第3話


3、


 木々の間にぽっかりとあいた夜空に、丸いお月さまが浮かんでいる。

 月の色も太陽の光も私の元いた世界と同じで、それが逆に私の居心地を悪くした。決して交わることのない世界に、私の世界では存在さえ知られていない場所に私はいるのに、同じものがちゃんと同じ形や色で存在している。

 でも逆に、何もかもが全く違えば、もう少し気持ちの落とし所があるのかな。


「はあ……」


 深いため息と共に、ごろんと大げさな動作で草の上に寝転がる。今朝、目覚めた場所の、その草の上に。


 ———怒涛の一日だった。


 実際には三日経っているから、一日じゃないけど。

 “認める世界”に来て、実は今晩で三日目の夜になるとシェーンに言われた時は、やっぱりな、という気持ちと、嘘でしょ、という気持ちと半々くらいだった。



 *



 私はシェーンと一緒にこの世界に来てから二日間、ずっと眠りっぱなしだったらしい。シェーンは気が気じゃなくて何度も私の呼吸や心臓の音を確かめたと言っていた。二日間、飲まず食わずの意識不明の重体だった割には、目覚めた時に体に特別な不調はないから不思議に思っていたら、私たちのいる場所のおかげだった。


 私たちがいる場所は、エリッベ大陸のちょうど真ん中、“国始めの森”。その森の中で一番安全だと言われている“月の下”という場所にいる。あまりにもそのままな名前に思わず笑えば、この世界では通り名が大事なのであって正式名称はあってないようなものとシェーンは言う。例えあったとしても略式名称を使うのが主流だ、と。


「世界が大きく広いので、直美さまの世界ほど価値観や常識が一般化されていないのです。もしくはネットのような情報共有するための機械もないので、通じる共通の言葉があるというのはそれだけでことをスムーズに運べます。それに教養があるのは裕福な人たちだけで、一般的な人々は簡単な読み書きと計算ができる程度です。言語も様々ですし、どこに行っても共通出来るものや共有出来るものは、誰が話しても見ても聞いてもわかりやすいことを前提に簡略化されています」


 丁寧なシェーンの説明に私は頷く。

「なるほど。魔法の国には魔法の国の当たり前があるんだね」

「何より直美さまが国始めの森以外でこの世界に来ることは不可能なんです」

「え、どういう意味」

 私の質問に、シェーンは少しだけ口ごもる。


「えっと、」

「あ、いや、言いたくないなら良いんだけど………」


 シェーンの困った顔に思わずそう続けたはいいものの、いややっぱりだめでしょうと思い直す。言いたくなかろうが何だろうが、シェーンには答えてもらわないといけないことがたくさんある、と、思う。


 何から質問すれば良いのかさえわからないほど、私の頭の中はたくさんの疑問で埋め尽くされている。その一つ一つが死活問題だし、はっきり言って夜寝る間を惜しむ勢いだ。


「命令を」

「はい? え、めい、え、なんて?」


 シェーンは突然とんでもないことを言う。


「直美さまからの命令であれば、僕は、———チェーンは、」

「シェーン、だよ。チェ、じゃなくて、シェ。シェーン」


 私のプレゼントした名前を気に入ったのか、シェーンは何度も何度も発音の練習をしては噛んだりしている。その様子がプレゼントした身としては嬉しいし、こそばゆいしで、早くすらりと言えるようになってほしい。

「す、すみませんっ」

「怒ってないよ、怒ってない。ただ気に入ってるみたいだから、早く発音出来るようになれればいいなって」

「はい。上手に出来なくて、すみません」

 シェーンはそのまましょんぼりと俯いてしまう。


 シェーンは同じくらいの年齢の子たちよりずっと素直で、ずっと大人しくて、でも大人顔負けの難しい話や単語を流暢に話す。でも私の言動一つで一喜一憂したりと、歳よりずっと幼いように見える時もある。


「謝らなくて良いんだよ、シェーン。そんなにこの名前を気に入ってくれて、私はとっても嬉しいよ」


 命令、という子供の口からは似つかわしくない単語はとりあえず後回しにして、今夜はもう休みたいと伝える。

「シェーンも疲れたでしょう。二日、どころか三日間、ずっと私の世話をしてくれてたみたいだし、もうお風呂に入って寝てしまおう。……お風呂?」

 自分で言っておいてとても驚いた。私は三日、お風呂に入っていない。森で寝転がっていた割には思ったよりは肌や服に泥とかはついていないかもしれないけど、とてもじゃないけど意識しだしたら我慢出来ない!


