3.〈植物2.0〉

「〈植物2.0〉? 聞いたことないけど」


 その週の金曜日、仕事終わりから終電までの三時間十八分を私は友人の花村茜と串カツ屋で女子会をしていた。とはいっても、仕事の愚痴とアラサー女子を振るという業をしてみせた彼の残像を二度漬け禁止のソースに何度でも沈めるためだった。新婚早々とは言いつつも、茜の新郎も今日は会社の打ち上げらしく、久しぶりに時間を気にせず飲める女子会だった。


 そこで私の現状を察した茜が勧めてくれたのが〈植物2.0〉だった。想定外の提案に私は目を丸くした。


「何それ、ナノテクを害虫で自動除去したり自分で自分の水やりができたりする植物?」


 茜は笑って、うずらの卵をほおばったままの口元を覆いながら答えた。


「そんな出来たものじゃないよ。


「しゃべる?」


 昔からよくある、会話のできるぬいぐるみやロボっとの類かと思うと途端に興味が失せた。年始に汎用会話AI〈ルーシー〉がチューリングテストを突破したことは話題に新しかったが、型通りの会話しかできなさそうなそれが失恋直後の女子に塗る薬になるとは信じられない。


「しゃべるっていってもね、〈ルーシー〉ベースの会話AIじゃないの」


 私の反応が悪いのを察して、茜は補足を始めた。


「瞳子、植物の感じる世界を想像したことある?」


 私は首を傾げて、ジョッキを持つ手も傾けた。太るからと最近は控えていたが、やっぱりこののど越しはたまらない。ウーロン茶をちびちび飲みながら、それを呆れた顔で茜は見ていた。


「瞳子、ビールやめたんじゃなかった?」


「私が甘いワインより苦いビール好きなの、知ってるでしょ」


 獅子唐の串をつまむ。


「学生時代にビールを飲むペースが早すぎてコウタくんに振られたことも」


 ビールが喉につっかえた。


「あれは悪かったって。せっかく合コンで紹介してもらったっていうのに」


「いいよ、別に。あれくらいで引いちゃうようじゃ瞳子とは付き合えないからね」


「だからビールやめてたじゃん」


「それで、彼氏に連れられるままに、バルやらでワインばっかり飲むようになったと」


「女性はビールよりワインが好きとかいう先入観、いい加減捨てて欲しかったけどね。平成初期のおっさんかっての。最低でもフルボディでしょ」


 愚痴を二度漬け禁止のソースに飛ばすと、思わず唾も着弾してしまった。周囲を見回すも、誰も見ている気配はない。セーフ。ほっと胸をなでおろすも、カモフラージュされていたのか、ソースの入った容器がしゃべり始めた。


『アミラーゼを検出しました。二度漬けはご控えください』


 店員がすっ飛んできて、ソースを手早く取り換えた。その間、私は肩をすぼめてビールをちびちび舐めた。店員が去って、残りを流し込んだ。スマート社会に乾杯。完敗。


「――で、植物の世界が何だっけ?」


「植物が世界をどう認知していると思う?」


「植物の認知か……」


 記憶を掘り進めると最初に見つかったのは小学生の時に育てた朝顔だった。目はない。耳も……たぶんない。鼻は……どうだろう。何らかの化学物質の検知のために使うのだろうか。待って、光合成には光が必要だから、人間程ではないかもしれないが、光の検知はできるのかも……。


「瞳子、植物と動物の一番の違いって何だと思う?」


「それは――」


 と言いかけたところで新しくビールが運ばれてきた。とりあえず一呼吸一口


「動けるか動けないか、でしょ」


「そう。植物は動けない。でもね、それは生えた場所で漫然と生きていくことを意味してないらしいの」


「どういうこと?」


「植物が光を求めて伸びていく屈光性は昔から知られているし、根っこは水や肥料など、必要なものに向かいつつ、危険なものや同族を回避する鋭敏な感覚を持っている。化学物質を嗅ぐ嗅覚は同族同士のコミュニケーションに使われているし、重力覚や磁覚だってある。オジギソウやハエトリグサを考えれば、触覚があることだって一目瞭然でしょ」


 想定外の情報量で飲み込み切れない。ちょうど目の前にあったチェイサービールに頼る。茜は続けた。


「植物は動けないから、動かずに生き延びる方法を編み出し続けたって訳。感覚を研ぎ澄ませ、周辺環境に鋭敏に対応するの」


「動けないってのにどうするの? 自分を食べる虫がやってきても逃げられないんじゃ、感覚を鋭敏にしたところで、痛いだけじゃ」


「植物だってただ黙ってる訳じゃないんだよ。葉の味を苦くして虫を撃退させたり、その虫を食べる虫を呼び寄せる揮発性の化学物質を放出して守ってもらったり、危険が近づいたらその存在を同じく化学物質で周囲の同族に教えたり。植物も彼らの言葉を持っているのよ。植物は人間と違って逃げられないから、とにかく戦う術を身に着けたって訳」


「ふーん」


 ビールのつまみになりそうは話ではないと思った。ただ、植物にとって化学物質は言語、というのは興味深かった。〈キラーワード〉で彼らの言語を最適化したらどうなるんだろう、などとぼんやり考えた。


「それでね」茜はまだ続ける。私は再びジョッキに手を伸ばす。


「植物の言語の研究は今世紀初頭までさっぱりだったんだけど、自然言語処理系のブレイクスルーが波及したお陰で、この十年で一気に植物の言葉の理解が進んだの。つまり、しゃべる植物って言っても、〈ルーシー〉ベースじゃないってのはそういうこと。――その機能を搭載し、統合情報解釈AI〈インタープリタ〉で補完して会話ができる形に仕上げたのが〈植物2.0〉って訳」


「で、何が楽しいの、それ」


 空になったジョッキを置いてそう返すと、茜はショックを受けたように口をぽかんと開けた。想定外だった。いや、アルコールが回って想定力が落ちているんだ。


 茜は頭を抱えた。


「瞳子、ばっかじゃないの。あんた、だいぶ重症だよ」


「重傷? そりゃあ彼氏にフラれてまだ三日しか経ってないんだから心の傷は癒えてないけどさ」


「そうじゃない!」


 茜が珍しく語気を強めた。


「瞳子、あんたいつからそんなAIみたいになったの?」


 AIとAIに挟まれて、人間の私もAIになる。まるで、裏返されたオセロの石みたいに――出張帰りに考えていたことを思い出した。


 その後も茜の熱心な説得に折れて、試しに〈植物2.0〉を買うことにした。朝顔より世話がしやすいからと多肉植物を勧められ、見た目が一番カワイイと思ったグラプトベリア属マーガレット・レッピンを買うことにしたのだった。

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