第277話 わたし、魔法使いになったの
彼女はその施設の正面ゲートから、最上階まで通ったエントランスの吹き抜けを遠めに見あげた。
『フーディアム』——。
彼女はこの仰々しいネーミングも、高級レストランが集まったこの施設も嫌いだった。いや、この場所には憧れしかない。本当に嫌いなのは、ここに通う客だ。
ここは本物の食材が食べられる「高級料理店」の集まる場所だ。合成でも、培養でも、人口でもない、生きている生物を殺した本物の食材が口にできる、世界でも何十ヶ所しかない場所のひとつだった。
だが、まともな人生を歩んできている人間には、絶対足を踏み入れられない場所でもあった。一品だけでも、通常のベーシック・インカムを受けている人の数ヶ月分の料金で、しかも紹介なしには、簡単には会員にもなれない。
彼女は正面ゲートをくぐると、エントランス手前に
「お客様、ここから先は会員様エリアです。あなたは入場することはできません」
ゲートの上のほうにいたアンドロイドの門衛が警告を発した。
「へぇ、どうやったら会員になれるのかしら」
「お客様、あなたにこのことを説明するのはこれでもう28回目です」
ふっと目の前に門衛の映像が投影されると、彼女の目の前で説明をはじめた。
「この『フーディアム』は選ばれた方しか、お入りになれない場所です。あなたのようなベーシック・インカムだけの『基本市民』の方にはご遠慮いただいております」
幾度となく繰り返された問答——。
「じゃあどうすれば、それをクリアできるのかしら?」
「まずは会員三人様のご推薦をいただき、いくつかの『リ・プログラム』を受けていただく必要があります。またグレードに応じた年会費も必要です。ですが、その年会費は、あなたのベーシック・インカムの年間支給額の最低でも数倍になります」
いつも繰り返したきたおなじ説明。いつも
「ですから、お客様、このままお戻り下さい。お客様向けの料理店は、ここから20ブロック外にたくさんあります。そちらへ」
「いやよ、あそこは造りモノの食材だらけ。わたしはこのフーディアムで提供されている土の付いた本物の野菜で作られている『ミネストローネ・ヌードル』を食べたいの」
「残念ですが、本物の野菜は大変希少ですので、とうていあなたの収入では手がとどきません」
彼女は大きくため息をついた。
そろそろこのあたりで屈強な『ロボット・ガードマン』がやってきて、この場所から強制退場させようとする頃合いだ。彼女は今までに五回ほど、そのロボットに退去させられた経験がある。そのうち一度は揉み合って足に怪我をさせられた。
門衛の目が赤々と点灯し、警報ランプがつくと、上空階から屈強な『ロボット・ガードマン』が二体、ゆっくりと下降してきた。
彼女は見慣れたロボットの一体には『ダビデ』もう一体を『アポロン』と勝手に名付けて呼んでいた。ダビデがうんざりとした表情のホログラフを顔のスキンに表示した。
「また、あんたですか。あぁ、顔を変えられたようですね」
「えぇ。今やっている映画のヒロインの顔よ。今月の流行の顔に整形してもらったの」
「顔をいくら変えても無駄ですよ。生体チップですぐにわかります。このままお帰りください」
アポロンがにたにたとした表情を貼り付けて、おもしろそうに言ってきた。
「あぁ、さっさと帰んな。こっちはこのあいだみたいに、AI裁判所に申し立ててもいいんだぜ。前回はからだの随意筋を脳内チップの制御で、ロックされるだけで済んだけどな。今度はもっと厳しいかもしンねぇぜ……」
「あのときはひどい目にあったわ。ものの3分で『AI裁判官』から『不法侵入』で有罪にされるとはね。おかげで、48時間、からだがまったく動かなくなって、食事は食べられない、排泄物は漏らしっぱなし……。およそ、レディへの罰じゃないわね」
「じゃあ、レディ。いいかげん懲りたでしょう。われわれも人間に対して、手荒な真似はしたくないんですよ」
「あら、今日のわたしは前の私と違うの。だからあんたら、ガードマンもAI裁判官も、ちっとも怖くない」
アポロンが薄ら笑いのスキンを表示すると、追い討ちをかけるように、こめかみの横で人さし指をくるくる回してみせた。
「あんた、お漏らししたショックで、おかしくなってンじゃねぇのかい」
「人間への差別的ジェスチャーはやめなさい。AI裁判所へ訴えてやるわよ」
「そうしてもらっても構いませんよ。AIは基本的に人間に尽くすようになってますが、すべての人間様の肩をもつわけではないですからね」
「は、とんだ『人間差別』ね」
「なぁ、レディ、考え直せよ。あんたもわかってンだろ。AIの指示や管理通りにしてくれれば、その人なりのベストの人生を送れるようにナビゲートしてもらえるんだぜ。健康でなにひとつ不満のないような人生をだ。それをわざわざ無視して、悪いほうの人生に足を踏み出そうとするなんて、ロボットからみても感心できねぇなぁ」
「なるほど、そうかもね。でも私はそれを無視できるの。できる力を手に入れたんだ」
彼女はニンマリと笑うと、懐から細い杖をとりだしながら言った。
「わたしね、『魔法少女』になったの」
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