衝撃の真実



「――あぁ。それはきっと、オズウェル・エアハート君だね」



 前日に遭遇した男の特徴を説明すると、ラヴはすぐさま思い当たる名前を上げた。


「オズウェル、エアハートさん。それが、ラヴさんの、恋人さんの、お名前、なんですか」

「いいや?」


 ラヴは、木箱の中身を確認するティムを眺め、微笑む。




「彼は、私のストーカーだよ」




「……え?」


 目録をなぞっていたティムの指が、ピタリと止まる。


「ストーカー。知らないかい? 言葉としては、獲物に忍び寄る、そっと後をつける、という意味を持ち、他者に対してそういった行動を取る人間の事を、ストーカーと呼ぶ。

 その行動原理は愛であり、相手の事を知りたい、または守りたいが為に、対象の後をつけ、監視し、結果、対象との距離が急速に埋まっていくような錯覚を起こす。


 こうした行為は、恋愛妄想と位置付けられている。そうして妄想の世界に浸り、一人喜びを噛み締める。言うならば、自慰に等しい行いだな」


 ポカンと口を開けて固まるティムに、ラヴは口角を持ち上げる。



「まぁ、要は、私と彼が恋人だというのは、全て彼の妄想だという事さ」



 ふふ、と喉を鳴らし、鉄格子に凭れ掛かった。


「オズウェル君は元々、私の患者だったんだ。酒に付いての悩みでね。まぁ簡単に言えば、飲めないが、会社の飲み会に行かなければならない。どうしたらいいだろうか、という相談だった。ティムならば、どうしたらいいと思う?」

「えっと……む、無理に、飲まなくて、いいのでは?」

「そう、その通り。しかしオズウェル君は、飲まなければならない、と思っていたんだ。ついでに、飲み会へは行かなければならない、ともね。彼は少々、思い込みが強い傾向にあるみたいなんだよ。


 飲み会に応じたからには、飲まなければならない。だが飲んだら気分が悪くなり、吐いてしまう。倒れてしまう場合もある。そうなったら周りに迷惑が掛かる。それは避けたい。けれど飲まなければならない。どうしたらいいだろうか、と延々悩み続けた結果、ストレスからくる一過性意識消失発作、俗に言う失神を起こしてしまった。


 これを切っ掛けに内科を受診し、医師からの紹介で私の元へやってきた。何度か診察をし、やり取りを重ねていった結果、私をストーキングするようになったと、そういうわけだ。

 まぁ、よくある話さ。精神科を受診する患者は、担当医に依存しやすい傾向にあるからね」


 肩を竦め、ラヴは微笑んだ。



 呆然と佇むティムは、ハッと大きな体を揺らし、慌てて頭を下げる。



「す、すいませんっ。勘違い、してしまって、すいません。俺、てっきり、ラヴさんの、恋人さん、なのかと」

「気にしなくていい。彼の中では、そういう事になっていたんだろうからね。ティムが分からなくて当然さ」


 ティムは、おずおずと頭を上げ、ラヴを窺う。


「あの、だ、大丈夫、なんですか?」

「大丈夫だよ。彼は紳士的なストーカーだからね。診察以外で接触してくる事はないし、勝手に私の家へ入ってくる事もない。仕事の邪魔もしないし、妙な手紙を送ってくる事もない。多少後を付けられ、調べられ、ゴミなどを持ち去られるだけだ。あぁ、私と関わりのある男に、少々攻撃的な面もあったかな。まぁ、その程度さ」


 それは、果たして『その程度』で済まされる話なのだろうか。ティムの顔色が、俄かに悪くなる。


「因みに、ティム。君も危なかったんだよ」

「え? あ、危なかった、とは」

「下手したら、オズウェル君に橋の下へ突き落されていたかもしれないんだ」


 ティムの顔が、引き攣った。


「君は昨日、オズウェル君とぶつかり、跳ね飛ばしてしまったと言ったね? その時オズウェル君は、ティムの真後ろに倒れていた。


 もし彼が、橋を通行中にティムと接触したのなら、ティムの右側、もしくは左側からやってきて、ぶつかったという事になる。その場合、力の反発する方向から考えて、ティムの横か、斜め後ろに跳ね飛ばされる筈だ。


 しかし彼は、真後ろに倒れていた。真後ろに倒れる為には、ティムの真後ろ、つまり、背中と衝突する必要がある。それも、橋の内側から外側へ向かって、かなり強く」


 じわじわと青醒め、ティムは人一倍大きな体を、小刻みに震わせる。


「大丈夫だよ、ティム。彼は、君を殺そうなんて思ってはいなかった。恐らく、少し脅かそうとしただけだろう。

 彼の事だ。ティムの経歴は既に調べているに違いない。身体能力や体重も、ある程度把握していた筈だ。自分が押した所で、橋から落とす事は出来ないと、確信を持っていたのだろうね」

「ほ、本当、ですか……?」

「本当だとも。もし彼に人を殺す度胸があったのなら、私はこうして、紳士的なストーカーだ、などと言って、笑ってはいられなかっただろう」


 ラヴは、ふふ、と喉を鳴らし、ティムの手元へ視線を流す。



「少なくとも、私に手紙の一つ位、寄こすのではないかな?」



 ティムも、手に持つ目録を見た。

 昨日、ラヴ宛てに持ち込まれた差し入れと、持ってきた人物の名前が並んでいる。

 その中に、オズウェル・エアハートという字はない。


「まぁ、兎に角、心配する必要はない。ティムの話から察するに、オズウェル君は君を気に入ったみたいだからね。害される事はないだろう。安心したまえ」

「え、お、俺、気に入られた、ん、です、か?」

「あぁ。ハンカチを返すと言われたんだろう? つまり、もう一度ティムと会ってもいいと思ったわけだ。私の傍にいる男なのにも関わらず、ね」

「で、でも、それは、俺から、ラヴさんの、話を、聞く為だ、と」

「照れ隠しだよ。勿論、私の話を聞きたいのも本音だろうがね。

 あれで中々面倒見がいいんだ。私の患者だった子供達とも、時々遊んでくれていたよ。文句を言いながら、わざわざ玩具を持参してきたりしてね。お陰で子供に大人気さ。なのに顔を顰めて、嬉しくもなんともないとそっぽを向いては、新しい遊びを提案してくる。難儀な男なんだよ」


 長い髪が、ラヴの肩を滑っていく。


「きっとオズウェル君からしたら、君は、病院にいた子供達と同じようなものなんだろうね。自分が加護すべき存在だと、思っているのかもしれない。いや、既にそう認識したのかもしれないね。

