ティムの初仕事


「おや、クリフォードじゃないか。数日ぶりだね。変わりはないかい?」


 しかし、クリフォードは一瞥しただけで何も言わず、ティムへ視線を向ける。


「お、お疲れ様です、ジャッジ班長」

「あぁ、お疲れ様。今日からだったな。ここまでで、困った事や無茶な要求、その他事前に伝えられた内容以外の行動を指示されるなど、何かしらの問題はあったか」

「い、いえ。ありません」

「そうか。不審な点や疑問があれば、すぐさま報告するように」


 姿勢を正し、ティムは勢い良く返事をする。クリフォードも、小さく頷き返した。


「ふふ、随分とティムを気に掛けているんだね」

「……彼は私の部下だ。悪党に騙されてはいないか、確認するのは当然だろう」

「あぁ、ティムは素直だからね。心配する気持ちも分かるよ。だから、わざわざ様子を見にきたのかい? いくら上司だからと言って、それは少々過保護ではないかね」


 楽しげに微笑むラヴを、クリフォードは静かに振り返る。鋭い眼差しで睨むも、睨まれた当人は平然としている。寧ろ、睨まれていないティムの方が、身を竦めた。


 不安気に身じろぐ巨体に、クリフォードは溜め息を吐く。徐に持っていた封筒を開け、紙の束を取り出した。


「リトル。私が呼ぶまで、しばらく休憩室で待機していろ」

「あ、は、はい。分かりまし――」

「ティム。待機する必要はない。ここにいたまえ」


 え、とティムは、困惑気味にラヴを見やる。



 クリフォードの纏う空気が、つと刺々しさを増した。



「……リトル。休憩室で待機だ。早く行け」

「ずっと立っていては疲れるだろう? さぁ、そこへ座るといい」

「戯言に耳を貸さなくていい。お前が今すべき事は、休憩室へ向かう事だ」

「戯言とは酷いな。私はただ、自分の助手に手伝って欲しいだけだ。その為に、この場に残るよう指示を出した。別段可笑しな事ではあるまい」

「事前の契約では、リトルの立ち会いの有無は、こちらで判断出来るとある。そして私は上司として、リトルの立ち会いは不可能と判断した。よって待機を命じている」

「部下の初仕事を、上司が奪うのはいかがなものかと思うがね。過保護が悪いとは思わないが、何事にも程度というものがあるのではないかい、クリフォード?」


 片や笑顔で、片や険しい形相で見つめ合う二人。緊張と重苦しさが、徐々に濃くなっていく。


 ティムは、おろおろと二人の顔を見比べた。

 やがて、大きく息を吸う。


「あ、あの。俺、います。ここに」

「……こいつの言う事を聞く必要はないと、私は言った筈だが」

「お、俺、大丈夫です。研修で、色んな事件を、知りましたし、へ、平気です。出来ます」

「自分を過信するなとも、私は何度も言った筈だぞ」

「う、そ、そう、ですけど……で、でも、こうしていても、時間が、勿体ないです。も、もし、気分が、悪くなったら、ちゃんと、言いますから」


 拳を握り、ティムは唇を噛み締める。俯いてしまいそうな自分を堪え、じっとクリフォードを見つめた。


 やる気に溢れた視線を、クリフォードは受け止める。緊張で小刻みに震える部下を、じっと見つめ返す。



 やがて、深い溜め息を吐いた。



「……今回は、初日という事で特別に許可しよう。次からは、私の指示に必ず従うように」

「は、はいっ。ありがとう、ございます」

「資料は私が読み上げる。お前は静かに座っていろ。それから、体に異変を感じたら、速やかに退室する事。いいな」


 ティムはもう一つ返事をすると、隅に置かれた椅子へと座る。姿勢を正し、膝の上へ両手を乗せた。


 そんなティムを、ラヴは微笑ましげに眺めた。ふふ、と喉を鳴らし、椅子の背に凭れる。


「さてと。話も無事纏まった事だし、そろそろ仕事の話でもしようか」


 そう言って、鉄格子の前に立つクリフォードを見上げた。


 クリフォードは、眉間に皺を寄せる。唇も不機嫌に曲げ、視界からラヴを追い出した。捲った資料へ目を落とし、記された内容を読み上げていく。



「先月未明。ジェーンゴウンのとあるアパートで、女性の変死体が発見された。

 被害者は、ドゥパーク銀行に勤務している事務員、アリッサ・レモン。二十四歳。


