4.グラプトベリアは時間にルーズ
マギーがやってきた翌日の日曜日、私は隣人が壁を叩く音で起こされた。
「ベランダで呻いているのを止めてくれ!」
その日は久しぶりの夏日で、昼間は半袖で歩ける陽気だった。ベランダに出ると、大きな鉢にちょこっと乗った小さなマギーが(正確には鉢のスピーカーを借りて)ドスの効いた重低音で呻いていた。
「暑い……。死ぬぅ……」
そういえばマーガレット・レッピンは暑さに弱いんだっけか。確かにこの日差しは堪えるだろうと私は鉢ごと部屋に入れた。
「ぷはあ、涼しいぜ」
部屋に入れるや否や、キンキンに冷えたビールを流し込むおっさんのような反応をするマギー。でも見た目がちっぽけでふっくらした多肉植物なのだから、そのギャップが心なしかほほえましく思えた。なるほど、こいつはなかなかカワイイかもしれない。
「おい、
私が鉢を抱えっぱなしだったためにその揺れを検知したんだろう。植物は重力を検知できると茜は言っていたっけ。
窓から少し離れた日陰に鉢を置いてやると、マギーは「お、止まった止まった」と無邪気に騒ぐ。
「水、いる?」
「いらんな。むしろここ、じめじめしてて根が腐りそうだ」
すぐ近くの棚でスマート加湿器が唸っていた。乾燥肌の私にはオールシーズン欠かせない代物で、部屋の湿度を適切に維持してくれる。さすがに湿度設定を落とす訳にもいかなかったので、加湿器から離れた場所に持っていったが、マギーはまだ気に食わないらしい。
「じめってる……。根が……根があああ」
居間の中のありとあらゆる場所を試してみたが、反応はおおよそ一緒だった。さすがにいらついた私は鉢ごと玄関に向かった。運ぶ途中再び「おい、まだ大地のぐらぐらが止まらねえぞ? 根端ネットワークに負荷をかけないでくれ」と喚くもそれを無視して、鉢をヒールの横に置く。何か文句を言われると思ったがスピーカーから聞こえたのは囁くような声だった。
「あれ、なんだ夜か。おやすみ。以上」
まだ午前十時十七分だというのに、時間の感覚は意外とぶっ壊れているらしい。
遅めの朝食をシリアルで済ませた私は、イスラエルベンチャー発の最新型汎用デザインAI〈ルート・エンド〉の使用感を確かめていた。広告のデザインは今まで〈ファースト・インプレッション〉に一任していたが、他のクリエイティブ・ディレクターや同業他社もそのAIを使うせいで、デザインが似たり寄ったりになったとはよく言われる批判である。絶滅危惧種となった人間のデザイナーに頼むこともできるが、納期破壊が起きたこの現代で、業務フローの中に複数人目の人間を組み込むことはリスキーだった。
だからこそ複数のデザインAIに精通し、その特徴を踏まえて使い分けるAIテイマーは重宝される。今回の〈ルート・エンド〉は動的デザインに強みを持つAIらしく、サイネージやARといった電子・仮想公告との相性は抜群らしい。情報の自動検索AIたちが以前からマークしていた製品で、私は発売と同時にトライアル版をインストールしてみた。
昔のプロジェクトでやった広告デザインを〈ルート・エンド〉にやらせてその感触を見てみる。ペルー料理がブームを迎えた時期に商社向けに作った
二十分後、気付けば私はおいしいピスコサワーが飲めるペルー料理店を検索していた。無性にセビチェが食べたい気分だった。そこで私は嫌な予感がして、動画分析AI〈エンリミナル〉にその原因究明をさせた。案の定、〈ルート・エンド〉の動画広告には、人間が認知できない程短時間ながら、無視できない影響を与えるサブリミナル広告画像が組み込まれていた。〈リーガル・アイ〉に聞いてみると、違法と認定される国や地域のリストが列挙された。日本は含まれているが、イスラエルは含まれていない。その機能をオプションで外せるようにもなっていなかった。想定外の問題だったが、使えないものは使えない。