「シェーン!」

「は、はい! 何でしょう!」

「お、お風呂ってどうすれば良いのっ?」


 辺りは少しもしないうちに真っ暗な闇に包まれるのだろう。森や山育ちでない私でさえ、山や森が暗くなるのは一瞬だと知っている。そして野生動物が活発に動き出すのも夜だと知っている。


「あの、おふろとは直美さまの世界のおふろですか? 大きな箱? 樽、というか盥? のようなものに湯を張った、あれですか」

「それです!」

「ないです」

「だよね……」


 そうだろうと思っていたことを言われて肩を落とす。「僕もあの世界に行って驚いたことの一つに、おふろの習慣がありました」ということは、この世界には習慣化されていないと言うことなのかな。


 いやでもせめて、三日ぶんの汗を流したい。シャンプーもコンディショナーもいらないから、とにかく水に体を晒したい。


「ごめんなさい。僕もおふろはこの世界では聞いたことがなくて……」 


 私をこの世界に連れてきた張本人が何を言っているんだろう、とは思ったけど、小さな子供にまるで家来か何かのようにあれもこれもと言うことは出来ない。我慢、かなぁ。まだこの世界がどうなっているのか、今後どうするのかさえ話し合っていないのに、いつかお風呂に入れるのだろうか。


 ———いや、ちょっと、無理かも。


「直美さま」

「はい!」


 急に声をかけられて思わず大きな返事がでた。一つ空咳をしてから、言い直す。「ん、なに?」


「直美さまの求められるおふろには遠く及ばないのですが、水浴びなら出来ます。こちらには直美さまの世界のようなおふろの習慣はありませんが、湯浴びをしたり水浴びをして体の汚れを落とす習慣はあります。今はこの通り森の中なので、冷たいただの水での水浴びになるので、終わり次第すぐに乾かさなければいけないのですが……」


 どこにあるのかと聞けば、月の下からすぐの場所に小川が流れているらしい。幅が狭いため小川のように見えるが、実際は川の中央部分に行けば腰まで浸かることもできるし、水も綺麗で虫もいない。少し大きめの魚が泳いではいるけど、あの種類は人を攻撃してくるような魚ではないので安心だと言う。


 というより、攻撃してくるような魚が川にいるの? 

 サメみたいな?

 想像力が貧困で話について行くのがやっとだ。


 元の世界では秋真っ只中だったけど、こっちの世界はどうやら春と夏の間くらいの気候じゃないかと思う。夜にはパーカーが必要ではあるけど、昼間は腰に巻いてちょうど良いくらいだった。


