事件の真相




「――彼らは、自殺したんだ」




 微笑みと共に告げられた言葉が、静かな面会室に広がる。



「最初から計画されていたんだろうね。

 まずは、自力で歩ける誰かが、病院内の物置に保管されていた殺鼠剤を入手する。それからジェフが、ル・ボン君に頼んで、ドライフルーツ入りのパウンドケーキを用意する。

 このケーキを選んだのは、恐らく殺鼠剤の臭いや食感を誤魔化す為だろう。それと、ポーリーン君に食べさせない為。誕生日を祝うケーキを、同席しているであろうポーリーン君に食べさせないのは、不自然だからね。


 ル・ボン君がケーキを届けにきた時、恐らくジェフは寝たフリをしていたのだろう。そうしてル・ボン君を早々に帰らせると、仲間と手分けしてケーキに殺鼠剤を仕込んだ。病室には、彼の仲間しかいなかったからね。この時点で気付かれる可能性は低いだろう。

 後はまた眠ったフリをしつつ、妻のポーリーン君がくるのを待つだけだ。彼女に起こして貰い、ル・ボン君がケーキを届けてくれたと教わる。

 これで、ル・ボン君がケーキを届けてから、ポーリーン君が起こすまでの間に、『眠っているジェフに気付かれぬよう、誰かが殺鼠剤をケーキへ混入する余地』を、作り出した。


 それから談話室へケーキを持っていき、ポーリーン君が不審に思わぬよう、美味しそうに食べてみせる。しばらくすれば殺鼠剤の成分が体内で溶け、中毒症状を引き起こした。

 苦しかっただろう。けれど、助けを呼ばれないよう、限界まで堪えたに違いない。

 そうして彼らは、死んでいったのさ」


 微笑みを絶やさず語るラヴを、ドナルドもポーリーンも、呆然と見つめた。


「自殺の原因は、まぁ、色々あるだろうね。

 これ以上苦しみたくなかった。

 治療費がもう払えなかった。

 家族を楽にしてあげたかった。

 もしくは、これ以外の理由なのかもしれない。それは私には判断出来ない。

 けれど、彼らは確かに、自らの意志で死を選んだんだ」

「嘘……」


 ポツリと、ポーリーンが呟く。

 音もなく顔を歪め、口を手で覆った。


「嘘よ。そんな、自殺なんて……」

「本当さ」

「何で、そんな事……っ」

「何故そんな事をしたのかは、ジェフにしか分からない。

 だが、彼らが自らの意志で、致死量の殺鼠剤が入ったケーキを食べた事は、揺るぎない事実だ」


 ラヴは、ティムへ視線を流す。

 ティムは頷き、砕いた殺鼠剤入り小瓶と、三番目に提示したパウンドケーキ入りの箱を持って、近付いてきた。


「この小瓶いっぱいに入っている量が、丁度六人分の致死量だ。六等分にしても相当な量だろう? 少なくとも、食べたら違和感を覚える程度には、ね」


 ティムは、小瓶の中の殺鼠剤を、全てパウンドケーキへ振り掛けた。

 全面を覆う小さな赤い粒に、ポーリーンとドナルドは顔を青くさせる。


「殺鼠剤はその名の通り、鼠を殺す目的で調合された劇薬だ。味は保障出来ないどころか、口に入れた瞬間、体が拒否反応を示し、吐き出そうとするだろう。

 そんな代物がたっぷりと隠されたケーキを、果たして美味しいと言いながら完食出来るものだろうか?


 因みに、彼らに味覚障害がなかった事は、カルテで確認済みだ。よって、君達と変わらぬ味覚で食べ切ったものとする。

 さて、どうだい? 自殺をするつもりのない人間が、そんな事、出来ると思うかい?」



 その問いに答える声は、なかった。


 代わりに、ポーリーンの嗚咽が、面会室に小さく響く。



 悲しさと切なさの籠った音色に、ティムは眉を下げる。

 クリフォードも、震える細い背中を、見守った。



「……違う」



 唐突に、そんな声が落とされた。



 この場の視線が、ドナルドへ集中する。



「ジェフは、自殺じゃない」

「いいや。自殺だよ」

「自殺じゃないっ!」


 勢い良く立ち上がり、ガラスの仕切りを両手で叩く。




「あいつはっ、俺が殺したんだっ!」




 血走った目が、ラヴを睨み付ける。


「俺がっ、パウンドケーキに殺鼠剤を入れて食わせたんだっ! パウンドケーキを作ったのは俺だからなっ! 簡単だったよっ!

 あいつにパウンドケーキを持ってきて欲しいって頼まれてすぐにっ、病院の物置から殺鼠剤を盗んでっ、店で砕いてっ、それをドライフルーツと一緒に生地に混ぜ込んだんだっ!

