魔王さん家の少女勇者さん
ちとせ
第1話
「お前は勇者なんだよ」
幼い頃から、父にそう言われて育ってきた。馬鹿馬鹿しいと思う。今どき勇者なんて、100年前のおとぎ話でも流行らない。父がその話をする度、私ははいはいと聞き流していた。
「そして、ぱぱは魔王なんだよ」
「存じています、お父様。そう何度も繰り返さないでください。健忘症ですか」
冷めた目で父を見上げる。そう、後に続く言葉は必ずこれだ。もう何百、何千と聞いてきた。いい加減聞き飽きた。耳にタコだ。
夜を纏ったような黒く長い髪と、深淵の瞳を持つ父が、しょんぼりと眉尻を下げる。その相貌は白く、繊細な彫刻のように整っているというのに、何て顔だ。
不規則に瞬く夜色の外套を引き摺りながら、拗ねたような低音が鼓膜を震わせた。
「昨日の晩ごはんは酢豚だった。思い出せるから、ぱぱの頭は元気だよ。ぴちぴちだよ」
「よろしゅうございますね。ぴちぴちの定義に齢四桁が適応されるのかどうかは疑問ですが、さっさと仕事に戻ってください」
「セレスが冷たい……反抗期……」
益々悲しげに自身の腕を抱き締めた父が、失礼な呟きを乗せる。全く、私の反抗期は、とっくに終わっています。
渋々執務机についた父が、悲壮な表情のまま羽ペンを手に取る。常時放たれる湿っぽい空気に、胸に溜まった靄を吐き出した。
「大体、私が勇者だからといって、何だというのです? 城で大暴れすれば良いのでしたら、過去に散々と暴れましたが?」
「確かに2歳のいやいや期も、3歳から始まったお転婆期も、それからずっと続いてる反抗期も激しかったけど……」
「反抗期はもう終わっています」
腰に手を当て、じっとりと深淵の佳人を睨みつける。こほんと咳払いした父が、レーヴァイン、側近を呼んだ。ライオンの頭を持った巨体が、恭しく頭を垂れる。
「はっ、陛下」
「先日の調書を頼む」
「畏まりました」
ここだけ見れば、うちの父は立派に魔王陛下をしているように見える。
折角魔王だなんておとぎ話の花形を名乗っているのだから、是非とも玉座にふんぞり返って、生き血とかをワイングラスで啜って欲しい。後ろにレーヴァインみたいな屈強なシルエットを並べて。絶対楽しいと思う。お腹抱えて笑うわ。
はち切れそうな軍服を纏ったレーヴァインが、父から書類を受け取る。
昔触らせてもらったことがあるが、レーヴァインのにくきゅうは硬かった。けれども押すと鋭い爪が出てくるので、面白がっておさわりを何度もせがんだ記憶がある。
その度にレーヴァインは困った顔をし、最終的に「タテガミもしゃもしゃ~!」で強制終了させられた。
ネコ科の縦に長い瞳孔をこちらへ向け、レーヴァインが唸り声と共に咳払いする。鋭い牙が覗く口を彼が開いた。
「殿下、今世界に、魔王と勇者が溢れていることはご存知ですか?」
「溢れ……え!? 魔王も勇者も、そんな気楽になれるものなんですか!?」
「昨今は特に」
「はわー……」
恭しい仕草のレーヴァインの言葉に、はわわと価値観が震える。そんな、魔王だの勇者だの、100年前のおとぎ話じゃなかったの? ええっ、じゃあお父様も私も、そんなありふれた大多数の中のひとり!?
「原因は、本物の魔王陛下と勇者殿が、こちらにいるからです」
「待ってください、本物とか偽者とかあるんですか!?」
「勿論ございます。我が国の主君は、正真正銘の魔王陛下。過去に何度も世界を闇へ葬って参りました」
「あの頃はやんちゃしててね」
「やんちゃで世界を葬るなんて、災害じゃないですか」
ふん、と胸を張るレーヴァインと、照れちゃう、と両手で顔を覆い隠した父に、頭が痛くなってくる。本当にこの人たちが魔王とその一味? 何かの冗談でしょう?
