第68話 大事なこと

 ワギャンが泊まる予定の部屋で、一応備え付けの家具について説明する。

 わざわざ説明しなくても見れば分かると思ったけど、一応、ね。


「この箱はクローゼットで、中にハンガーが四つ入ってる。今は必要無いけど、コートやらかける時にな。持ってきた荷物はこの中にでも入れてくれ」

「分かった」


 ワギャンが応じ、タイタニアはニコニコしたまま頷いた。

 クローゼット以外は寝る部屋だから当然ながらベッドがあって、後は小さな机とその上に乗っている手鏡サイズの鏡だけ。


「櫛とかは洗面所にあるから、身支度はそこで頼む。あとタイタニア、そこに座って」

「うん」


 タイタニアは素直にベッドへ腰掛ける。靴を脱いで、ベッドに乗り彼女の後ろへ回り込む。

 俺がささっと取り出したるは淡い黄色のシュシュである。二階へ登る前に注文しておいたんだ。


「髪の毛に触れるよ」


 タイタニアの首が縦に動く。

 了解してくれたので遠慮なく……。左手で彼女の首元にある髪の毛をそっと掴んで、右手で長い髪がまとまるよう首元に集める。

 そのまま左手で髪の束を支えながらくるりと髪の束を巻いて、シュシュで固定した。


「寝る時に外してくれ」

「ありがとう! フジィ! お料理する時はこの方がいいね」

「うん。よかったらそれ、もらってくれ」

「やったー、ありがとう」


 洗い物する時とか長い髪が邪魔そうだったし……この家はIHクッキングヒーターだから、髪の毛が焦げることはないだろうけど……。

 でも、普段の彼女が使うカマドなら、作業の邪魔になるかもだったからさ。


「革紐は持っているんだけど、見えていないと結べなくて……これなら大丈夫!」

「そういうことかあ」


 タイタニアは想像以上に不器用だった……。

 そんな彼女があれだけ器用に弓を扱えるのことが意外だ。


「ぶしちま。さっそくクローゼットの中に荷物を置かせてもらうぞ」


 部屋の隅に置きっ放しだった布のずだ袋を掴むワギャン。

 彼は大事そうにそっと床に薄汚れすっかり色が変わってしまったずだ袋を置く。

 ――カラン。

 ん? ズダ袋を置いた時、いやに乾いた音が聞こえてきたなあ。


 ついつい目がずだ袋にいってしまったようで、ワギャンはそれを大事そうに撫でながらこちらに目を向ける。


「これは腕輪だ」

「いつも持ち歩いているのかな?」

「仮宿の中に保管していた。休む時は出来る限り共に……すごしたい」

「大事な人たちなんだな」

「ああ。僕にとってかけがいのない人たちだ。過去も今も」


 親族や友人の腕輪が入っているのだろうか。彼らを過去形で語らないところにワギャンがどれだけ彼らを大切に思っているのかが伺える。

 首を傾けたままベッドに腰掛けているタイタニアに向け、ワギャンとの会話を復唱した。

 すると彼女は見る見るうちに目が真っ赤になって、ワギャンの背中へ手を伸ばす。しかし、彼の背中に手が届く前に彼女は元の位置に腕を戻した。

 彼女は彼の心へ不用意に踏み込むべきではないと思ったのだろうか? 


「気遣いありがとう。タイタニア。懐かしさや愛おしさこそあれ、もう悲しみは抱いていない」

「ワギャン?」


 ワギャンの名を呼ぶタイタニアへすぐにワギャンの言葉を復唱する。


「うん。ワギャンの心の中で思い人たちは生き続けているんだね。きっとその人たちも懐かしさや愛おしさをあなたに抱いているの」


 ギュと胸元のチョーカーを握りしめるタイタニア。

 まるで自分に言い聞かせるように、彼女の目線は座る自分の膝の上だった。


「ふじちま、お前は何も聞かないんだな」

「俺がズケズケと触れていい話じゃないよ」


 ワギャンの過去に何があったのか。その腕輪の人たちはどんな人なのか……とても興味深いけど、センシティブな話題へ踏み込むべきではないと思う。

 いや、正直言うと、俺が彼らとの距離感に戸惑っているところもある。

 タイタニアもそうだけど、彼らの命はとんでもなく軽い。過酷な日々は、簡単に人の命を奪う。だから、彼らは死んだ人のことを忘れないように必ず自分がいたことの証を持つんだ。

