第2話 試験終了


●  ●  ●



「だいぶ慣れてきたじゃないか。アンタがいて助かるよ」


「へへっ。あざっす」


 転生してから4日経ち、太郎はこの世界に随分と馴染んでいた。

 相変わらず補佐官は太郎の傍にいる。

 いけ好かない奴だが、基本的に害はないので無視していれば済む。


 無視していても済まないのが、あの4人組。

 子ライオン3人と、子豚の少年だ。

 彼らはこのレストランに毎日来ており、もちろん今日もお決まりのボックス席に座っている。

 初日にやっていたポテト当てゲームにハマっているらしく、連日、子豚の少年は的にされていた。

 彼はその度に取り繕った、媚びた笑顔を浮かべるのだ。が、



「やめてよ!」


 突然、少年の大きな声がした。

 出しなれていないのか、声は裏返っていた。


「はあ?今なんて言った?」


「あ、あはは……、いや、その、さすがにケチャップは、ね?服につくとシミになっちゃうし。これ、昨日お母さんに買ってもらったばっかで……」


「それがなんだよ。お前の服がどんだけ汚れても俺には関係ねえし」


 子ライオンが、持っていたフォークで少年の頬をぺちぺちと叩く。

 少年は首を振って嫌がるそぶりを見せた。


「避けてんじゃねえよ」


「だって……」


「“だって”?口答えしたな。お前、俺のことナメてんだろ」


 子ライオンは少年の手を、ステーキの乗っている熱々の鉄板に押し付けようとした。


「やめっ、やめてよ!」


「抵抗すんな。おい、お前らも抑えろ」


「ほら、じっとしてろよ」


「暴れたら他のお客さんの迷惑になんだろうが」


 抑えつけられる少年。

 いつものように圧倒的優位な立場に酔いしれる子ライオン達。の、うちの一人。

 少年の対面通路側に座る子ライオンの首を、太郎は掴んだ。


「何すんだよ」


 他の二人も手を止めて、太郎を睨む。


「おい、離せよ!」


 手を振り払おうと、掴まれた子ライオンは太郎の腕を引っ張ったり殴ったりする。

 だが、所詮は子供の力。

 太郎の手はびくともせず、首を掴んだまま。

 すると



「離せっつってんだろーが!」


 隣に座っていた子ライオンが、水の入ったコップで太郎の顔を殴った。

 コップが砕けてガラスが飛び散る。

 スローモーションのように、ゆっくりと舞い落ちるガラスの破片。



 あの時と同じだ。



 小学生の頃、太郎はクラス全員にいじめられていた。

 直接攻撃してくるのは5人。

 他の奴らは何もしない。

 太郎がそこに存在しないかのように扱うのだ。


 あの時は、トイレだった。

 いつもの5人が追いかけてきたので、太郎は3階の男子トイレに逃げ込んだ。

 個室に入って、鍵を閉めた。

 けれど、あっという間に追いつかれ、いじめっ子の一人が壁をよじ登って入ってきた。

 鍵を開けられ、なだれ込むいじめっ子たち。

 殴られて蹴られて、便器の中に顔を押し込められる。

 どれだけもがいても力を緩めてもらえず、息が続かなくて溜まっていた水を飲んだ。

 そこでやっと放してもらえて、慌てて水を吐き出す。


「きったねー!」


「根性ねえなあ。もっといけただろ」


「狭いから外に出そうぜ」


 むせる太郎は休む間もなく個室から引きずり出される。

 一瞬、太郎の顔が鏡に映る。

 その顔は恐怖に歪んでいて。

 今度は小便器の中に顔を押さえつけられた。


「お前汚ぇから、俺が小便かけて綺麗にしてやるよ」


 醜い笑顔を張り付けて、いじめっこの一人がズボンのファスナーを下ろす。

 暴れないよう、太郎の背中を足で踏みつけながら。

 他の者はもちろん止めるなんてことはせず、ニヤニヤと笑いながら、太郎が逃げないように周りを囲んで立っていた。

 肩を並べる彼らを突破するなんて不可能だ。

 けれど、そこで彼らの足元に目がいった。

 正確には、足元の隙間から見えた窓。

  周りをがっちりと囲まれた太郎にとって唯一の逃げ道だ。


(もう――死んでもいい。ここから逃げれるなら!)


