石頭の竜と竜の歌

上屋/パイルバンカー串山

石頭の竜と竜の歌

 そこに黒き竜はいた。


 ふもとの村から鬱蒼としたあやかしの森を挟み、山間の平原。

 拳帝月、五月の新緑の芽が息吹く平原の真ん中に、人一人が暮らすのにちょうどいい規模の丸太小屋が建っていた。

 そしてその傍ら、すぐ横にそれはいた。


 丸太小屋に数倍する圧倒的巨体、超硬度を誇る黒曜の鱗、折り畳まれた翼が背に乗る。

 凝縮され形を持った夜の闇。そして、亀裂から見える地獄のように赤い、ただひたすらに忌まわしく紅い両眼。

 齢千年を超える竜が、やたら行儀良く小屋のそばで寝ていた。


 詳しいものがいるならば、この超竜の種族を「無明竜ホズル」と見抜くだろう。


「おとーさん! 行ってくるね!」


 小屋から飛び出た影が、元気よく叫ぶ。

 うつぶせに寝たまま、竜は視線を向けた。


「……ヒー、だからなぜ『おとーさん』なのだ? 我とお前には血縁は無い」


 もう何年も、何度も繰り返した問いを告げる。さながら、朝の挨拶のように。


「はいはい、人間は育てくれた相手を『おとーさん』か『おかーさん』って呼ぶってもう何年も言ってるじゃん。いいかげん慣れてよおとーさん!」


 太く長い首を垂らし、地につけた竜の頭は丸太小屋とほぼ同じ大きさだ。

 それほど驚異的かつ巨大な存在にも、小屋から出てきた人物、というか少女は動じない。

 むしろ深い親愛を抱いているようだった。


 短い赤毛と華奢な体躯。整った顔立ちだが、どこにでもいる十五才ほどの村娘と言った風体の少女、ヒー。彼女の腰には、小さなカバンがそよ風に揺れていた。


「それは『人』のルールだ。『竜』である我には適用されぬ」


 竜は最強にして、最も頑固な生き物だ。自らが定めたルールを死ぬまで変えることは無い。


「だったら名前ぐらい教えてよ、おとーさん! 一度も教えてくれないじゃん」


「竜の種族は軽々しく他種族に名を明かさん。特に人間などにはな。

そんなことよりもヒーよ。――――帰りはいつになるのだ?」


「もーおとーさんたら!」


 伸ばした右手で、竜の頬の辺りをぺしぺしとはたく。もしこの竜が怒れば、即座に灰さえ残さず消え去るだろうが、やはり彼女に恐怖はない。


「学校に行ってくるから帰りは夕方だって言ってるでしょ? 何回も言ってるんだからいいかげん覚えてよ」


「そこがせぬ。知識など我が教えてやろう。なぜ我のそばを離れる? 学校など行かなくても良いではないか」


「学校には学校でしか教われないことがあるの! それにおとーさんの教えることは竜族の文字とか巨獣の倒し方とか竜の魔術とかそんなんばっかじゃん! 竜の魔術なんて私が習っても使えないよ」


