ストレリチアは平然のガール
1.ジャンクヤードの渓谷
ジャンクヤードが好きだ。
片足を欠損し、もう飼い主を追っては駆けられない、かつて子犬型ロボットだった金属塊。硬柔可変ポリマーの薄膜翼の腐食が再生限界を越えて、もう二度と空を羽ばたけなくなった、かつてコウモリ型ドローンだった有機化合物塊。多種多様なオートマタペット、家事ロボット、自律ドローンたちの残骸が隆起して形成された渓谷の中に佇むと自分もまた、スクラップの一つのように思えてくる。
そんなジャンクヤードでは時折、はりぼての命が終わるその瞬間に立ち会うことができる。
ある日は、両前足を失った猫型愛玩機械の最期に遭遇した。それは後ろ足だけで体を押しながら、何とかジャンクヤードの外に這い出ようと奮闘していた。にゃー、と弱弱しくもそれらしき悲哀を誘う声を地面に這わせながら、のっそりとその声を追うように体を動かしていく。眼球に相当するカメラか、あるいは画像処理機構がいかれているかのどちらかは分からないが、既にその「猫」は視力を失っているようで、その「猫」よりも一回り大きいイルカ型の海中ドローンの残骸にぶつかった。しかし、状況の把握能力も運動能力も失ったその「猫」に、スクラップを乗り越える力はもう残されていないようだった。にゃー、にゃーと声を振り絞りながらイルカに体をこすりつけるように地面をじたばたして、もがいて、あがいて、鳴き続けた。俺はその哀れな猫もどきに近寄った。
「往生際が悪いんだよ。とっとと死ね」
それを蹴飛ばすと、悲哀を誘うか弱い響きはスクラップの上を跳ねた。それっきりだった。
また別の日には、一つのスクラップ山の頂上で、差し込む一条の光に照らされた一羽のカラス型ドローンがいた。合成ポリマーの右翼がごっそりと根本から抜け落ちたそれは既に空へ飛ぶ力などない。それでも、それは左翼を熱心に動かし空へと駆けようとしていた。体躯が持ち上がることもないのに、狭い空を遠くに見据え、光の柱を辿ろうと懸命にもがいていた。耳障りのはばたきの音が静寂のジャンクヤードに響いている。俺が近寄ると、羽ばたくスピードを上げた。ゴミの清掃ドローンらしい。不用意に人間に近づかないようにプログラムされているようだ。しかし、カラスの体躯は持ち上がることはなかった。俺はその首根っこを掴んで、左の翼をもぎ取った。尚も足をじたばたするカラスもどきを投げ捨てると、スクラップ山の斜面を麓まで一気に転がり落ちた。足は変な方向に曲がったまま、動かなくなった。
すべてに見捨てられたものたちの、最期の輝き。それを摘み取るその瞬間が、俺には何よりも至高のひと時だった。
そしてその日も、俺は死にぞこないを楽にしてやろうと意気込んでいた。しかし、何の気の迷いか、俺はそいつだけは、俺は見捨てることはできなかった。
ある日、義務付けられた定期健診からの帰り道、いつものように帰路から外れて、新首都高の高架下のここにやってきた。スクラップ渓谷に入り込もうとしたそのとき、渓谷の奥から何やら喚く声が聞こえた。
「光よ! 私に光のあらんことを!」
遂に幻聴か、と俺は後頭部を掻いた。何層にも連なるハイウェイの高架はジャングルのように茂り、力なき
「光よ!」
けれども、その言葉は止むことはなく、尚も俺にはその声が聞こえていた。それに、あの耳障りな叫び声は女性のそれだった。鈴のように透き通りながら、舞台女優のように力ある響く声。人生で受けてきた五回の性自認検査で男性と出続けた俺が、心の声をそれにするとは思えなかった。一体どんなスクラップがこんな奇天烈な声を上げているのか興味があった。そしてそいつに、現実を教えてやりたかった。
声を頼りにスクラップ渓谷を進んでいくと、行き止まりにもがくスクラップの姿は見当たらなかった。形を保っているスクラップは裏返ったまま動かないイグアナ型愛玩機械くらいで、他は何の用途かも分からない部品が無造作に散らばっている。ただ、その部品の山の麓にぽつんとここに似つかわしくないものが置かれていた。小さな鉢植えだった。ひび割れてはいるものの、なんと鉢植えには土が敷き詰められていて、そこから伸びた茎の先には巻き気味の細長い葉がついている。その背丈は小さな鉢植えには不釣り合いな程であったが、本来は天に向かって伸びるはずのそれは元気なさげに垂れていて、下部の葉に至っては既に茶色くなっていた。健気な声とは対照的に、衰弱していることは明らかだった。
