第69話 みゅ

 ちょっと言語の勉強を頑張りすぎた。

 少しいつもより寝るのが遅くなって、朝日と共に目覚めるのはいつも通りなんだけど……寝起きが快調とは言えず、まだ眠気が残っている。


 階下に行くと既にワギャンの姿は無く、タイタニアがコーヒーを淹れてくれた。

 それにしても……。


「髪の毛がえらいこっちゃになってるぞ」


 タイタニアは寝る前にシュシュを外したんだろう。今は髪に何もつけておらず、髪の毛がそのままになっていた。

 外すのは別に構わないんだけど……。


「そ、そのうち?」

「いや、それは元に戻るのかなあ」


 鳶色の長い髪の毛はあっちゃこっちゃに跳ねて乱れ、古風なコントで稀に見る爆発に巻き込まれた後のようだった。

 どうやら、そのままにしておくつもりだったみたいだし……。そうだな。ここは。


「よし、コーヒーのお礼に。洗面所まで行こうか」

「うん?」


 そんなわけで洗面所である。タイタニアの後ろに立ってお湯を絞ったタオルで彼女の髪の毛を濡らして行く。

 櫛で髪を梳りながら、ドライヤーをぶおおおんと。

 ドライヤーの音にビクッと彼女の肩が揺れたけど、すぐに落ち着きを取り戻した様子。それどころか、鏡に映る彼女の顔は目を瞑りとても心地良さそうに見えた。


「フジィに髪の毛を触ってもらうの気持ちいい」

「おう!」


 ほんわかとした笑顔を見せるタイタニアへ、一瞬ドキリとする。

 平静を装いつつ長い髪の先を伸ばしていたら、不意にタイタニアが呟いた。


「次はわたしがやってもいい?」

「え……あ、う、うん」


 今度は別の意味でドキドキしたぞ。タイタニアに髪の毛を整えてもらう?

 「あれ?うまくいかないかも?」なんて言いながら、俺の髪の毛がえらいことになりそうだ。


「よし、これで完成。後は昨日のシュシュを持ってる?」

「うん」


 タイタニアは胸元のポケットからシュシュを取り出し、前を向いたまま俺へ手渡してきた。

 昨日と同じように髪を束ねてくるりとしてからシュシュで固定する。


「じゃあ、今度はわたしが」

「え、あ、うん」


 忘れていなかったようだ。

 どうやって断るか考えている間にも、リビングから洗面所に持ってきた椅子に座らされ……。

 あとはどうなったかご想像に任せる。

 

 そんな朝の一幕の後、朝食を食べて戻らないワギャンのためにハムチーズでサンドイッチを用意しておいた。

 途中、こっそりと髪の毛を整えたことはタイタニアに内緒だぞ。


 ◇◇◇

 

 タイタニアと公園の前で別れて、何をするかなあと考えながら自宅に戻る。

 今日は確かワギャンが家畜を見せてくれると言っていたけど、まだお昼には少し早い。

 

「街の様子を見ようかな!」


 まずは日課のテラスにある観葉植物へジョウロで水をやってから、公園に繰り出す。

 展望台へ登り、双眼鏡を構えたところで手を振るワギャンの姿が目に入った。

 

「ふじちまー! 家畜の件だが」

「うん、まだ少し早いのかな?」

「いや、準備はできている。僕一人で全てここへ連れて来るのは無理だった」

「ん?」

「北のゲートの辺りにある程度集めてもらっている」

「分かった」


 ここに連れて来るのは大変だったのかな。俺はどっちでもいい。

 自転車ちゃんがあるからさ!

