第8話 ワギャン
窓から顔を出そうとしたコボルトだったが、鼻先が見えない壁に当たってへこんでいる。
よし、プライベート設定は絶対安全だ。
「落ち着いて聞いて欲しい。君は太ももに怪我をして血を流して倒れていたんだ」
「まさか……人間が僕の治療をしてくれたっていうのか……」
きっと彼は目を見開いて驚いているのだろうけど、犬の表情は分かり辛い。俺にはくうんくうんと縋りつく犬に見えてしまう……。
「ワギャンさん、俺は君をどうこうするつもりはない。元気になったら、戻ってくれたら」
忘れつつあったコボルトの名を呼び、安心させるように告げると彼は大きく口を開き喉をならす。
彼はワナワナと指を震わせ、窓枠をもう一方の手で握りしめた。
「僕の名をどうやって……何者なんだ……」
「大した者でもないさ。君が怪我をしていたから治療を施した。それだけだよ」
困ったように肩を竦めてみせるが、コボルト――ワギャンは首を振り頭に両手をあてブツブツと何やら呟いている。
「人とは思えない……だって、彼は言葉を理解するし……。僕を治療するなんて……あの野蛮で攻撃的な人間ではありえない……」
「あ、あのお」
遠慮がちに声をかけると、クワっと目を見開きワギャンがこちらに顔を向けた。
鬼気迫り過ぎて怖い。
「お前は本当に人間か? 満月を見て人に変身する種族がいると聞く……戻れないなんらかの事情があったのか……」
「そ、そんな種族がいるんだ? 満月に人から狼になるのなら聞いたことあるけど……」
「そ、そんな種族がいるのか!?」
「あ、いや」
「そ、そうか」
お互いに手を頭にやり、えへへっと乾いた笑みを浮かべる。
なんだかそれがおかしくなって、俺は笑い声をあげてしまった。すると、ワギャンも遠吠えみたいな笑い声? を出す。
コボルトだって俺と同じように笑うんだと思った途端、急に彼に親しみが沸いてきて先ほどまでの怖さを余り感じなくなった。
うん。見た目こそ違うけど、彼は人と同じ感情やら思考力を持つ。なら、人と同じだと思って接すればいい。
しかし、忘れてはいけない。彼は先ほどまで剣を持って殺し合いをしていた者だってことを。
気を抜かず、俺は安全な場所に居続けなければならないのだ。
「太ももの様子はどうかな?」
「一応確認させて欲しい。お前が僕に包帯を巻いてくれたのか?」
「うん。かなり出血していたと思う。元から巻いていた布が無かったら危なかったかも」
「そうか……貴殿、名前は?」
いきなり佇まいを正されて凛々しい声で問いかけれると戸惑うってば。
「俺は
「ふじちま。此度は救っていただき感謝する」
「そんな畏まらなくても……さっきまでの調子でいいよ。俺だってこんな喋り方だろ?」
「そうか。ならそうする。ありがとう。ふじちま」
ふじちまじゃなくてふじしまなんだが……まあいいか。
ワギャンは目を細め、右手を窓から外へ出そうとしたがやはり目に見えない壁に阻まれる。
握手をしてくれようとしたんだけど、残念、俺に触れることはできないんだ。せっかくだから、握手くらいしたいところだけど、そのまま組み伏せられて
警戒するに越したことは無い。
バツが悪そうに腕を元の位置に戻したワギャンは、コホンと咳払いをしてから再び口を開く。
「貴殿……お前の使ってくれた包帯は相当な高級品だろう。これは返す。もう太ももに痛みがないから」
「え? かなり深い傷だったぞ。そんなわけないだろう?」
「そうでもないさ。立ち上がって感触を確かめたが、完全に傷は塞がっている」
「す、すげえ……ポーション……」
「何か言ったか?」
「あ、いやなんでも」
小声で呟いたから、ワギャンの耳には届かなかったようだ。
不用意に変なことを発現すべきじゃねえな。目をつけられても困る。
落ち着こう。こういう時は素数を数えるといいと聞く。
一、二、三、五、六……あれ?
