幽霊オネェが悪役令嬢に教える平民の極意

沢渡夜深

1.悪役令嬢であって悪役令嬢ではない







 ---アタシは夢でも見ているのかしら。


 まずアタシが行ったのは、"これは夢なのか"という確認からであった。結果、これは夢ではないと自己判断を下す。

 そして次に現状について把握する事にする。グルリ、と辺りを見渡してみると、質素なキングベッドとアンティークな机、クローゼット、そして豪華な事にシャンデリアが目に映るは映る。とても眩し過ぎて目を開けられたものでは無いわ。

 ……さて、これだけで、今アタシが何処にいるのかも大体予想がついた。そして、今自分が置かれている状況も何となく察する事が出来る。


 ---問題は、ここからよね。


 そう、正直言って今の部屋のくだらない感想はどうでもいい・・・・・・

 問題は、この現状をどうやって打破するかだ。……何を、打破するのかって?

 ああ、言ってなかったわね。それとも、無意識に現実逃避でもしちゃったのかしら。


 (……はぁ)


 アタシは恐る恐る、といった風に、顔を前へと向ける。今のアタシはとても面倒臭そうな顔をしていることであろう。それか嫌な展開を悟って顰めっ面になっているのか。

 ……まぁ、これは顔が顰めっ面になっても、現実逃避しても別に咎められないであろう。

 だって、それ程衝撃的だったのだから。


 「……ひ、う」


 私の視界に再度映る、美しい少女・・・・・

 照り輝く銀世界のような銀髪をダウンスタイルに編み込みをした腰まで届くハーフアップ。海底の底まで透き通るかのような美しさを誇る碧眼。その華奢な体は、強く抱き締めればポッキリと折れてしまいそうだ。雪のように白い肌も尚その美麗を引き立たせている。

 その美少女は、何とも見苦しい事に尻餅をついて、アタシを見て口をパクパクとしている。時折、か細い悲鳴が聞こえたのは気の所為ではなかったようだ。


 (……はぁ)


 アタシはまた心の中で溜息を吐いて、こう吐き捨てる。


 『---クソッタレ』


 妙にアタシの声が反響しているのに気づいて、アタシはまた現実逃避をしかけてしまった。





*****





 自己紹介をしておきましょう。


 アタシの名前は『伊神いがみ 嗣郎しろう』。今年で二十五になる筈だった、しがない販売店員のである。趣味、家族構成はまぁどうでもいいとして。

 アタシがここに来る前までの記憶は、確か立て篭り事件に不運な事に遭遇して、そして激情した犯人に腹をぶっ刺されて……と、ここまでしか覚えていない。凄く痛かったのは覚えている。


 (取り敢えず、犯人を刺激したあのクソ男は許さない)


 犯人に正義感たっぷりの言葉を投げかけ続け、結果犯人の機嫌を損ねたあの正義感(笑)男は来世でも一生呪ってやるわ。その男を庇ったアタシもアタシだけど。

 ……来世でふと思った。ここがその来世でいいのだろうか?---否、絶対に認めない。


 (だって何かアタシ透けてるし)


 未だに怯えている彼女に向けて手を翳してみる。すると、なんとアタシの手を貫通して彼女の顔が浮かんでくるではないか。

 ……つまりこれは、あれよ。


 (幽霊って事ね)


 浮かんできた解答に、凄く腑に落ちた。……と同時に、これは彼女が怯えてしまうのも無理はないと考えを改める。目の前に幽霊が現れたら、さすがのアタシも驚いちゃうもの。


 (まぁ、今度はその彼女についてなんだけど……)


 アタシの頭を悩ませる原因は他にもある。それは、目の前の彼女だって例外ではないのだ。

 簡単に言えば、アタシは彼女を凄く見た事がある。そして、この展開ももの凄く見たことがある。もう本当に、既視感やら懐かしみとかそんなものを感じてしまう。そのくらいにアタシは彼女の事を良く知っているし、このあと起こる展開も何となく分かる。


 『んー……』


 それを踏まえてどうしようかと模索したのも数秒。ある程度算段をつけて、アタシは早速行動して取り掛かることにした。

 まずは、彼女に敵ではないということを教えないとね。だからアタシは、彼女に声をかけようと近づく。


 『ねぇ、ちょっと---逃げないでくれる?』


 「う、うえええ、ええあああああッッ!!」


 『落ち着きなさいよ』


 しかしアタシが近づくと、連動しているかのように彼女が後退りするのだ。おまけに奇声も上げて。

 あれ、アタシが知っている彼女と全然違う、と拍子抜けしたが、目の前に幽霊が現れたらさすがにそうなるか、と無理矢理納得する。


 『ねぇ』


 「こ、こないでぇ……!」


 『ちょっと』


 「いやぁ……!」


 『…………』


 その点もふまえて彼女を宥めようとしたが、それは逆効果だったらしい。私が声を発すると、彼女は情けなく泣き言を吐き続ける。

 ---あー、面倒臭いわ。

 アタシはこんな風にいじいじとしている子が苦手だった。それを通り越して嫌いと言ってもいい。

 惨めに弱音を吐く男も大嫌いだけど……こういう女も同等に嫌いよ。

 だから感情が昂りがち。


 『---面倒臭いわね!貴族の令嬢が、そんないじいじいじいじ泣いてんじゃないわよ!シルヴァディ・テンペスタ!』


 だから少し声が荒くなっても、うっかりしてしまっても咎められないでしょう?