 俺がっ、あいつを殺したんだよっ!」


 静まり返った室内に、ドナルドの荒い息が響き渡った。忙しなく上下する肩を、クリフォードは眉を顰めて見つめた。

 ティムは目と口を見開き、ポーリーンも、呆然とドナルドを見上げている。



「君が殺した、ねぇ」



 つと、喉を鳴らす音が、ふふ、と響く。



「その主張は、些か無理があるというものだよ、ル・ボン君」



 ラヴは、変わらぬ笑みを浮かべていた。



「仮に君が犯人だったとして、何故他人の誕生日用に用意したケーキへ、わざわざ殺鼠剤を混ぜたんだい? 今の言動からして、君が殺したかったのはジェフ一人なんだろう? ならば、もっと他に方法があっただろう。他人を巻き込まない方法が」

「あったかもしれないがっ! だが俺はっ、あの時強烈にあいつを殺してやりたいって思ったんだっ! 他の奴らの事なんか気にもしなかったっ! ただただあいつを殺してやる為にっ、俺は殺鼠剤入りパウンドケーキを渡したんだっ!」

「動機は? 君をそこまで駆り立てた動機は、一体何なんだい?」

「そ、それは……」


 ドナルドは、一瞬口籠る。

 だが、横目でポーリーンを見ると、すぐさま大きく息を吸い込んだ。


「っ、それはっ、お、俺がっ、ポーリーンさんを愛してるからだっ! 初めて会った時からっ、ずっとずっと好きだったっ! あいつと結婚してからもっ、子供が生まれてからもっ、この気持ちは変わらなかったっ!

 彼女に幸せになって貰いたいっ! 彼女にずっと笑ってて貰いたいっ! それだけが俺の願いだったっ! 生きがいだったっ!


 だから彼女がっ、あいつのせいで苦しんでるのは許せなかったっ! あいつが事故なんか起こさなかったらっ! 全身麻痺なんかにならなければっ! 彼女は変わらず笑顔で過ごせたんだっ!

 仕事と介護と子育てに追われっ、日に日にやつれてく彼女をもう見てられなかったっ! あいつが死ねばっ、全てが解決するんだっ! 保険金が入ってっ、今よりずっと楽な生活が出来るっ! あいつがいなくなればっ! だから殺したっ!」


 凄まじい剣幕で捲し立てるドナルド。唾の飛んだガラスの仕切りに爪を立て、甲高い音を奏でた。



 そんな彼を、ラヴは正面から眺め、微笑む。



「違うな。君は誰も殺していない。彼らは自殺だ」

「違うっ! 自殺なんかじゃないっ! 俺が殺したっ!」

「どうしても自分が犯人だと言い張るつもりかい?」

「言い張るも何もっ、それが真実だっ!」

「そうだよね。君もジェフも、他殺でなければ困るものね」


 ラヴは、つと、目を細めた。




「なんせ自殺では、保険金が下りないものねぇ」




 ドナルドの顔色が、変わる。


 ポーリーンはハッと息を飲み、ドナルドを見つめた。



「保険金が下りなければ、ポーリーン君の生活は楽にならない。いや、ジェフの治療費と介護がなくなるから、多少は楽になるか。

 けれど、世の中金がなければ生きてはいけない。ましてや彼女は、四人の子供を育てなければならないんだ。今の仕事だけでは、その内貯蓄も底を尽き、一家揃っては生きていけないだろうね。


 だから君は、何が何でもジェフを自殺にするわけにはいかなかった。無実の罪を被ってでも、他殺された事にしたかったんだ」


 強張った顔で黙り込むドナルドを、ラヴは笑顔で見上げた。



「君、知っていたね。ジェフ達の計画を」



 ドナルドの体が、ビクリと跳ねる。


「ジェフが何故あのケーキを選んだのか。ケーキに何を仕込むのか。食べた後、何が起こるのか。君は全部知っていたんだ」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴはティムへ目配せをする。


