第62話 ひらがなのお勉強

「うさぎさんの絵を見て欲しい。その上に小さな出っ張り――スイッチがあるんだけど、右にスライドさせて」


 トラとウサギがデフォルメされた子供用の音の出る絵本こと「ひらがな学習本」を全員が真剣に眺める中、再度にはなるが再び電源の入れ方を説明する。


『こんにちは! 今日も頑張ろうね!』


 電源を入れると本から挨拶をする元気のいい少年の声が響く。

 しっかし……大の大人が真剣な顔で絵本を凝視する姿は、とてもシュールだ。


「ふじちま殿。この絵、虎族は分かるのですが、もう一方は兎族ですかな?」


 そこが気になるのかリュティエよ。残念ながら君たちを模したものじゃあない。


「それは遥か古代、俺が使っていた文字を学習するための本で、子供が親しみやすい動物を模した絵なんだ。獣人を模したものではないよ」

「ほう。そうだったのですか。我々から見ると珍妙なのですが、ウサギの絵を少し変えれば親しみを持ってもらえるやもしれませぬ」


 「ふむう」と声を出すリュティエの顔を見ていたら、兎族とやらに興味が出てきた。


「一つ聞きたいんだけど……兎族はどのような容姿なのかな?」

「兎族は男ですとこのイラストのように野ウサギに似た顔をしておりますが、女は人に似ます」


 ナチュラルバニーガールかよ。そういや、物見を建てる時にウサギ耳の女の子を見た気がする。


「そのイラストのうさぎさんは女の子設定だから、少し容姿を変えればと言うことなのかな?」

「その通りです。さすがふじちま殿。理解が早い」

「是非とも変更したいところだけど、残念ながらイラストを変更することができないんだ」

「いえいえ、学ぶ分には何ら不都合はございませぬ」


 両手に握り拳を作って顔の前でググッと強く握りしめるリュティエであった。

 おっと、説明を続けないとな。


「文字が書いてあるパネルを押せば、その文字が意味する音が出るから、それで覚えて欲しい。ノートを使い切っちゃったらすぐに次を出すから遠慮せずに」


 というわけで、しばしの間お勉強タイムとなる。


 一時間後――。

 みんな素晴らしい集中力だ。もう一時間ほど経過しているけど、一人を除いてノートや絵本を使ってお勉強を頑張っている。

 そう、一人を除いてだ。

 

「何だい?」

「いや……」


 サボっている栗色の髪をした生意気そうな少年をじとーっと見ていたら、目が合ってしまった。

 彼はノートも絵本も閉じて、優雅に紅茶とクッキーを嗜んでいる。

 

「ひょっとして、ボクがやる気がないとか思ってないよね?」

「い、いや」


 しまった! あからさまに目が泳いでしまったじゃないか……。

 こいつは、またいじり倒されるぞ。

 冷や冷やしていたら、意外にもマルーブルクは嫌らしい笑みを浮かべずに指をパチリと鳴らした。

 

「じゃあ、何でもいいから名前を言ってみなよ」

「お、おう。え、ええと。『ジルバ』」


 今日は来ていないジルバの名を告げてみたところ、マルーブルクはノートを開いてサラサラとボールペンを走らせる。

 書き終わったところで、彼は俺に見えるようにノートを掲げた。

 

『じるば』


 ノートに書かれた字を見て目を見開く。

 ま、まさか……。

 

「じゃ、じゃあ。『フジシマ』」

『ふじちま』


 こ、こいつ……。わざと「ふじちま」って書きやがったな!

 

「クスクス……冗談だよ。ほら」


 今度はちゃんと「ふじしま」と記載して俺に見せて来た。

 

「ひょっとして、もう全部覚えきっちゃったの?」

「うん。『ひらがな』は表音文字だろう? 公国の文字も表音文字なんだ。だから覚えやすい」

「それでも、字の形は全然違うだろう?」

「そうだけど、発音はボクらの音で聞こえるから。対応表を作って、形を覚えるだけだよ」


 マルーブルクはノートのページをめくり、俺に手渡す。

 そこには、五十音順にひらがなが並び、その横に見たことのない字が記載されていた。アルファベットに近いようなそうでないような……。


「この表って、他の三人も作っているのかな?」


 マルーブルクのノートを三人に見せると、タイタニア以外は彼と同じような対応表を自分で作成していた。

 

「わ、わたし……文字は苦手なの……」


 タイタニアは顔を伏せ申し訳なさそうに、呟く。

 

「タイタニア、これから学べばいいだけだろう? 誰だって得手不得手はあるものさ」

「は、はい。マルーブルク様」


 マルーブルクの意外な一面を見て、思わず感心して「うんうん」と頷いてしまった。

 彼にも人を気遣うところがあるんだな。

 

「そ、そうだよ。タイタニア。獣人の言葉だって今日一日だけで少し覚えることができたじゃないか」

「うん! 頑張る!」


 俺の励ましに両手に握りこぶしをつくって顔の前でギュッと握りしめるタイタニア。

 やっと彼女の顔に笑顔が戻ってくれた。

 うんうん。やっぱりタイタニアは笑顔の方がいい。

 

「ふうん」


 マルーブルクさん、その顔はなんでしょうか?


「な、なんだよ」

 

 動揺からどもってしまったじゃねえか……。


「いや、何でもないよ」

「そ、そうか」


 絶対何でもなくないだろ……と思いつつもここで何か言ったら藪蛇だと思いグッと堪える。


「もう少し、本日の学習時間が残っているんだけど、その間に少し雑談でもどうかな?」

「おう」


 お勉強の邪魔をしないように、俺とマルーブルクはキッチン前に移動した。

 今度はコーヒーを淹れてっと……。

 

「じゃあ、ボクが椅子を準備しよう」


 マルーブルク自らが椅子を動かそうとしたところで、護衛の二人だけじゃなくタイタニアまで立ち上がり彼の代わりに椅子を運ぼうとする。

 しかし、彼自らその申し出を拒否した。

 さすがに主君の命には逆らえないのか、彼らは何ら抵抗することなくあっさりと引き下がり、再び勉強に励んでいる。


「椅子、ありがとうな」

「キミこそ。コーヒーをありがとう」


 ニヒヒと笑う俺と子供っぽい笑みを浮かべるマルーブルク。

 椅子に腰かけ、コーヒーを一口飲む。同じように彼もコーヒーで喉を潤した後、口を開く。

 

「何気ない話だから、真剣に考えなくていいよ」


 そう、前置きした上でマルーブルクは言葉を続けた。

 

「ひらがなを学んで確信したよ。君の固有の言葉とボクらの言葉は根本的に違う」

「そうだろうなあ……」


 ひらがなと公国の文字の対応表を見た時、俺もそう思ったよ。

 公国の文字もひらがなと同じで表音文字だと言っていた。だけど、文字数が公国の方が少ないんだ。それに、対応していない文字まである。


「キミの言葉は誰が聞いても、聞いた者の母国語に聞こえるから普段は意識しないんだけどね」

「うん。俺もそうだよ」

「ボクらにも獣人にもとてもありがたいことなんだけど、不都合もある。言葉が通じるメリットに比べたら些細なことだけどね」

「どんなことなんだろ?」

「キミの使っている言葉を学習することは不可能だってことだよ。キミが話す真の言葉はボクらには聞こえないのだから」

「そ、そっか! 確かに!」


 日本語を理解するのは、後にも先にも俺一人かあ……。学習は不可能。

 う、ううむ……少しだけ寂しいけど、言葉が通じる方が遥かにいい。

 

「でも、文字は異なるんだよね。だったら、キミの持つ膨大な書物はボクにだって読める可能性がある」

「本に興味があるの?」

「それなりにはね。聖人であり導師でもあり大魔術師でもあるキミが持つ書物なんだ」

「よく俺が沢山の本を持っているって分かったな」

「世捨て人の導師は膨大な知識を持つと言われているからさ。知識の集積なら書物だろう?」

「そういうことか」


 いやに納得してしまう俺であった。

 確かに、本は出そうと思えば沢山出すことができる。俺は余り読書をする方じゃないんだけど、今よりもっと落ち着いて暇になってきたら本を読むのもいいかなと思っていた。

 なので、ひらがな絵本を探す時にどんな本があるのかも調べていたんだよね。

 メニューには専門書からラノベまで豊富な品揃えがあった。たぶん、一生かかっても読み切れないだろうなというほどの点数が……。

 

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