 私が発した言葉が引き金となり、部屋はガラスが割れた後のように静寂に包まれる。目の前の彼女---シルヴァディちゃんは茫然とアタシを見詰めている。次第にその言葉の意味が分かったのか、シルヴァディちゃんは徐々に顔を青ざめて「どうして、私の、」と小さな悲鳴をあげた。


 『………………あー』


 改めて先程の言葉を思い出すと、自分がいかにうっかりさんなのかが分かる。これはアタシの悪い癖ね。直そうとは思っているのだけれど。

 直ぐに弁解しようとしたが、止めた。それだと尚面倒臭そうになるし、後々バレた時に変な空気になるのは目に見えている。

 なら、ここで吹っ切れた方が良さそう。そう判断を下したアタシは、高圧的な態度で彼女を見下ろす。


 『いい、シルヴァディ・テンペスタ。---今から話す事は他言無用、そしてその話を全て信じるというのなら、アタシは全てを語るわ』


 いいわね?と問うと、シルヴァディちゃんは泣きながらもコクコクと頷いた。

 別に脅しているわけではないのは分かってほしい。ただこういう態度になってしまうだけよ。


 (さて……と)


 浮き彫りにある記憶を少しずつ組み立てながら、アタシは順次に彼女に関するもの、全てを語り始めた。



✽✽✽




 ーーー乙女ゲーム、というものをご存知だろうか。

 典型的なもので言えば、特に何も特徴も魅力もない少女に取り巻く、数々の男達……つまり攻略対象達が、少女と過ごしていく内にその少女に恋惹かれ、添い遂げる。様々なシリアスなエピソードを抱えている攻略対象達、その辛い過去を少女が優しく包み込み、さらに攻略対象達を虜にさせていく。最終的に互いが幸せになり、何からの形でハッピーエンドを得る。ーーーそれが、典型的な乙女ゲームだ。それ以外に何があるのだ、と声高にして言われると思うが。

 何からの形で乙女ゲームという言葉は耳に入っているであろう。ーーーならば、『悪役令嬢』という言葉は、どうか。

 また例を上げるとするならば、普通の平民の少女と、名高い貴族王子。そんな彼らが頻繁に会う、その光景に嫉妬して、少女を虐げる存在ーーーもっと言ってしまえば、少女と王子達の恋を成就させる『踏み台』である。そんな可哀想な存在なのが、悪役令嬢だ。

 少女を徹底的に虐げるのであまり好感が持てない存在であり、一部からは「いらない」と声を大きく言われる悪役令嬢。


 『---それが、貴方よ。シルヴァディちゃん』


 「………………」


 絶句。その一言に尽きるであろう。

 目線を合わせて座ったものはいいものの、最初彼女は目線すら合わせてくれなかった。そんな彼女が信じられないような目でアタシを見詰めるんだから、それ程動揺しているのでしょうね。


 「……色々と問い質したい所は多々ありますが、どうしてわたくしが、悪役令嬢?なんてものに……?」


 『それが設定だからかしら』


 客観的に見るアタシはそう言うしかなかった。その乙女ゲームを作るのも、物語を決めるのも、どんなキャラクターで行くのも、全て作者の趣向で決まる。一ゲームプレイヤーに全てが分かる筈がない。

 「設定……?」と疑問符を浮かべている少女、シルヴァディ・テンペスタは、悪役令嬢である。先程の情けない姿で信じられないとは思うだろうが、本当に彼女は主人公を虐げる悪役令嬢なのである。それは間違いない。


 『で、貴方の事を知っていた理由だけれど、まぁ概ね察する通り、アタシは貴方が登場するゲームをたまたまやっていて、それで貴方の事を知っていたのよ』


 「……そのゲームの詳細を詳しく聞きたいわね」


 言われなくても、説明するつもりだった。

 アタシは修正しつつある記憶を引っ張り出しながら、シルヴァディちゃんにそのゲームの事を事細かく説明し始める。



 シルヴァディちゃんが悪役令嬢として登場するゲーム『俺を好きになって!』は、有名実況者が実況したことで、絶大的な人気を誇った乙女ゲームだ。ビジュアルやキャラクターデザイン、物語の構成など全てがプレイヤーの興味をそそり、さらにはどんな男女でも感動するというエピソードで、一世を風靡した伝説のゲームである。

 物語の概要は、一人の平民の魔法使いの少女が、貴族達が集まる学園に奇跡的に入学を果たす所から始まる。自分よりも勝る様々な令嬢に気落ちしたりネガティブになったりするが、持ち前の我慢強さと根気で乗り切ろうとする。その姿勢に、殆どのプレイヤーが好感を持った事であろう。

 だが現実は甘くない。何かと因縁をつけてくる令嬢がいたり、嫌がらせを受けたり、挙句の果てには殴られたり……酷いことをされる主人公に、五人の男達---つまり、攻略対象達が徐々に歩んでいくのだ。

 一人の男は、彼女の勇ましい姿に心打たれ。

 一人の男は、彼女の健気で優しい姿に恋焦がれ。

 一人の男は、彼女の美しい相貌に目を奪われ。

 一人の男は、彼女の諦めずに立ち向かう姿に見惚れ。

 一人の男は、彼女の儚げで清らかな魂に心を奪われる。

 この学園生活で彼女に恋した彼らが、様々な方法で彼女を救い、また彼女も彼らの力になるようにと、何度も立ち上がる。そんな彼らが奮闘する乙女ゲームが、『俺を好きになって!』だ。

