第129話 閑話 サマルカンド攻防戦1
「くああ!」
カラスが一鳴きすると、パタパタと階段を登る音が響く。
すぐにタイタニアが窓をガラリと開けてテラスに顔を出した。
「カラスさん、おはよう」
「いつもありがとな」
「ううん。わたしも朝起きたらお水が飲みたくなるもの」
タイタニアはにこにこと深皿にヤカンを傾け水を注ぐ。
「待ってました」とばかりにカラスは嘴をコツコツと揺らし、喉を潤す。それだけではなく、彼は頭を水の中につけブルブルと左右に揺らした。
しかし、勢いがつきすぎたらしく、タイタニアの亜麻色の髪へ水しぶきがかかる。
「あはは」
「お前はいつも楽しそうだな」
顔をあげずにカラスが囀った。
対するタイタニアは横柄なカラスの態度を気にした様子もなく、笑顔のまま膝立ちの姿勢から立ち上がる。
「だって、食べることができて住む家もある。みんな仲良く暮らしているから!」
「わかりやすくていいな。分かりやすい奴は嫌いじゃない」
カラスもタイタニアにつられてか機嫌よく「くああ」した。
「フジィはそろそろ帰ってくるのかなあ」
「そのうち帰ってくるだろ。心配か?」
「ううん。心配はしていないよ。だってフジィだもん!」
一点の曇りなくタイタニアは満面の笑顔で両手を前にして拳を握りしめる。
彼女はふじちまの身を案じる気持ちなど微塵たりとも持っていない。導師である彼がヒヤリとする場面など存在しないからだ。
彼女にあるのは、「彼に会えなくて寂しいかな」それだけ。
「あ、そうそう。分かっているとは思うが、来るぜ?」
「え? フジィが帰ってくるの?」
「違う違う。あいつはまだ先だ」
「んん?」
「ゴブリンの奴らがここに来る。この分だと明日の朝には到着するだろうな」
「え! ええー! それは大変! すぐにフレデリックさんとリュティエさんに知らせないと!」
「疑わないのか?」
「え? どうして?」
「あ、いや、まあいい。早く知らせてやれ」
「うん!」
好ましいと思っていたが、少し苦手かもしれないカラスは心の中でそうくええした。
◆◆◆
タイタニアがゴブリン襲来のことを伝えると、サマルカンドの街は厳戒態勢に入る。
情報源のカラスにフレデリックがゴブリンの規模感を尋ね、明日までに対応を決めることになった。
その日の夜、フレデリック、リュティエ、タイタニア、カラスを始めふじちまからアクセス許可を得ているメンバーが集会場に顔を出す。
カラスがふじちまの家を始め、集会場にまでアクセス許可を持つことを疑問に思う者がいるかもしれない。
これはカラスとふじちましか知らないが、彼は離れたところにいる者と話す魔法が使えるのだ。
カラスはふじちまにこう囀った。
「人間、先にお前の家に行っとくから中に入れろ!」と。
すぐにふじちまはタブレットを操作し、彼へアクセス許可を与えたというわけだ。
「ここにいない精鋭達には、私とリュティエ様より後ほど作戦を伝えます」
フレデリックの発言をタイタニアが翻訳する。
彼女の言葉にリュティエとマッスルブがうんうんと頷く。
「なんかめんどくせえな」
カラスの言葉はハトと同じように誰にでも理解できた。
たが、言葉というのは種族によって異なって当たり前なのだ。こればっかりはどうにもならない。
「カラスさんとかフジィみたいに誰にでも分かる言葉なんて、みんなは喋れないよ」
「そうか。仕方ねえ。食事の礼だ。そこの……二人とタイタニア、こっちにきて手を俺の方へ向けてくれ」
カラスが漆黒の翼をばさーっと開き、三本ある脚のうち二本を折りたたんで一本立ちの姿勢をとる。
すると、カラスの両の翼の先端から光が漏れ出し円を描く。
円には複雑な紋様が刻まれており、一定の法則に従って描かれているように見える。
「……魔法陣……ですと……」
フレデリックの真っ白になった片眉が上がった。
驚くのも無理はない。