 都の魔術師なら垂涎の的である千年を超える竜の知識も、人間のただの少女に取っての実用的な知識には向かなかったようだ。


「我は竜である故に竜の教育をした。変わらぬのが竜の特徴であり生き様である」


 単純に、この竜がド不器用なだけの可能性もあるが。


「変わんないなー、おとーさん。そんなに寂しがらなくてもいいじゃない、どうせ夕方にはもどるんだから」


「……別に寂しがってなどしておらん。余計な勘違いはよせ」


 いつもの竜の反応に、ヒーはのどかに微笑む。


「帰りにアレをお土産にしてくるから、大人しく待っててね、おとーさん」


 ピクリと竜のまぶたが動く。


「ぬう、アレか。仕方ない、早く帰ってくるのだぞ、ヒー」




 ふもとの村へ行くヒーを見送ってから、数時間が過ぎた。まだ太陽は空の中央には差し掛からず、涼やかな若草香りが竜の鼻腔を撫でる。


――……十三年か。


 思い出す。ヒーと出会ったのはちょうど十三年前のこんな日だった。

 行き倒れた旅人の女。その胸の下で泣く幼子。

 その声を今でもはっきりと思い出せる。

 超長命の竜にとって、十三年などわずかな時だ。



「ちょっと、生きてんのデクノボウ?」


 投げかけられる女の声、山々を眺めていた視線を下に下ろす。


「ルーメか、何のようだ?」


 声の主は妙齢な美女だった。

 男を誘う熱き瞳、うねるように伸びる黒髪。

 服は着ておらず、豊かな乳房を垂れた髪が隠している。

 人の男ならば、誰もが、釘付けになるだろう美貌。ただし、

 下半身が大蛇でなければの話だ。


「たまにはヒーの方へこっちから会いに来てみようと思ってね。別にあんたなんかに用は無い……と思ったんだがなんだい、ヒーはいないのかい?」


 ニョロニョロとヘビの下半身を動かしながら、小屋に向かう。

 彼女の種族は「ラミア」 人間の男を誘惑し、喰らうとされる怪物の一種。妖の森を住処としている。


「ああ、やっぱり居ない。学校ってやつかい? 休日っていう日ならいるって聞いたけど、今日じゃなかったのかい」


「学校だ。まったくお前たちラミアは暦という文化が無いから、休日という概念が無いのか。愚か者め」


「細かい計算は性にあわんのさ。私の種族はね。休みたい時に休み、新ためたい時が新年さ」


 天体の観測技術を持たず、群れとして生きる人類より、それぞれの個として生きる傾向が強いラミアには、統一スケジュールを司る暦は発達しなかった。


 竜もラミアも人も、それぞれは違う種族。言葉を通じ合わせることは出来ても、細かな価値観のすりあわせまでは難しい。


「そんで、あんたはまたヌボーっと待ってんのかい? ハァ、相変わらずヒマなヤツだねぇ」


「日暮れまでなど僅かな時だ。ゆっくり微睡んでいればすぐにくる。それに……」


 竜の視線がルーメの来た方角、森の入り口につまれた石を見た。


「十三年前、ヒーを拾った日を思いだしていた。――――ちょうど今日だ」


 ルーメの脳裏に、初めて竜とヒーに出会った日が蘇る。


「――――あー、そういやそうだったね。

あの時は肝冷やしたわよ。いきなり竜が子供口にくわえてやってくるんだから。喰われるかと思ったわ」


 木々をなぎ倒し、ルーメの住む沼までやってきた竜はあまりにはた迷惑な存在だ。


「人間に近いお前なら、人間の子供の育て方を知っているのではと思ってな。事実育てられたではないか」


「子供抱えてきて第一声が『これはどうすればいいのだ』

聞きたいのはあたしのほうだったわよ!