 無論、アタシもプレイした。しかも全対象攻略、さらに隠しキャラや全エピソードを解放した後に出る秘蔵エピソードや設定も拝見済み。自慢顔してやるわ。


 「それ自慢できるのかしら……?」


 『うるさいわね。……話を戻すけど、その主人公にいちゃもんをつけた令嬢の一人に、シルヴァディちゃんも含まれているのよ』


 「---有り得ないわ……」


 淡々とアタシが説明していると、シルヴァディちゃんが速攻否定を断言してきた。


 『……その自信はどこからかしら?』


 「……自分の心からよ。---私は、そのような無礼な事はしないわ。天に誓ってでも言えますわよ」


 『……へぇ。先程あれだけピーピー小鳥のように泣いていたというのに』


 「あ、あれは忘れてくださいまし!」


 先刻のシルヴァディちゃんをからかい混じりに指摘すれば、シルヴァディちゃんは顔を真っ赤にしてムキになる。


 『また話がズレたわね。いちゃもんを付けた貴族の中に貴方も含まれてはいるのだけれど……ちょっとだけおかしいのよね』


 「……?」


 はいはい、と適当にあしらった後に、アタシは一つ補足を付け足した。それは恐らく、物語に関わる重大な設定……の仄めかしだとアタシは思っている。


 『アタシは全てのルートをクリアしたのだけれど……貴方が直接主人公を虐げるシーンはなかったのよ。全てのルートは間接的に手を下しただけで、正直言って悪役令嬢っぽくはないのよね、貴方』


 「!……ほ、ほら!やはり何かの間違いでしてよ!?この私がそんな下品な真似をする訳が……!」


 『いえ、作者が明言しているから。貴方が悪役令嬢だって』


 シルヴァディちゃんの心が折れた音がした。上げて落としてごめんなさいね。

 ただこの点、前世でアタシがプレイした時に一番疑問だったところである。全てのルートをプレイした生粋のプレイヤーなら気づいたと思うが、シルヴァディちゃんが直接主人公に手を出すのは……ハッキリ言って、0に等しい。一度だって見たことが無い。

 なら何故、彼女が悪役令嬢だと言えるのか。---それは、主人公を虐げてきた令嬢を牛耳ってきたのが、シルヴァディちゃんだからである。


 ここでシルヴァディちゃんの設定を確認しておきましょう。

 シルヴァディちゃんはとても自信家で、我慢強く、威圧的な態度が特徴。容姿端麗、才色兼備、文武両道、全てを兼ね揃えた正に完璧なるお姫様。

 しかし難なのが、誰に対しても高圧的で、蔑ろの部分があるところ。それで結構攻略対象達からは嫌悪の目を向けられていた。そんな正に悪役に相応しい設定なのである。

 ---しかし、こんな設定なのに、彼女の最後はとても呆気ないものであった。


 『……ここからはネタバレになるのだけれどねぇ。貴方が望むならそのまま続けるけど、どうする?』


 一度ここで切って、アタシは彼女に問うた。

 彼女は顔を固くしているが、意を決してアタシに「……お願い致します」と促す。

 やはり度胸があるわね。そこだけを改めて感心したアタシは、そのまま---物語の終盤を彼女に明かす。



✽✽✽





 シルヴァディちゃんの最後は、とても呆気ないものだ。

 何故なら彼女は、誰にも手を差し伸べられずに、孤独に散っていくのだから。




 何回も、全ての攻略対象達をクリアする為にプレイすることで、シルヴァディちゃんの最後が固定だというのが判明された。

 そのシルヴァディちゃんの最後は---『断罪』である。

 最早、乙女ゲームとしては定番と化した『断罪』。それのせいで、シルヴァディちゃんは惨めに散っていく。


 何故シルヴァディちゃんが断罪される事になるのか。

 簡単な話だ。……シルヴァディちゃんが直々に命じたであろう令嬢が告発したからである。「私は悪くない」と、「悪いのは全てあの女だ」と。そんな事を彼女らは口々に叫んだのだ。

 その彼女達の証言によって、攻略対象達はシルヴァディちゃんを断罪。国外追放で平民生活を送る……らしい。追放された後の話は、さすがにアタシにも分からない。

 だが、これだけで彼女の最後が呆気ないものか、理解したでしょう?

 告発されて、あっさりバレて、有無を言わさずに断罪され、貴族の名を下ろされる--これ程滑稽な事この上ないわ。


 (でも、本当にこれで終わるのか?)


 だけど、アタシは腑に落ちなかった。

 悪役令嬢は、ハッピーエンドを迎える上での通ざるを得ない難関……謂わばラスボスだ。そんな存在が、こんなにもあっさりと終わっていいものなのだろうか。


 (絶対何かある)


 そう確信を持って、秘蔵エピソードや設定を目指していたのだけれど……結果は惨敗。「悪役令嬢はそのまま平民で苦労して暮らしている」という要らない情報だけであった。


 (……つまり、作者にも愛されていない存在ってわけね)


 あっさりと途中退場した、哀れで可哀想なお嬢さま。

 それがアタシの、シルヴァディちゃんに対しての、最後の感想であった。



 『---と、いうことね』


 ふぅ、ちょっと思い出すのに苦労したから疲れたわ。記憶の奥底から無理矢理引き摺り出すのは、案外体力を使うものね。

 少しだけ肩の力を抜いて、シルヴァディちゃんを見た。シルヴァディちゃんは話の途中から顔を俯かせていて、表情が読めなくなっていた。

 何を考えているのかは知らない。読む気にもならないけど。


 (現実でも受け止められないのかしらね)


 魔法が盛んであるこの世界も、さすがにこんな非常識な事は受け止められないか。


 「…………」


 頭を休ませようと頭を真っ白にした時に、シルヴァディちゃんは肩を震わせる。そして、震える唇で、アタシにこう聞いてきた。


 「……主人公や、攻略対象の方々の事を、教えて、くれませんか……?名前だけで、結構ですので……」


 『…………』


 彼女の問いに、アタシは一瞬の間が落ちた後に答える。


 『主人公の名前はアリシャ・クーディル。攻略対象達の名前は、ケイン・バスティーユ。オルコット・フデュリ。ジカルデ・ドゥーム。イザベラ・パラメトロン。……アウルム・テンペスタ』


 「!」


 最後の名前に、シルヴァディちゃんは息を呑む。


 「……断罪されるのはいつか、分かりますか?」


 『断罪は十五の冬頃の弥生四日。ケインの婚約パーティで、貴族令嬢の面前で暴露されるわ』


 「……お時間は」


 『夜ね』


 「私を断罪する人は」


 『ルートによっては違うけれど、攻略対象達よ』


 「……味方は、いないんでしたのよね」


 『いないわね』


 「……じゃあ」




 「おにいさまも?」


 『敵になるわ』


 断言する。

 彼女が淡い希望を抱かないように、真実だけを伝える。

 嘘をついてしまえば、絶望のドン底に突き落とされるのは彼女だ。アタシはそこまで非常ではない。

 真実であれば肯定、でなければ否定。

 ---それが、アタシの仕事。


 「じゃあ、」


 アタシの即答に、彼女は顔を上げた。

 クシャクシャになった銀髪を整えもせずに、輝きを喪失しつつある紺青の瞳から、ボロボロとみっともなく涙を流している彼女は、悟ったように零す。


 「おにいさまは、わたくしを、たすけてくれないのね?」


 肯定する。


 「だれも、おとうさまも、おかあさまも、わたくしを……しんじてくれなかったのね?」


 肯定する。


 「遊戯のせかいのわたくしは……抵抗、したのよね、?」


 否定する。


 「……あ、きらめたの、ね」


 肯定する。


 「……そう、なの」



 「じゃあ、その話は、ほんとうなのね」


 『……?』


 彼女の諦めたような声色と言葉に、アタシは首を縦に振ることも横に振ることも出来なかった。

 本当?今まで信じていなかったのか。では何故、今になって?

 脳内では分かり切っている答え。しかしアタシはそれが瞬時に思い付かなかった。


 「教えてあげるわ」


 涙を拭いもせずに、シルヴァディちゃんは茫然自失でアタシに言う。


 「今の私は齢十五歳。そして、昨日----私は、大衆の面前で、断罪されましたわ」


 『…………は?』


 何を言っているのか分からず、思わず聞き返してしまう。

 既に断罪された?それも、昨日?え、ちょっと待って、自分の頭も混乱している。少しだけ整理させて欲しい。

 えっと、シルヴァディちゃんは既に断罪されていて……。それで、アタシの話と一致するから、アタシの奇想天外な話を信じたと。まぁ要約するとこうよね。うん。

 ……あれ?


 (物語、終わった……?)


 『私を好きになって!』のエンディングは、大体悪役令嬢の断罪の後に幸せなハッピーエンドを迎えて幕を下ろす。

 つまり彼女の話が本当だとしたら---もう既に、物語は終わっているということになる。

 ……あれ、じゃあアタシ、何でここにいるのかしら。


 『普通こういうのって、悪役令嬢を悪に導かない為に軌道を変えるんじゃないの……?』


 正しくは悪役令嬢に転生してフラグをへし折るが正解だが。

 しかし大体のものがそういうものだから、今回もそうだとは思っていた。

 ならアタシは何故ここにいる。アタシは一体彼女に何をしてあげればいいの……??断罪されたのならもう時既に遅しだし、このまま平民暮らしをするしかない……。


 『……』


 チラリ、と未だに泣いているシルヴァディちゃんを一瞥する。

 もう一度言うが、シルヴァディちゃんは高圧的な態度が難で、とても自信家である。しかも彼女は大罪を犯した犯罪者。勿論評判は最悪。

 そんな子が、平民の世界に行っても幸せになれるのか……否、なれないであろう。最悪の場合糾弾される。

 ゲームでは「苦しみながらも生活を続けている」とあったから、このまま進んでも彼女に幸せは訪れてこない。せっせと慣れない仕事を終えて、泥のように眠る汚い生活が待っていることだろう。そもそもゲームの世界の彼女は家を持っていたかすら怪しい。ご貴族生活に慣れてしまって家の購入(借りる)することすら出来ていなかったかもしれない。




 ……なるほど、これがアタシの役目か。




 (本当に神がそれを見越してアタシをここに呼んだのかは知らないけれど)


 自信を持って罪を否定した彼女の顔が忘れられない。己の全てを信じ、アタシに断言したあの勇ましい姿は、断罪されたとはいえとても逞しかった。

 ---前のアタシは、彼女が悪なのかどうか決める事は出来なかった。

 だけど、今は違う。彼女は目の前で、命の灯火を燃やし続けている。


 『……シルヴァディちゃん。貴方は本当にやっていないのよね?アリシャちゃんを虐げるよう命令はしていないのよね?』


 「ッしていないって言っているでしょう!?貴方も、私の話を信じてくれないの!?私はそんな不躾な真似は絶対にしませんわ!人間としての矜恃を貶めるような真似、私が、するはずがぁ……!!」


 アタシの問いかけに激昴して必死に弁明するも、次第に尻窄みして、また大粒の涙を流す。



 ……ああ、信じるしかないわね。



 アタシは、シルヴァディちゃんの涙を見て、決意した。

 涙を拭う彼女に、アタシは目線を合わせるために跪く。そして、彼女の頬に手を合わせた。

 霊体であるアタシは、彼女に触れる事は出来ない。だけどキョトンとしている彼女は、アタシの手に触れるように手を乗せてくる。

 それがとても可愛らしくって笑みを零した。その笑みを向けて、アタシは彼女に伝える。


 『シルヴァディちゃん。良く聞いて頂戴。正直言って、貴方が何をしようと貴族に戻るのは難しい立場にある……たとえ貴方が、無実だとしても』


 「ッな、んで……ぇ!?」


 『それほど迄に戻れない程に堕ちてしまったのよ、貴方は。だから貴族に返り咲くのは……ハッキリ言って、諦めた方がいいわ』


 キッパリと言うと、また彼女の瞳が大きく揺らいだので、アタシは強めに『でも』と続ける。


 『何も貴方の幸せは、貴族の生活だけじゃないじゃない。これから送ることになる平民生活でも、きっと幸せは訪れるわ』


 「……無理、絶対無理よ、平民なんて、上っ面の言葉だけを信じて、私の言葉に耳を貸してくれないに違いないわ……!」


 『そんな平民、無視ちゃえばいいのよ。言わせておけばいいわ』


 「……」


 沈黙した彼女に、アタシは構わず続ける。


 『大丈夫、貴方は一人で行くんじゃない。アタシがいるわ。辛い時はアタシが寄り添ってあげる。寂しい時はアタシが手を握ってあげる。……大丈夫、一人じゃない』


 「…………」


 『貴方の言葉は、アタシが聞いているわ』


 「……ふ、ぅ」


 『無実なら、自信を持ってそう言いなさい---きっと、耳を傾けてくれる人はいる』


 「……ぅ、ううう……!」


 ボロボロと彼女の衣服を濡らしていく涙。それをアタシの手で拭う事が出来ないのがとても悔しい。

 これで少しは安心する事が出来たかしら。一人と二人じゃ違う事は、アタシが良く分かっている。

 ……問題は、ここからね。


 『……話は変わるけれど、貴方が貴族に戻る事はまず有り得ない。だから貴方は、平民の生活に慣れなければならないわ』


 「…………」


 不安そうな顔でアタシを見つめてくるシルヴァディちゃん。大丈夫、大丈夫と言いながらアタシは彼女の頭に手を置き、続けた。


 『その為に、アタシがいるんだから』


 「……?」


 『アタシ、元は平民なのよ?』


 得意げに笑いながら暴露すると同時に、アタシは高らかに、今のアタシの役割を宣言した。



 『だからアタシが、貴方を幸せにする為に平民の生活を教えてあげるわ!』



 「…………え?」


 それが、アタシの出来ること。

 前のアタシには出来なくて、今のアタシに出来る最低限度の手助け。

 大丈夫、シルヴァディちゃん。


 貴方を一人にもしないし、貴方を不幸になんてしないから。


 『だから安心して、アタシに身を預けなさい!』


 そう言うと、彼女の碧眼から、ボロボロと湧き出る泉のように、また涙が零れ始めた。

 しかしその涙は、この後に起こる不安や恐怖に押しつぶされるようなものではなく、安堵と嬉しさが込み上げてきた、とても綺麗な涙であった。





***






 「シルヴァディ・テンペスタ。大罪を犯した君を、平民街へ追放する」


 突然言われたその宣告に、最初は彼が何を言っているのか、分からなかった。







 明日の稽古はどうしようかと考えていた私に、突然ケイン様から手紙が届いた。何だろう、と内容を確かめると、それはケイン様の婚約パーティの招待状であった。

 最近仲睦まじく交流しているアリシャとかいう女の子と婚約するのかしらと思ったら、案の定招待状の内容にはそうしっかりと書かれている。

 ---あの二人、付き合っていたのね。

 今更ながらに私は彼らの関係に気付く。それ以前に、私は全然彼らの事の興味が無かった。たまたますれ違う時に挨拶と少しぐらいの世間話を交わすだけで、そこまで彼らとの交流は深くない。だからアタシは、彼らが付き合っている、しかも婚約するという事実を今初めて知ったのである。


 (仲が良いとは思っていたけれど、もうそこまで行っていたなんてね……)


 置いてけぼりを食らった気分だ。自分も信頼出来るパートナーを見つけなければ、またお母様達にどやされてしまう。それだけは絶対に回避したい。


 「パーティは明日の夜か……結構急ね。支度、間に合うかしら」


 まぁ、皆もこの手紙に目を通しているだろうし、大丈夫であろう。

 皆……その単語に、私の気分はドン、と落ちる。

 最近、屋敷の者達が私の事を遠目で見てい。私の専属メイドで、小さい頃から付き添っていた彼女も、何処か距離を置いている。廊下を歩けばメイド達はヒソヒソと私を見て何かを呟いたり、私が話しかけようとすると露骨に嫌がる……そんな日々が、ここ最近ずっと続いていた。

 確かに私は少し言葉が強い事があるけれど、そこまで彼らに悪い事をした覚えはない。何度考えたって、彼らに悪い気分を与えた記憶は全くない。


 (お母様達も、普段でも当たりが強いというのに、最近はもっと強くなってきている……)


 身に覚えのない説教や嫌味を受け続ける私の身にも、なってほしい。だけど私はお母様の世話になっているのだから、逆らう事は出来ない。


 (それに、お兄様も……)


 一番変わったのは、一つ上の唯一の兄であった。

 昔は私に優しく微笑んでくれたお兄様。だけど、今では何処か作りもののような笑みを、私に向けてくる。まるで「お前はこれで満足なのだろう?」と仕方なく見せられているみたいで、とても辛かった。


 (……仲直り、出来ますわよね?)


 そんな不安が来るが、直ぐに私はフルフルとその不安を打ち消した。

 駄目よ、弱気になってはダメ。それでは実現出来るものが、実現出来なくなってしまうわ。

 絶対に理由を聞いて、そして私の至らぬ点を直して、仲直りするの。それが私の、一番の目的。


 「……まぁ、その前にまず、彼らを祝福しなくてはね」


 また手紙の内容に目を落とした私は、その手紙を壊れ物を扱うかのように机の上に置いて、クローゼットを開く。

 明日はおめでたい日だから、桃色のドレスでも着てみましょうか。ああ、花束も用意しましょうか。アリシャという方の黒髪はとても美しいから、それに映える純白の花束が良いでしょう。……でも今注文しても間に合うかしら?


