怒り
「ロデリックは犯行当時、家に一人でいたのかな?」
「え、あ、は、はい、そうです」
「その時、息子のピーターは?」
「近所の、公園に、一人で、いたそうです。
どうやら、母の、エルマから、『自分が、いない時、ロデリックが、酒を、飲み始めたら、見つからないよう、外に出なさい』、と、言われて、いたようです。
なので、昼頃に、こっそり家を、抜け出したのだ、と、証言、しています」
「それは、ロデリックから暴力を振るわれるから?」
「はい、そうです」
「そうと分かっていて、何故エルマは、ピーターを連れて出掛けなかったのかな?」
「エルマが向かった、集まりは、月に一度、夫が、日頃の感謝を、込めて、妻へ、楽しい、一時を、贈る、という意味合いが、あったようです。
妻達が、羽を伸ばして、いる間、夫は、家事や、子供の、世話をして、また、妻は、夫の、頼もしさを、再確認し、愛を深める、というような、事だそうで、なので、子供を、連れて行っては、夫の資質や、夫婦仲を、疑われる、の、だとか」
「ふぅん。つまりは、自分達の見栄の為に、子供を犠牲にしたと、そういう事か」
頬笑みを深めるラヴに、ティムは何と言えばいいのか分からず、口籠った。
「ロデリックとエルマは、年の離れた夫婦のようだが、二人共初婚かい? それとも再婚?」
「ロデリックは、再婚です。
エルマは、初婚です、が、息子の、ピーターは、ロデリックの子、では、ありません。エルマが、結婚前に、交際していた、男性との、子供です。
エルマは、妊娠発覚、直前に、その男性に、捨てられて、しまいました。
一人で、子供を育てる、自信もなく、また、未婚の母は、世間から、冷たい目で、見られます。私生児と、なってしまう、我が子の、将来も、心配でした。
一体、どうしたら、と、悩んでいた時、当時、会社の、上司であった、ロデリックが、相談に、乗ってくれた、そうです。そして、ロデリックの、優しさに、絆され、結婚を決意。ピーターを、ロデリックの子、として、生みました。
所が、結婚を機に、仕事を辞めて、しばらく経つと、段々と、ロデリックの、態度が、変化、していきます。
横暴さや、暴言が目立ち、夫婦になって、一年も、経った頃には、手を、上げられるように、なりました。時には、ピーターにも、暴力を、振るいます。
エルマは、周りに助けを、求めました。けれど、ロデリックの、外面の良さと、口の上手さで、いつも、丸め込まれて、しまいます。そうして、躾と称して、激しい、体罰を、受けます。
段々と、抵抗する、気力が、無くなり、頼れる者も、おらず、もう、どうしたら、いいのか、分からなかった、と、事情聴取で、エルマは、言っていた、そうです」
「具体的に、どのような虐待が行われていたのかは、分かっているのかい?」
「は、はい。エルマの、証言では、外から、見えない部分を、殴る、蹴る。物差しで、激しく叩く。床やベッドへ、強く、押さえ付けられる、事も、あったそうです」
「首輪は?」
「え?」
「首輪を付けられたり、紐で繋がれ、軟禁された事は?」
「え、えっと……そういう事は、言っていない、ようです」
「では、ナイフで切り付けられた事は?」
「それも、特には、言っていません」
「因みに、誰がエルマの事情聴取を?」
「ジャッジ班長、です」
「そうか。ならば、エルマが嘘を吐いている可能性は低いね。
仮に嘘だったとしても、クリフォードの取り調べで口を割らなかったんだ。これ以上追及した所で、何も出てはこないだろう」
ラヴは宙を眺め、しばし口を閉ざす。
組んだ足を断続的に揺らす彼女を、ティムは黙って窺った。
「……ティム」
「っ、は、はい」
「事件当日。ピーターは、いつ公園から家へ戻ったんだ?」