困った顔した竜なんて、生まれて初めて拝んだわ」


「しかし結局はお前と我で契約を結んだではないか。『ヒーが十分に育った時、その肉を汝と我で等分に分ける。代償はヒーをその時まで共同で育てる事』と」


 竜がヒーを育て始めた最初の理由は「食料」として、家畜として育てることが動機だった。つまるところ人間の真似をした余興だ。


「それは……まあ、あんたに押し切られてしょうがなくっていうか……

そもそもあんた全然あの娘の世話しないじゃない! あたしばっか食べ物集めたり、服作ったり、手間かかることばっかしてるわよ!」


 苛立ちで尻尾を振り回すルーメ。竜は面倒臭そうに眉間に寄せる。


「あやすのと遊んでやるのは我のほうが得意だったではないか」


 あらゆる者が恐れる地上最強の種族、竜が子供とうまく遊んでやることを無邪気に誇っていた。


「あんたはそれ以外してないじゃない!」


 ルーメの尻尾がさらに振られる。苛立ちはピークに達した。


「そもそもなぜお前はヒーに服など作ったのだ? お前も我も服など着ていないではないか。

寒くなったら我の懐に入っているか、森でも燃やして暖を取れば良かったのだ」


「人間は服を着るものなの! それに今あんたさらっとあたしの住処燃やそうとしてたろ!」


「少し焼いたぐらいならたった二、三十年で森は戻るだろう」


「その間あたしは宿無しだよ! 竜の時間感覚で話すな!」


 ルーメと竜の会話は絶妙かつ精密にかみ合わない。彼らが噛み合うのは、ヒーを育てている時だけだろう。


「まったく、なんでヒーがあんたに懐いてるかさっぱりわからないわ。だいたい、ふもとの人間の村の協力がなかったら、学校どころかあの小屋さえ無かったところよ」


 竜の役に立たなさは折り紙つきだった。なんでも竜式で育てようとする様は、多少人間の知識のあったルーメの胃を痛めさせる。

 竜には埋葬の習慣さえ無かった。そのため放置され骨になったヒーの母親の遺体を弔い、墓を作ったのもルーメだ。


「ここに住み着いてから村の人間がやってきてな。ひどく我を恐れていて『大人しくすれば生け贄を年一回捧げる』というのでそのついでに小屋を作らせた。

詰まる所、元をたどれば小屋も学校も我の功績だな」


「あんたは千年以上生きてて覚えたことは、他人の功績をかすめ取ることだけかい……?」


 ルーメの指摘に気分を害されたのか、竜は自己弁護を始める。


「いや、これはこれで我の交渉術がものをいった結果だ。

なんせ最初は『豊満な体を持ちながら、うら若き純潔の乙女』を生け贄として捧げるというから、これを了承してみたのだ。

そして肝心の生け贄が来たのだが」


「あんたあの娘育てながら裏で人間食ってたの? あたしでさえなんか食いにくくて止めてたっていうのに……」


 侮蔑の眼で竜を射るルーメ。人喰いでありながら、彼女の種族は実は愛情深い。一度人に愛着を持ってしまうとそれを捨てきることができない。


「最後まで聞け。来たのは――――若い雌牛だった」


「……はっ?」


「たしかに、契約の内容には人間とは書いていなかったからな。我の不備ゆえ仕方なくそれは喰った」


「結局喰ったの」


「そこで次は別のものにしろといったら村長が『幾人もの人間の男を魅了し、虜にした淫婦』を生け贄に捧げるという。ならばと我は再び契約を受け入れた」


 今度こそ人が来るのかとルーメが身構える。

 しかし――というかやはりというか、竜の答えはルーメの予想を超えていた。


「来たのは雌のヤギだった」


 風が止み、二体の間に静寂が宿る。


「……え? え、それは、ちょ」


 幸いなのか、不幸なのか、人間の知識があったルーメには意味がわかってしまった。


「それってつまり村の男が……」


 記憶を頼りながら、悩ましげに首を傾げる竜。


「こればかりはさっぱり意味がわからなくてな。なにか不気味だったから、放した。村の男が泣きながら迎えにきていたのを見ると、なにか大切に思われてはいたようだが……」


 長久の知識を持ってしてもわからない事態は、過去となっても竜の頭を悩ませる。


「まぁ、それは放して正解というか……」


 詳しく解説したらきっとあの村は滅びると思ったので、ルーメは黙ることにした。


「とにかく、次はまともな生け贄を捧げろといったら、次は『朝早くから働き、幾人もの子を産んだ母親』を捧げると言ってな」


「……ふぅん」


 もうなにか色々先が読めてきた。


「案の定、雌鶏めんどりが来た」


 ほら思った通りだ。


「なんかもう段々生け贄のグレード下がってきてない? ていうか、最初から人間って決めときなさいよ」


「それは考えたのだが、なんというか、こう、――――次は何が来るか楽しみになってきてな」


 調教は成功した。


「あんたは扱いにくいのか、扱い易いのかわからないわね……」


「とにかく、そのような交渉の失敗を踏まえながらヒーの家と学校に行かせる手筈を整えたのは、我の功績である」


 やたら胸をはる竜、脱力の極みに達するルーメ。


「ま、学校に行かせたのは良かったわね。色々人間に必要な知識がついたみたいだし。――最初は慣れなかったけど、『おかーさん』と呼ばれるのも、意外と悪くないもんね」


 美貌が微笑む。ヒーが初めて学校に行った日、帰ってきたヒーはルーメをそう呼んだ。