 (あ、いいえ。花束が間に合わないのなら、ブローチを差し上げましょう)


 そうして私は、徐に机の引き出しを開ける。そこには手のひらサイズのケースが置かれていた。私はそのケースを手に取り、開ける。

 そこにはバラをモチーフをした、純白のブローチが鎮座していた。これは、私が昔一度内緒で街に行った時に、私のお小遣い全財産を叩いて買った、思い出の品。

 平民の街へ初めて行った時の、大切な品物。とても綺麗で勿体なくて、ずっと机の中に仕舞っていた。


 (平民の街へ行くことはもう出来ない。そう考えると名残惜しいけど……)


 ---この子も、美しいお妃様に付けてもらいたいものね。

 そっと私はブローチを撫で、額を合わせる。本来ならば冷たい感触が伝わるのだが、とても心が温まる感触が、直に伝わった。


 「喜んでいるのかしら……あ、そうだ」


 その時、私は名案を思いついた。これは我ながら良い案だと自負する。

 自分の手でブローチを覆い、その隙間から、息を吹きかけるように私は唱う。


 「《どうか汝に、幸せあれ》」


 すると、ブローチは真っ白な霧に包まれた。やがて霧は拡散し、先程までと大して変わらないブローチが現れる。しかしブローチの様子を見ると、ブローチはキラキラと輝きを一層増していた。

 この国の、誰もが持つ偉大なる力「魔法」を、私はこのブローチにかけたのだ。アリシャ様が、これからも幸せになる魔法を。

 よし、これでプレゼントも完璧。後は明日に備えてのドレス決めに、メイク、髪型……ああ、決める事が多すぎるわ。

 明日の事が楽しみ過ぎて、今日が寝られるのか心配。寝不足は乙女の天敵だもの。

 


 ---そんな風に、浮かれてパーティの準備を進めていたような、気がする。








 「君は、私の大切な人、アリシャを虐げるよう他の令嬢に命じた張本人だと聞く」


 何を言っているの、ケイン様は。


 「何という不届き者が。アリシャに嫉妬でもしたのか?」


 どうしてそんな目で見るの、オルコット様は。


 「アリシャが可哀想だよ、謝って」


 何を謝ればいいの、イザベラ様。


 「まさかこんな有名人様が黒幕とは……世の中も腐ったものだね」


 黒幕って、どういうことなのよ、ジガルデ様。


 「…………お前には、失望したよ、シルヴァディ」


 アウルム、兄様……?

 茫然と目の前のお兄様を見上げた刹那、パチィ!と甲高い音と共に、私の頬が熱を帯びる。

 叩かれたのだ、お兄様に。その事実に気づくのはとても遅く、私はその頬に手を添えながら、またお兄様を見た。そして、後悔した。

 昔のお兄様はとても優しい目をしていた。でも、今は---私を、異常と見るような、冷徹な瞳。最早人間だとは思っていない、非常な瞳を、私に向けていた。


 「謝れ、アリシャちゃんに」


 そうだ、そうだと周りが同調する。

 私はそれに、尚更困惑した。何を謝れというの、彼女に。私が何をしたというの?

 ……そういえばケイン様は、「アリシャ様を虐げるよう命じた張本人」と言っていた。まさか、それが原因?


 「ま、待ってくださいまし!何か、何か誤解が生じています!どうか私の話を」


 「話など聞くまでもない」


 私の声は、届かなかった。ケイン様は私の言葉を、ばっさりと切り捨ててしまった。

 何で、話を聞いてください。それは全くの誤解。誤解なんです。


 「私はアリシャ様を虐げるような、そんな真似は---!!」


 「穢らわしい声でアリシャの名を口にするな!証言は既に上がっている、お前はもう、何処にも逃げる事は出来ない!」


 「証言、……?」


 繰り返しその言葉を口にした矢先、「そうですわ!」と三人の令嬢が姿を現した。三人の令嬢は、私を親の仇でも見るかのような目で私を睨み、声高らかに言う。


 「私達は、そこのシルヴァディ・テンペスタに、アリシャ様を虐げるよう脅されたのですわ!」


 「---何を言っているの、そんな覚え、私には全くありません!」


 「まぁ、嘘をおつきになられるなんて、何と愚かな女でしょう!」


 慌てて反論するも、相手は逆に私を煽り返す。

 何だ、その証言は。そもそもの話、私はあんな令嬢なんて知らないし、会ったことも無い。---つまり、濡れ衣を今、私は着せられているということか?


 それを彼らは、易々と信じているのか---?


 「……私は、やっていません。本当にやっていませんのよ!あちらの令嬢も知りませんし、そもそもアリシャ様とは一言二言交わしただけ!……ねぇ、アリシャ様は、信じてくれますわよね……?」


 藁にもすがる思いで、私はケイン様の背に隠れているアリシャ様を見た。

 私が名を口にした時、ビクリ、とアリシャ様の肩が震える。そして、そっとケイン様の背中から、顔をはみ出させた。


 「---」


 そして私は、目を見開いた。

 ケイン様の背に隠れていた、アリシャ様。そのアリシャが私に向ける瞳は---『困惑』の色。

 恐怖でもない、怯えでもない、困惑の表情に、私は天から落とされるような感覚を覚えた。

 ……アリシャ様も、私を信じてくれないの?

 アリシャ様の困惑は、恐らく私が声をかけたから。突然の私の縋る声に、反応が出来なかったのであろう。


 「……うそ、よ。なんで、アリシャさまも……」


 誰も信じてくれない。誰も私を見てくれない。

 皆が皆、私を罪人として見つめてくる。突き刺さる視線は、私の身を削り取り、すり減らしていく。


 「…………だまそうと、しているのよね。ねぇ、そうよね?」


 そんな事ないと頭で分かっていても、私はそう解釈するしか無かった。

 一歩、私はアリシャ様に向かって歩み寄る。


 「全く、おひとが悪い人たち。さすがにわたくしも、肝がひえますわよ」


 アウルム兄様を押し退けて、一歩一歩、覚束無い足取りでアリシャ様に近づく。

 アリシャ様が下がる様子はない。


 「ああ、実は婚約祝いに、ぶろーちを持ってきたの。しあわせのまほうがかけられた、わたくしの大切なものよ」


 ブローチを取り出して、ゆっくりとアリシャ様に近づく。

 アリシャ様は下がらない。それどころか、身を乗り出して私に足を向けた。


 「シルヴァディ様---」


 アリシャ様がか細い声で、私の名を呼ぶ。それに私は、ホッと安堵を息を吐いた。

 やっぱり皆、私を騙そうとしたのだと、そんな安心によって肩の力を抜いた---刹那。



 バキィ!と、手の中にあったブローチが、粉々に砕かれた。


 「ぇ」


 ブローチはポロポロと、見る影もなく私の手から零れ落ちる。バラの装飾も無残な姿にされ、足元に音を立てながら落ちた。


 「全く、考えたものね」


 声が横から聞こえ、私は無意識にそちらの方を向く。そこには金髪の縦ロールをした令嬢が、私を忌々しく睥睨していた。

 彼女は舌を打ちそうな勢いで吐き捨てる。


 「これでアリシャを油断させて襲ってやろうって魂胆かしら?ハッ、さすが黒幕さんは考える事が卑怯ね」


 「……何を、言って」


 「メイルランド、離れた方がいい。もしかしたらそのアクセサリ、呪いの魔法がかけられている可能性がある」


 私の言葉を遮るように、縦ロールの令嬢の後ろから、また知らない青髪の令嬢が現れる。

 縦ロールの令嬢は「ああ、それもそうね」と私のブローチから離れた。


 「……貴方の考えている事は全てお見通し。あまり、私達を嘗めないで」


 青髪の令嬢が、キッと睨む。それに伴って、周りの目がキツくなる。

 でもそんなものが気にならなくなるほど、私は粉々に砕かれたブローチに釘付けになっていた。

 もう欠片しか残っていない、私の大切なブローチ。アリシャ様の幸せを願ってかけた魔法が、静かに拡散していく。


 「………………な、んで」


 私が一体何をしたんだ。


 「なんで、なんでなのよぉ……」


 神はそこまで、私の事が嫌いか。


 「…………ぁ、あああああ……!!」







 私は勘当となった。

 どうやら親は私の噂を知っていたらしい。だから私への当たりが強くなっていたらしい。

 メイドもお兄様も皆、私の噂を聞いたから、あの態度になったのであろう。



 あの夜会の後、どうやって帰ったのか分からない。

 気がつけば、泥にまみれたドレスのままベッドに倒れ込んでいた。体が鉛のように重く起きるのに億劫だったが、この体の汚れだけは流したく、渋々起き上がる。そして体の汚れを流した後に---親から直々に、勘当を言い渡された。

 今日中に荷物をまとめて、出ていけらしい。ああ、笑ってしまう。それに素直に従う私も、笑ってしまう。

 最小限の着替えとその他、そしてお金を鞄に詰め込んだ私は、扉の前で膝を折った。


 (…………)


 何も考えたくない。もう何も見たくない。そんな思いで、私は顔を膝に埋める。

 とても静かだった。部屋の前からはメイドが忙しなく動き回る音も、何も聞こえない。誰も、この部屋を通らない。それが無性にも寂しく感じ、私はつい泣きたくなる気持ちになる。

 ……泣いてもいいのよね、こんな時くらい。

 いっぱい泣けば、自分の気持ちを変えることが出来るかもしれない。そう思って私は涙を一粒だけ零した---その時だった。



 『---何してんのよあの馬鹿ぁああ!?』



 突然の怒号に、私は思わず顔を上げた。すると、信じられない光景が広がっており、出掛けていた涙も引っ込んだ。

 本来なら、私の部屋は誰もいないはずだ。動物も、鳥も、何もいなかったはずだ。

 ---なのに、私の目の前には、"いる"。


 『下手に犯人刺激するんじゃないわよ!阿呆なの!?これだから正義感だけで動く奴は!死ね!』


 変な口調でキレている透けた男が、いる。

 私より長い腰までの黒髪。服は平民が来てそうなみすぼらしい黒を基調とした服装。そんな平凡そうな男が、私の目の前で何故か怒っている。


 『……ん?』


 ふと、ずっと激怒していた透けている男が私を捉えた。それに私の声から小さな悲鳴が零れる。

 男は私を無遠慮にジロジロの見た後、辺りを見渡し始めた。そしてまた私を見て、大きく溜息を吐き、吐き捨てる。


 『クソッタレ』


 私の台詞よ。



***




 変な男は本当に変な男であった。

 彼が幽霊、という事実に怯えてしまった私であったが、それは彼が私の名を呼んだことで恐怖が霧散される。どうして彼は私の名前を知っているの?

 彼は気まづそうに困り顔を作ると、意を決して私にこう話した。


 『私は貴方を知っているわ。……ゲエムを通じてね』


 何を言っているのか全く分からない。

 しかし、この話を信じてくれれば全てを明かすと彼は言ったので、頑張って彼の話を理解しようと試みる。

 この世界が乙女ゲエムというものの世界だということ。その中で、私は悪役令嬢というものだということ。まず最初にそれだけを教えてくれた。

 悪役令嬢という言葉だけを捉えれば、そのまま「悪党のような令嬢」ということなのであろう。それが自分というのは全く気に食わない。そう反論したが、彼には「設定だから」とバッサリ切り捨てられてしまった。誠に不服である。

 その後も、こんな事を教えてくれた。


 その遊戯の私の事。そして---私の結末を。


 『断罪されるのよ、貴方の最後は』


 男は淡々と、まるで文章をそのまま読んでいるかのように棒読みで私に伝える。

 断罪---その言葉に既視感を覚えた私は、彼にその状況を事細かに説明するように促した。

 ---冬の弥生四日、十五歳。その時に私は婚約パーティに呼ばれ、断罪される---。言葉を一つ一つ噛み締めながら、彼は私に教えてくれる。


 (今の私は十五歳。昨日は弥生四日。婚約パーティに呼ばれて……)


 嫌な予感がする。絶対に聞いてはいけない質問を思いついてしまう。

 しかし私は、震えながらにもその質問を口にしていた。言わなければ、まだ私は生きていられたというのに。

 彼は素直に私の質問に答え、スラスラと人名・・を落としていく。


 『主人公の名前はアリシャ・クーディル。攻略対象達の名前は、ケイン・バスティーユ。オルコット・フデュリ。ジカルデ・ドゥーム。イザベラ・パラメトロン。---アウルム・テンペスタ』


 最後の人の名前を聞いた時、私の思考が凍りついた。

 アウルム・テンペスタ---私のお兄様の名前。私の唯一無二の兄であり、とても優しくしてくれた、憧れの存在。

 でもその憧れの存在は、とうの昔に消え去ってしまった、昨日のパーティで。

 ---そうか、私はお兄様に嫌われる運命だったのね。

 いえ、違うわ。



 運命が、私を嫌っていたのね。




 これでやっと確信が持てるようになった。彼の話を、信じてもいいかもしれないと思った。

 彼の話は、私がこれまで経験してきた事と一致する。信じてみるメリットはある。

 ---でも、彼を信じてどうなるの?

 これから私は、平民街へ追放される。そこで待っているのは私への侮蔑、嘲り、冷笑。つまり、私にとって辛い言葉が浴びせられるのは確実だ。

 平民は、身分が上のものの言葉を信じやすい。今では下手したら平民以下の私の言葉を、彼らは絶対に聞いてくれないであろう。


 (……ああ、怖い)


 体が震える。涙が毀れる。ポタ、ポタと、お気に入りのカーペットに水滴が染み渡る。

 世界の音が消える。私の口は何処か激しげに動かしているが、何を言っているのか私にも分からない。その激昴のようなものでさらに涙が溢れ、止まらなくなる。

 嫌だ、行きたくない、身を滅ぼしに行きたくない。

 皆信じてくれないのなら。皆が私の言葉に耳を傾けないと言うのなら---。


 『---聞いて、シルヴァディちゃん』


 最悪の言葉を吐き捨てようとしたその時、彼が私に声をかけてきた。音すらも遮断したはずなのに、それを突き破ってきた彼の声に、私は目を見開く。


 『シルヴァディちゃん、良く聞いて頂戴』


 そっと、私の頬に添えられた彼の手。体温なんて伝わらない、けれど、何処か暖かい。そんな不思議な気分に囚われ、私は無意識に彼の手に自身の手を重ねる。

 彼は優しい笑みで、私を刺激させない為に穏やかに言った。

 貴族に戻るのは難しいと。

 平民生活でも幸せは待っていると。

 自分が無実なら、堂々としていればよいと。

 ふざけるな、私の気持ちなんて分からないくせに、軽々しく言うな。そう激情して怒鳴りつけたかった。

 だけど、だけど。


 『貴方は、一人じゃないわ』


 私が、ついている。

 その一言で、私の涙腺が決壊した。ボロボロとみっともなく大粒の雨を流し、嗚咽を鳴らす。

 一人じゃない。その言葉がどれだけ嬉しいことか。濡れ衣を着せられて、皆に嫌われて、そして一人で追放されて。

 心細かったのだろう。そして、誰かに見つけて欲しかったのかもしれない。寂しさと絶望に塗れたこの私を、運命という牢獄に囚われていた私を、真実を知る者に見つけて欲しかったのかもしれない。

 待ち望んでいたのだ。ずっと、ずっと。

 浅はかでもいい。無防備だと注意されてもいい。

 でも、この時だけは。この言葉をかけられた時は。私を無実だと知っている者が現れた時は。



 『だから安心して、アタシに身を預けなさい!』




 私の感情を、自由にすることをお許しください。






 悲劇のヒロインには、必ず王子様が現れる。

 純白の馬に乗って爽快に現れる、格好良くて慈悲深い王子が、ヒロインに優しく手を差し伸べる。

 この先に、まだ見ぬ悲劇が彼らを襲うかもしれない。

 だけど彼らは立ち向かわなくてはならない。諸悪の根源にどんなに阻まれようとも、彼らは戦い続けなければならない。

 それは全て、来るべき未来のため。


 悲劇の悪役令嬢は、幸せを求めて。


 華麗なるオネェ王子は、そんな彼女を支える。





 これは、断罪の運命を辿った悪役令嬢を、幽霊となったオネェが幸せに導く、ハッピーエンドに向かう物語である。




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幽霊オネェが悪役令嬢に教える平民の極意 沢渡夜深 @sawatari_yami1212

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