第130話 閑話 サマルカンド攻防戦2
カラスの言葉通りにゴブリンの軍団がサマルカンド北東方向から姿を見せる。
「数はおよそ五百といったところですな」
物見からゴブリンらを見下ろし、リュティエが事務的に呟いた。
彼からは敵に対する恐れといったものは感じ取れない。むしろ高揚しているようにさえ見える。
同じく物見から静かに情勢を見守るフレデリックは、リュティエに向け優雅な礼を行う。
「しかし、マルーブルク殿の慧眼はどこまで見通しているのか驚かされますな」
緊張を解くためかリュティエがガハハと大仰な仕草で笑う。
「褒めていただきありがとうございます。我が主君の目はどこまで見通しているのか」
ここにはいない金髪の少年の顔を思い浮かべ、フレデリックの口元がついつい緩んでしまう。
サマルカンドを立つ前にマルーブルクはふじちまと相談し、外周の設定を変更していた。
襲撃や天災など不測の事態が起こった時のことを想定し、街の住人全てが外周の道へ入ることができるようになっているのだ。
幸い公国も獣人もゲート通過の住人登録が済んでいたからできたこと。
ふじちまにとっては、ゲートにあるアクセス権のメンバーをそのまま外周に移すだけの簡単なお仕事だった。
それが今、ことこの場にいたって効果を発揮しようとしているわけだ。
「間も無く状況を開始いたします。タイタニア、マッスルブさん、よろしくお願いします」
物見の窓から乗り出さん勢いで外を眺めていたタイタニアが、姿勢を正しフレデリックへペコリと頭を下げる。
マッスルブはといえば、公国では見慣れない袋へ手を突っ込み薄く切って揚げた芋を数枚取り出した。
彼の肩にとまったカラスの嘴に一枚噛ませ、自分は残り全てを口の中に入れもしゃもしゃする。
「わかったぶー」
「こいつはうめえな。人間もどきもやるじゃねえか」
上機嫌にくあくあするカラスは揚げた芋がいたく気に入った様子だ。
今朝、彼はキッチン脇の戸棚を勝手に開けて、この袋を発見した。
マッスルブに封を切ってもらって今に至るというわけである。
マッスルブはもぐもぐしつつもカラスを乗せたまま階下へ向かう。
後を追うようにタイタニアも動きはじめた。
二人は伝令役を務めることになっていて、獣人の言葉が分かるタイタニアは獣人と公国の間を走り回る予定になっている。
マッスルブは獣人側の伝令役の一人であるが、タイタニアと連携する役所だ。
「ぶーちゃん、今日はよろしくね」
タイタニアが階段を降りつつ後ろからマッスルブに声をかけると、彼の代わりにカラスが首だけを後ろに向ける。
「任せておけってよ」
「カラスさんはかわらないね」
「ん? 何がだ?」
「戦いの前なのにいつも通りだなあって」
「くあ。そんなことか。俺は空を飛べるからな」
くあくあと愉快そうにカラスが囀った。
タイタニアもそれにつられクスリと小さな声を出す。
「うん。戦いの時こそ明るく笑顔で。そうだよね、うん」
両手をパタパタと振り、最後に頰に手を当て「よおし」と呟くタイタニア。
器用なもので、彼女は階段を降りながらこのような仕草をしている。
「そもそもあの人間もどきが(魔力で)編んだ要塞の中じゃねえか……」
カラスがボソりと呟くもタイタニアの耳には届いていない。
彼の耳元にいたマッスルブは袋の中身がなくなってしまった方へ全神経が行っていたため、こちらも同じく聞いちゃいなかった。
◆◆◆
北西公国側ゲートから西の角まで伸びた道の中にビッシリと獣人達が射撃武器を持って並ぶ。
遠心力で小石を射出するスリング、紐と枝の張力で先端鋭い小石を射るパチンコ、小ぶりな弓、長弓など彼らの得物は様々だった。
武器と同じように種族も様々で、コボルトがもっとも数が多く兎頭が一番少ない。
「まだ、待て」
物見から移動したリュティエは、ゲートを構成する左側の大理石の柱の上で大きな旗を掲げていた。
旗の色は赤一色で何ら意匠は凝らされていない。
これは公国が兵への指示用として持っていたもので、前線で指揮をとる彼は公国からこの旗を預かり受けた。
リュティエは迫り来るゴブリンの軍団を睨みつけ、喉を鳴らす。
威嚇するような低い音を。