 きっと近い内に接触してくるだろう。ハンカチを理由に。そうして、食事の一つでもご馳走してくれるのではないかな。私の話を聞く為だ、などと言ってね」


 ふふ、と喉を鳴らし、楽しげに口角を持ち上げる。

 ティムは、途方に暮れたように眉を下げた。


「まぁ、いいじゃないか。一度位ご馳走になっておいで。彼も悪い人間ではない。話せば案外、気が合うかもしれないよ」


 ストーカーと気が合うのは、ちょっとな。

 ティムは内心そう思いつつ、ラヴの予言が当たらない事を神に祈った。



「よし……」



 全ての差し入れを確認し終えた。

 ティムは木箱を抱え、鉄格子の端へ近付く。食事をトレーごと出し入れする専用口から、ラヴへの差し入れを目録順に渡していく。


「――そして、こちらのタオルと、お手紙は、クラリッサ・コロンさん、からです。

 次に、ヒューイ・ガーネットさん、から、本が二冊に、お手紙が、きています。

 こちらは、エリーナ・パーカーさん、と、マリー・パーカーさん、からです。エリーナさんからは、お花と、お手紙。マリーさんからは、ラヴさんの絵、です」

「あぁ、丁度新しいタオルが欲しいと思っていたんだ。相変わらずクラリッサ君は気が利くな。ガーネット先生も、相変わらず本のセンスが素晴らしい。

 マリー君は、ふふ、私の絵か。随分と可愛らしく描いてくれたんだな。エリーナ君の花も綺麗だ。きっとマリー君と共に育てたんだろう。

 ティム。後でこの瓶に、水を入れてきてくれないか?」

「あ、はい。分かりました」


 ティムは瓶を受け取り、木箱の隅へ置いた。そうして全ての差し入れを渡し終えてから、瓶片手に一旦特別監房を出る。


 手洗い場で水を入れ、戻ってくると、ラヴは椅子に座っていた。美しい顔に笑みを湛えて、貰った手紙を読んでいる。


「あの、ラヴさん。お水を、入れてきました」

「ん? あぁ、ありがとう。そこに置いておいてくれたまえ」


 ティムは、鉄格子に付いている専用口から瓶を入れ、空の木箱を拾い上げた。机の下へ置き、その中に目録を入れる。



「なぁ、ティム」


 ラヴが、徐に口を開く。



「君、恋人はいないのかい?」



「……え?」

「恋人だよ、恋人。恋愛関係にある女性。彼女。ガールフレンド。呼び方は色々あるが、そういったものに該当するような相手は、いないのかい?」


 中途半端な体勢で止まるティムの顔が、一瞬にして赤くなる。


「い、いません。恋人なんて。あり得ません」

「おや、何故?」

「だ、だって、俺みたいに、力の制御が、出来なくて、いつ、何をしでかすか、分からない、人間は、怖くて、近付けないもの、です、から」

「だが、君は善良な人間だ。君の中身を好いてくれる者もいたのでは?」

「いました、けれど、れ、恋愛では、ありません。俺を、憐れに思って、親切に、してくれただけ、です」

「ふぅん。まぁ、君がそうだと言うのなら、そうなのだと思っておこうか」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは手紙を捲った。


「な、何故、いきなり、そのような事を」

「いや、なに。この手紙に、恋人が出来たと書いてあってね。結婚を前提に考えているらしく、今は娘と三人で出掛けたり、食事をしたりと、少しずつ親睦を深めているようだ。

『彼は酒も賭博もせず、暴力も振るわない、笑顔が可愛らしい人なのです』と、手紙越しに惚気られてしまったよ。娘のアガサ君も、相手の男に懐いているようだし、ふふ、幸せそうでなによりだ」


 目を細め、ラヴは手紙を優しく撫でる。



 そんな彼女を、ティムはじっと見つめた。



「ん? どうかしたかい?」

「あ、いえ、その……ま、毎日、凄いですね。差し入れが、沢山で」


 咄嗟に、ラヴの前に並べられた差し入れの数々を、指差した。


「あぁ、そうだな。私もそう思う。こうして毎日、誰かしらが何かしらをわざわざ用意してくれ、手紙まで添えてくれる。有難い事だ」

「み、皆さん、ラヴさんの、お友達、ですか?」

「いいや。大半は元患者だな。それから同じ病院に勤務していた人間や、知り合いの大学教授。後は、私の支持者だという者も、少数いるかな」

「し、支持者、ですか」

「面識はないのだが、元患者経由であったり、新聞や、裁判を傍聴したりなどして、私の事を知ったようだ。正直、犯罪者を支持するなど甚だ疑問だが、まぁ、考え方は人それぞれだ。私がとやかく言う事でもないだろう」


 ふふ、と笑みを深め、ラヴは読んでいた手紙を畳んだ。丁寧に封筒へ戻し、次の手紙へ手を伸ばす。




「失礼する」




 すると、クリフォードが特別監房へ現れた。

 ティムはすぐさま姿勢を正し、頭を下げる。

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