名は知らないが、それはどこから見ても観葉植物だった。誰かがこっそり廃棄したものに違いなかったが、一体なぜ、廃棄場所にこのスクラップ渓谷を選んだのか、俺には分からなかった。
不憫だとは思ったが、植物はしゃべらないし、俺にも植物に対する興味など毛ほどもなかった。声の主が分からなかったことに肩を落とした俺は踵を返し、もう一度「光よ!」の声がかかるそのときを待つ。
数秒後。
「光よ!」
背後からだった。それも、背骨を震わす程の至近距離。思わず振り返ると、観葉植物の淵の一部が光っていた。近づいてよく見ると、鉢の側面の一部がスピーカーのようになっていて、その淵が光っていた。Iot化は鉢にまで浸透したのかと驚いていると、そのスピーカーから女性の声が聞こえてきた。
「私に光のあらんことを!」
俺はしおれた葉をまじまじと見た。この鉢植え、まさか植物の気持ちでも代弁しているというのか。確かに、光合成のことを言うのなら、合点はいく。
「あれ?」
もう一度スピーカーが光り、今度はやや抜けた声を発した。
「そこにいる
俺は思わず後退りした。このしゃべる鉢植えにはどうやらサーモグラフィーが搭載されているらしい。
「あれ、返事がないようだけれども、そのアンモニア臭はごかませなくてよ?」
訂正。体温じゃない。尿の臭いだ。
「しゃべる鉢植えとは、また奇妙なものを」
「鉢植え? それは大地のことですの?」
「大地?」思わず吹き出した。
「まあ、そのひび割れた貧相な鉢植えでもそうだというのなら、それは大地だな」
「いいえ、私は大地ではありませんの」
「は?」
「極楽鳥花、あるいはストレリチア・レギネのシャーロットですわ」
花の名前には明るくないが、そのストレスうんたらというのがこいつの品種名らしい。どうやら、このしゃべる鉢植えは本当にこの植物をしゃべる主体として認識するようプログラムされているようだ。忌々しいAIの考えそうな、悪趣味でくだらない道楽だ。
「シャーロット、ね」
俺は復唱しながら、笑いを堪えるのに必死だった。
飽きて捨てるまでの短い期間、愛玩機械やらに名を与えてかわいがる人は多いだろうが、その名をこいつが今もまだ覚えているのが、ひどく滑稽だった。
「そのシャーロットってのは、飼い主から与えられた名前なのか?」
「飼い主? それはお日様のことですの?」
「ちげえよ。お前を飼って、可愛がって、飽きてこんな陰気臭い
「捨てる? 悪い周辺環境に食われて傷物になった葉を落とすこと?」
「だからちげえって。お前に水をやってた奴のことだと」
「水? 雨のことね。でも、雨はシャーロットと呼ばないと思うわ」
俺は頭を掻いた。俺はこいつを捨てた名もなき野郎に同情した。まるで会話にならない、時間の無駄だ。
「それより、今は光よ光。私乾燥には強いけど、そろそろ日光浴をしたいの。周辺環境さん、お願い。私に光をくださる?」
「光? 何を言ってるんだ。ここにはな、もう二度と光は差さねえんだよ」
「二度と? 夜はいつかは明けるものではなくて?」
思わず乾いた笑みがこぼれ落ちた。
「明ける? だといいがな!」
俺はそう吐き捨てた。唾が足元に転がっていたトレイ型スクラップに飛び散ると、それはノイズ混じりの機械音声を上げた。
「アミ……ゼを検しゅ……ザザ……度漬けはお控……ザザ」
俺はそのトレイを蹴飛ばして立ち去ろうとした。
しかし、スクラップの山を一つ回ったところで、シャーロットとやらは再び声を張り上げ始めた。
「光よ! 私に光のあらんことを!」
何が光だ。俺は唇を噛んで歩みを速めた。このジャンクヤードは廃棄場だ。墓場だ。光なんてもう二度と差すもんか。
「私に光のあらんことを!」
シャーロットの健気な声が俺の背中に打ち付けられて、足元に転がる破片のように砕けた。あんなしおれた姿を見せておきながら、声だけは一丁前に立派で、だからこそそのギャップが悲痛で、むかついた。
俺は思わず翻り、スクラップどもを蹴散らしならシャーロットの元へ駆けた。