 そういや、公園はまだプライベート設定なんだよな。家畜はここへ侵入することはできない。

 ハト? 奴には一応アクセス許可を設定している。タブレットで名前を調べたら、まんま「ハト」だったことに笑いそうになったけど。

 俺がもしあいつに名前を付けたら表示される名前も変わるのかな? 今更、ハトを別の名前で呼ぶ気はないけどな。

 

 さてさて、どんな家畜がいるのかなあ。

 展望台から降りて、自宅脇に停車させている自転車にまたがる。

 

「いつも走ってもらって悪いな」

「気にするな。ちょうどいい速度だ」


 ふと自転車の脇に停めてある三輪車に目が行くが、もうワギャンは乗ってくれないんだろうなあ……。

 

「ふじちま」

「悪い悪い。行こう」


 ◇◇◇

 

 ゲートこと鳥居を挟んで外と内側それぞれに、家畜が数種類集まっていた。

 自転車を停車させ、鳥居の下でワギャンと横並びになって、キョロキョロと辺りを見回す。

 

 南側にはマッスルブとピンク色をしたお肌の騎乗豚こと……パイアだったかな。騎乗用と聞いていたが、鞍は装着されておらず、ハミと手綱だけの姿だった。

 さすが騎乗用というのか、足が普通の豚に比べて太く、少しばかり長い。オークの体重を支えることができるほどと聞いているから、相当な馬力があるんだろうなあ。

 全長もクーシーより二回りほど大きいし。余談ではあるが、クーシーには手綱さえついておらず何も装着されていない。

 

「フジチマ。家畜とパイアを連れて来たぶー」

「家畜?」


 パイアに隠れて見えなかったが、確かに他にも動物がいた!

 マッスルブが口笛を吹くと、パイアの後ろからもふもふした羊さんが姿を現したのだ。

 

「羊かな?」

「そうぶー。あと、ヤギも連れて来たんだけど待っている間にどっかにいっちゃったぶー」

「そ、そうか。でも、ヤギと羊なら粗食にも耐えるのかな」

「乳も採取できるし、いいことばっかりぶー」

「そうだな、うん」


 見た所、羊は長旅の疲れからなのか少し元気が無さそうに思えるけど、ここでたくさん草を食べて元気になってくれるかな。


「触らないのか?」


 横で俺とマッスルブの様子をじっと見守っていたワギャンが口を挟む。

 

「触りたかったのかぶー?」


 マッスルブは手綱を引き、パイアを鳥居の目の前まで連れて来る。

 い、いや、別に豚には触りたくは……そこはほら、羊じゃないのか?

 

 しかし、キラキラと期待を込めたマッスルブの真ん丸としたつぶらな瞳と目が合うと、触らないわけにはいかなくなった。

 そっと、手を伸ばしパイアのおっきな鼻に手を伸ばす。

 

『ぶひーん!』

「うお!」


 ものすごい鼻息を手に吹きかけてきやがった。

 吐息は生暖かく、少し湿り気を感じ……余り気持ちいいもんじゃなかった。

 

「落ち着くぶー。フジシマは敵じゃないぶー」


 さあ、とマッスルブが目で訴えかけてくる。

 分かった。触れる、触れればいいんだろ。

 

 今度はパイアの額に手をペタリと当てた。

 手のひらからパイアの体温が伝わってきて、これはこれで悪くないな。やはり、動物ってのは癒されるぜ。

 手を動かし、軽く撫でてみると毛並みの感触も悪くない。見た感じ毛は生えていないように見えたけど、実際には細く透明な短い毛が生えているんだな。

 

「そっちはもう終わったかみゅ?」


 ん、後ろから若い女の子の声が聞こえた。

 あれ? タイタニアの声とは違うような。

 

 振り返ると、声の主はタイタニアではなかった。ここに来てから、会話した女の子はタイタニアだけだったこともあり一瞬ここへ彼女が来たのかと思ってしまったよ。

 でも、考えてみたらすぐ分かる話だ。ここは、獣人側の領域だから彼女が訪れることはない。

 

 件の声の主だが、獣人の女の子のようだった。

 見た目そのものは、人間に近い。長く伸びた白い毛並みのウサギ耳が彼女が人ではないことを主張している。

 

「俺は藤島良辰。君は?」

「あたしはアイシャ。よろしくみゅ」


 アイシャは長い耳をペタンと折りたたみ、頭を下げた。

 し、しかし、眼のやり場に困る格好をしているな……。

 鮮やかな赤色の髪の毛は肩くらいの長さで、前髪は右側だけが長くなったアシンメトリー。

 髪の毛と同じ色をした大きな目は少し垂れていて、小さめの口と相まってビスクドールのように愛らしい。

 年のころはタイタニアより少し下くらいかなあ。

 だが、問題は……。

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