い事です。俺は、知っています」
ティムは首を回し、ピーターの顔を見つめた。
「とても、とても、辛いのです」
本心からの声に、ピーターは息を飲む。
辺りを見回し、クリフォードとラヴを見て、それから、ティムへと戻る。
「……ほんと?」
そのささやきに、ティムは、はっきりと頷いてみせた。
ピーターは、自分の指を弄り、黙り込む。
やがて顔を歪ませ、目に涙を浮かべた。
「……じゃあ、ピータ、どーしたらよかった?」
縋るような問いが、落とされる。
「ママ、ずっとないてるの。パパが、しつけするから。だから、ピータ、ないてほしくなくて、パパは、やくそくやぶったから、だから、しつけしたの。それでも、ママないちゃうなら、ピータ、どーしたらよかったの?」
ティムの頭に、一滴、二滴と雫が垂れる。噛み殺された嗚咽も、降り注いだ。
ティムは、唇を開く。けれど、何も出てこない。空気だけが吐き出され、音もなく閉ざされる。
それでも、何か言わなければと、また開いた。
「警察を頼れば良かった」
ティムよりも、数段低い声が、公園へ響く。
「警察に一言、助けてくれと、言えば良かった」
クリフォードは拳銃を下ろし、ピーターと向き合った。
「君は、沢山の事を知らない。けれどそれは、君が悪いからではない。周りの大人が、正しい知識を与えてくれなかったからだ。
君は、父親との約束を守る必要はなかった。
父親のしていた事は、悪い事だ。法で裁かれるべき事だ。だから君は、母親と共に警察へきて、助けてくれと、父親にこのような事をされていると、言うべきだった。言って良かったんだ。
それを知らなかったが故に、君は、取り返しの付かない事をしてしまった。そして、自分のしでかした事の重大さを、理解出来ていない。
これは、君だけの問題ではない。君の両親や、周りの大人、行政、社会全体に責任がある。
君が保護された時、もっと念入りに調査すべきだった。
父親の嘘に、もっと早く気付くべきだった。
私達は弱者を守る為に存在しているのに、守るどころか追い詰めてしまった。
人一人の人生を狂わせてしまった。
本当にすまない。これは、私達の罪でもある」
鋭い眼差しに、強い意志が籠った。
「だから、今ここで約束しよう。私は、今度こそ、お前達を守る」
クリフォードは、真っ直ぐピーターを見据える。
「二度とこのような事は起こさせない。お前のような者を生み出さない。必ずだ。約束する」
ピーターも、クリフォードをじっと見つめ返した。
「だからお前も、二度とこのような事はしないでくれ。警察を頼ってくれ。必ず助ける。
そして正しい知識を身につけ、自分のした事を理解した上で、罪を償って欲しい。頼む、この通りだ」
そう言って、深く、深く、頭を下げた。
ピーターは、クリフォードの旋毛を見つめ、つと、身を乗り出す。
「……ほんとに、たすけてくれる?」
「あぁ」
「ほんとのほんと? ママも?」
「あぁ。お前も、お前の母親も、必ず守る」
「……うそ、つかない?」
「あぁ、嘘は吐かない。約束する。だからどうか、今一度警察を信じて欲しい」
クリフォードは顔をあげ、真摯にピーターを見つめ返す。
ピーターは、ティムの頭に寄り掛かり、しばし黙り込んだ。
それから、ほんの僅かだけ、頷く。
「……ありがとう。お前の信頼を、私は決して裏切らない。約束だ」
徐に、クリフォードはピーターへ手を差し出した。
ピーターは、節くれ立った男らしい掌を見下ろし、そっと握り返す。
小さく柔らかい手を優しく掴み、クリフォードは、ティムの肩からピーターを下ろした。膝を付き、ピーターと視線を合わせる。
「これから君には、父親に行った事について、話を聞きたい。警視庁まで一緒にきて貰いたいのだが、いいか?」
「……おわったら、ゴーレムと、あそべる?」
ピーターは、ティムを振り返る。
クリフォードもティムを一瞥し、しばし口を閉ざす。
「……遊ぶのは難しいかもしれないが、部屋の中で話が出来るよう、手配しよう」
「ゴーレムと、またあえる?」
「あぁ、そうだ。次に会う時は、警察でどんな事があったのか、彼に聞かせてやってくれ」
「……うん、わかった」
「ありがとう。では、これから君を警視庁へ連れていく。馬車を手配するから、あちらのベンチで待っていてくれ」
クリフォードは、近くにいた警察官へ目配せをする。
警察官は拳銃を仕舞い、ピーターを連れて公園のベンチへと向かった。
「他の者は、ラヴレス護送の準備を」
クリフォードの指示に、周りを取り囲んでいた警察官達が動き出す。
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