今回は面会室で
面会室の扉が開く。クリフォードは、二人の男女を連れて入ってきた。
男はややふくよかで、髪や髭を小奇麗に整えている。女は細く、顔色も悪い。病的とまでは言わないが、やつれている印象を受ける。
二人は部屋へ入るや、壁際に立っていたティムに驚いた。
人一倍大きく、警部であるクリフォードよりも逞しい体の持ち主は、予め用意されていた机の横で、小さく会釈をする。
「やぁ、こんにちは。ポーリーン・アダムス君、ドナルド・ル・ボン君。きてくれてありがとう」
ガラスの仕切り板の奥には、ラヴが座っていた。
美しい顔に笑みを湛え、仕切り板の前に並べられた二脚の椅子を、手で指す。
「さぁ、そちらに座ってくれたまえ」
ポーリーンとドナルドは、おずおずと椅子へ腰掛ける。背後に佇むクリフォードとティムが気になるようだが、ラヴは特に触れる事なく、微笑んだ。
「初めまして。私の事は既に聞いていると思うが、一応自己紹介をしておこう。
私の名前は、ラヴィニア・ラヴレス。殺人教唆の罪で服役中の犯罪者さ。よろしく。
行動を制限されているお陰で、君達にはこんな所まできて貰う事になってしまったよ。部屋の外や建物の周りも、警察官だらけで物々しかったろう? あれも全ては私のせいさ。申し訳なかったね。まぁ、これも貴重な体験だと思って、どうかしばし付き合って貰いたい」
二人は、戸惑い気味に頭を上下させる。
「因みに、君達の後ろにいる大きな彼は、ティム・リトルというんだ。私の助手兼、そちらのジャッジ警部の部下でね。今日はいくつか仕事を頼む予定だから、そこに待機して貰っている。
体格の関係で少々威圧感を覚えるかもしれないが、中身は至って善良そのものだ。安心してくれたまえ」
二人から窺うような視線を向けられ、ティムはもう一度会釈をした。
「二人の事は、ポーリーン君、ル・ボン君と呼んでも?」
「あ、あぁ。別に、俺は構わないが……ポーリーンさんは?」
「わ、私も、大丈夫です」
「ありがとう。では、そう呼ばせて貰うよ」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは足を組んだ。
「さて、それでは早速始めよう。
君達には今から、私の質問に答えていって貰いたい。だが、必ずしも答える必要はない。答えたくなければ答えなくても構わない。但し、嘘だけは吐かないでくれ。いいかな?」
ラヴは、ポーリーンとドナルドを見比べる。
二人の頭が、小さく上下した。その表情は強張り、膝に乗せた手は固く握り込まれている。
「ありがとう。では質問を始める。まずは、ル・ボン君。君からだ。
君とジェフは、いつからの付き合いなんだい?」
「物心付いた時からだ」
「つまり、幼馴染というわけか。ずっと仲は良かったのかい?」
「あぁ。多少の喧嘩はしたが、いつも一緒につるんでた。学校を卒業してからも、暇があれば遊んだし、ジェフが結婚した後も、月に一回は飲みに行ってた」
「では、ポーリーン君とは?」
「ポーリーンさんとは、学生時代に知り合った。授業の合間に、彼女の親が営んでる果物屋で、ジェフと一緒に働かせて貰ってたんだ。卒業後は、ジェフを通じてでしか付き合いはない。今も、時々ジェフに誘われて、家で夕飯をご馳走になる程度だ」
「事件前日。ジェフからケーキを持ってきて欲しいと頼まれたそうだが、その時の様子を教えてくれないか?」
「様子って言われても、別に普通だよ。見舞いに行ったら、『明日、ドライフルーツのパウンドケーキを持ってきてくれ。友達の誕生日に贈りたいんだ』って言ってきたから、持っていってやっただけだし」
「贈り物だと知っていたのに、リボンや包装紙などで包まなかったのかい?」
「俺だって、包んだ方がいいと思ったよ。でもジェフが、『相手は爺さんだから、指が覚束なくて剥がすのに時間掛かっちまう』って言うから、俺はいつも通り、店の箱に入れただけで持っていった。六等分に切ってな。
今は後悔してるよ。あの時ジェフを説得して、綺麗に箱を包んでおけば、殺鼠剤なんか誰にも入れさせなかったのにってな」
ドナルドは眉間に皺を寄せ、膝に乗せた拳を睨む。