お、落ち着いたじゃないか。
さすが素数。素晴らしい。
「包帯を外したが、ここに置いておけばいいか? この窓から外に行くことができないようだからな」
「あ、うん」
素数を数えている間にワギャンは包帯を外してしまったようだ。自分の心の内を読まれたのかと思い、声が上ずってしまったぞ。
せっかく落ち着いたのに意味ねえ。
「ワギャン、もう日が暮れるが、帰ることが出来そうか?」
「……できなくはない」
えらく含んだ言い方だな。
街灯はもちろん、懐中電灯なんかも無いし、真っ暗闇の中帰れってのも酷だよな。
途中で夜行性の猛獣に襲われてしまったらせっかく助けたことが無駄になる。
「今晩はここで眠っていくか?」
「いや、近くで野営する。僕はお前が人間だとはとても思えないけど、もしお前が人間だったらコボルトである僕と夜を過ごすことに抵抗があるだろう?」
「俺は構わないけど……」
「無理しなくていい。先ほどまで殺し合っていた仲だからな。僕だってお前以外の人間が傍にいるのなら、眠ることなんてできないのだから」
「で、でも。真っ暗闇になるだろう?」
「コボルトは夜目がきかないことくらいは知っているのだな」
さっきの沈黙からの「できなくはない」は、そういう理由だったのか。
しかし、あっさりと自分の弱点を喋ってしまうものだな。人間と敵対しているんだろう? 余りに警戒心が無いってもんだ。
あ……そういうことか。
「ワギャン。君が俺のことを敵意がないと信じてくれていることは分かった。他の人間に君たちが夜目がきかないことは言わないから安心してくれ」
「思ったより聡いな。いや、そらそうか。僕の傷をこの短時間で完璧に治療するような人なのだものな。お前はきっと、噂に聞く
「あ、うん……」
否定しても話がややこしくなると思った俺は曖昧に頷きを返す。
すると、ワギャンは喜色を浮かべ身を乗り出す。
「やはりそうか! 何故、人間の姿を取っているのか分からぬが、お前にも事情があるのだろう。
勝手に納得するワギャンだけど、俺にとって悪くない勘違いだから下手に訂正しない方がいいだろう。
だけど、俺に気を払った結果、彼自身のことがないがしろになると困る。
「夜に一人で大丈夫なのか?」
再度になるが、確認するように聞くとワギャンはクスリと声を出し、拳を顔の前に持ってきてグッと握りしめた。
「問題ないさ。まだ完全に日が暮れたわけではない。今からなら、昨日使った野営地にまで到達できるだろう」
「松明くらい持っていくか? あ、あと。一つお願いがある」
「何だ?」
ワギャンを逃すと、もうコボルトたちと接触することがないかもしれないから遺品を持って行ってもらいたい。
一人だと難しいかなあ……。
そう思いつつも、芝生の上に保管していたコボルトの遺品を指し示す。
「あれ、君の仲間の遺体から預かったものなんだ。もしよかったら、あれを持って帰ってもらえるか?」
「仲間……誰が死んだんだ?」
「分からない。でも、コボルトとオークの亡骸が合計で五人いたんだ。勝手ながら、少し離れたところにある潅木の下に墓を作らせてもらった」
「そ、そうか……勇敢に戦い……戦死を遂げたのだな。彼らの荷物を預かってくれてありがとう。見せてもらえるか」
「うん。そこの引き戸を開けて外に出てもらえるか?」
「分かった」
引き戸を開けて芝生の上にまで出て来たワギャンに少し待つように告げて、藁ぶき屋根の家の横の芝生の上に保管してあった遺品を全て台車に積み込む。
全て積み込んだ後、台車を押して自分はワギャンが侵入できる芝生の中には入らず、台車だけを中に入れる。
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