 シェーンに案内されて小川まで行ってみる。本当にすぐそばにあった。水音さえ聞こえないような穏やかな小川だ。

 小川に手を入れてみる。確かに冷たいけど、今夜の気温から考えればちょうど心地いいくらいだ。これ以上辺りが暗くなって手元も足元も見えなくなるのは困る。


「うん、入る。シェーンも入っちゃおう」

「え! ぼ、僕もですか!?」

「そうだよ。その服も洗おう。私の服も洗うし。これだけ暖かいなら、風はないけど明日の朝には乾くよ。それとも“月の下”は危険なの?」

 どうせ誰もいないだろう森の中だ。裸でいたって大丈夫だろう。

「いえその、服は明日の朝を待たずとも乾きますし、国始めの森の“月の下”はこの世界で一番安全な場所なので心配は要りませんが」

 虫の心配もないとシェーンが言うので、なら余計に水浴びをしたかった。


「じゃあ一緒に入って、一緒に洗濯も済ませよう」


 そう言ってシェーンの腕を掴んで、あ、と声が漏れた。

 シェーンの歳頃を考えれば、大人の見ず知らずの女性と裸になるのはさすがに恥ずかしいはずのではないか。


 ちらっと横目でシェーンを見ると、やっぱり恥ずかしそうに俯いている。

「ああ……。やっぱり、別々に水浴びする?」

 私は友達と一緒に温泉に行ったりするし、女性風呂には男の子の子供も多い。とは言え、確かにシェーンくらいの年齢の男の子はさすがに滅多に見ることはない。


 配慮が足りなかったかもと反省しながら、シェーンに尋ねると、ゆっくりと首を振る。


「僕は少しだって直美さまのそばを離れたくありません」


 あまりに真剣な声で言われるので、聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう。


「じゃあ、そう、だね。今後も一緒に水浴びする機会も多そうだし、お互いの裸には慣れておこうね」


 弟と一緒にお風呂に入っていたのは何歳までだっただろう。末っ子の弟には家族みんなが甘くて、シェーンくらいの歳まで一緒だった気がする。


 確かに出会ってすぐの子供の前で裸になるのは、例え暗い森の中と言え恥ずかしいものがあるなと思いながら、私は服を脱いだ。

 でも相手は子供で、私は大人なのだから変に意識するのもどうかと思って、結局最後には全く気にしないで水浴びを済ませた。


 私が気にしないで堂々としていると、シェーンもそういうものなのかと思ったのか、最後には肩の力を抜いて普通に水浴びをしていた。

 お互い裸のまま洗濯を済ませる。洗濯と言っても水で汚れを落とすだけで、いい香りの柔軟剤もなければ、脱水機もない。


 シェーンと二人掛かりで絞るしかないかと濡れた服を抱えて考えていた時、ふわ、と、また足元から風が起こる。


 ———え、風?


 シェーンの方を見やれば、もう全身服を着替えた彼が立っていて、「直美さま、そのままでいてください」動かないようにじっとしていると、温かな風が体を一気に撫でた、と思った瞬間には体どころか髪の毛もしっかりと乾いていて、服も同様に乾いていた。


 呆然としたままシェーンを見やると「服を着てください」そう言ってこちらに背を向けて着替えが終わるのを待っていた。

 急いで着替えてシェーンの隣に並ぶ。彼がゆっくりと歩き出したから、私もそれに合わせて歩き出す。月明かりに照らされている、ぽっかりと木々の屋根が開いた場所、“月の下”に二人で腰を下ろす。


「シェーンは風の能力者なの?」


 今さら驚きもしないで確認のために尋ねれば、シェーンの肩はびくりと跳ねた。「……嫌な質問だった?」

 シェーンはポンチョのフードを目深にかぶり、昨夜の時と——実際には三日前の夜の時と——同じに顔を隠した。


「まだ……。直美さまに話したことは、まだまだ少ないのです。話してないことの方がずっと多いのです」

「ゆっくり聞いて行くよ」

「はい。この森を抜けるだけで数ヶ月はかかるので、その間に話して行きましょう」


 ああ、やっぱり。そうなんだろうね。

 数時間で歩ききってしまえるような森ではないのだろうなと思っていた。そしてきっと、この世界には私の想像もできない様々なことがあって、それは私の中の常識とかそういうものを全て壊してしまうのかもしれない。


 だいたいにして、私はシェーンを信じすぎてる。シェーンが子供だからという部分は大きく影響している気がする。実際、映画館で腕を掴まれた時は迷子か何かだと思った。こんな時間に子供が一人でいて、という気持ちしかなかった。


「ねえ、シェーン。私は二日間も眠っていた割には元気だし、起きた時に少し体が痛いくらいだったし、それものこの場所が影響しているの?」

 一旦、話を変えようと気になっていたことを尋ねる。喉の渇きや体の強張りはあったけど、それ以外に特別変わったことはなかった。でも病院に二日間も入院していてその間、意識不明だったら普通は点滴の一つ二つはしていて当たり前だ。


「“月の下”には直美さま専用の能力を有している土地なので、直美さまはここで寝ているだけで十分体力を回復することが出来るのです」

「私専用? この“月の下”なら私も能力の影響を受けれるってこと?」

「直美さまは能力の影響は一切受けることはできませんが、唯一、この国始めの森の“月の下”の土地の魔力の恩恵だけは受け取ることが出来ます」

「もしかして、その、土地の能力とかが能力者に繋がる?」

「はい」


 “能力”はそもそも一部の限られた人しか持っていなくて、その能力を使いこなせる人のことを能力者と呼ぶ。けれどこの世界は能力、———つまり魔法を“認める世界”なので、誰もがその恩恵に与ることが出来る。


「能力者たちは大地の能力を使うのです。自分自身にその能力があるわけではなく、あくまでも土地にある能力を使って自分の能力として使います。様々な能力が存在するので、それらの中から一種類だけ自分の能力として使えます」