「え、えっと、ピーターが、公園から、戻ってきたのは……エルマが、警察を呼んだ、後、です。
ピーターは、いつも、エルマが、迎えにくるまで、公園に、いたそうなので、その日も、ずっと、待っていた、そうです」
「具体的に、エルマは何時頃、ピーターを迎えに行ったんだい?」
「夕方の、六時前位、だそうです」
「エルマが、ロデリックの遺体を発見したのは?」
「五時過ぎ位、と、言っています」
「ピーターに事情聴取は?」
「しました。ですが、昼食後、すぐに、家を出たので、犯人らしき、人物は、目撃して、いないそうです。父親の死も、理解して、いませんでした。
ですが、ロデリックに、虐待を、受けていた、という事は、確認されて、います。体に、打撲痕が、残っていました。父親に、殴られた、という主旨の、証言も、していた、ようです」
「具体的には、何と言っていたんだい?」
「えっと……『パパが、ピータを、ペンペンする』、と、言って、拳を、振り下ろすような、動作を、したそうです」
ラヴは一つ頷き、足を組み変える。
「エルマとピーターは、一度警察に保護されているんだよね。それはいつ頃、どのような経緯でそうなったのかな?」
「経緯は、一年程前、チャイルズ家、宅から、ピーターの、激しい、泣き声が、聞こえた、と、近隣の、住民から、警察へ、連絡が、入りました。
駆け付けた、警察官は、すぐさま、チャイルズ家の、玄関の扉を、叩きます。すると、ロデリックが、現れ、『子供の躾を、する為、少々、大声を、出しただけ』、と、説明します。
しかし、奥から聞こえる、ピーターの、泣き声が、あまりに酷く、また、エルマの、泣き止まそうと、する声も、あまりに、切迫して、いました。
これは可笑しい、と、感じた、警察官は、ロデリックに、『ピーターと、エルマ、二人の姿を、確認、させて欲しい』、と、言いました。ロデリックは、断りました、が、警察官は、ロデリックを、押し退け、中へ、入ります。
そこには、顔を腫らした、エルマが、泣きながら、ピーターを、抱き締めて、いました。ピーターの、服は、引き千切られて、おり、部屋の中も、荒れて、いました。
緊急性を、感じた、警察官は、その場で、エルマと、ピーターを、保護。ロデリックと、引き離し、保護施設へと、送りました。
しかし、行政の、調査の結果、行き過ぎた、教育、として、厳重注意と、指導が入り、しばしの、観察期間を、経た後、問題ない、と、みなされ、エルマと、ピーターは、ロデリックの元、へ、戻されました」
「そうしてまた、虐待は繰り返されたと」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは首を傾げた。
「悲しいねぇ。折角勇気ある警察官が、虐げられてきた二人の人間を救い出したにも関わらず、行政は悪魔の外面に騙され、問題ないなどと言って放り出してしまうなんて。
仮に今回の犯人がエルマで、別の誰かに殺人を依頼したのだとしたら、彼女は何故、そのような行動に出たのだろうね? ロデリックの暴力に耐えられなかったから? 勿論それもあるだろう。
だが、もし一年前に、行政がきちんと動き、ロデリックから毅然とした態度で引き離してやっていたら、そもそもこんな悲劇は起こらなかったとは思わないか?
『しばしの観察期間』とやらに、一体何を観察していたというのかね。とても不思議だとは思わないかい? なぁ、クリフォード」
弓形にした目を、クリフォードへと流す。
クリフォードは、固く結んだ唇を、曲げた。
「だが、今回の事件は、ある意味良かったね。被害者が、暴力を振るう夫だったのだから。エルマとピーターは、さぞ喜んでいたのではないかい?
