第2話
捕らえられた自称勇者は、ネーネさんの隣で蹲って咽び泣いていた。
ネーネさんの身体は、何処となく透き通っている。柔らかく緩んだ目許と、淡い微笑みを浮かべる小さな唇。長い睫毛は羽のようで、ふわふわの髪も途中から翼に変わっている。
腰から下は鱗に覆われており、水中と陸上を行き来出来る特技をお持ちだ。
あと、ネーネさんは歌が上手い。ネーネさんの子守唄は、一瞬で眠ることが出来る優れ技だ。
その美貌を苦笑で歪ませ、ネーネさんの華奢な手が蹲るその人の背を撫でている。ネーネさん、呼びかけると、振り返った彼女が安堵の表情を浮かべた。
「陛下、姫様、お待ちしておりました」
「その人が不法入国者かな?」
「はい」
ネーネさんの透き通った声に、全身が癒される。やんわりと目を細めた彼女の手許、蹲った彼がびくりと身体を跳ねさせた。
よっこいしょ、と玉座に腰を落ち着けた父が、何だかそれっぽい格好をする。
「面を上げよ」尊大な口調に、初めてうちのお父様、本当に魔王かも知れない……。感想を抱いた。
ぐずぐずと上げられた顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。ぼさついた短い黒髪と、黒っぽい目。彫の浅い顔は子どもっぽく、事実、大人ではなさそうだ。
ここでは余り見かけない造形を、まじまじと観察してしまう。うろうろと怯えていた目が、私に留まった瞬間見開かれた。
「な、何で、きみ、人間、なんで……!?」
「はい?」
「あっ危ないから! ここ、魔物ばっかり! 早くにげなきゃ……!!」
「……はい?」
必死な形相で立ち上がろうとしたその人が、けれども震える身体が上手く動かないらしい。床から手を離すことも出来ないのだろう、ぼろぼろと大粒の涙を流し出したことに、流石にぎょっとした。
「えっと、その、落ち着いてください。私たちはあなたとお話しに来たので」
「だ、だって魔物……! 魔物がいっぱい……ううっ」
「うーん、まあ、魔物いっぱいは事実だね」
うんうん、父が頷いている。
私には個性としか映らないが、どうやら私と私以外は、人間と魔族に分けられるらしい。
大きな違いと言えば、種族だろうか? あと寿命や身体能力の違いも顕著だろう。思えば父の見た目は、ずっと変わらない。
昔、にゃーさんと遊んでいる最中に、彼女が二階から飛び降りたので、私も真似して飛び降りたことがある。大怪我をした。大惨事だった。
一命は取り留めたが、そのときにゃーさん共々こっ酷く叱られ、二度と高いところから飛び降りないと約束させられた。
当時は、にゃーさんに出来て私に出来ない身体能力の差がひたすら疑問だったが、これが種族の差なのだろう。伏せる私の横で延々泣き続ける父が、だいぶん鬱陶しかったことを覚えている。
「落ち着いてください。別段危害を加える気もないので」
「ねえねえ、君、本当に勇者なの?」
「生き生きしてますね、お父様」
引き攣った悲鳴を上げた少年の頭を乱雑に撫で、わくわくと腰を浮かせ気味の父を横目に見遣る。今話題の量産型勇者様だ。色々と聞きたいことがあるのだろう。
私の手に縋りついた少年が、嗚咽を滲ませながら叫んだ。
「街の、偉い人が……! ひっ、俺たちのこと、勇者って……ごほっ、何か王様で、魔王倒したら元の世界に帰してやるって……! うぇっ」
「元の世界?」
「お、俺、ここじゃないところで、学生……ひっく、学校行ってた、ぐすっ」
「学校? 高名な学士かな?」
父がレーヴァインと顔を見合わせ、首を傾げている。
学校? 学士? 脳裏に浮かぶ重厚な制服と、眼下の少年とを比べる。彼の衣服は、小ざっぱりした黒い上着と白いシャツだった。学士の制服ではなさそうだ。うーん、元の世界??