 ティムは、パウンドケーキの入った箱を、二つ持って近付いてきた。

 片方には、殺鼠剤が振り掛けられている。


「このケーキは、先程ポーリーン君に臭いを確認して貰ったものだ。赤い粒が乗っている方が、三番目に提示したもの。そして何もない方が、二番目に提示したものだ。

 ポーリーン君はあの時、二番目よりも三番目の方が、ジェフ達が食べたケーキに臭いが近い気がする、と言ったね」

「え、あ、は、はい」

「因みに確認だが、どちらの方が、強く臭いを感じたのかな?」

「三番目のケーキです」

「つまり、そちらの殺鼠剤が掛かっているケーキの方が、何もないケーキよりも、ブランデーが沢山掛かっている。そう考えていいよね?」

「えっと、多分、はい」

「所が、そうすると可笑しいんだ」


 ラヴは肩を竦め、首を横へ振る。



「何故なら、その二番目のケーキは、ル・ボン君の店で、実際に売られているものだからさ」



 ラヴの視線が、ポーリーンからドナルドへ流れた。


「ル・ボン君。君は先程、こう言ったね? 『ジェフに持っていったケーキには、ブランデーを少なめに塗った』『ケーキ自体は店で売っているものと同じだが、香りや風味は、店売りのものより少し薄い』、と。

 つまり、ジェフ達が食べたケーキは、少なくとも店で売られていたこのケーキよりは、ブランデーの香りや風味が薄い筈なんだ。


 所がポーリーン君の記憶では、ジェフ達の食べたケーキからは、もっと強いブランデーの香りがしたと言う。これは大きな矛盾だ。

 では、何故そのような事が起こったのだろう?

 答えは、誰かが意図的に、もしくは無自覚に、真実とは異なる証言をしているからだ。ではその異なる証言とは、一体何なのだろうか?」


 視線を逸らさぬまま、口角を持ち上げる。



「答えは、ブランデーの量だ」



 ドナルドの米神へ、冷や汗が滲んでいく。


「ジェフに渡されたケーキには、通常よりも多くブランデーが塗られていたんだ。だからポーリーン君は、ル・ボン君の店から買ってきたケーキを、ジェフが食べたケーキよりも、臭いが薄いと感じた。


 ここで一つ疑問が生じる。

 何故ル・ボン君は、ブランデーの量を増やしたのか?

 それは、殺鼠剤の臭いを誤魔化す為なのではないだろうか。いくら臭いの少ないタイプだと言っても、多少の薬臭さはある。それを感じ取り、途中で吐き出してしまっては、ジェフ達の計画は台無しだ。だからル・ボン君は、少しでも食べやすいようにと、工夫を凝らしたのではないだろうか?

 もしかしたら、甘みやドライフルーツの量も調節したかもしれないが、まぁ、そこは証明出来ないので、ひとまず置いておこうか。


 けれど、君は間違いなく、ブランデーの量を増やした。ジェフ達の為に。

 どういった経緯なのかは分からないが、君は彼らの自殺を知っていたのだと、私は考えるよ」

「ドナルドさん……」


 ポーリーンは、目に涙を浮かべてドナルドを見つめた。



 ドナルドは、青い顔で震えている。


 強張る頬を滑っていく汗が、戦慄く唇の端へと、吸い込まれていった。




 かと思えば、歯をきつく噛み締める。




「……違う……違う、違う違うっ! ジェフは自殺じゃないっ! 俺に殺されたんだっ! 俺が殺したんだよあいつをっ! パウンドケーキに殺鼠剤混ぜてっ、食わせてやったんだっ! そうなんだよっ! 俺なんだよ犯人はっ! 俺なんだってっ!」


 ガラスの仕切り板に張り付き、ドナルドは吠える。仕切り板を何度も殴り、微笑みながら座るラヴへ訴えた。


 振り上げられた拳を、後ろからクリフォードが掴み止めた。廊下で待機していた警察官達も、面会室へなだれ込み、暴れるドナルドを押さえ込む。



「俺なんだよっ! 俺が殺したんだってっ! 本当だっ! 俺があいつを殺したんだっ! 信じてくれよぉっ! 頼むからぁっ! なぁっ! なぁ……っ!


 頼むよぉぉぉーっ!」



 警察官達に引き摺られ、面会室から連れ出されるドナルド。廊下に響き渡る慟哭が、徐々に遠ざかっていく。


 ポーリーンは、泣きながらドナルドが消えていった方向を、じっと見つめていた。


 部屋に落とされる嗚咽に、ティムは眉を下げ、そっと俯く。








     ◇   ◆   ◇   ◆   ◇








 後日。

 ドナルドの部屋から、ジェフの手紙が発見された。消印は、彼らが亡くなる当日となっていた。


 内容は、自殺について黙っていて欲しいという事。保険金が遺族に無事支払われるか、見届けて欲しいという事。身寄りのない二人の遺産を、残りの四人の遺族へと平等に振り分けてやって欲しい事などが、書かれていた。

 もしもの時の為にと、自殺を告白するジェフの手紙と、六人分の遺言書も、同封されていた。



 そして最後に、ポーリーン達を頼む、という言葉が綴られていた。



 これによって、ホールズワース病院異物混入殺人事件は、集団自殺という結論で終結を迎えた。


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