 アリッサは、一人暮らししていたアパートへ帰宅した所を、何者かに押し入られたと思われる。

 死因は、金槌のようなもので、頭部から顔面に掛けて複数殴打された事による、出血死。金品を盗まれた形跡がない事から、物盗りの犯行ではないと考えられる。


 被害者は容姿端麗で、男性からの評判は概ね良かった。だが反対に、女性からの評判はあまりよろしくない。どうやら男性の前、特に顔が良い男性の前では態度が変わり、あからさまな媚を売る事もあったらしい。

 また、複数の男性とも交際しており、彼らからの贈り物や、どこへ連れていって貰ったなどと、時折友人に自慢していたそうだ。


 この事から怨恨の線で捜査を進めた所、殺される数日前、恋人の一人で、同じ銀行に勤務している、ウィルフレッド・ガリアーノ二十七歳と、口論になっていた事が分かった。原因は、ウィルフレッドが、自分以外にも恋人がいると知ってしまったから。

 アリッサは知らぬ存ぜぬを付き通したらしいが、あまりにしつこいウィルフレッドに怒り、そのまま喧嘩別れをしたようだ。以降は会っていないと、事情聴取でウィルフレッドは言っていた。


 けれど、事件当日の夜。ウィルフレッドらしき人物を、アリッサのアパート付近で、近隣の住民が目撃している。どうやらアリッサに会いに行ったらしい。しかし彼女は帰っておらず、仕方なく戻ったと本人は証言している。だが、それを証明する者はいない。


 一応、ウィルフレッドの同僚、ユリエル・リリー二十七歳が、『ウィルフレッドは、事件当日の夜、アリッサのアパートへ行くと行っていた』とは証言している。

 しかし、ウィルフレッドに付き添ったわけではないので、本当にアリッサはアパートにいなかったのか、ウィルフレッドは本当にアリッサを殺していないのか、分からないとの事だ。


 他の恋人達についても調べたが、犯行当時現場へ向かった形跡はなく、またアリバイも証明されている。よって警察は、ウィルフレッドが犯人と考えて調べを進めた。だが、ウィルフレッドは容疑を否認。決定的な証拠も出来てこず、捜査は停滞してしまう。

 このままでは未解決事件となる可能性が高いと見て、こちらへ回す流れとなった。概要は以上だ」


 資料を捲っていた手を止め、クリフォードは鋭い視線をティムへと向けた。

 ティムは些か顔色を悪くし、けれど姿勢を崩さず座っている。

 研修の時よりも落ち着いている様子に、クリフォードは内心頷いた。



「以上、ねぇ」



 つと、ラヴは机に肘を乗せ、頬杖を付く。


「そんなわけはないだろう、クリフォード。君は、肝心な事を何一つ説明していない」


 口角を持ち上げ、小首を傾げてみせた。


「被害者は、変死体として発見されたのだろう? ただの撲殺ならば、遺体と表現している筈だ。ならば、どこがどのような状態になっていたから、変死だと判断されたのか。その部分をきちんと教えてくれないと、私も推理しようがなくて困ってしまうよ」


 クリフォードは、苦く顔を歪める。

 反論も何もなく、無言で封筒から数枚の写真を取り出した。鉄格子の隙間から、机の上へと投げ入れる。



 途端、ラヴの目が、僅かに開かれる。



「ほぅ、成程。確かにこれは変死体だ」


 机に乗る写真を手に取り、しげしげと眺めた。


「殺害場所は、アパートの玄関先だね。恐らく被害者が鍵を開けて入った瞬間、犯人に背後から突き飛ばされ、床へと倒れ込んだ。その隙に犯人は部屋へ侵入。玄関の鍵を掛け、予め持っていた金槌で襲い掛かった。


 この際、被害者は少なからず抵抗をした筈だ。犯人も、逃げようと暴れる被害者を押さえ付けながら、何度も金槌を振るった筈。なのに、何故皮膚に残っている筈の抵抗の跡や犯人の拘束痕が説明されなかったのか、とても不思議だったんだ。


 だが、成程。これならば仕方ない。


 なんせ、全身の皮膚が剥ぎ取られているのだからね」



 部屋の片隅で、人一倍大きな体が跳ね上がった。

 息を飲む音も、微かに上がる。



「いや、全身ではないか。正確には、鼻から下の皮膚が、遺体の傍に落ちている包丁や鋏で、剥ぎ取られている。頭部や顔の上部は、金槌によって原形を留めていないから、剥ぎ取れないと諦めたのかな?