「ミルクレアの学士ではなく?」
「どこっすか、そこ!? 俺は、日本の! ぐすっ、極々一般的な高校生です……!」
「こうこうせい?」
またしても泣き出してしまった少年に、皆が揃って首を傾げる。自称年齢四桁の生きる辞典へ顔を向けるも、父もまた不可思議そうな顔をしていた。使えませんね、お父様。
「もしかして、外の世界から連れてこられたのかな?」
「っ、は、はい! 異世界てんいが、どーのこーのって……!」
「あちゃー」
少年の言葉を聞いた瞬間、父が発言通りの顔をする。重々しい表情を作った彼が、困ったように顎に手を添えた。
「多分だけどね、そこの少年は、異世界から召喚術で呼び出されたんじゃないかな?」
「そ、それですそれです! なんか、勇者が足りないって!」
「勇者増え過ぎ問題」
レーヴァインが渋面を浮かべる隣で、ふむふむ、父が頷く。にゃーさんとネーネさんは変わらず不思議そうな顔をしていて、少年と父とを見比べていた。
「何ていうのかな。召喚って、外のものを呼び寄せるものなんだけど、……うーん、降霊術? と説明した方が早いかな。
降霊術って、怪しげな陣を囲んで、何か危なそうなものを降ろすでしょ?」
「俺、実は幽霊だった……?」
「基本的に、外から招き寄せたものって、お帰り願うのが難しいんだ。異世界だなんて完全に外のものだし、参ったなー。均衡が崩れちゃうのに……」
ぶつぶつ呟く父が、やはり困ったように眉尻を下げている。
話が通じたことで希望を見出していたのだろう、嗚咽の止まっていた少年の顔が、瞬く間に蒼白になる。またしても涙の溜まり出した両目に、ハンカチを押し付けた。
「つまり、彼は外の世界の人間で、帰り方がわからないということですか?」
「そうなるね」
「そんなっ、だって偉い人が……! 魔王倒したら帰れるって……!」
「こんな子どもを送り込むなんて、戦争の引き金にもならないし、犬死なんじゃないかな?」
「たったこれしきのことで泣き喚く者に、陛下の暗殺など到底叶わん。寝言は寝て言うんだな」
「あんさつ……!?」
ただでさえ蒼白だった顔色が、益々色を失っていく。流石に憐れになってきたそれに、少年の頭をぐりぐり撫でた。驚いたような悲鳴が上がる。
「あなたの知っていることを教えてください。それにより、私たちの対応も異なります」
「ひっ、わ、わかった、はなす、はなす……!!」
わあわあと首を振った彼が、涙ながらに話す。嗚咽に震えるそれは聞き取りにくかったが、それだけ彼に余裕がなく、真実を話していることの裏づけとなった。
曰く、彼はタカハシナナキという名前で、いつも通り学校へ通っていたところ、突然この世界へ連れ込まれたらしい。先述の通り彼はコウコウセイという職業で、年齢は私とそう変わらないようだ。
大きな魔方陣の上には、自分を合わせて男女19人がおり、皆混乱していたらしい。術師と思われるローブの人物が八方に配置され、恭しい礼の先に国王がいたそうだ。
国王より、「今この世界は困窮している。そなたたちは選ばれし勇者であり、魔王を討伐するために召喚された」「見事魔王を打ち破りし者には褒美を与え、無事、元の世界へ返してみせよう」と説明と約束がされたそう。
しかしタカハシは、呼び出された中でも弱い部類だったらしい。早々に見切りをつけられ、適当にここへ送り込まれたらしい。武器もナイフ一本。……死ねと言っているようなものだ。
説明の最中で思い出したのだろう、再び蹲って泣きじゃくるタカハシに、ため息をつく。
「うーん。気は進まないけど、セレス、大国まで様子を見に行ってくれないかな?」
「なっ、何を仰るのですか、陛下!! 殿下にもしものことがあれば……!」
「でも、勇者を軽んじられて、ぱぱもおこだし」
「密偵に行かせます!!!」
「セレスも勇者の自覚が必要だと思うんだ」