 正直、この娘を肉として食べる気など早々に消えている。今はただヒーの成長を見守っていきたい。


「ヒーを学校に行かせたのは我にも少なからず収穫があった。

特にアレを手に入れることが出来たのが嬉しい」


 ゴロゴロと、竜の喉がなる。アレを食べた記憶を蘇えさせ、楽しむ。


「ああ、ヒーが村長の台所かりて作ったやつ、なんだっけ、たしか――――プリンだっけ」


 名前を聞くだけで、竜の眼が喜悦に輝く。


「そうだ、プリンだ。今日もヒーが帰りに持ってくると言っていた。……お前にはやらんぞ?」


「いらないよ、あたしは甘いのは苦手なんだ」


 どのような武器にも毒にも倒れない無敵の竜が、甘味に堕ちていた。


「プリンの良さがわからんとは不幸なやつめ……」


「あんたみたいな石頭ドラゴンに同情されるいわれはないね」


 竜が目を細め、またも満足そうに喉を鳴らす。


「石頭は竜には誉め言葉だ。変わらぬことが竜には美徳であり、伝統なのだからな」


「はいはい、そうでしたっけ。ああ、そういやさ、何言われてもヌボーっとしてるあんたが一回だけ怒った事あったよね」


 面白いものを見た記憶がルーメの目を輝かせた。


「もう二年ぐらい前かな? 山の向こうの国がいきなり軍隊組んでこっちまで侵略してきたのは」


 なにか国同士のいさかいの結果としてそういう行動に出たらしいが、所詮は人外である竜やラミアには事の起こりはいたってどうでもいい話だった。


「ああ、あれは実に不幸だった。いきなり大砲など撃ってくるから」


 軍隊の規模は思いの他大きかった。重騎馬、砲兵、歩兵、攻城戦装備まで持っていた所を見ると、村を拠点に辺境伯の城か砦を落とす手筈だったらしい。

 

「夜襲なんぞかけたから、真っ黒いあんたが見えなかったんだろうね。村への威嚇で大砲撃ったらあんたの顔に直撃だなんてさ。まったくツいてないねぇ」


「実にツいていないな」


 竜も相づちを打った。


「あの軍隊共は」


「我は」


 同時に重なる二体の声。しばしの沈黙の後、竜がやはり異を唱えた。


「――ぬぅ、あの件で最も不運だったのは我だ。なんせ謝罪を求めに行ったら更に砲撃を叩き込まれるわ、散々だったのだぞ」


 思いだす。隊列を組んだ画一的な人の群れ。人類の生み出した合理的戦闘技術の粋。

 しかしそれさえも、竜という常識を破壊する存在の前にはひたすらに無力だった。


「なに言ってんだい。うっかり竜にケンカ売っちまったらそりゃああなるさ。あんただってきっちり落とし前着けてんじゃないか。

あたしは生まれて初めて見たよ、山の中腹に火口が出来る光景なんざ」


 これが竜だ。現出した超エントロピー、意志を持つ巨大な自然現象。

 人の技では、対抗も対峙も出来ない。


「礼節が無い者に無礼で返すのは、野蛮ではある。しかし礼節を教え込むには最も向いた方法だ」


「ヒーが止めなかったら、そのまま隣の国まで行っちまいそうだったじゃないか。

やりすぎると村の連中がヒくでしょうが」


 事件の後、村の人間の竜の評判は『扱い易い親バカドラゴン』から『村の守り神で親バカなドラゴン』になったことをまだ竜は知らない。


「まったくあんたは頑固なくせにヒーの言うことは一応は聞くんだね。

――――ねぇ、デクノボウ、あんたはまだ」


 ルーメの陽気だった声色が変わる。確かめたくはない、しかし確かめねばならない事実をかいま見るため、覚悟を決める。


「いつか成長したヒーを……食べるつもりなのかい?」


 強く、風が吹く。

 深紅の両眼が、ルーメを映した。


「――無論だ。我はそのためにヒーを拾った。

竜は最初に立てた誓いを外れぬ。故に我はヒーを喰うだろう」


 竜は石と同じ、いやそれ以上に変化をしない。

 本来は「変わる」ことが前提の森羅万象の中で、ひたすらに変わることを拒否し続ける存在。生物として余りにあるまじき不変。

 それはつまり、竜が生き続ける限り確定した未来を指す。


「……あん、たは」 ルーメの黒髪がざわめき、ぞわりと逆立つ。


「――あんたは……あの娘と暮らして何も思わないの?」


 引き絞るように、ルーメは声を荒げた。彼女は愛が深い種族ゆえ、激情を押さえられない。


「――十三年よ!? 十三年も一緒にいて、何も感じなかったの!?」


 細身の女性に見えるが、ラミアの膂力は人の数倍に達する。それでもなお、竜に対抗することは出来ないだろう。

 それでも彼女は怒っていた。この心を理解しない竜に、娘の肉をたとえ一片とてやりたくはなかった。


「懐に寝かせて、世話をして、会話をして、それを十三年繰り返して、それでもまだあんたはヒーを食べるつもりなの!?」


「喰う。己に課した決め事はけして誤魔化してはならない。

……どうしたルーメ、ヒーの肉を半分だけでは足りないと思ったのか? しかしこれは契約である。守らね……」


「違う! 違うんだよ! あたしが欲しいのは、ヒーの半分じゃないんだ! あたしが欲しいのはヒーの全部だ、生きているヒーが欲しいんだよ……」


 消え入りそうになるルーメの声。彼女は怒りながらも、悲しかった。この巨大な竜に自分は勝てないという現実、そしてこの竜も自分と同じ気持ちだと思っていた己の甘さ、そして何よりも、愛している存在に喰われるヒーの運命の過酷さに。