 しかし、なんとも奇妙だね。唇や掌といった、皮膚の薄い場所まで丁寧に剥いでいる半面、被害者の体に残る剥ぎ跡が汚い。仕事の適当さを物語っているよ。

 更に、胸や尻など、女性特有の柔らかさを持つ部分は、肉ごとごっそりとなくなっている。失敗ではなく、故意に剥ぎ取られたと考えていいだろう」


 ティムの体は小刻みに震え、顔から血の気が引いていった。


「とすると、相手の目的は何だ? 真っ先に考えられるのは、人肉嗜食家の犯行。鳥や豚を屠殺するように被害者を殺し、皮膚や肉を持ち帰った。

 次に革職人。人間の皮を服飾用の革に加工する為、被害者を殺し、皮膚を剥ぎ取った。


 後は、皮膚を剥ぐ行為を解体と捉えるのならば、女や老人の犯行も考えられる。遺体を遺棄する際、非力故に小さく切り分けてから運び出す、という手段を取る場合が多いと言われているからな。なので、そういった理由で、皮膚は剥ぎ取られた」


 は、は、と、部屋にティムの息遣いが響く。


「しかし、人肉嗜食家と革職人の可能性は低いと、私は考える。何故なら、遺体が美しくないからだ。ある意味芸術家である彼らが、自分で厳選した材料を、こんな杜撰に扱うわけがない。

 しかも犯行に使用された鋏には、アリッサと名前が入っている。つまり、自分の仕事道具を現地で調達したわけだ。道具にこだわりを持たないなんて、半人前どころかズブの素人の仕事だよ」


 胸元を掴み、俯くティム。大きな背中を丸め、徐々に小さくなっていく。


「ならば、女や老人の犯行か、となるが、まぁ、前者二つよりは、可能性があるかもしれないね。解体は重労働だが、時間を掛けさえすれば誰でも出来るから、そこまで問題はないだろう。今回で言えば、大体一時間と言った所か。


 しかしこの場合、何故こうも中途半端に遺体を遺棄したのか、という疑問が残る。

 時間を掛けさえすれば、皮膚だけでなく全身を解体し、持ち去る事も可能だった筈だ。それをしなかった理由は? 被害者の皮膚に、犯人の手掛かりとなる何かが残されていたのだろうか。だから、犯人は皮膚だけを持ち去った?」


 荒くなっていく呼吸に、クリフォードは何度もティムへ鋭い視線を向けた。眉間に皺を寄せ、遂には声を掛けようと口を開く。


「なぁ、クリフォード」


 しかし、その前にラヴが喋り出す。


「被害者のアパートから盗まれたものは、本当になかったのか? 金品以外でなら、なくなったものはあったのではないか?」

「……服が数着。被害者のネグリジェと旅行用の鞄、それと、男もののシャツとズボンが」

「とすると、犯人は被害者宅にあった服を着て逃げた、という事になるのかな。これだけ盛大に殴り、剥ぎ取ったんだ。全身血塗れだったに違いない。

 だが、女もののネグリジェと、男もののシャツとズボンが一緒になくなっているというのは、少々不思議だな。これでは犯人が男なのか女なのか、判断しかねるよ。


 まぁ、可能性としては、犯人は男で、被害者の皮膚を剥いだ後、男物のシャツとズボンに着替えた。それから血塗れの自分の服を、旅行用の鞄へ入れる。

 更に被害者の皮膚とネグリジェも持ち帰り、帰宅後、被害者の皮膚を取り出し、着せ替え人形の如くネグリジェを羽織らせた、というのも考えられなくはないのかな。被害者の胸や尻など、女性らしい部分は肉ごと持ち去ったのだからね。人形として、ある程度は楽しめるのでは――」



 不意に、水が逆流するような音が、聞こえた。



 ほぼ同時に、ティムが口を押さえて立ち上がる。




 そして机を薙ぎ倒し、特別監房から駆け出していった。




 遠ざかる背中と足音に、クリフォードは溜め息を吐いた。

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