 3階の窓から落下すれば無事では済まないだろう。

 それでも、太郎は青空に救いを求めた。



「ああああああ!」



 出せる力全てを振り絞って背中に置かれた足をはねのけ、いじめっ子たちの足元にタックルした。

 予想外の行動にいじめっこたちは対処できず、バランスを崩して転ぶ。


「ふざけんなてめえ!」


「待てコラァ!」


 いじめっ子たちの罵声を背に受けながら、太郎はそのままの勢いで窓に飛び込んだ。

 砕けた窓ガラスが太郎の体を包む。

 そして、太郎はガラスごと落下した。

 地面に体を打ち付け、耐えがたいほどの痛みが全身を駆け回る――なんてことはなかった。

 落下した先に低木が植えてあったため、それがクッションになったのだ。

 とはいえ全身擦り傷だらけで、血だってでている。


 それでも


「やった……やった!逃げ出せた!俺は自由だ!」


 低木に散らばったガラス片が太陽の光を反射する。

 まるで太郎を賞賛しているかのように。

 解放感に身を震わせていると




「やったーおれはじゆーだー」



 似ても似つかない、太郎の声真似が降ってきた。

 見ると、先ほど太郎が飛び出した窓からいじめっ子たちが顔を出して


「ばぁか。お前に自由なんてねえんだよ」


「今から行くから逃げんじゃねーぞ」


 ケラケラと薄っぺらい笑い声を落として、いじめっこたちが奥に引っ込んでいく。

 太郎の決死の逃亡は彼らにとって余興の一つでしかないのだろう。

 光を反射するガラス片も、今はもう、滑稽な太郎を悪目立ちさせる道具でしかない。



 そんなガラス片が再び視界を覆いつくし、太郎の絶望と――怒りが蘇る。

 自分より弱い相手なら、なおさら。

 目の前の子ライオンを殴りつける。

 なんてことはない。

 通路に吹き飛び動かなくなった。


「なんだ、弱いじゃねえか!ザコめ!」


 とどめに頭を踏みつけて、彼の隣に座っていたもう一人を殴りはじめる。

 背もたれとテーブルに挟まれて逃げられないのをいいことに上から何度も何度も殴りつけた。


「俺は!こんな弱い奴にいじめられていたのかよ!お前たちのせいで!何年も!無駄にした!お前たちのせいで!」


 抵抗する手を押しのけ、払い、押さえつけ。

 白目をむいて動かなくなるまで殴った。

 残されたのは豚の少年と、彼の腕を鉄板に押し付けようとした子ライオン。

 子ライオンはあまりの恐怖に一歩も動けないようで、目を見開き、ただ体を震わせているだけだった。


(いい気味だ)


 今度は彼の横に立ちふさがり


「お前、さっき何しようとしてた?なあ、こうしようとしてたよなぁ!」


 子ライオンの腕を掴んで鉄板に押し付けようとした。が、


「おい、やめろ!」


「子供相手になにやってるんだ!」


 近くにいた客が集まり、太郎を後ろから羽交い絞めにして子ライオンから引き剥がした。

 正義感に満ち溢れた客の眼差し。虫唾が走る。


「ふざけんな!今まで知らんぷりきめこんでたくせに、いきなりなんだよ!従業員の俺なら文句言えるってか?そうだよな。客の立場ならどんだけ文句言っても反抗されないもんな!ナメんじゃねえ!お前ら全員このゴミクズ共と同じ――……」


