第241話 ドラゴンズ・ボール奪取

「タケル……さん……」


 さしだされた手をつかみかけて、クララのなかに突然のとまどいが生じた。

「タケルさん、この手をつかんだとたん、空中を浮遊するわたしの力は失われたりしませんか……」

「不安かい?」

「いえ。ただ、そうなっては、わたしが助けに来た意味がありませんわ」

「大丈夫。それに万が一、そうなったとしても、ぼくがきみを守ってみせる」

 それを聞いてクララは胸が高鳴ると同時に、胸が苦しくなるのを感じた。『女』としては素直に嬉しいが、またヤマトを危険に晒すのでは、『パイロット』としては失格だ。

 

 クララはヤマトの手をぎゅっと握った。

 ヤマトのからだが、軽々と持ち上がっていく。

 ただの杞憂きゆう——。

 ヤマトのからだはガトリング銃同様、ほとんど重さを感じられなかった。質量があることがわかる程度に腕がひっぱられる感覚はある。だがヤマトの足が階段からはなれて、完全に浮きあがったあとでも、重量感が増した感覚はない。


 クララはゆっくりと横に移動して、ヤマトがボールを掴みやすい位置に近づけた。

「なにか起きるんじゃあ、ありませんか?」

「あぁ。起きるだろうね。でも手ぶらでは帰れない」

 そう淡々と言い返してきたヤマトの顔が眼前にある『ドラゴンズ・ボール』の光に照らされて、くっきりと照らしだされた。

 クララはその顔を間近で見てハッとした。


 ヤマトはユウキのように『美男子』にカテゴライズされる顔ではなかった。だが、美意識的に整った顔にはない、生命観あふれる野性味や、達観したような冷徹な目、それでいて使命感に燃える激情がないまぜになって男として、いや、『オス』としての魅力に満ちていた。これは自分に好意を寄せてくれていたアカデミーの男子には、けっして備わっていないものだった。

 クララも心惹かれていたリョウマの持つ優しさとは、まさに対極にあると言っていい。


 ヤマトがゆっくりとボールに手を伸ばして、慎重なしぐさでぐっと鷲掴わしづかみにした。

「何も起きませんでしたわ」

 クララはほっとして、ため息とともに言った。

「あぁ……。今のところはね」

 ヤマトが上を見あげた。すぐ真上にいるクララと目があう。ヤマトがにこりと笑った。

「さぁ、クララ、急ごう。ぼくを塔の頂上までひきあげてくれ」

 クララはヤマトの笑顔にとまどいかけたが、すぐに返事をした。

「了解しましたわ。急いで頂上に下降します」


 クララはヤマトの体をぶら下げたまま、天井側にむかいはじめた。そのあいだヤマトは左手に持った『ドラゴンズ・ボール』を子細に確認していた。幸いボールから放たれるまばゆい光は、まったく弱まってなかったので、ライト代わりとして重宝した。周りをとりかこむ塔の内部がその光に照らしだされていく。


 クララは光に浮かびあがった壁のブロックを眺めた。壁はごつごつとした岩を切り出して積みあげられており、その造りは現実世界の遺跡群でみられるものとそっくりだ。最近の建築物は『量子プリンタ』で継ぎ目なく打ち出されたものなので、本当に積み上げられた建造物はヴァーチャル空間でも珍しく、とても新鮮に思えた。

 だが、クララはそのブロックの壁に、ふいに違和感を覚えた。と、唐突に電幽霊サイバー・ゴーストの気配がぞくぞくとからだを這い上がってきた。


「タケルさん。電幽霊サイバー・ゴーストの気配が……」

 クララのことばに、入念に『ドラゴンズボール』を調べていたヤマトが手をとめた。

電幽霊サイバー・ゴースト?。ぼくはなにも感じない」

「いえ、まちがいないですわ。しかもあのリヴァイアサンのようなモンスターの気配です」

 ヤマトが『ドラゴンズ・ボール』を上に掲げ左右に動かして、周りを照らしてみせた。まんべんなく光をあてて塔の内部にぐるりと光をあててみる。

「異常があるように見えない」

 そう漏らしたヤマトのことばに、クララはそのまま押し黙って神経を研ぎ澄ませた。

 壁のレンガ。レンガの形状、色。破損や経年劣化で崩れた箇所。その凹凸がうみだす様々な陰影。レンガとレンガの隙間から生える緑色の苔、そこから染み出す水……。

 怪しいところは見つからない。だが肌を刺すようなチクチクとした、嫌な感覚はますます強まっていく。

 絶対何かあるはずだ——。

 その時、レンガとレンガの隙間に生えている苔が、微細な動きをしているのに気づいた。


 どこかから空気が流れこんできてる?。


 一瞬そう思い込みそうになったが、本能が、感覚が、それを即座に否定した。


 ちがう——。

 あの苔は自分で動いている。なにかを送り出すように、同じ方向に蠕動ぜんどうしているのだ。


 あぁ、これは苔ではない。繊毛せんもうだ——。


「タケルさん。この塔の壁、繊毛せんもう運動してますわ!」

繊毛せんもう運動?。どういうことだ!」

 クララは瞬時に答えにたどりついた。今度は本能も感覚もそれを肯定していた。


「タケルさん、この塔、生きてます!」

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