「あ、だから炎山の主は能力そのものの存在なんだね」

「はい」


 この世界で生まれれば、例え能力者でなくても、能力のある人でなくても、何かしらの能力の恩恵に与れる。能力者たちも万能な訳ではなく、何かしらの縛りというか、ルールに法って能力を使う。


「例えばお湯を沸かすなら、火の石を使います」

「火打ち石みたいなもの? こう二つの石を擦り合わせて摩擦で火を起こすやつ」

 手振りで説明しながら聞けば、そうではないとシェーンは首を振る。

「いえ、そういうものではないです。えっと、火の石という石を水の中に入れると石が熱くなりその熱で水がお湯に変わります。それは石そのものに能力があるからです」

「あ、なるほど。それだったら能力者じゃなくて普通の人も使えるね」

「はい。なので能力者でなくとも、そういった大地の恵みである能力を使って生活しています。直美さまの世界の機械に当たる部分が、この世界では土地の能力になります」

「じゃあ能力を持ってるとは言っても、実際はこの世界に存在している能力を使ってるってこと? その人自身が能力を持っているわけじゃなくて?」

「はい、それで間違いないかと。つまり能力者たちは様々な能力の使い手になりますね。使える能力は一人一種類だけですが、過去や未来を見る者、火を扱う者、雨を降らせる者など様々です。能力者たちは、“大地に存在する能力を使えるという能力”を持って生まれるので、それだけですごいことなんです」

「じゃあ、とにかく私はこの“月の下”っていう土地の能力のおかげでこんなに元気なんだね。言われてみれば水しか飲んでいないのにお腹も減らないし元気だ」


 ぐっと握りこぶしを作ってシェーンに見せる。柔らかいふかふかの芝生の上だから、そもそも野宿をしている割にあまり不快ではない。


「お食事を用意出来なくてごめんなさい」

 シェーンの言葉に驚いてしまう。この子はよく私に謝る。初めて会った時から、何かにつけてすぐに謝る。


 ———本当に謝ってほしいことは、そんなことじゃないのに。


 シェーンのフードを外して、その形の良い丸い頭を撫でる。漆黒の髪はさらさらと指の間を流れて掴めなくて、月の明かりに反射して、きれいな光の波を打つ。


 弟とは八歳離れている。姉とは四つで、姉と二人、歳の離れた弟が可愛くてしょうがなかった。今では高校生になった弟も、シェーンと同じ歳くらいの頃は可愛かった。


「ねえ、シェーン。私、お水が飲みたいんだけど、あの水の棒ってまだある?」


 頭を撫でられ、体を硬くしていたシェーンはパッと顔を上げて嬉しそうに声を弾ませた。

「すぐそばに水の木がありますから、取ってきます! 直美さまはここでお待ちくださいね!」

 跳ねるように走り出して、シェーンは暗闇の中へと消えて行った。



 *



 「月の下、かあ……」

 テントさえないような、本当の野宿を人生で初めて体験する。もうすでに二晩経験済みなのだけど、記憶にないからカウントはしない。


 この土地の能力のおかげで私は三日、何も食わずでもこんなに元気だと思うと便利な土地だと思えた。でもきっと、明日にでもここを発つのだろう。

 私がこの世界に来た理由を考えれば、いつまでもここにいるわけがない。


 頭が重い。ずっと頭を使っているせいか、こめかみの辺りが重くなる。おでこに貼る、冷却ジェルシートが欲しい。魔法の世界だもんね、同じようなものがきっとあるはず。


 シェーンももう戻ってくるだろうな。よくよく考えたら、私のいる場所は明るいけど、周りは真っ暗な夜の森。聞いたこともない鳥の鳴き声も聞こえる。そんな中を子供一人で水を取りに行かせたことに罪悪感が募り始める。早く帰って来てほしい。

「シェーンもだけど。……よく怖くないなあ、私」

 怒涛の展開すぎて、どこかでこれは現実ではないと脳が処理しているのかもしれない。


 シェーンに対してもちっとも乱暴な気持ちにならない。多分、いや絶対、シェーンのせいで、この世界に来たのに。


「———あれ?」


 ———ドッ。


 月に重なるように何かが光ったと思った瞬間、顔の横にその何かが重たい音と共に落ちて来た。


 そうっと静かに顔を横に向けると、月明かりを反射する、きれいな刃物だった。刃物が、私の顔の真横に、突き立てられていた。———剣だ。

 剣の刃の部分はきれいに磨かれていて、私の顔が映るほどだ。私の頬に一筋の血が滴っている絵が映るほどに。


 ———っ。


「きゃーーーーー!!」


 動きたいけど、動けば頬が切れる。それほど真横にその剣はあった。なんで、どうして、どこから!?

