血弾ー煉獄版
鴉
第1話
1945年の真夏の暑い日、ある学生上がりの航空兵は、蝉の声は夏の暑さを加速させて、自分達をしに誘う死神の歌い声だと、誰にも聞こえないような小さな声で、ぼそり、と呟いたーー
「雷神部隊、全機出撃せよ! ……繰り返す、敵襲! 全機出撃せよ!」
名も知らぬ勤労動員の学生が作り上げたという、雑音だらけのメガホンからは、米軍機の襲来が伝えられる。
飛田正彦海軍大尉雷神部隊副隊長は、戦闘で死ぬことが怖い気持ちを出さないように、もしこの気持ちがバレてしまったら非国民扱いを受ける為、表に出さぬように、鬼気迫る顔をわざとして、つい先日来たばかりの紫電21型甲、通称紫電改に乗り込んだ。
体が小さい日本人用に作られたという紫電改のコクピットに、ある一枚の写真を置く。
その写真には、和服姿の女性が正彦と共に写り込んでいる。
(晴美……俺はこれから、人を殺しに行く、戦争では許されていることなのだが、戦争が終われば真っ先に俺は戦犯として裁かれる、60人もの人間を殺してきたんだ、だがな、俺はお前を守り抜く、戦争のためではない、国家のためでもない、お前の命が大切なんだ……!)
滑走路には、10機の紫電改が並んでおり、順番に滑走路を飛び立っていく。
正彦の乗る紫電改も滑走路から飛び立つ。
(戦闘機でなく、武器が付いてない飛行機に乗りたかった。晴美、お前も乗せて飛びたかった。だが、これは戦争でしかたのないことなんだ、仕方がないんだ……! 殺される前に俺は殺しに行く!)
滑走路から飛び立った後、正彦の眼下には所属している昴基地が米粒のようにまで映るまで高度を上げて、すでに飛び立っている戦闘機部隊の編隊の、隊長機の夕張弥助(ユウバリ ヤスケ)の機の隣に移動して、戦闘態勢に移る。
正彦は、晴美の写真をちらりと見やる。
正彦と一緒に映る晴美の顔は、愛する人と一緒にいる為か、幸福に包まれた顔で、コクピットに乗り操縦桿を操作する正彦をにこりと笑って見ているように正彦は感じる。
☠☠☠☠
色あざやかなコバルトブルーの空の下、数機の紫電改とP51は対峙する。
「ヘイ、ジョージだ! こりゃあ、この作戦は楽勝だな!」
やや若干の西武訛りがある、ある米軍の航空兵は紫電改を舐めているのか、僚機にそう言うと一機の紫電改に狙いを定めて機種を傾ける。
「馬鹿野郎、油断は禁物だ、プロだぞこいつら!」
「だが、こいつらは俺たちよりも遅いんだよ! 俺がこいつやったら、今晩のステーキ俺によこせよ!」
「上等だ!」
そいつは、紫電改部隊の戦闘を飛ぶ弥助の機体に狙いを定める。
高度からの一閃、そいつの13ミリ機銃が弥助の乗る紫電改の主翼を捉えようとするが、弥助は気がついていたのか機体を横に滑らせて弾丸を避ける。
紫電改には自動空戦フラップが付いており、空戦をする時にフラップを操作する必要がなく、零戦並みに高い格闘性能を発揮することが出来、弥助は巧みに弾丸を交わして離脱する。
「やはりこいつらプロだ! この七面鳥野郎!」
「ボブ! 後ろに敵機がいるぞ!」
ボブという名前のそいつは、弥助に気を取られていたのか、後ろにいる正彦の機体に気がついてはいない。
「だがよ、俺たちの方が優位なんだよ!」
ボブはスロットルを絞り速度を上げる。
☠☠☠☠
正彦の目の前、電光照準器には一機のP51が映る。
「ここだ」
正彦は、必死の形相で弾丸発射ボタンを押す。
20ミリ機銃がP51を捉えようとする時、そいつは速度を上げたのか、すぐに照準器の外へと逃げていく。
「逃すか!」
正彦は折角のチャンスを無駄にしないよう、スロットルを絞り追いかけるが、速度が違いすぎる為にそいつに振り切られる。
ガンガンという音が聞こえ、正彦は背筋が凍りつく思いをしながら後ろを振り返ると、P51が正彦に向けて13ミリ機銃を放っている。
速度を上げて振り切ろうとするのだが、当然のことながら振り切れない。
(クソッタレ、我が軍の兵器ではこいつらに太刀打ちができない! 速度が違いすぎるんだ!)
正彦は死を覚悟したのか、晴美の写真を見やる。
(晴美、すまない、俺の命はここまでだ……)
ガン、という音が聞こえて、正彦は慌てて後ろを振り返る。
眼下には、別の機体が体当たりをしたのか、P51と共に落ちていく紫電改が見える。
(あれは夕張大尉の機体だ……! 畜生、仇を必ず取るぞ!)
正彦は、上空を飛び交うP51数機を睨み付ける。
『空戦中止! 全機基地へと戻れ!』
基地からの指令に、正彦は唇を噛み締める。
☠☠☠☠
史実が正しければ、P51の最高速度は700キロを超え、紫電改や零戦に備わっている、大砲と揶揄される伝家の宝刀、20ミリ機銃の攻撃に耐えうる装甲板、旧日本軍の脆弱な装甲板を貫くことができる13ミリ機銃6門を装備、そして高高度でも飛ぶことができるエンジンが備わっており、太平洋戦争での傑作機と今でも軍事オタクの間では名高い。
日本軍の最先端の戦闘機、紫電改は20ミリ機銃が4門、自動空戦フラップがついてはいるのだが、最高速度は600キロ程度しか出ず、しかも誉エンジンは構造が工芸品と揶揄されて整備は難しく、この頃になると運動制限がかけられて思うような速度が出ない。
硫黄島が去年に陥落してから、B29と共にP51が本土に飛来するようになり、正彦たちは苦戦を強いられるようになった。
P51に勝てる機体は、最高時速が650キロ近く出る陸軍の四式戦闘機疾風や、運動性能が軽快な五式戦闘機だけだと言われており、紫電改では荷が重くなっている。
正彦は昴基地に命からがら戻り、所々に機銃の被弾した穴が開いている紫電改を見て、よく死ななかったなと安堵する。
「飛田、戦果はどうなったのだ?」
食糧難のご時世に、闇流れの食料品で丸々太り、時代に不釣り合いな腹が出て貫禄がある、正彦達の司令官である醍醐与一(ダイゴ ヨイチ)は、正彦に戦果を聞く。
「はっ。6機のP51と空戦しましたが、全く歯が立ちませんでした……」
「何だと!? 体当たりしてでもいいから落とせ! 貴様らは死んで国に貢献しろ!」
「はっ……」
(体当たりしろだと……? 何人もの人間が死んでるんだぞ……)
正彦は、人の命を軽んじる軍部の人間に疑問符を感じているのだが、ここで異論を唱えれば治安維持法の効力で自分や妻の晴美、両親や兄弟にまで非国民としてのレッテルを貼られると思い口をつぐむ。
「ふん、だがいいか。これから、新型燃料について話がある。今から来い……」
醍醐は、踵を返して司令部へと足を進める。
(新型燃料……何故だ? 何故か嫌な予感がする……)
正彦は、悪い予感を背筋に感じながら、コクピットから持ち出した晴美の写真を胸のポケットにしまい込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます