ラヴの正体


「……何の真似だ」

「クリフォードに、一つお願いがあるんだ」

「断ると言ったら」

「その時は、善良な青年が一人、警察に見殺しにされるだけさ」

「殺すのか」

「君が私の願いを聞いてくれなければね」

「怯えているぞ」

「だろうね。なんせティム君は、君達に取り囲まれただけで過呼吸を引き起こす程、繊細な子だ。しかも友好的だった私に、突如命を脅かされる。さぞ混乱しているだろう。

 おや。そう言っている間にも、心拍数がどんどん上がっている。顔色も悪くなってきたね。大丈夫かい、ティム君?」


 しかし、ティムは何も答えなかった。喉に当たる冷たい感触に、巨体を小刻みに震わせるだけ。

 呼吸も、徐々に荒くなってきた。


「さぁ、大変だ。このままでは、ティム君が過呼吸を起こして倒れてしまう。早々に話を付けなければ」


 わざとらしく頷くと、ラヴは赤い唇へ、弧を描いた。


「お願いというのは他でもない。このティム君を――いや、ティムを、私の助手に付けたいんだ。雇用の許可と、私の元へ出入りする許可を下ろしてくれたまえ」


 ザワリと、警察官達に動揺が走る。

 クリフォードも目を見開き、すぐさま鋭く尖らせた。


「そんな事、出来るわけがない」

「そこを何とか頼むよ。私は彼を気に入ってしまったんだ。とても興味深い体をしていてね。是非ともじっくり観察してみたい。だから彼を、手元に置きたいんだ」

「駄目だ。許可出来ない」

「何故? 助手と言っても、大した手伝いをさせるつもりはないよ。精々資料を読んだり、頼まれたものを取ってきたり、私の話し相手をしたりする程度だ。何なら所属は警察にして、私の元へ派遣するという形にしてくれても構わないよ」

「何と言われようと、こちらの答えは変わらない」

「どうしても?」

「くどい」

「そうか。残念だな、この世から善良な青年が一人消えてしまうだなんて。たった一言で命を救えたかもしれないのに。警察とは案外白状なのだな。ふぅ、本当に残念だよ」


 至極悲しげに美しい顔を歪め、ラヴは首を横へ振る。



 その拍子に、フォークの先端が、ティムの喉を薄く引っ掻いた。



 引き攣った声が辺りに響き、次いで苦しげな呼吸と、嗚咽が、後から後から零れ落ちる。


「あぁ、泣かないでくれティム。怖がらせてしまってすまない。でも大丈夫だよ。クリフォードが必ず助けてくれるから。

 なんせ彼は、三十二歳の若さで警視庁の警部に登り詰めた男だ。人一倍正義感が強く、誰よりもこの国を想い、誰よりもこの国の人間を守ろうとまい進している。そんな彼が、君を見殺しにするわけがない。そうだろう、クリフォード?」


 ラヴは、慰めるようにティムの頭を撫で、クリフォードを振り返る。

 ティムも、焦点が怪しくなってきた目で、クリフォードを窺った。


 二つの相反する視線を受け、クリフォードの眉間へきつく皺が刻み込まれる。眼差しも鋭さを増し、ラヴを射殺さんばかりに睨んだ。



 沈黙と、緊迫、そしてティムの荒い息遣いが、この場を包み込む。



「…………私の権限では、許可出来ない」


 漸く、クリフォードが口を開いた。



「だから、一度上層部に確認したい。その上で、この話の返事をさせて貰いたい」



 言葉を吐き出すごとに、クリフォードの顔は複雑な感情を帯びる。


「ただし、仮に許可が下りたとしても、こちらとしては彼の意志を尊重したい。彼自身が、お前の助手は御免だと言えば、その時点で交渉不成立とし、この話はなかった事にして貰いたい。

 また、彼が応じた場合、所属は警察とし、研修として二か月程時間を貰いたい。その中で、助手として不適格だと判断された場合は、即刻解雇する許可を貰いたい。

 研修を終え、本格的に助手として働き始めた後も、不適格とみなされた場合は、随時解雇してもいいという許可を貰いたい。


 以上を全て飲んでくれるのであれば、彼をお前の助手に派遣する件を、前向きに検討すると約束しよう」

「ふぅん。前向きに、ねぇ」


 ラヴは、ゆっくりと首を傾げる。


「それは、公正にやってくれるのかな? そちらの都合のいいように物事を進めたり、私を出し抜こうなどと考えるだなんて事は、ないと神に誓えるかい?」

「勿論だ。クリフォード・ジャッジの名に掛けて、誰の立場にも寄り添わず、公正に物事を判断すると、神に誓おう」


 偽りも迷いもなく、クリフォードは宣言する。


 朗々とした声が響き渡り、取り囲む警察官達の間をすり抜け、やがて静かに消えていった。




「……ふふ、ふふふ」




 つと、場にそぐわぬ笑い声が、小さく落とされる。




 ラヴが、微笑んでいた。



 頻りに喉を鳴らし、美しい顔へ喜色を咲かせていく。



「そうかそうか。クリフォードにそこまで言われてしまっては、私も引かざるを得ないな」


 握られていたフォークが、あっさりと机の上へ置かれた。


 辺りの空気が、ほんの少し緩む。

 クリフォードも、眉間の皺を僅かに緩め、警察官達へ目配せをした。ラヴを連れて行くべく、手筈通りに動き始める。


「すまなかったね、ティム。怖い思いをさせてしまって。もう大丈夫だよ。さぁ、ゆっくり息を吐いてごらん。焦らなくていい。そう、いい子だ」


 クリフォード達を尻目に、ラヴはティムの胸元を優しく撫でた。

 先程までティムの命を脅かしていた当人だとは思えぬ所業に、クリフォードは顔を顰める。けれど口を出さず、油断なく見張りを続けた。


 段々と、ティムの呼吸が落ち着いてきた。

 涙や涎でぐちゃぐちゃとなった顔を、ラヴはワンピースの裾で拭ってやる。



 そんな彼女を、ティムはじっと見つめた。



「ん? どうしたんだい、ティム」

「……ラ、ラヴざんはぁ……っ」


 ヒクリと喉を痙攣させ、ティムは一つ鼻を啜る。


「い、いっだい、何者、なんでず、がぁ……っ?」

「何者か、か。難しい質問だね」


 未だ涙の滲むティムの目元を拭ってやり、ラヴは微笑んだ。




「まぁ、そうだな。強いて言えば――犯罪者、かな」




 赤い唇が、恐ろしい言葉を形取った。



「殺人教唆の罪で、服役中のね」



 ふふ、と喉を鳴らし、凍り付くティムの頬を、楽しげに撫でる。



「楽しみに待っているよ、ティム。君が私の監房へやってくる日をね」



 そして首を伸ばし、まるで印を付けるかのように、ティムの額へ口付けを落とした。


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