ぐぬっ、呻いたレーヴァインが、悔しそうに尾を引く唸り声を上げる。タカハシが死にそうな顔をしているので、どうやら彼は、相当を恐怖を少年に与えているらしい。
「密偵の任でしたらお受けします。勇者云々に関しては興味ありません」
「こんな外法に頼る町興しなんて、ぱぱ認めないもん! セレスがいなかったら、今頃一面火の海にしてるもん!」
「もんとか言わないでください、自称四桁」
ネーネさんが一生懸命タカハシの背を撫でているが、彼の顔色は消えそうなほどに白い。そんな彼を見詰めながら、ひらめきを口に乗せた。
「では、同行者ににゃーさんとタカハシを寄越してください」
「ええ!?」
「カスターニャは構わないけど……その子、すぐに死ぬよ?」
「はい。なので死なないように、みっちり稽古をつけてあげてください」
「ええええッ!?!?」
今にも倒れそうなタカハシが、すぐにでも死にそうな顔をする。彼の顔を覗き込んだにゃーさんが、憐れむような顔をした。
「にゃーさんの見立てではですね、タカハシさまは補助タイプだと思うんですよ。運動苦手ですね、あなた。狩りやすような顔してます」
「ひっ、」
「バフバフのバフさえ覚えれば、あとはにゃーさんと姫さまに任せればいいですよ。安心してください」
ぽんぽん、と肩を叩かれ、タカハシが愕然とにゃーさんを見上げる。今日一日でどれだけの水分を流し切ったのだろう? 彼の顔は悲壮そのものだ。
レーヴァインとネーネさんが父へ向き直る。恭しく頭を垂れた彼等が、口々に言葉を発した。
「殿下を預ける身なれば、このレーヴァインに指導の任をお授けください」
「わたしも、術のことなら詳しくあります。三週間ほど、お時間をいただきたく存じ上げます」
「じゃあ、よろしくね。タカハシくんも、それでいいかな?」
にこにこと微笑みかけた父を最後に、微かな声で「はい」と零したタカハシが、眠るように意識を失った。……極限状態だったのだろう。可哀相なことをした。思えば彼にとって、ここは魔物の巣窟で、自分の死に場所だったんだ。
慌てて支えたネーネさんの鱗の上で、タカハシが魘されている。にゃーさんが難しい顔をした。
「この方、本当に大丈夫ですかね?」
「わかりません。あんまりにも使えないようでしたら、置いていきます」
「姫さま、ドライですね……」
「それよりにゃーさん。人里へ下りるときは、猫タイプの見た目に変えてください」
「トラです! にゃーさんはトラですよ、姫さま!!」
瞬き一瞬、少女のいた場所には一抱えほどの大きさの茶トラの猫がおり、にゃーさんの声で喋っていた。耳が丸めで足が太い以外は、普通の猫だと思う。にゃーさんの頭を撫でた。
「では三週間後、よろしくお願いします」
「姫さまがいけずですー!」
三週間後、あんなに泣きじゃくっていたタカハシは見事な順応力を見せ、「セレスさんにかっこいいとこ見せる!」と「バフバフのバフ」を習得していた。教え子の目覚しい成長に、ネーネさんも嬉しそうだ。
「すぐ死ぬ」の評価から、「死にやすそう」まで評価を上げたタカハシに、父が、かっこいいことは大事だよね。との相槌を打つ。すっかり馴染み切ったタカハシは、当初の怯えもなくにこにこしていた。
純粋にその適応力は賞賛されるものだと思う。心配で度々様子を窺ったが、彼は存外に丈夫そうだ。顔を見せる度、セレスさん、セレスさんと懐いてくる。
「ぱぱも服装にこだわってるんだよ、この星空マントとか」
「……お父様、星空に月がありません」
「月はぱぱの顔」
「やかましいわナルシスト」
「セレスさん、今日も突っ込みが冴え渡りますね!」
輝かしい笑顔のタカハシと、にこにこ笑顔の父の両者を見詰め、軽い頭痛を覚える。……あなた方、討伐対象と討伐者なんですよ、との言葉は飲み込んだ。
魔王さん家の少女勇者さん ちとせ @hizanoue
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