「何が光よだ! お前はな――」
シャーロットを指さし、現実を突きつけてやろうとしたそのとき、聞き覚えのあるトーンでシャーロットは声を上げた。
「あれ?」
やや抜けたような声。俺は口を開いたまま、息を止めた。
「そこにいる
これもまた、先ほどと全く同じ口調だった。俺は黙ったまま、身動き一つしなかった。
「あれ、返事がないようだけれども、そのアンモニア臭はごかませなくてよ?」
「……お前は、大地か?」
「いいえ、私は大地ではありませんの。極楽鳥花、あるいはストレリチア・レギネのシャーロットですわ」
俺は絶句した。ほんの数分前に同じ会話をしたことを、こいつは覚えていないらしい。SSDもいかれちまったのか。
「おいおいおいおい、俺さっきお前と話したばかりだろう。もうメモリー吹っ飛んだのか?」
「メモリー? それには二酸化炭素が含まれているのかしら?」
どうやらこの鉢植えAIに搭載されている言語能力は二歳児レベルのようだ。俺は腹いせにもっといじめてやりたくなった。
「そんなことより、周辺環境さん、私に光をくださる?」
「いい加減理解しろよ。お前はな、捨てられたんだよ。飼い主に飽きられて、こんなスクラップ置き場に置いていかれたお前は枯れる運命にあるんだよ」
「でも、今は周辺環境さん、あなたがいるわ」
「は?」
「私に光をくださる?」
「俺はな――」足元の破片を蹴り散らした。
「お前の飼い主じゃねえんだ。お前はもう一人、孤独なんだよ。大人しく諦めて死ね。死ね死ね死ね!」
「シネシネシネって何ですの? 新しい肥料ですの?」
頭に来た俺は右足を引いて、そのくすんだ汚らしい鉢の横っ腹に蹴りを叩き込んでやろうとした。
けれども、左足を踏み出したそのとき、鉢植えの一部が欠け落ちて、そこからヘルニアのように根が飛び出していたのに気が付いてしまった。俺はしゃがみ込み、そっとそれに触れた。鉢植えが欠けているのは、乱雑に扱われたからじゃない。中で窮屈になった根が詰まってできたものだ。きっと、前の飼い主は気づかなかったのだろう。表向きは平然としながら、その裏でこいつがため込んできたものを。俺のように。
「お前、この鉢植え、小さくてきつくねえのか」
「そうですの」
「水は足りてるのか」
「まだ根に水は残っているけれど、そろそろ乾いてきたわ」
「あとどれくらい生きられるんだ、お前は」
「分からないわ」
どうやら、このシャーロットとやらは俺が思っていた以上に相当深刻な状況にあるらしい。足をもがれた「猫」の同類だと思った。光を奪われ、水に不足し、大地の狭いこの環境はまさにこのシャーロットを死の淵へと引きずり込もうとしている。
それでも、シャーロットはこちらの同情を誘うような真似を一切しなかった。悲痛な鳴き声をあげるわけでもなく、抗う様を見せる訳でもなく、淡々と足りないものを乞うだけ。そこに絶望の色はなかった。
――パパ、ハンバーガーを食べに行こうよ。
いつだかの真里の声が脳裏を過った。俺の立場もジャンクフードにうつつを抜かせない状況も知らず、無邪気に笑う真里の声。でも、俺がそれに救われていたのは事実だった。そして、その真里をこの俺が裏切ったのも事実だった。
一体、何の気の迷いだったのだろう。気が付けば、俺は鉢ごとシャーロットを抱えていた。
「地震? 地震ですの?」
「うるせえ、ちょっと黙ってろ」
俺はシャーロットと共にジャンクヤードを出た。
最初、シャーロットは揺れに敏感に反応していたが、しばらくすると黙り込み、再び「私に光のあらんことを!」と声を張るようになった。
「もうちょっと待ってくれ。うちのベランダなら、高架の隙間から光差してるからよ」
贖罪のつもりか、と俺は自らに問うた。たとえこんなことをやったところで、真里が返ってくる訳でも、許してくれる訳でもないと言うのに。
「それは嬉しいわ」
一段と明るい口調でシャーロットは言った。まるで、俺の心中なんて知らないとばかりに。無邪気な声で、平然と。
「周辺環境さん、どうか、あなたにも光のあらんことを」
これが、しゃべる奇妙な植物との同棲生活の始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます