第60話 言葉の練習

 遅い昼食をタイタニアと共にとった後、ワギャンがテラスまで訪ねてきた。

 彼はクーシーのラオサムを連れてきていないのか……残念だ。


「ふじちま。家畜のことなんだが」

「うん?」


 わんわんが居なかった俺の動揺など気にした様子がまるでないワギャンが、一言目から本題に入る。


「明後日以降にするか? 公国でジャイアントワームが出たことを聞いた」

「あれは閉じ込めたからもう大丈夫だよ」

「それもさっき聞いた。明日? だったかまで干からびるか実験するのだろう?」

「あ、まあ、うん」


 ウネウネはさっきタイタニアと話をした通り、少し作戦を変更しようと思っているんだ。

 作戦変更については、夜の集まりでクラウスへ相談するつもりだったんだけど……。


「どうしたの?」

「あ、ワギャンがウネウネのことで心配して来てくれたんだよ」


 タイタニアへ先ほどのワギャンの言葉をかいつまんで伝える。


「ジャイアントワームはハトさんの餌にするんだよ」


 それ、ワギャンに伝えなくてもいいよな……。

 あえてタイタニアの言葉は伝えず、干からびなかったとしても明日の昼ごろにウネウネを討伐してしまうことを彼に説明した。


「だったら、明後日の昼前に家畜を連れてこよう」

「りょーかい。楽しみだ。あ、あと……ラオサムは?」

「ジルバと狩に出かけた。僕は休暇だからな」

「へえ、もう狩が出来るんだなあ」

「ラオサムはもう立派な大人だ。これからどんどん学んで強くなる」


 大きくはならないんだろうな……。まだ騎乗を諦め切れない俺なのであった。

 狩かあ。タイタニアも得意そうだよな。ロングボウを軽々と引くし。

 ん、あ……二人の顔へ順に目配せする。

 二人揃っているし丁度いいじゃないか。


「そうだ! 二人ともまだ時間はあるか?」

「うん」

「問題無い」


 おっし、時間は大丈夫なんだな。ならば……。


「言葉の勉強をしてみる?」


 二人は迷うことなく首を縦に振った。

 

 ◇◇◇

 

 タイタニアにもう一回紅茶を淹れてもらって、紅茶ポットを持ってテラスに三人で出る。

 俺とタイタニアが横並びに座って、ワギャンが対面に腰を降ろした。

 

「二人とも母国語以外に何か言葉を学んだことがある?」


 二人とも首を横に振る。

 

「王国と帝国の人には会ったことがないんだけど、母国語でだいたい通じるって」


 思い出すように首を傾げながら、タイタニアは呟く。

 彼女の言葉を復唱すると、ワギャンも同意するように頷きを返す。

 

「僕らもかつて竜人と交流があったが、母国語のまま通じるんだ。多少意味が取れないことはあるけどね」


 ふむ。二人とも他国語を学んだことがないし、公国側と獣人側の双方に他の言語を学ぶノウハウはないってことか。

 なら、俺が学んだやり方を使ってみるか。


 おもむろに紅茶の入ったマグカップを指さす。

 

「これは、コップです」


 定番のセリフにきょとんとする二人。

 いや、英語を学ぶ時って一番最初にディス・イズ・ア・ペンだろ!

 ペンはここに無いから、コップにしたんだよ。

 

「……それぞれ、俺の言葉を繰り返して」

「なるほど。手がかりが無いところからやるなら、ふじちまのやり方はよいかもしれないな」


 ワギャンが納得したように膝を打つ。

 彼は俺がさっきやったのと同じように、紅茶の入ったマグカップを指さしタイタニアへ顔を向ける。

 

「タイタニア。『これは、コップです』」

「たあいたに、こえあ……」


 ワギャンの言葉をリピートするタイタニアだったが、さすがに一回では難しいようだな。

 

「まずはお互いの名前を呼べるようにしようか? それぞれ自分の名前をお互いに向けて言ってみてくれ」


 俺の指示に従い、二人はお互いに顔を見合わせ自分を指さす。

 

