朝・再び
突然私の顔が、リンゴのマークになり、しばらく無機質な白いマークが回転したのち、突然真っ黒な画面に変わった。今まで自分の顔を見て微笑んでいた私は、曇った夜空よりも黒く無機質な画面と対峙していた。今の私の顔をどうしても見たくなり、明るいところだったら見ることができるのではないかと、分かれ道から後ずさりしつつ、ようやく街灯の下にたどり着いた。しかし、かすかにしか顔を見ることができない。私は、今どんな顔をしているのだろう。私は、私を見ることができなかった。
私は、他の人を二つの黒と白の穴から覗いて見ることはできる。しかし、私は私を見ることはできない。その当たり前の事実に心底驚いた。普段から部屋に鏡がある、電車の中ではスマホのインカメを使えば良い、そういう文明の利器が私が見えないことを隠してきたが、自分自身を、特に自分自身の顔をこの目で直視することは一生できない。人間は、他人を通じてしか、あるいは鏡に映ったまやかしの像としてしか、自分を見ることができないのである。
よく考えてみれば、「普通でいい子ですね」といったのは、先生だった。そして母だった。そして、小学校や中高のクラスの人間は、私を何も光るところがない石っころだとして、宝探しゲームに参加させなかった。
私が平凡であるという事実は、他の人がそういったから平凡だとされていただけではないのか。私に何も光るところがないのは、私が光っていないのではなく、彼らが私の光る部分を見つけられていないだけではないのか。現に、今日の私は、私が見たのがまやかしの像の私であったとしても、いつになく微笑んでいた。
私は、自分が平凡であることを悔い、私自身を憎んで生きてきた。しかし、それは私自身が人からの見えていた姿を解釈し、私が見たいように世界を見、そして、そこから私自身を間接的に卑下してしまっていたのではないだろうか。
私は、水道の音に耳をすませる。よく聞くと、マンホールの場所によって、音がかなり違う。その音の違いが、三叉路など分かれ道だと顕著だった。恐らく、水道管の分かれ道では水の流れが急激に変わるので、水のぶつかり方も変わるのではないだろうか。昼間だったら、その下で何が流れているか、あるいはどんな音がしているか、気にもとめずに通り過ぎていく、マンホールの下の世界に、私は急に興味が出てきた。夜の散歩をした私以外、誰も気づかないだろう、という優越感とともに、私は深夜の街の中で、何気なく通り過ぎている路上をひたすら観察し続けた。
翌朝、といっても昨日は家に帰ってきたのが朝の5時くらいだったので、そこから爆睡してもう昼前になっていたのだが、私は目を覚ました。布団の上から、窓の外を見てみる。私は、昨日と同じく、東京の冬には当たり前のように広がる雲ひとつない冬の青空を眺めていた。
いつもの青空が、昨日よりも少しだけ輝いていて、少しだけ色が濃くなったような感じがした。私は、3限の授業に遅れそうだとは思いつつ、カバンに教科書とノートを詰め、玄関を飛び出していった。
空を眺める 柚月 智詩 @yuuki-philosophia
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