隣に座るポーリーンは、気遣わしげな視線をドナルドへ向けた。
「ケーキを作ったのは、前日かい? それとも当日かい?」
「焼いたのは前日だが、完成は当日だ。ブランデーを塗って、一晩寝かせるのがうちのやり方なんでな。で、渡す前に、もう一度ブランデーを塗る。そうすると、ブランデーの香り豊かな、しっとりとした食感のパウンドケーキになるんだ」
「それは美味しそうだね。職人のこだわりをとても感じるよ。
君の店へ行けば、ジェフが食べたものと同じケーキを手に入れられるのかい?」
「まぁ、パウンドケーキ自体は、同じものを売ってるぞ。
だが、ブランデーの量は違う。ジェフに持っていったのは、病人用のブランデー少なめな奴だからな。香りや風味は、店の奴よりは薄いぞ」
「そうか、成程。ありがとう、ル・ボン君。君への質問は以上だ。
次は、ポーリーン君。君に質問をしよう」
ポーリーンは、おずおずと頷き、ラヴと向き合う。
「亡くなったジェフとの出会いは?」
「主人とは、私の両親が経営している果物屋で知り合いました。学生だった主人が、ドナルドさんと共に働きにきていたんです。
顔を合わせていく内に、段々と親しくなり、お付き合いをする事になりました。それから数年後に、結婚をしました」
「お子さんもいるんだったね。何と言う名前なんだい?」
「一番上の娘は、ジェニファーと言います。二番目の娘は、ポーラ。長男のレオナルドに、次男で一番下のヒューイです」
「いくつ位なのかな?」
「ジェニファーは、今年で十三歳になります。ポーラは十歳で、レオナルドは六歳。ヒューイは、この前三歳になったばかりです」
「という事は、まだまだやんちゃ盛りか。子育てで苦労する事もあるんじゃないかい?」
「えぇ。ですが、ジェニファーが、下の子達の面倒をよく見てくれていますから。
ポーラだって、自分の出来る事は一生懸命お手伝いしてくれます。
レオナルドはお片付けをきちんとするようになったし、ヒューイは私が仕事へ行こうとしても、ぐずらなくなりました。幼いながら、ちゃんと今の状況を分かっているみたいです。お陰で私も助かっています」
「そうか。素敵なお子さん達だね」
ポーリーンは、やつれた顔に儚い笑みを浮かべる。
「ジェフの介護について、聞いてもいいかい? 普段、どういう風に彼と接していたのかを、聞かせて貰いたいな」
「主人は、事故が原因で全身に麻痺が残りました。左手はどうにか動きますけど、それ以外は身じろぐ程度です。なので、殆どの事をお世話する必要がありました。
身の周りの世話から、下の世話、手足を擦って揉み解したり、車椅子に乗せて、散歩に出掛けたりもしていました。
それから、一日に一回は必ず談話室へ向かい、お友達とお喋りをするのが、主人の楽しみでした。
あの日も、私は車椅子を押して、談話室へ行きました。主人はヘンリーさんの誕生日を、とても楽しみにしていたんです。私も、とても楽しみにしていました。
ケーキを贈って、皆で誕生日の歌を歌って……今日だけ特別だ、と言って、ケーキに塗られたブランデーで、お酒を飲む気分だけでも、味わおうって、皆で、わ、笑って……っ」
語尾を震わせ、ポーリーンの顔が歪む。
「っ、私が、気付くべきだったんです。ちゃんと中身を、確認するべきだったんです。そうしたら、こ、こんな事には、ならなかったかも……っ」
涙を零し、ポーリーンは顔を覆った。
ドナルドが、震える背中を優しく撫でる。
「ポーリーン君。自分を責める必要はない。君には何の落ち度もない。悪いのは、あのケーキに殺鼠剤を混入した人間だ。君ではない」
「で、でも……っ」
「例え中身を確認した所で、異物が混入されているとは、そう簡単に発見出来ないよ。仮に出来た人間がいたとしたら、その人物は常日頃から命を狙われているか、驚異的な五感と頭脳を持っているか、異物を混入した張本人かの、どれかだろうね」
けれど、ポーリーンの顔は晴れない。涙で潤んだ目を伏せ、唇を固く結んでいる。
「ふむ、納得して貰えないようだね。では、私がそう考えた根拠を、一つお見せしようじゃないか。ティム、あれを」
部屋の隅で待機していたティムは、机の上から小さな瓶を摘まみ上げる。
