異物混入殺人事件


「やぁ、クリフォード。いらっしゃい。数日ぶりだね」


 微笑み掛けるラヴを無視し、クリフォードは、抱えていた分厚い封筒から、資料を取り出す。


「リトル」

「あ、は、はい」


 ティムはそそくさと近付き、差し出された資料を受け取った。

『ホールズワース病院異物混入殺人事件』と書かれた表紙を見下ろし、唾を飲み込む。


「おや。今回はティムが読むんだね。という事は、左程刺激的な事件ではないと?」


 クリフォードは、何も言わない。鋭い視線で、ティムに読むよう促してくる。


 ティムは、ぎこちなく頷き、深呼吸をした。一度握った拳を胸へ当て、神へ祈りを捧げてから、資料の表紙を捲る。



「じ、事件は、ホールズワース病院の、入院棟で、起こりました。

 被害者は、当時、入院していた、ジェフ・アダムス、四十四歳。アンディ・カンペル、五十二歳。スティーブ・キンケイド、五十六歳。ヘンリー・グッドウィン、七十歳。ビル・ケンプ、五十七歳。ディオン・コッカー、六十五歳、の、六人です。


 ジェフと、アンディ、スティーブ、ヘンリーは、病室が、同じでした。ビルと、ディオンは、別の病室、でしたが、入院生活が、長い為、他の四人とも、面識が、ありました。毎日、談話室に、集まっては、六人で、仲良く話を、していたそうです。


 事件当日。ジェフは、ケーキを持って、談話室へ、きました。その日は、ヘンリーの、誕生日でした。なのでジェフは、菓子職人の、友人、ドナルド・ル・ボン、四十三歳に、頼んで、密かにケーキを、用意しました。

 ヘンリーは喜び、誕生日を、祝って、六人で、ケーキを、食べました。楽しい、一時を、過ごし、六人は、それぞれの、病室へ、戻りました。


 すると、数時間後。ディオンの、容体が、可笑しくなります。続いて、ビル、ヘンリー、ジェフ、と、異変をきたし、次の日には、六人全員、死亡しました。

 被害者の、吐瀉物から、殺鼠剤が、検出、されました。よって死因は、異物の、混入した、ケーキを、食べた事による、中毒死。警察は、殺人事件、として、捜査を、進めています」


 徐に、クリフォードが鉄格子に近付く。封筒から数枚の写真を取り出し、差し入れが並べられた机の上へ投げた。



「おやおや、これは凄いね」



 ラヴは、次々と写真を眺めては、細い指で差していく。


「写真を見る限り、全員中毒死で間違いないようだが、それ以前に、全員病状がかなり進行していたようだね。

 やせ細る者、むくみ膨らむ者、無数の点滴の跡、手術痕、パーツもいくつか足りないな。筋肉の衰え具合から、車椅子なしでは動けない人間も、数名いるようだ。


 だが、ジェフは少し違うね。

 彼は病気ではなく、事故か何かで麻痺が残り、日常生活が困難故に、入院しているのだろう。それもここ一・二年の話だ。傷跡がまだ若い。筋肉の衰え方も軽い。背骨の形も不自然な事から、脊髄損傷による四肢麻痺と考えられる」


 椅子の背に凭れ、美しい顔に微笑みを浮かべた。


「あぁ、すまないねティム。待たせてしまって。続きを頼むよ」

「あ、は、はい。えっと……容疑者は、二人。ケーキを用意した、ジェフの友人、ドナルド・ル・ボン、と、ジェフの妻である、ポーリーン・アダムス、三十八歳、です。


 ドナルドは、事件当日、仕事の、休憩中、大体、一時過ぎに、頼まれていた、ケーキを、ジェフへ、届けにきました。

 しかしジェフは、眠っており、起こすのも悪い、と、思い、ケーキと、伝言メモを、残して、すぐに、自分のお店へ、帰りました。


 約、一時間後の、午後二時頃。ジェフの妻、ポーリーンが、仕事を終えて、ジェフの病室へ、やってきました。

 寝ているジェフの、傍らには、ドナルドの、お店の名前が、捺印された箱、と、伝言メモが、置かれています。ヘンリーの、誕生日ケーキだ、と、事前に、聞いていたので、ジェフを起こし、ドナルドが、ケーキを、持ってきてくれた、と、伝えます。


 ポーリーンは、ジェフの乗る、車椅子を押し、談話室へ、向かいます。そうして、ヘンリーに、ケーキを贈り、ポーリーンを除く、六人が、ケーキを、食べました。

 しばし、談笑してから、ポーリーンは、ジェフを病室へ、戻します。ジェフが、少し、疲れた様子、だったので、その日は、早めに、病院を、後にした、そうです。


 ケーキへ、殺鼠剤を、入れるとしたら、ケーキが、届けられてから、談話室へ、運ばれるまでの、午後一時から、二時の間、です。

 この間、ジェフの病室を、訪れた者は、ドナルドと、ポーリーン以外、誰もいません。つまり、異物を、混入、する事が、出来たのは、ドナルドか、ポーリーン、という事に、なります。