「ならんな。契約によりお前に渡されるのはきっかりヒーの半分、それより僅かな過小無く、それだけがお前のものだ。

どうしたルーメよ? 半分ではそれほどに足りないのか?」


 淡々と、揺れる感情も無く竜は問う。


「足りないんじゃない、あたしはあの娘に生きていて……」


「足りないのならば心配は無い。ヒーが成長すれば肉は増える。あとわずか八十年ほど、今は小さいが寿命まで待てばそれなりに大きく……」


「――はっ?」


 思わず間抜けな声が出た。竜の発言を理解するまで数秒かかる。


「あんた今なんて……」


「家畜ならば十分に成長してから食べるのが効率的だ。

聞けば人の寿命は長くて百年ほど。わずか百年ほどなら待てぬほどでは無いし、それなりに育って……」


「いや、あんたヒーがどこまで大きくなると思ってんの?」


「人の成長の限界はわからぬが、竜族は成長の衰えはあっても齢を重ねる限りは大きくなる。人も似たようなものだろう?」


 竜は石頭だ。竜の基準で物事を考える。

 百年など竜にとってはわずかな時間だ。


「――ねぇ、それもあんたの誓いなら、変わることは無いのね?」


「しつこい。我は我の決めたことを貫く。百年ならラミアでも待てぬ時間でもないはずだ」


 どこまでも、竜は頑固だった。


「――ぷ、ふふっ、……あっはっはっはっはッ!」


 弾けるように、ラミアは笑う。今までの緊張を吹き飛ばすように楽しげに笑う。


「――なんだルーメ? 今度は笑いだしたか。何がおかしいのだ?」


「――あっはっはっ! 何でもないさ、だったら待てばいいじゃないか。百年でも二百年でも、ヒーが大きくなって寿命を迎えるまでさ! きっと、さぞかし大きな婆さんに成ってるだろうよ」


