第236話 こいつに触れたら、こっちのエリアに引きずり込まれる

 何人もの半魚人が一斉に手をのばしてきた。


 やばい!

 塔の中に引きずりこまれまいと、ヤマトは体をうしろにのけぞらした。半魚人は狭い扉から同時に手を突きだそうとしたため、ヤマトの体に触れたものは一本もなかった。だが、ヤマトはあまりにも機敏に反応して体をそらしすぎた。あっと思った時には塔の外階段から体が躍りでていた。足を踏みはずして落ちる瞬間、クララが「タケルさん!」という悲鳴めいた声が聞こえたが、すぐにその声ははるか上に消えていった。

 五百メートルもある尖塔だったが、落下していくとあっという間に波頭はとうが近づいてくる。ものの数秒後には海面に激突するだろう。海水への着水の衝撃によるダメージは大したことがない。先ほどのように頭を切断されたことに比べれば、かすり傷レベルのダメージにすぎない。

 だが、そのあとがすこぶる厄介だ。

 海上でクラーケンが無数の触手をくねらせながら、待ちうけているのが見えた。海の中に引きずり込まれたら、いくらポイントがあっても間に合わない。

 ヤマトは外階段に巡らされている鎖の柵に手をのばした。鎖を掴むと同時に、とてつもない衝撃が腕にかかった。ボキッという派手な音がして腕の骨が折れ、肩がぬける。

 だが落下はとまった——。


 首をもがれた時同様で痛みはないが、急制動がかかった衝撃で、なんどか上下にからだが揺さぶられた。あまりに激しい振幅にもう一度振り落とされそうになる。

 ヤマトは片手一本で階段の外側にぶら下がったまま、下を見おろした。海面まで二百メートル程度の位置だろうか。

 ヤマトはすぐに早口で回復の呪文をつぶやいた。

 2000ポイントのマナと引き換えに、腕が元通りに修復して力が戻ってきた。ヤマトは力をこめて、階段の外から自分のからだをひきあげると、階段に座り込んだ。アスカに直前にポイントを移動してもらっていたおかげで、まだまだ余裕があるとはいえ、慎重を欠いたためにいらぬポイントをうしなったと考えると、自分への叱責の方が先にたつ。

 遥か上の方からクララが、名前を呼ぶ声が聞こえてきた。こちらを心配する声だ。気が気ではないというほどの切迫したものがないものの心配させたのは確かだった。


「大丈夫だ。クララ」

 ヤマトは声を張った。

「今、行きます」

「いや、クララ、きみはそこで待機だ」

 クララの気持ちはありがたかったが、ヤマトははっきりと断った。これは自分の責任だ。クララの手を煩らわせる事案ではない。ましてやここまで上昇してもらうのはクララ自身に、不測の危険を生じさせることになる。

 ヤマトはぐっと柵の鎖に手をかけて、立ちあがるとゆっくりと階段を登りはじめた。だが数十段登ったところでヤマトは不気味な音がしてくることに気づいた。

 それも同時に二カ所。

 塔の中でなにかがうごめいているような擦過音さっかおんと、下方でなにかが壊されているような破砕音はさいおん


 ヤマトは柵から上半身をそっと乗り出して、下方をのぞき見た。

 音の正体はすぐにわかった。下からなにかが這いあがってきているのが見えた。正体は不明だったが、大きな長い生物が外階段に沿って、滑るようにして上にむかってシュルシュルとあがってきているのだった。しかも一体、二体の話ではない。ものすごい数の生物が我先に争いながら、外階段をあがってくる。そのせめぎ合いのせいで、外階段の足場は粉砕し、塔の外壁が削れていっているのだった。

 猛烈なスピード。計算するまでもなく、確実に追いつかれるものだった。


「アスカ!」

 ヤマトは階段を駆けあがりながら、テレパシーコマンドを使ってアスカを呼びだした。

「タケル、なに?」

「塔の下から得体のしれない敵に襲われている。なんとかできないか?」

「なんとかって……、また雷魔法でやっつければいい?」

「いや、それは却下だ。ぼくはすでに海側エリアにいる。あまり強力なコマンドを使われたら、ぼくもその影響を受けてしまうかもしれない」

「わかった。何か考えてみる」

「あまり時間がない。頼んだよ」

 アスカとの通信が切れた。ふと頭上の数字を見ると、すでに3000ポイントのマナが消費されていた。

『マジか。あちらのと交信は、骨折を治すよりもマナを消費するのか』

 ふいに今度は塔の内部から、ずるずると何かがのたくっているような音が聞こえてきた。まちがいなく半魚人、つまりクラーケンの触手がそこにいる。おそらく外階段を走るこちらの振動音を手がかりに自分を探しているにちがいない。

 今度襲われると、下から迫ってきている得体のしれないモンスターの餌食になる可能性が大きく広がる。迂闊うかつな失敗は許されない。

 と、ふっと、塔の中をひっかくような音が消えた。

 次の瞬間、塔の壁のレンガがドーンとはじき飛ばされ、穴が空いたかと思うと、半魚人が掴みかかってきた。

 ヤマトは柵の鎖をつかんだまま、体を大きく階段の外にのけぞらせた。半魚人の突き出す手がタケルのからだに触れる。ぎりぎりのタイミング。

 半魚人がもういちど掴みかかろうと、触手に押しだされるように全身を現した。まるで蛇が鎌首をもちあげるように、からだがせり上がっていく。ヤマトは自分を見おろすような位置にあがっていく半魚人を見あげた。

「タケルさん!」

 ふいに上から名前を呼ぶ声が聞こえた。

 クララだった。

「クララ、来るな!。こいつに触れたら、きみもこっちのエリアに引きずり込まれる」

「でも、そのままでは確実につかまります」

「いや心配ない。目の前にターゲット・アローが点滅しはじめた。もうすぐゲームがスタートする」

 ヤマトは半魚人のからだの前にうっすら見えはじめた、八方向の矢印キーをじっと見ながら言った。

「しかし、そちらの世界でのルールでは、相当手を焼きそうですわ」

「わかってる。だが、脱出するための担保であるきみを危険にはさらせな……」


 そのことばを言い終わらないうちに、半魚人の体がびくりと動き、一気にヤマトのほう飛びかかってきた。ヤマトはぐいと柵の鎖をひいて、からだを階段のうえにもどすと片手で剣をかまえた。

 半魚人が大きく手をひろげると同時に、目の前の空間に『上』向きの矢印が点滅するのが見えた。ヤマトがその指示に従って、剣を上に振りあげようとしたが、それより速くどこかか飛んできた『光の矢』が半魚人のからだを貫いた。あっと言う間に半魚人には何本もの矢が突き刺さり、ハリネズミのようになっていた。半魚人は「ピューッ」と鳴き声とも断末魔ともつかない異音を発したかと思うと、がくんと頭を垂れた。



「タケル、なんとかしてやったわよ」

 頭の中にアスカの声が響いた。

「アスカか?」

「あたし以外に誰がいんの。タケル、あんたボカぁ」

「あ、いやぁ、助かったよ、アスカ」

「まだ、あとから来てるわよ。さっさと頂上まであがんなさいよね」


「わかった」

 

 ヤマトはいそいで階段に足をかけると、全速力で上階にむけて駆け上がりはじめた。

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