ラヴの下した結論



「……どういう事だ」



 看守達がユリエルを連れて特別監房を出て行った後、クリフォードは鋭い視線を一層尖らせ、椅子に座るラヴを見下ろした。


「だから、言っているだろう? リリー君の自供に間違いはない。アリッサを殺したのは、彼だ。今回の事件は、愛故に起こってしまった、悲しい悲しい殺人だったのさ」

「ふざけるな。そんな言葉で誤魔化されるとでも思っているのか」

「誤魔化すも何も、リリー君から話を聞いた結果、彼の自供こそが真相だと確信した。よってそう君に報告している。何の問題が?」

「お前が直接話を望んだんだ。なのに全く何も出てこなかったなど、あるわけがない」

「あるわけがなかろうと何だろうと、真実は真実。この事件は、愛故に起こった悲劇。愛に狂ってしまった男の凶行。以上だ。いい加減受け入れたまえ」


 しかし、クリフォードは納得しない。口角を下げ、鉄格子越しにラヴを睨み付ける。

 ラヴも、クリフォードから目を逸らさない。平然と微笑み、椅子の背に凭れる。



 一触即発な空気の中、クリフォードの視線が、つと動いた。



「リトル」



 部屋の隅で縮こまっていた巨体が、勢い良く跳ね上がる。



「ここで何があったのか、報告しろ」


 鋭い眼差しが、ティムを捉える。


 ティムは目を泳がせ、あ、う、と呻き声を上げた。


「おいおい、クリフォード。そんな怖い顔で睨むなよ。ティムが怯えているじゃないか」

「睨んでなどいない。この顔は元からだ」

「ならば尚更、穏やかな表情を心掛けた方がいい。笑顔はいいぞ。簡単且つ速攻性があり、更には金も掛からず人間関係を円滑にしてくれる。まぁ、好かれ過ぎて困る場合もあるが、基本的にはとても有効な手段と言えるだろう。是非とも試してみてくれたまえ」

「……そうやって煙に巻こうとする態度が、益々怪しいな」

「君も疑り深いね。少しは私を信じてくれよ」

「リトル。報告だ」


 威圧的な声に、ティムの背筋は一気に伸びる。全身に力が籠り、返事も裏返った。


「え、えっと、ほ、報告、です。報告は、えっと、その……」


 ティムは、先程ここで見聞きした事を、頭の中に思い浮かべる。


 ラヴの推理。

 ユリエルの顔色。

 続く沈黙。


 そして、無言の返答。



 ティムは、握った右手を胸に当てる。それから、大きく喉を上下させた。



「ユ、ユリエルさんは、アリッサさんを、殺しました。あ、愛で、心の、制御装置が、は、外れて、しまったんです」


「……心の制御装置?」


 クリフォードの眉間へ、皺が刻まれる。


「あ、す、すいません。心の、制御装置、とは、その……か、体には、制御装置が、付いているんです。あ、頭が、そういう指令を、出しています。

 その制御装置が、何かしらの、理由で、外れてしまうと、とてつもない、力を、発揮出来て、だから、心の、制御装置も……あ、いえ、心の、制御装置は、体の、制御装置と、一緒に外れる、というわけでは、ありません、が、けれど、外れる、可能性も、あって、あの、その」


 しどろもどろと続く言葉に、クリフォードの眉はどんどん力が籠っていく。


 ティムの眉は情けなく下がり、己の語彙力の低さに、涙が込み上げた。



「ティムが言っているのは、二か月程前に私が説明した、事件内容の一節だよ」



 ラヴは、徐に足を組み直す。


「ほら、腹をかっ捌かれた男の変死体があっただろう? 犯人は認知症の老人で、証拠隠蔽をしたのがその妻だという。あれだよ。

 ついでに言えば、私が散歩に出かけた日の話さ」


 すると漸く思い当たったのか、クリフォードは不愉快に顔を歪めた。


「あの時、老人に成人男性の殺害は無理だ、と主張するクリフォードに、私は、人間の体には生まれつき制御装置が付いている、と説明した。潜在能力を百パーセント発揮して、筋細胞や骨を壊さないよう、脳が常に制御しているんだ。


 しかしその制御装置は、ある一定の条件によって外れる事がある。この事件の場合では、脳神経細胞の死滅により、制御装置が外れやすくなっていたのではないか、と私は考えた。 


 制御装置が外れると、人間はゴリラ並みの力を発揮するらしい。年老いたゴリラを相手に、勝てる自信があるのか、と私が問うた所、クリフォードは納得してくれたというわけさ。

 どうだい、思い出したかな?」


 返事代わりに、クリフォードの口角が下がる。


「因みにこれは余談だが、実はゴリラへの対抗策は、全くないというわけでもないんだよ。

 というのも、人間は認知症でなくとも、脳の制御装置を外すまではいかなくとも、緩める事が出来るんだ。


 一番簡単なのは、大声を出す事。そうすると、脳が一時的に興奮状態となり、制御装置の作用を鈍くさせるんだ。

 また、火事などの緊急事態に陥った場合も、同じく脳が興奮状態となり、爆発的な力を発揮する事が出来る。ゴリラとの遭遇は、間違いなく緊急事態だ。この時点で、ある程度制御装置は緩んでいるだろう。

 加えて大声を上げながら攻撃すれば、潜在能力百パーセントに限りなく近い状態で戦えるのではないかと、私は考える。

 その際は、突く、打つ、蹴るなど、瞬間的な筋力を用いた攻撃方法をお勧めするよ。身体能力面において、最も効率的且つ効果的だからね。


 ティムも覚えておくんだよ。もしもの時は、大声を上げて、相手を殴るんだ。

 殴るのが難しいようなら、君の持てる限りの力で、突き飛ばしてやりたまえ。突き飛ばすだけでも、十分効果が期待出来るから。いいね?」

「あ、は、はい……」


 ティムは竦めた首を、小さく上下に揺らした。


「では、話を戻そう。

 そうしてクリフォードは、老人が成人男性に勝てる可能性を受け入れてくれたのだが、殺した理由が犬の仇討ちだという点には意義を唱えてきた。だから私はこう言った。『体の制御装置だけでなく、心の制御装置まで外れてしまったとしても、別段可笑しくないとは思わないかい?』とね。


 まぁ、犯罪者なんて、大抵どこかしらの制御装置が外れているものだがね。リリー君しかり、私しかり」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴはクリフォードを見上げた。


「理解して貰えたかな、クリフォード?」

「……つまり、ユリエルは恋心を募らせるあまり、アリッサを殺害した、という事か」


 ティムは、小刻みに何度も頷く。



「つまりは、こいつと同意見、という事か」



 ティムは、一瞬戸惑う。

 しかしすぐさま拳を握り、大きく頭を上下に振った。

 緊張で震える巨体を、クリフォードは鋭く見据える。


 息苦しい程の沈黙が続き、やがて、深い溜め息が落とされた。


「……リトル」

「は……はいっ」

「この場で起こった事を、改めて報告書に纏めるように。纏め終わったら、直接私の元へ提出しにこい。今日中にだ。いいな」


 ティムはもう一つ大きく頭を振り、返事をした。


 クリフォードは踵を返し、特別監房を出ていく。

 すれ違い様、入口の外で待機していた若い看守へ、目配せをした。

 若い看守は、小さく頷く。


 クリフォードはすぐに目を逸らし、一度も振り返る事なく去っていった。


 その堂々とした背中を見送り、ティムはホッと息を吐き出した。激しく脈打つ心臓を押さえつつ、自分用の椅子へ座る



「ティムも、中々やるね」



 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴはティムへ視線を流す。


「『ユリエルは、アリッサを殺した。愛で、心の制御装置が外れてしまった』。この文章ならば、解釈の範囲が広がる。けれど嘘は吐いていなく、事実もきちんと述べている。後は相手の勘違いを誘えば完璧だ」

「え、えっと……ありがとう、ございます?」


 小首を傾げるティムに、ラヴの微笑みを深まった。


「だが、最後の答えは頂けないね。

 私と同意見か、というクリフォードの質問に頷いてしまっては、『自分は、ユリエルはアリッサに恋をしていたと考える』と意思表示した事になる。折角広げた解釈を、自分自身で狭めてしまうのは、些か勿体ないように思えるよ。

 加えて表情も固く、いかにも嘘を吐いています、と言わんばかりだった。クリフォードが勘ぐるのも当然さ。


 だから君はこの後、報告書を提出次第、クリフォードから取り調べを受けるだろう」



 ティムの動きが、止まる。



「クリフォード達が席を外している間、この場で一体何が起こったのか、私がどんな推理をし、何を隠しているのか、問い詰めるつもりだろうね。

 私も体験した事があるが、いやはや、クリフォードの取り調べは実に厳しかったよ。精神的に威圧してくるからね。発言に細心の注意を払った事をよく覚えている。

 私でもそうだったんだ。ティムには、果たして耐え切れるかな?」


 下からじっと見つめてくるラヴに、ティムは情けなく眉を下げた。


 クリフォードの詰問を耐える自信は、はっきり言ってない。きっとあまりの辛さに涙を零し、口を割ってしまうだろう。



 けれど、そんな事をしたら、ユリエルはどうなってしまうのか。



「もし耐え切る自信がないのならば、最初から正直に話してしまう事をお勧めするよ」


「えっ。で、でも」

「あれは全て、私の推理でしかない。理路整然としていたように思えたかもしれないが、だからと言ってあれ以外の解釈がないわけではないし、リリー君がアリッサを殺害した事実は変わらない。


 何より、リリー君は一切認めなかった。言葉でも、仕草でもね。


 だから、君がクリフォードに何を言った所で、別段何かが変わるわけではない。リリー君が沈黙を守り、私の推理を認めない限り、彼の自供が事実となる。

 警察も、やがて世間に発表するだろう。彼の自供を、真実としてね」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは足を組み直した。


「まぁ、これはあくまでお勧めするだけだ。最終的にどうするかは、自分で決めたまえ」


 ティムは、小さく首を上下させる。そのまま目を伏せ、自分の手を見つめた。ゆっくりと組み、心の中で神に祈りを捧げる。


 少しでもユリエルが救われるよう、何度も、何度も。

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