午後一時を十五分回っていた。軽くお昼でも食べようかと重い腰を上げると、廊下の向こうから喚く声。耳を澄ませると、案の定気配ではなかった。
「光を! 我に光のあらんことを!」
植物の言語の翻訳AIを作ったエンジニアの遊び心かは知らないが、オペラの名優のように響くそのセリフをしゃべっているのがちっちゃな多肉植物なのだから、足の力が抜けそうになる。
確かに日が出てから数時間で暗い場所に置いたのだから、日光不足になるのも仕方ない。けれども、新たな置き場所は見つからなかった。窓辺は皆加湿器のテリトリーで湿気に弱いマギーはすぐに根が腐ると喚き出す始末。
結局、注文の多い多肉植物のために私は加湿器の電源を落とさざるを得なくなった。一時的に除湿モードに切り替えると、三十分程でマギーは静かになった。
翌朝、私の肌はカサカサになっていた。
それからも、マギーを黙らせるために加湿器の設定湿度を大幅に落とさざるを得なくなった私は化粧水と乳液のランクアップを余儀なくされた。
まったく、金のかかる子だ。
私が。
🌳 🌳 🌳
寒さが本格化した頃、私は仕事でちょっとしたミスをやらかした。
同時に十個のプロジェクトを並行して抱える私のようなディレクターに求められるスキルの一つに、それらを混同しないことがある。スケジュール管理AI〈セクレタリア〉をフル活用し、今の分析がどのプロジェクトのものかを考える作業を自動化していたものの、私は終了していたプロジェクトのステータスを「実行中」から「終了」へ変更するのを忘れてしまっていた。その結果、AIに食わせるデータを誤ったものにしたまま〈キラーワード〉にコピーライティングさせていたことが判明した。
新人以来のミスだった。混同の防止にAIを活用しているとはいえ、集中力が散漫になればよく起きるヒューマンエラーの一つだった。
その日のうちに気付いたものの、修正を終えて家に帰って来たのは零時を回っていた。マギーのふくよかなかわいらしい姿に今こそ癒しを、と思って扉を開けた私を出迎えたのは、喉をからからにして喚くマギーだった。
「俺は砂漠に生えてしまったのか? いくら俺が乾燥に強いといえど、これはいつまで持つか分からん。水を! 我に水のあらんことを!」
買ってきたビールのロング缶を袋ごと落としそうになった。確かに、マギーの葉をよく見ると、最近の私の起きたての肌のように張りがない。
葉に直にかからないように注意しながら水を差すと、
「ぷはあ、生き返るぜ」
ダメなおじさんに依存する女性の気持ちをちょっとだけ理解してしまった。
でも、私にはその気はないことはすぐに分かった。それからも、不定期にマギーは「雨乞い」をするようになったが、「雨乞い」前の水やりは「根が腐る」と断固として拒否するマギー。私がいない間にあった三回目の雨乞いの儀は延々と続いたようで、お隣さんにも嫌味全開で苦情を言われた。
注文が多いのには慣れてきたが、さすがに隣人に迷惑をかけるのは勘弁して欲しいと心から願った。とりあえず、鉢のスピーカーの前に布をかぶせて音量を落とすことで対応した。
🌳 🌳 🌳
年末、栃木の実家に帰る込み合った新幹線の中で、私は憂鬱をビールで流し込んでいた。
平成世代の親たちはあまり結婚を強要する世代ではない。実際、友人らの結婚報告を母に伝える度に彼女はこう言うのだ。
――結婚するもしないも瞳子の自由だよ。
でも、本当は知っている。父の給料があまり良くはなくて、満足な式を挙げられなかった母の夢が、一人娘の晴れ姿を見ることだということを。だから、実家に帰る度に感じる、押し殺す母の優しさが却って痛かった。
でも、今年に限って、母は何も言ってこなかった。久しぶりの母の料理は薄味だけど、温かった。
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