 ですが、どちらも容疑を、否認しており、また、決定的な、証拠も、見つかって、いません。


 このままでは、六人もの、人間を、殺害した、犯人を、取り逃がし、かねない、として、今回、ラヴさんへ、依頼を、する事に、したそうです」


 概要を最後まで読み切り、ティムはホッと息を吐く。多少つっかえたものの、必要な内容はきちんと伝えられた。資料を破いてもいない。

 今までで、一番落ち着いて出来た。ティムは、達成感に緩みそうな唇を引き締め、顔を上げる。


 ラヴは、ふふ、と喉を鳴らし、微笑ましげに目を細めた。


「説明ありがとう。では、いくつか質問をしたいのだが、いいかな?」

「は、はい。どうぞ」


 ティムは、手元の資料を構え直し、深呼吸をする。


「ケーキに混入していた殺鼠剤だが、どんな形状のもので、どのように入れられていたのかは、判明しているのかい?」

「形状は、固形で、指先位の、大きさです。吐瀉物に、混ざっていた、欠片から、病院で、使われている、殺鼠剤と、同じものだと、判明、しています。犯人は、それを、砕いたか、ある程度、溶かしてから、ケーキに、隠し入れたと、みられます」

「因みにその殺鼠剤は、ドナルドとポーリーンの家などからも、発見されたのかな?」

「いいえ。恐らく、病院のものが、使用されたと、思われます。事務室の、裏手にある、物置に、保管していた、らしく、当時、鍵も、掛かって、いなかった、事から、致死量の、殺鼠剤を、盗む事は、可能だった、ようです」

「成程。では、六人が食べたケーキはどうだったんだ? どんな形状で、どのように包装されていたのだろうか?」

「ケーキは、ドナルドが、経営している、店で、売られているもの、です。

 ドライフルーツと、木の実が、たっぷり入った、パウンドケーキで、上に、ブランデーが、塗られています。ジェフは、このケーキが、大好きで、度々、購入していた、ようです。


 ドナルドに、確認、した所、包装は、特に、していなかった、そうです。普段から、いらない、と、ジェフに、言われていた、ので、いつものように、お店で、使用している、箱に、予め、切っておいた、ケーキを入れて、持っていった、と」

「包装をしていなかったという事は、やろうと思えば、誰にでも殺鼠剤を入れる事が出来たという事か。

 それと、予め切っておいた、という事は、ケーキを六等分にしたのは、ドナルドなんだな。何故六等分にしたんだ? ポーリーンやドナルド自身を入れるのならば、八等分が妥当だと思うが」

「ポーリーンは、ドライフルーツも、ブランデーも、苦手、だそうです。ドナルドも、試食以外で、自分のお菓子を、食べる事は、なかった、と。なので、食べる人数は、六人だと、始めから、分かっていました。

 加えて、食べる人間は、全員病人、という事もあり、ブランデーは、通常よりも、控えめに、したそうです」

「あぁ、成程。確かに、病人に酒はよろしくないからね」


 ラヴは一つ頷き、微笑んだ。


「ドナルドとポーリーンには、六人を殺害する動機はあったのかな?」

「いいえ、ありません。ですが、ジェフだけならば、ドナルドも、ポーリーンも、殺す動機は、ありました。


 まず、ポーリーンですが、ジェフの介護と、子供の世話を、しつつ、生活の為、入院費の為、必死で、働いて、いました。

 また、ジェフが、入院する、切っ掛けとなった、事故は、ジェフの、過失により、起こったものです。よって、賠償金を、支払わなければ、なりませんでした。

 過失による、事故では、保険金は、下りません。なので、ポーリーンは、借金を、しました。そちらの返済も、とても、大変です。


 ジェフが死ねば、生命保険が、下りて、その分を、返済に、当てられます。入院費も、掛からなく、なります。だからジェフを、殺したのかも、しれません。


 一方、ドナルドですが、彼は、過労で、何度も倒れる、ポーリーンを、とても、心配して、いました。

 実は、ドナルドは、ポーリーンが、ずっと、好きだったのです。借金の、肩代わりや、生活費の、援助なども、密かに、申し出て、いました。しかし、ポーリーンは、『そこまで、迷惑を、掛けられない』、と、受け取りません。


 やつれていく、ポーリーンを、見るのは、忍びなかった、ので、ジェフの殺害を、計画したのでは、ないか。もしくは、ポーリーンと、ドナルド、二人の犯行、なのではないか。警察は、そう考えて、います」

「ほぅ。保険金と、横恋慕が動機ねぇ。まぁ、よくある話だな。因みに、生命保険には、ジェフしか入っていなかったのかい? 他の被害者達は?」

「ジェフ以外、では、アンディ、ヘンリー、ビルの、三人が、加入して、いました」

「つまり、スティーブとディオンは、生命保険へは未加入だったと。成程」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは小首を傾げた。


「所で、先程から疑問だったのだが。私の記憶が確かならば、保険金目的の殺人では、保険金は下りなかったと思うのだが」

「はい、その通りです。他にも、当人の、過失による、死亡事故や、自殺。戦争や、災害などで、大勢の、人間が、亡くなった場合。加入時に、虚偽の申請を、した場合、は、保険金は、下りません」

「では、犯罪が関わっていた場合、つまり、保険金目的以外での他殺の場合は、保険金は下りると?」

「その筈、ですが……えっと……」


 ティムは、資料を隅から隅まで確認していく。支払われないとは書かれていないが、かと言って、支払われるとも書かれてはいない。


 ティムは眉を下げ、情けない顔でクリフォードを振り返る。


「……気になるようなら、後で調べておく」

「そうか。では、頼むよ」


 微笑むラヴに、ティムはホッと胸を撫で下ろす。クリフォードへ頭を下げ、次の質問へ向けて気合いを入れ直した。


「ポーリーンは、ジェフ達がケーキを食べた際、談話室にいたんだよね? ケーキに殺鼠剤が混入していると気付かなかったのかい? もしくは、何か違和感を覚えたりは?」

「えっと、しなかった、そうです。

 先程も、言いましたが、ポーリーンは、ドライフルーツも、ブランデーも、苦手です。普段、このケーキを、食べないので、ケーキを見ても、匂いを嗅いでも、違いは、よく、分からなかった、と、言っています。

 亡くなった六人も、美味しい、と、言って、食べていたので、この時は、特に異変を、感じなかった、そうです」

「そうか。因みに、ティム。その資料に、六人のカルテはあるかな? もしあるなら、見せて貰いたいのだが」

「え、あ……す、すいません、ラヴさん。あの、カ、カルテ、とは、一体」

「診療録の事さ。六人それぞれが、どのような病気で、どのような症状が出ていて、どのような指導を受けているのかなど、患者個人の情報が、事細かに書き記されている。医者にとっては、必要不可欠なものだよ」


 そうなんだ、とばかりに、ティムは息を吐く。


 そんな部下を尻目に、クリフォードは抱えていた封筒から、一回り小さな紙束を取り出した。


「流石クリフォード。用意周到だね。もしかして、私が読みたがると見越していたのかい?」


 ふふ、とご機嫌に喉を鳴らし、ラヴは六人分の診療録を、鉄格子の隙間から受け取る。机の上へ置き、順番に眺めていった。



「……ふむ、やはりそうか」



 全ての診療録を確認し終えると、ラヴは、徐に口角を持ち上げる。


「クリフォード。お願いがあるんだ」


 微笑みを湛えながら、眉間に皺を寄せるクリフォードを振り返った。


「ドナルドとポーリーン、二人と直接話をしたい。場を設けてくれたまえ。それから、いくつか用意して貰いたいものがある。それも、二人と話をする当日に、入手して貰いたい」



 しかし、クリフォードからの答えはない。


 鋭い眼差しで、ラヴを睨んでいる。



「……一体何を企んでいる、ラヴレス」

「企んでいるとは人聞きが悪いな。私はただ、己の職務を全うしているだけなのに」

「ならば、何故リトルに問わない」

「何を?」

「何故ドナルドとポーリーンは、ジェフの他に五人も殺したのか。

 ジェフは体に麻痺があり、思うようには動けなかった。彼のみを殺害する方法はいくらでもあった筈だ。なのに何故、不特定多数が食べる可能性のあるパウンドケーキに、殺鼠剤を混入させたのか。


 次に、ドナルドとポーリーンの取り調べの様子はどうだったのか。

 元精神科医のお前からすれば、相手の心理状況を知る為に必要な情報だろう。実際、お前は今まで必ず聞いてきた。何故、今日に限って聞かないのか。


 また、ポーリーンが保険金殺人の疑いで容疑者となっているにも関わらず、何故他の被害者家族は容疑者として上がっていないのか。

 生命保険へ加入している以上、動機は十分にある。ポーリーンとの共犯の可能性も考えられる筈だ。その点を何故指摘しない


 そして、もう一つ。

 六人は、誰かから恨みを買っていなかったのか。

 本来、真っ先に問うべき質問だ。私が思い付く限りでも、これだけの不備がある。


 資料から読み取れる情報はまだ残っているにも関わらず、お前は容疑者であるドナルドとポーリーンの面会を希望した。極めて不自然だ。何かを企んでいるとしか思えない」


「あぁ、そんな事か。ならば答えは簡単だよ」


 ラヴは机へ肘を乗せ、頬杖を付いた。




「それは、概要を聞いた時点で、私には既に、事件の真相が見えていたからさ」




 クリフォードの目が、僅かに見開かれる。

 ティムも息を飲み、その拍子に、資料を握り潰してしまった。

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