「そして何より、セレスティア殿下には勇者の証が授けられています!」
「この痣でしょう? ただの痣じゃないですか……」
「何を仰いますか! その証こそローザナイツ殿の血縁! 正統なる勇者の後継にあらせられます!!」
「ローザくん、飲み友だったんだ~。セレスが生まれた日には、喜び過ぎて彼のお家破壊しそうになったよー」
「もっとソフトな喜び方をしてください」
ローザナイツとは、多くの伝承を残した勇者の名前だ。この城の書庫にも沢山の本が残っている。その勇者の身体には特徴的な痣があり、後継者にはその痣が浮かび上がるとかなんとか。
いや、何で魔王もその副官も、天敵の勇者に対してこんなに好意的なの? 何でそんなマブダチ感溢れるエピソード持ってるの? おとぎ話に謝って?
「だというのに!! 陛下と殿下がいらっしゃるにも関わらず、世に溢れる模造品の数々! いっそ喰ろうてやろうかッ!!」
「んー、ぱぱはセレスが生きてる間は、別にいいかなー」
「暗に滅ぼす発言、やめてください」
犬歯を剥き出しに唸るレーヴァインの覇気が、頬を撫でる。びりびりと窓を震わせるそれに、彼がこの話を大変快く思っていないことを悟った。
対照的な父は、気楽そうな顔で羽ペンをふわふわさせている。益々この人本当に魔王なのかと、本気で疑わしく思ってしまう。
けれども、勇者とかそういうものに一片の興味すらない私からすれば、別に勇者が街に溢れようが、知ったことではない。大体、勇者って何するの? 家宅捜査?
「姫さま姫さま~!!」
慌しい高い声が、濃密な殺気を打ち破る。はたと真顔に戻ったレーヴァインの視線の先、人っぽさと猫っぽさを混ぜ合わせた少女が、突っ込んで来た勢いのまま扉を開ける。蝶番が壊れたんじゃないかな? そんな激しい音がした。
「姫さま、大変です~!」
「騒々しいぞ、カスターニャ」
「はう! すみません参謀長!」
「どうしたんですか? にゃーさん」
茶色の毛並みを揺らせた彼女が、わたわたとスカートを叩いて膝をついた。深く頭を垂れた少女が、愛らしい声を響かせる。
にゃーさんは私のおつきだ。しましまの長い尻尾は彼女の自慢で、よくぱたぱたして遊んでくれる。お姉さん代わりの彼女だが、度々非常にそそっかしい。大変な馬鹿力と脚力が相俟って、時折大規模な破壊跡を残すこともある。
しかし基本的ににゃーさんは明るく元気で可愛らしいので、私はとても慕っている。
「たった今、スカルさんが不審者を捕らえました!」
「不審者? 不法入国でもしたのかな?」
首を傾げる父が、羽ペンふさふさを止めて考え込む。レーヴァインとは違い、五指ある手をまごつかせながら、言いにくそうににゃーさんが言葉を繋げた。
「それがその……人間、でして……」
「へえ、珍しい」
「えっとその、武器を持っていたんですけど、……今、ぎゃん泣きしてまして……」
「…………」
「スカルさん、顔がこわいので、ネーネさんに代わったんですけど、殺さないでってもう凄い騒ぎで……」
「……丁重に帰ってもらおっか」
「それが……、最初に『自分は勇者だ』って名乗っちゃったものですから、一部の過激派が……」
「そっかー……」
くわっと目を見開いたレーヴァインさんを例に、過激派は魔王や勇者の話題に敏感だ。遠い目をした父が立ち上がった。ずりずりと夜色のマントを引き摺りながら、彼がにゃーさんの前に立つ。
「とりあえず玉座の間かな。そこにその人を案内して」
「か、畏まりました!!」
「陛下! 殿下の名を騙る下賎の輩など、私が直ちに八つ裂きに……!!」
「いいよぉ。セレスもおいで。一緒に話を聞こう」
「わかりました」
残像が残りそうなほど素早く、にゃーさんが走り去る。蝶番どころか、扉そのものがいかれた音がした。
扉の役目を失った木の板が、風圧を上げて平置きになる。ぽっかり開いた部屋の入り口に、父が悲しそうな目をした。「隙間風が寒いなあ……」呟かれた内容に、隙間の定義を尋ねたい。
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