 自分が死んだ後も自分を偲んでもらえるように。ここに自分がいた証を。

 現代日本で暮らした俺には余りにも悲しくて殺伐とし過ぎて、分かろうとしても彼らの心情を推し量れないでいる。

 だからといって、理解や共感を放棄するつもりはさらさらないけどね。


「ここに入っている腕輪は、兄と母のものだ」


 不意にワギャンが呟く。


「そうか……戦争で?」

「いや、兄は狩猟で誤って崖下に落ちてしまった」


 それでよく腕輪を回収したものだ。落ちたら死んでしまうような高さの崖だろう?

 

「大回りして、下に降りたんだ」


 俺の疑問を感じ取ったのか、ワギャンが淡々と捕捉してくれた。


「ごめん、思い出させちゃったよな」

「いや、思い出すことは悪い事じゃない。どんなことであっても母さんと兄さんを思い描くことは、僕にとって大事なことなんだ」

「……うん」

「お前は見知らぬ者であっても、そんな顔ができるんだな。それはお前の美徳だと僕は思う」


 恥ずかしいことを言ってくれるじゃないか。

 いや、彼らは思っていることをちゃんと伝える環境にいるんだ。心の中で思っているだけじゃあ、相手に伝わらないことを彼は知っている。

 いつ、自分が亡くなってしまうか分からない。だから、「今」伝えるんだ。

 

「兄さんはちゃんと埋葬できたんだ。遺体を回収できないことも多いからな」

 

 ワギャンの兄の遺体は彼が回収して、ちゃんと埋葬した。その際に、彼の兄がつけていた腕輪を外して埋葬用の腕輪につけかえたんだそうだ。

 それでワギャンは兄の腕輪を保持しているってわけかあ。戦争に赴いた人たちは腕輪を託されたり、戦死した人はそのまま埋葬したりと腕輪は彼らの生活の中でなくてはならない位置づけにあるんだろうな。


「そうだな! うん!」


 出来得る限り自分を奮い立たせて、明るい声を出す。

 ワギャンの母のことも気になるけど、いつか彼が話をしてくれる時を待とう。


「ワギャンは何て言っているの?」

「お、ごめんごめん」


 ワギャンの話に夢中になってしまって、タイタニアへ向け復唱するのを忘れていたぜ……。

 彼女に伝えると、ポロポロと涙を流しながら納得したように「うんうん」と何度も頷いていた。


「分かるよ。ワギャン。わたし、お父さんとお母さんの遺体は帰ってこなかった」


 ワギャンに伝えると、彼はタイタニアの肩へそっと手を当てにこやかにほほ笑んだ。


「お前の心に、両親はいるさ」

「うん! フジィがね、妹を埋葬してくれたんだ」

「ふじちま?」


 分かってる。復唱だろ。


「ブオーンもふじちまに弔ってもらったんだ」

「ぶおーん」


 ワギャンの言葉を真似るタイタニアへついつい口元が緩んでしまった。

 ワギャンはワギャンで彼にしては珍しく声を立てて笑い、ベッドへゴロンと寝ころぶ。

 

「そうだな。いつでも笑いを忘れないこと。とても大事なことだ」

「きっと、うまくいくさ。大丈夫」

「おう」

「じゃあ、明日の笑顔のために、言葉のお勉強をしますか!」


 俺の呼びかけに対しむくりと起き上がり、ベッドから降りるワギャン。

 タイタニアも彼につられるように立ち上がり、右手を上にあげた。

 

「よおおし!」

「おう!」

「うん!」


 三人でハイタッチを交わす。

 もちろん、笑顔でだ。

 

「じゃあ、自己紹介の復習からしようか」


 ワギャンの自己紹介をタイタニアが真似、俺が答え合わせのように復唱する。

 次は逆にタイタニアから話しをして、ワギャンが真似た。

 ん、何かいい教材になりそうなものはないかなあ。

 

 例えば、イラストを見て単語を覚えるとか。

 うーん、うーん。

 タブレットを出し、おざなりに彼らの言葉を復唱していたら……両側からそれぞれに服の袖を引っ張られた。


「ごめんごめん」


 二時間ほど言葉の練習をした俺たちは、それぞれの部屋で就寝することとなる。

 

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