 視界に入った子ライオンの怯え切った表情と、豚の少年の怯え切った表情。

 どちらも同じだった。

 あの時の、トイレの鏡に映った太郎の怯えた表情と同じ。

 今、二人の目に太郎はどう映っているのだろう。

 思わず目をそらし、全身の力抜く。


「太郎、もういい。下がってな。後はアタシがやっとくから」


 駆け付けた店長がそう言って、太郎の肩に手を置いた。

 こいつだって同罪だ。

 無関係だとでも言いたげな彼女の言葉に、ぐっと拳を握る太郎。

 だが目の端にちらつく子ライオンの怯えた姿に、言いようのない暗い何かが心に重くのしかかる。

 結局、太郎は返事代わりの舌打ちだけして、取り囲む客を押しのけ店を後にした。



●  ●  ●



「試験期間お疲れ様。数日働いて、寮を追い出されたあとは路上生活をしていたんだ。大変だったねえ」


 前回と同じく、閻魔大王は高い机の上に広げた書類を見ながら言った。


「わかってると思うけど、希望通りの転生はさせてあげられないよ」


「俺はどうなるんだ。地獄に落ちるのかよ」


「然るべき場所に行くだけです」


 久々に見た補佐官は顔色一つ変えずにそう言った。


「どうぞ、あちらに」


 彼女が手で示した先には、いつの間にか巨大な門が立っていた。

 門の中には、水面のような薄い透明な膜が張っている。

 太郎は門の前まで行って


「これで俺も終わりか」


 この一週間、太郎は何ができたのだろう。

 ただ無駄に希望を抱き、怒りに身を任せただけだった。

 あの日からずっと心の真ん中にこびりついて離れない、子ライオンの怯えた表情。

 この門を通って綺麗さっぱり忘れてしまえばいいのに。


「っし、行くか」


 馬鹿な考えごと頬を叩き、太郎は目を瞑って門をくぐり抜けた。

 ひんやりとした冷気が一瞬だけ体を撫でる。

 そのまま歩き続け、程よいところで目を開けると――先ほどと同じ場所に立っていた。

 高い椅子に座った閻魔大王と、その傍に立つ補佐官。

 周囲を見渡してみるが、くぐったはずの門はどこにもない。



「どういうことだ?」


「君には望み通りの転生をする資格がないからね。補佐官としてここで働いてもらうことになったよ」


「はあ?」


 目を白黒させる太郎をよそに、大王は椅子を下りて


「試験は不合格だったんだ。あんなに子供を傷つけたんだから当然だよね。でも、君の後悔は素晴らしかった」


 そう言って太郎の前に立つ。


「過去に虐げられたことのある人間が優位に立ったとき、悲しいかな、劣位の相手を虐げる傾向にある。そこに後悔なんてない。ただ、自分がされたことをするだけ。……君も大多数と同じく弱者を傷めつけた。だけど君は後悔した。そして改めた。止めに入った店長を殴りつけることもできたけど、君はそうしなかったでしょ」


「そんなの、でも、それだけだろ……」


「それだけだっていいじゃない。よく頑張ったね」


 精一杯の背伸びをして、大王は太郎の頭を優しく撫でる。

 誰かに頭を撫でられたのなんて久しぶりで。

 太郎が熱くなる目頭を押さえようとしたとき



「なに臭いこと言ってるんですか。単純に人手不足でしょう」



「は?」


「ダメだよ補佐官くん!いま大王いいこと言ってるんだから」


「ひとまず補佐官の一員として貴方を迎え入れて躾直すんですよ。はあ。また仕事が増えました」


「しつけ……?」


「あ、そうだ。これを渡さないとー」


 太郎の視線から逃れるように、大王は目を泳がせて懐から小さな袋を取り出す。

 そして咳払いをし


「これを君に」


 袋の中からネックレスを取り出した。

 補佐官が自身の首にぶら下がっているネックレスを指で弾いて見せる。


「補佐官の証ですよ。お揃いですね」


「さっ。早く屈んで」


「全然納得いかない」


 じとりと大王を睨みつけるが、笑顔の彼女になんだか毒気が抜かれてしまい



「仕方ねえな」


 太郎は膝をついて首を差し出した。

 そこに大王がネックレスをかけて




「これからよろしくね。補佐官くん」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ちょっと待って!その異世界転生、本当に必要ですか? 寧々(ねね) @kabura_taitan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