 叫ぶ声は出ても、体は少しだって動かせない。だって動けば頬の肉を刮げることになる!


「直美さま!!」

『———女?』


 頭上から降ってくる声は二つだった。

 一つはシェーンの呼ぶ声と、もう一つは男の人の声。シェーンとは違 う、低い、大人の男の声だった。


「きゃーーーー!! きゃーーーー!!」


 ついに脳が考えることを放棄した。怖い、怖い、怖い。一体なんなの。それしか思いつかない。なんで、どうして。シェーン。シェーンはどうしたの?


『おい、剣を抜くから動くなよ。静かにしてろ。それにいくら月の下と言えど、生き物たちが寄って来るだろうが』

「きゃーーー!! なに、何!? いやーーーー!!」

『直美さまから離れろ!!』

『今離れる。動くなよ。お前が俺に触れば剣を抜く手がぶれて、この女の顔により深く傷をつけることになるかもしれない』

『くっ……!』


 男の人が何か言っているけど、言葉がわからない。シェーンの言葉もわからない。日本語じゃない。二人が何かしら話しているけど、シェーンが助けてくれないのはなんでだろう。やっぱりシェーンは信用に値しないのだろうか。


 胸の上でぎゅっと握りしてめていた手に、暖かなものが触れた。そっと自分の手に置かれたものが、人の、男の人の手だと気づいて、剣を見た時からずっと閉じていた目を開く。


「ひっ!」


 息がかかるほどの距離に、男の人の顔があった。驚いて息を飲めば、口を手で塞がれた。シェーンが動いたのが、目の端に見えた。


『剣を抜くから、騒ぐな』


 なんて?

 なんて言ったの?


「シェ、シェーン……」

「直美さま、今、その者が剣を抜くそうです。なので動かないでじっとしていてください」

 シェーン。

 シェーンの声が硬い。男の人の声も硬い。私の体も硬直している。でもシェーンが動くなと言うなら私は動かないよ。だって、私には今、シェーン以外に頼れる人がいない。自分よりずっとずっと子供の、シェーンしか。


 ———ズッ。


 砂を切るような音が耳元でして、全身に鳥肌が立つ。汗一つ出やしない。体が冷え切っている。

『……女だとはな』

「へ、はんて……?」

 呟かれた言葉がわからなくて聞き返すと、男の人はため息を吐いて私から体を起こす。


 口は塞がれたままだったから上手に発音出来なかったけど、私が相手の言葉がわからないなら、相手も私の言葉をわからないのだろうか。でもシェーンは私の言葉も、男の人の言葉も話している。


 男の人が私の口から手を離すと、今度は私の腕をとる。


『何をする!!』

『体を起こしてやるだけだ。何もしない』

『信用出来ない!!』

『信用出来ようが出来なかろうが、この状況じゃお前には何も出来ない。お前が今俺に何かしらの攻撃を仕掛ければこの女の命はないだろうな』


 シェーンが何か叫んでいる。男の人も返事をしているけど、静かな落ち着いた声だ。私は何が起きているのか、どんな会話がされているのかわからないから、男の人が私の腕を引っ張ればそれに合わせて動くしかない。


 上半身を起こして草の上に座り直すと、男の人は私の腕を離した。私に向かい合うようにして膝を付いている男の人は、じっと私の顔を見てくる。


 ———私、この人に、殺されるところだったの……?


 薄茶色の肩口で揃えられている髪に、不思議な色の瞳。夜の月明かりの中ではその色を確かめられないけど、切れ長の鋭利な瞳の奥に隠しようのない不思議な色が見える。ついでに整った顔をしている。

 

 エリッベ大陸中央に位置する、国始めの森の“月の下”。

 周りは木々に囲まれているけど、ここだけはぽっかりと穴があいたみたいに夜空が見えて、辺り一面が白い光に包まれている。バイオリンでも弾いているかのような不思議な鳥の鳴き声に、風が葉を揺らす音が重なっている。


 静寂とは違う、静けさの中。


 剣を握った——多分私を殺そうとした——男の人に、穴が空くのではないかと思うほど凝視されている。





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炎山の主と直美 E.I. @mochizou0223

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