中には、赤い粒がたっぷりと詰まっていた。
「その小瓶に入っているのは、犯行に使われたものと同じ種類の殺鼠剤だ。ケーキに混ぜやすいよう、予め細かく刻んである。恐らく犯人も、このようにして使用したのだろう」
ラヴは、ティムへ視線を流す。
ティムは一つ頷き、人差し指と親指で、瓶の蓋を優しく挟んだ。壊さないようそっと開けると、ドナルドとポーリーンの元へ向かう。
「二人共。その殺鼠剤の臭いを、嗅いでみてくれたまえ」
瓶を差し出され、ドナルドとポーリーンは、恐る恐る鼻を近付けた。
「……あら?」
「思ったよりも、臭くないな」
「そうなんだ。その殺鼠剤は、従来のものより臭いが薄く、大量に使っても気にならないようになっている。
この程度ならば、ブランデーやドライフルーツの香りで誤魔化されてしまっても、可笑しくないとは思わないかい?」
「そう、だな。そうだよ。食べた奴らが気付かない位だ。傍で見てただけの人間が気付かなくたって、別段可笑しな事じゃない。頭のいい医者先生がこう言ってるんだから、きっとそうに違いないな」
「まぁ、私は医師と言っても、精神科医だがね。それも、元が付くが」
「それでも、先生になれた位だ。少なくとも、俺よりは頭がいいって事じゃねぇか。警察から捜査依頼まで受けてるんだしよ。そう考えれば、あんたの意見は十分説得力がある。な、そう思わないか、ポーリーンさん?」
ポーリーンは、小さく唸るだけだった。
俯く彼女を、ドナルドはやるせなさそうに見つめる。
「臭いと言えば、もう一つ、ポーリーン君に確認して貰いたいものあるんだ」
ラヴは、空気を変えるように手を叩き、ティムへ目配せをした。
ティムは、机に並ぶ箱を、一つ持ち上げる。
「事件当時。君は、ジェフ達がケーキを食べている現場に居合わせていたね。その時、ブランデーやドライフルーツの香りが、どの程度していたのかを知りたいんだ」
「え、でも、私」
「あぁ、分かっている。ブランデーもドライフルーツも苦手なんだよね? だから、積極的に臭いを嗅ぐ事はなかった。
だが、同じ机を囲んでいたんだ。望む望まない関係なく、多少は臭ったのではないかい? それがどの程度だったのか、おおよそで構わないから、教えて欲しいんだ」
ティムは、ポーリーンから三歩程離れた場所に佇む。
「彼が手に持っているのは、こちらで用意したドライフルーツ入りのパウンドケーキだ。その表面には、君達がくる少し前にブランデーを塗った。量や濃度を変えて、三種類用意してある。君が記憶している臭いに一番近いものを、その中から選んで欲しい。いいね。
では、まずは一つ目だ」
ラヴはティムへ頷いてみせる。ティムは、箱の蓋を外した。
ポーリーンの位置からでは、箱の中は見えなかった。それでも箱を見つめ、鼻を動かす。
「……これではないと、思います。もっと、しっかりとお酒の臭いがしました」
「そうか。では、次はどうだい?」
ティムは、机に並ぶ別の箱を抱えた。同じ場所に立ち、蓋を外す。
「……少し、薄い気がします。もう少し、ブランデーの香りがしたと、思います」
ティムは、最後の箱を手に取った。蓋を外し、鼻を動かすポーリーンに向き合う。
「……多分、これが一番、近いと思います。でも、自信は、あまりないです。すみません」
「いいや、大丈夫だよ。ありがとう」
ラヴは、緩やかに首を横へ振り、徐に足を組み直した。
そして、浮かべていた微笑みを、ゆっくりと深める。
「さて。これで君達に聞きたい事は全て聞けた。同時に、この事件の真相も判明した」
「ほ、本当かっ?」
ドナルドは目を丸くした。ポーリーンも息を飲み、身を乗り出す。
「お、教えて下さいっ。主人を殺したのは、一体誰なんですかっ?」
「いないよ」
え、とポーリーンとドナルドは、別の意味で、目を丸くした。
「彼を殺した人間はいない。彼だけでなく、亡くなった六人は、誰一人殺されていない」
ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは続けた。
「彼らは、自殺したんだ」
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