彼らは事情聴取で、ロデリックの死について、何と言っている? 教えてくれたまえ、ティム」
「えっ。え、えっと、それは、その……『ホッとしている』、と。エルマは、『これでもう、暴力に、怯えずに済む』、と……
ピーターは、ち、父親の死を、あまり、理解して、いないようです。で、ですが、もう会えない、と、説明しても、寂しそうな、素振りは、見せません。それどころか、その……『もう、エルマが、泣かない。嬉しい』、と……」
「そうだろうね。
では二人は、きっと犯人に感謝しているに違いない。なんせ自分達を救ってくれたのだから。
行政なんぞより、余程頼りになる存在だ」
瞬間。
ラヴの美しい顔へ、影が落ちた。
この場に、激しい衝突音が、鳴り響く。
衝撃が鉄格子に響き、甲高い音を立てて金属が震えた。
ティムは大きな体を跳ね上げ、情けない悲鳴を上げる。その拍子に、手元の資料を真っ二つに引き裂いた。
廊下で待機していた若い看守が、何事とばかりに中へ飛び込んでくる。
緊張と緊迫に包まれる中、いつもと変わらぬ笑みが、ふふ、と落とされた。
「どうしたんだい、クリフォード? いきなり鉄格子を殴ったりして」
ラヴは、己を見下ろすクリフォードへ、微笑み掛ける。
クリフォードの眉と眦が、これでもかとつり上がる。
些か息を荒げ、殺気立った視線をラヴへ注いだ。
「……訂正しろ」
「何をだい?」
「どんな理由であれ、犯罪を肯定する事は許さない」
「だが少なくとも、君達よりは、人の役に立っているようだよ?」
「ほんの一握りの為にしかならないものの、どこが役に立っているというんだ」
「では君達は、全ての人間の為になっているとでも?」
クリフォードは、何も言わない。ただ激しい形相で、ラヴを睨むばかり。
つと、ラヴの口角が持ち上がる。
「あぁ、良かった。君が冷静なままでいてくれて。
もしここで『全ての人間の為になっている』などと言おうものなら、私は君に失望していた所だよ。そして、二度と君からの依頼は受けなかっただろう。
そんな下らない事を言うような輩など、私の愛したクリフォード・ジャッジではないからねぇ」
嬉しくて堪らない、とばかりに、ラヴは美しい微笑みを振り撒く。椅子の背に凭れ、頬杖を付いた。頻りに喉を鳴らし、激情を耐えるクリフォードを眺める。
と、ラヴの視界に、クリフォードの背後でうろたえている巨体が、入ってきた。
「あぁ、すまないねティム。驚かせてしまったかい? もう大丈夫だよ」
ティムへ微笑み掛け、それから、入口の近くに佇む若い看守へ目を向ける。
「君も、すまないね。こちらは問題ないから、下がっていいよ」
若い看守は、困ったように目を彷徨わせた。だが、クリフォードが後ろ手に手を振ると、一礼してから廊下へと出ていった。
「さて。大方聞きたい事は聞いたわけだが、今回は少々難解だね」
未だ睨み付けられているが、ラヴは関係ないとばかりに、クリフォードへ話し掛ける。
「犯人候補どころか、これといった方向性さえ定まっていないんだ。なので、少し時間を貰いたい。そうだな。取り敢えず二日。その間に情報を整理しつつ、様々な角度から検討していこうと思う。いいかな?」
クリフォードは、何も言わない。ただ鋭い眼光でラヴを見下ろし、かと思えば、唐突に踵を返した。
「ありがとう、クリフォード。では二日後にまた会おう」
背広の裾を靡かせて、クリフォードは一度も振り返らずに去っていく。
その背中を、ティムは眉を下げて見送った。
「ティム。資料をくれ」
「え、あ、いや、でも……」
ティムは、二つに引き裂いてしまった資料へ、目を落とした。
「なに、多少破れていようと問題はないよ。要は読めればいいんだからね」
「で、ですが、この資料は、機密扱いで、なので」
「大丈夫だ。でなければ、クリフォードが置いていくわけがない。彼は、私が資料を求めると分かっていたからこそ、持ち帰らなかったんだよ」
成程、と頷き、ティムは二つに裂かれた資料を、鉄格子の隙間からラヴへ渡した。
「ありがとう。しかし、凄いな。この厚さの紙束を、素手に割ってみせるだなんて」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは資料を机へ乗せた。破れた箇所を合わせ、一枚ずつページを捲る。
「ティム。私はこれから、しばし資料に集中したい。なので本日の君の仕事は、これで終わりだ。お疲れ様」
「あ、は、はい。分かりました。お疲れ様です」
姿勢を正し、ティムは大きな体を折り曲げる。自分用の椅子を机の下へ仕舞い、特別監房を後にしようと、入口へ向かった。
「あぁ、そうだ」
不意に、ラヴが声を上げた。
「ティム。明日は、いつもより二時間程遅くここへきてくれ。恐らくその頃には、私もある程度推理を進めているだろうからね」
「あ、はい。二時間遅く、ですね。分かりました」
「あぁ、頼むよ。では、気を付けて帰りたまえ」
「はい。お疲れ様、でした」
ティムはもう一つ頭を下げ、特別監房を出る。
途端若い看守が、分厚い鉄の扉を押した。
扉は重々しい動きで、手を振るラヴの美しい微笑みを、ゆっくりと閉じ込めた。
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