一方、北西角から南に並ぶのは公国の兵士だった。
等距離で真っ直ぐ土台の道の中に整列し、静かに指示を待っている。
これを率いるのはフレデリックだ。
彼は兵の列の中央後ろに立ち、小隊長役を務める二人の部下へ目配せをする。
彼の無言の仕草へ二人の兵は敬礼を返し走りはじめた。
彼らが目指す先は列の両先端。
兵もまたリュティエと同じ形の旗を持ち、両手で柄を握ったままゴブリン達の動きをつぶさに観察する。
対するゴブリンらは固まって整然と進軍していた。
数はおよそ五百。
ほとんどがノーマルゴブリンだったが、中には大柄なホブゴブリンもちらほらと混じっている。
ホブゴブリンより更に大きく筋骨隆々なゴブリンもいた。これはゴブリンキャプテンと言われる上位種で、ノーマルゴブリンからは二段階の進化が必要である。
その中でも最も目を引くのは、ゴブリンキャプテンと同様の体格であるものの肌の色が薄い赤色と青色の二体だろう。
このゴブリンは頭から伸びるユニコーンのような捻れた角が生えていた。といっても角の長さは頭の半分くらいの長さではあるが……。
彼らは三段階の進化を遂げた才あるゴブリンで、種族名はレッドホーンゴブリン、ブルーホーンゴブリンまたは、赤鬼、青鬼と言う。
進化種に率いられた彼らの軍団は公国が知るゴブリンとまるで異なる性質であった。
しかし、サマンカンドには驚く者などもはやいない。
過去ゴブリンに襲撃を受けたサマルカンドの者たちは、ゴブリンが変質し手強くなったことを知っていた。
しかし、公国は魔族と獣人は竜人と戦った経験がある。
そして何より、いま肩を寄せ合って共に弓を構える頼り甲斐のあるお互いが戦った経験があるのだ。
五百程度の戦闘集団になど怯むわけがない。
ここに集まった兵は公国と獣人を合わせて僅か三百である。
元々兵士達が集まり形成したサマルカンドなので、準備しようとすればより多くの兵士を並べることだってできた。
しかし、一見するとただの土台だが堅牢に過ぎる見えない壁で形成された城壁の内側へ並ぶにこの数で事足りる。
それにサマルカンドの敷地は広く、ゴブリンだけを警戒するわけにはいかない。
住民の生活もある。せっかく軌道に乗りはじめた農場や牧場のことも。
――北西公国側ゲート前。
「ゴブリンが壁に当たる直前まで待て。いつもの距離感では無いと心得よ。ふじちま殿の壁は決して破れぬ!」
弓で狙える位置までゴブリン達が距離を詰めてきたが、リュティエはまだ射れとは命じない。
確実に中る近距離で弓を放てと彼は命じるつもりだ。
まだ。
あと少し。
「撃て!」
声を張り上げ叫ぶと共に旗を高く掲げて振るう。
ゴブリン達はちょうど前列が見えない壁に弾かれ後ろ向きに倒れ伏したところだった。
後列のゴブリンも予想外の前列の動きに戸惑いを見せている。
そこへ小石と矢が一斉に舞い込んだ。
悲鳴をあげ倒れ伏すゴブリン達。
無傷の者や軽傷だった者達も恐慌状態に陥った。
これと時を同じくして西側からもゴブリン達の怒声と悲鳴が入り混じった声が聞こえてくる。
「フレデリック殿もはじめたのだな」
旗を小脇に抱えたリュティエは、ひらりと柱から飛び降りた。
高いところから飛び降りただけだったが、しなやかな猫科動物特有の動きは十分に見て取れる。
「高いところにいた方が全体が見えやすいんじゃないかみゅ?」
「お前はもっと後ろに下がっていろと言っただろうに……」
リュティエの言いつけを守らず、前線に顔を出したアイシャは、バツが悪そうにウサギ耳をペタンと頭につけた。
「クー・シーたちは元気一杯みゅ」
「そうか、だが、此度はクー・シーに出てもらう必要はなかろう」
「リュティエ、どこ見てるみゅ? 公国の兵が気になるのかみゅ」
「いや、彼らは我々以上に訓練されている。何も言うことなどない」
リュティエが何を言いたいのか分からず、アイシャは不思議そうに首を傾ける。
「きっと、フレデリック殿も私と同じようなことを考えているだろうと思ってな」
リュティエはここからは見えぬもう一人の指揮官に思いを馳せた。
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