「ワギャン」

「わぎゃん」

「おお、上手だ」

「おあ、じょーぞた」


 二言目はともかく、ワギャンの発音はなかなかよかったじゃないか。

 次はワギャンが真似をする番だ。

 

「タイタニア」

「たーいたいあ」

「タイタニア」

「たいたあいあ」

「タイタニア」

「たいたにあ」

「すごーい!」


 タイタニアは両手で拍手し、ワギャンを褒めたたえる。

 

「二人とも、お互いの言葉を発音できるようだから、言葉を覚えることもできなくはないと思う」

「うん!」

「おう!」


 ハイタッチを行う俺たち。

 よおし、乗ってきたぞお。

 

「じゃあ、もう一回、『これは、コップです』をやろうか」


 そんなこんなで、日が暮れるまで言葉の練習を行う俺たちなのであった。

 

 ◇◇◇

 

 三人で軽く食事を取ってから集会所へ向かう。

 楽しみだぜ。みんな驚くだろうなあ。

 

 入口まで来たところでちょうどリュティエと出くわした。

 ふふふ。

 俺は無言でタイタニアへ目配せをする。

 

「りゅてぃえ、こんばんあ」

「タイタニア殿! 我々の言葉を!」


 リュティエは目を見開き、しめった黒い鼻と虎柄の耳をピクピクと小刻みに揺らす。


「えへへ。ワギャンに教えてもらったんだ」


 耳の上辺りに手のひらを乗せ、首を傾けるタイタニア。

 この言葉は母国語だったので、俺が復唱する。

 

「驚きましたぞ!」


 ググっと拳を前に出すリュティエの腕を掴んだワギャンは、そうじゃないとばかりに彼の拳を開き、腕を上へ引っ張り上げる。

 そこへ、タイタニア、ワギャンが続けてハイタッチを行った(ワギャンは高身長のリュティエの手まで届かないから、椅子の上に乗っていた)。

 

「うまくいった時はこうやるんだと、公国の習慣らしい」

「おお、そうだったのか。これはこれでよいな」


 リュティエもまんざらではない様子だ。

 でも、それ……マルーブルクにはやるなよ。あ、でも、彼ならお偉いさんとはいえ怒ったりはしないか。

 

「何やら賑やかだね」


 扉の前でやり取りしていたからか、マルーブルクと護衛二人も到着する。

 

「まるー、こんばんわ」


 今度はワギャンが公国の言葉で挨拶を行った。

 

「タイタニアが言葉を学ぶと聞いていたけど、キミも覚えてくれているのかい」


 マルーブルクは嬉しそうにワギャンの肩をポンと叩く。


「ふじちまが間に立ってくれるからな。お互いが何を言っているのか正確に理解ができる」


 ワギャンの言葉を復唱すると、マルーブルクは腕を組みうんうんと頷きを返した。


「獣人側からも公国の言葉を覚えてくれる者が出ることは、非常に喜ばしいよ」

「今日は昼からずっとやってたからな。といっても言語体系が全然違うから時間はかかると思う」


 文法がどうなってるのかなんて俺は知らないけど、お互いに言葉として認識していなかったくらいだからな……。

 タイタニアに聞くところによると、ワギャンの言葉は「わんわん」のバリエーションの組み合わせに聞こえるみたいだし。


「ヨッシー。ボクも言葉を学びたいと思っているんだ。もう少し情勢が落ち着いたら、手伝いを頼んでいいかな?」

「もちろんだ。みんなで言葉を学ぶなんて素敵じゃないか」


 言葉を学ぶことで、相互理解がより深まると思うんだ。

 公国と獣人が真の意味で友となるには、言葉の壁を取り除くことは必須だろう。

 

 マルーブルクとのやり取りを復唱すると、リュティエもいずれ言葉を習得したいと申し出る。

 護衛の二人もマルーブルクと意見を同じくしたのだった。

 

「中に入ろうか。報告と意見交換を済ませてから、『ひらがな』を覚えないとね」


 マルーブルクはカラカラと笑い、扉に手をかけようとする。

 彼の手が扉の取っ手に届く前にフレデリックが素早く扉を開け放つ。

 

 さすが、執事。この辺りは抜け目ないな。


※32話の新居の間取りを修正しました。

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