第2話
司令部は、木製でできており、正彦がそこに辿り着くと、出撃した隊員全員がそこにいるのだが、皆どこかしら負傷しており、無傷で帰れた自分が幸運だったのだなと思いながら、醍醐が先程話していた新型燃料の事を気にかけている。
(夕張隊長、無事だったんだな……)
正彦は、弥助が生きて帰ってこれた事に安堵の表情を浮かべる、それもその筈、正彦の妻の晴美と弥助は実の兄妹であり、祝言に立ち会ってもらったのだ。
だが、弥助は頭と腕を負傷しており、腕には三角巾が巻かれて、頭には血が滲んだ包帯が巻かれている。
「全員集まったな、では、新型燃料の事を話しをしよう……」
醍醐は咳払いをするのだが、そこには微かに酒の匂いが漂っており、酒を飲んだのだなと正彦達は幻滅して、しかしそれを咎めず、顔には出さずに、醍醐の話を聞く。
「新型燃料、血弾は、松根重油にある液体を混ぜたものを使う。誉エンジンの性能を最大限に高めるものだ。貴様らにはこれを使って、明後日、襲撃に備えてもらう……」
「はっ、襲撃と申しますと……」
夕張は、襲撃という話は聞いた事はない、毎日のように襲撃があり、それが今回のは特別なものなのかと察する。
「先程、貴様が体当たりをして撃ち落とした米兵を拷問して聞き出した。拳銃を頭に突き出したら、泣きながら白状した。大規模な襲撃がある。……夕張、貴様は負傷して腕を折ったから、隊長を飛田に引き継げ。この、恥晒しが……」
醍醐は、何故相手を道連れにして死ななかったのだと言いたげな表情を浮かべて、奇跡的に軽傷で生還した夕張を侮蔑した表情で見やる。
「はっ、かしこまりました」
「下がっていい、それと、明後日まで貴様らは休んでいていいからな……」
飛田達は、連日の襲撃があり、国民が被害を受けているのに何故休めというのが納得がいかなかったのだが、反対意見を唱えたら特攻隊に編成されると思い、言うのをやめる。
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「夕張隊長、無事だったのですね」
正彦は、複雑な表情を浮かべる弥助を、何かあったのかと思いながら見やる。
「あぁ、パラシュートですぐに脱出をしたんだ……お前は、今すぐ晴美の元へと行ったほうがいい……」
弥助は複雑な表情を浮かべて、正彦を見やる。
「……? 何か、あったのですか?」
「いや……兎も角な、晴美の元へと向かえ。あいつは勤労動員があり、暫くは会えないだろう。こんなご時世だからな……別れる前に会いに行ってやれ……」
「勤労動員、ですか……」
正彦を弥助は、何かを伝えたいような表情をして見つめるのだが、部下に言うなとの緘口令が敷かれているのか、それとも、晴美が不治の病の肺結核などの重篤な病に罹ったのか、口をつぐんだままでいる。
正彦は、つい先程感じた、露ほどの嫌な予感が徐々に大きくなって身体中を覆っていく感じがして、高熱を出している時のような悪寒に襲われる。
(晴美……)
正彦の脳裏には、晴美が苦しむ顔が浮かび、一抹の不安がよぎる。
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戦前、戦時の結婚は、現代のような恋愛結婚ではなく、ほとんどが見合いによる結婚であった。
正彦が晴美と結婚したのは3年前、正彦が22歳を二ヶ月ほどばかり過ぎたあたりである。
晴美は20歳の誕生日を迎えたばかりであり、郵便局の事務仕事をしていた。
正彦の両親が晴美を紹介してくれた時、たまたま上官である弥助の妹だと分かり、正彦は緊張していたが、弥助は正彦を快く出迎えてくれた。
晴美と少しだけ、向日葵が咲き乱れる花畑を散歩して話をしたが、晴美の優しい人柄に正彦は一目惚れをし、晴美もまた、正彦の誠実な人柄に惚れた。
とんとん拍子に祝言を挙げた後、真珠湾奇襲が始まり、日本は戦争の渦に巻き込まれていく。
零戦の慣熟訓練を終えた正彦達はラバウルへと出征が決まる。
ラバウルへと出向く数日前、晴美と正彦は一晩を共にし、本当の夫婦になった。
戦闘機の墓場と揶揄されるラバウルで、対策が練られてしまい米軍機に手足が出なくなった零戦を鬼気迫る勢いで手足の如く操縦し、正彦達は敵機を60機近く撃ち落とした。
そして、硫黄島が陥落して、本土決戦が騒がれる時に正彦達は昴基地へと収集がかかり、敵をかいくぐり何とか本土へと到着、紫電や雷電、紫電改に乗り敵と戦うようになった。
向日葵が咲き乱れる畑に、晴美と正彦は数年ぶりに再会して、初対面の時のように照れ臭く、手を繋ぎながら歩いている。
「そこで休憩しようか」
正彦は、畑の中心にある大きな木の下で休憩をしようかと指を指す。
「そうね。ねぇ、貴方……」
晴美は、言い出しづらそうな顔をして、正彦を複雑な目で見やる。
「どうしたんだ……?」
「いや、何でもないの。行きましょう」
「あ、ああ、そうだな……」
正彦は、晴美が何か重大な隠し事をしているのかと勘ぐりながら、晴美の手を握りしめ、木の下へと足を進める。
その木は樹液が美味いのか、油蝉やクマゼミが木に多く止まり、一週間ほどの命をこの世に残さんばかりに、これでもかと言うほどに大きな鳴き声をあげている。
木の下に腰掛けて、正彦は晴美の手を握りしめる。
「うん?」
晴美の手は冷たく、まるで老人のような感触が正彦の手のひらに感じる。
「晴美、勤労動員はいつからなんだ?」
「明日からよ。一週間は戻っては来れないのよ……」
「そうか……」
(仮に、新型の燃料ができたとしてもこの戦争には間に合わないだろう……戦力が違い過ぎるんだ、俺達には米軍には勝てない……)
正彦はそう言いたかったが、口を塞ぐ。
「貴方……」
晴美は、正彦の心の中を知っているのか、悟った目つきをして正彦の目を見つめる。
「弱気になさらないで。この戦争は必ず勝つの。私たちが作り上げた兵器で……だから、勝って、私の……」
晴美は何か重大な事を言おうとしたのだが、慌てて口をつぐむ。
(こいつ、俺に隠し事をしているのではないか……? 重大な何かを……?)
正彦は、晴美の顔をじっと見つめる。
「俺は灰になっても、お前達国民を守り抜くからな……!」
油蝉の鳴き声が、彼らの耳にいつまでも木霊した。
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