彼を含め公国の者は文献でこそ知ってはいるが、魔法陣を実際に目にした者はいないのだから。
「エターナルマジック。ぐあぐあモード」
魔法陣が三つに分裂し、フレデリック、リュティエ、タイタニアの手のひらへ吸い込まれていく。
「フレデリックだったか? 喋ってみろ」
いきなり「何か話せ」と無茶振りされたフレデリックは眉をあげたまま身動きできないでいた。
「フレデリック殿。これは魔法というやつですかな」
「このような高度な魔法は見たことがありませんが……魔法に違いありません」
ここでハッとする二人。
タイタニアもすぐに事態に気がつき、両手を口に当て驚きを露わにする。
「ま、まさか言葉を……」
リュティエがワナワナと髭を震わせ、耳をピンと張った。
「お互いに言葉が通じねーのは面倒だろ? タイタニアが翻訳すんのもそれはそれで味があっていいと思うけどよ」
「カラスさん、魔法はいつまで効果があるの?」
「ん? 俺がぐあぐあマジックを解くまでだ。エターナルって言ってたろ?」
「え、永続魔法です……と……」
タイタニアとカラスの会話を聞いていたフレデリックが思わず口を挟む。
魔法とは魔力を消費してこの世に奇跡をもたらすもの。
しかし、魔法は炎のごとく燃え上がりいずれ消え去るものというのが常識だ。
そもそも魔法というものは、コップ一杯の水を出したり、小さな明かりを指先に灯したりとささやかではあるが便利なものというのが公国の常識である。
「カラス殿も
「俺はカラスだ。それ以下でもそれ以上でもない。あの人間もどきとは違う」
「ふじちま殿はやはり別格なのですな?」
「それは分からん。だが、普通の人間とは構造が異なることは確かだ」
カラスは「この話はもう終わりだ」とばかりに嘴を上にあげ、けたたましい鳴き声をあげた。
「カラス様。貴重な魔法をかけていただきありがとうございました」
背筋をピンと伸ばし佇まいを正したフレデリックは、丁重な礼をカラスに向ける。
「では、ゴブリンの対策を練りましょう」
クルリと踵を返し、円卓に備え付けられた椅子を引くフレデリックであった。
一方、この場に残っていた他の者はというと……マッスルブはもしゃもしゃしており、ジルバは静かに椅子へ腰掛けみなの戻りを待っているといった様子だ。
「フレデリック殿。獣人は全力で公国をサポートいたす」
開口一番にリュティエがそう言い切り、ジルバもコクコクと頷く。
「感謝いたします。ゴブリンどもの狙いは人間であることが予想されますが……」
「狙いは関係ありませぬ。共に生き共に死ぬ。我々はふじちま殿の元に集まった同志ではありませんか」
「リュティエ殿……」
一度は戦った仲とは言え、今は同じ釜の飯を食べる朋友である。
朋友の危機に立ち上がらずにして、共に立つことなど選びはしない。
リュティエはそう熱っぽく語りかける。
「共に歩みましょうぞ。我らは約束された地の勇士! 剣を取るべき時には恐れなどありましょうか」
「このフレデリック、感服いたしました。我らは一連托生。ご協力など考えていた自分が恥ずかしい。サマルカンドを共に守りましょう!」
リュティエとフレデリックはガッチリと握手を交わす。
「うんうん」
一方でタイタニアは、二人の熱い話に感激して目に涙が浮かんでいた。
目元に指先をやり、涙をすくい取ると両手の拳を胸の前で握りしめる。
「わたしも頑張ろう! フジィがいなくたって、ううん。フジィがいない間、サマルカンドを守るんだ」
タイタニアは大きく首を縦に振る。彼女の頭の動きに合わせて後ろでくくった長い髪の束が揺れた。
「えへへ。フジィに手伝ってもらわなくたって、髪も結べたんだ。だから、きっと! うん!」
タイタニアが一人呟いている間にも作戦会議は進んでいく。
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