「そうか、やっと我の正しさがわかったのか。

――ところでルーメ、お前が人間に詳しいと見込み一つ聞く」


「なんだい藪から棒に?」


「聞いた話だが、人間、特に子供は平均より逸脱した存在がコミュニティに入ると、『いじめ』という排斥行動を取るそうだ。

――――ヒーはいじめられてないだろうか? それで帰るのが遅いのではないか?」


「竜が保護者やってる娘にちょっかいだそうなんて勇者はあの村にはいないさね。それにヒーは結構好かれてるんだよ、あんたの性格に似なかったのが良かったみたいだ。

見た目もいい方みたいだし、そのうち恋人でも出来るかもね」


 竜の反応を楽しむように、いたずらな笑みを浮かべる。


「恋人、ぬう、つがいのことか……とりあえず警告として村に行って火でも吹いたほうがいいのだろうか?」


 首を傾げながら、しかし竜の眼は本気だ。


「絶ッ対ッ! あんた止めなさいよ!」





 山々の間に、日が沈んでいく。ルーメが去り、夕方になってから、言った通りにヒーは帰ってきた。


「おとーさん、はい!」


 地面に降ろされた竜の頭。全てを飲み込むように開かれた暗いあぎとの前に、ヒーは立っていた。

 象牙の如き牙の列、うねる炎のような舌の上に、少女の小さな手が伸びる。

 手の先に掴まれていた小型の金属カップがひっくり返る。ぽとりと暖色の中身――プリンが竜の舌の上に落下。

 ゆっくりと閉じられるアギト。ムグムグと舌先で溶かしながら、目に灯る満足気な光。


「おいしい?」


「美味い、もっと食べさせろ」


 ストレートに返答。基本的に竜はお世辞も嘘も言わない。そんなものは無駄だと考えているからだ。


「おとーさん、名前教えてよ」


「ならん、竜は他種族に名前は明か……」


「じゃあもうプリンあげない」

「ソリュエベリュムドゥンだ」


 即答。竜はヒーの性格はやるといったらやるタイプだと知っている。故に交渉は不可能と即座に判断した。


「ソリュエベり……なんか言いにくいね、やっぱりおとーさんでいいや」


「ヒー、せめて伝えたからには覚える努力をしてくれ」


 結局の所、芯の部分では竜とヒーのマイペース具合は似ているのかもしれない。





「おとーさん、今日はおとーさんの所で寝たい」


 夜が更けた頃、ヒーは枕と毛布を抱えて竜の横にやってきた。


「構わん」


 巨大な体を腹ばいに寝かせ、竜は畳んだ右前脚をわずかに広げる。

 腕の中に収まるように、少女は寝転んだ。

 小屋が出来る前、竜と少女はこうして夜空を天蓋にして眠りについていた。

 小さな頃に見たままの、空に瞬く星を見ながら、少女はポツリとつぶやく。


「ねぇ、おとーさん、私はいつおとーさんに食べられるの?」


 少女の問いに、竜は空を見たまま答えた。


「お前が最大まで大きくなった時だ。寿命を迎えるまで、その時まで我は待つ」


 薄いまどろみの中、少女は笑う。


「私、おとーさんに食べられるならいつだっていいけどなぁ」


「いつでもいいのなら数十年後程度でも変わるまい。竜にはわずかな時間だ」


「人間の私には大違いだよ……」


 闇の彼方で星が流れた。

 漆黒の幕に無数の宝石を散らしたような夜空。春の雨を思わせる星の瞬きが降る。

 最初にヒーを懐に入れた時、うっかり潰してしまわないか気になって眠れなかったのを思い出す。

 気がつけば、潰さずに眠る術が身に付いていた。


 少女の成長する姿を見ていると思うことがある。

 ヒーを抱いていたまま死んだ女、恐らくはヒーの母親は、この光景が見たかったのだろうかと。

 ならば、もっと見たかったヒーの姿があったのかと。


「ヒーよ、かつて我は、自らのつがいとなる同族を求め世界を旅した」

 竜は孤独だった。そしてその孤独を拭うため、同族を探し続けた。


「違う種の竜に会うことは出来た。だが同じ種の竜には会うことは出来なかった」


 世界を旅して知ったことは、自らの孤独を振り払えない事実。


「そして、諦めた旅の終わりで、我はお前を拾った」


 孤独を無くすため旅立ち、孤独を埋めるためさまよった。

 孤独である事を受け入れた時、孤独を癒やす存在と出会えた。


「我は果たせなかったが、家族を持ちたいと願ったことがある。

ならば、お前がそう思うことを止めてはならないのだろう。

――ヒー、お前がもしつがい、いや人間の場合は恋人か、恋人を持ちたいと願うなら、好きな時に我の元を離れるが……い……い……」


 普段は明瞭な竜の言葉が、珍しく尻すぼみになる。自らの不安定な心境に戸惑っていた。


「おとーさん、大丈夫だよ、私おとーさんのそばにずっといるよ……」


 黒の鱗に触れながら、まどろみの中で少女は嬉しそうに微笑んだ。

 竜がこれほどまで自らの過去を語るのは無かったからだ。


「おとーさん、あのね、私知ってるよ」


 少女は思い出す。自分が初めて、いつこの竜に食べられてもいいと思った時の事を。


「兵隊が攻めてきた時、おとーさんが怒ったのは大砲が当たったからじゃないよね。だって平気そうな顔してたもん。――――おとーさん、私の本当のお母さんのお墓が吹き飛ばされたんだから怒ったんだよね」


 大砲の一発目は竜、二発目は墓の近くに着弾していた。

 その後、竜がルーメの見ていないうちに墓を直した事も知っていた。


「――なぜいかったのかなど、そんなくだらぬ事は一々覚えてはいない」


 竜は、空を見上げたままだ。


「おとーさんってやっぱり素直じゃないよね……」


 虫の音に、少女の寝息が混じる。


 竜の寿命は数千年に達する。長ければ万に届くかもしれない。

 見上げる星も、そびえる山も、吹き抜ける風も、竜の寿命が尽きる時まで変わることは無いだろう。


 変わるのは、懐に抱くこの小さな温もりだけだ。


 不意に竜は首を伸ばす。

 口元から、言葉とは違う音が漏れ、大気に広がっていく。

 竜族の言語は歌だ。そして、その歌は同族の竜にしか通用しない。

 この世の誰にも届かない孤独の歌は、しかし優しげで、暖かく、緩やかな歌だった。


 それは子守り歌。胸に抱く幼子を眠らせるためではない、時の神を眠らせて、この刹那のまどろみを、永久に延ばしたいと願う竜の歌。


 朝日はまだ、こなくてもいい。

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