第162話 悪魔に魂を売った女の、それが本当の名前

 リョウマの墓はほかの石碑とは異なり、表面は光沢感をたたえ、名前を彫った溝のエッジは切立っていて、一見して真新しいものだというのがわかった。

「兄の墓、まだピッカピッカでしょ」

 アスカがうしろから歩み寄ってきて言った。

「タケル、あなたはイヤじゃない?」

「なにが?」

「兄さんは、あなたのお父さんや、叔父さんたち、ほかの歴戦のパイロットと一緒に並んでいい存在じゃない……」

「気にしなくていい」

 ヤマトはアスカのことばを途中で打ち消すように口をはさんだ。

 アスカは少しはにかんだように口をすぼめると、こくりと頷いて「ありがと」と言った。

 ヤマトはあらためて、リョウマの墓碑を見つめた。そこに墓碑銘があった。

【亜宙人にとりこまれても最後まで抵抗し、自らの意志でのがれた。妹思いのやさしい兄、そして希代のハンターになるはずだった少年】

 ヤマトはふとその上に刻まれた名前に気づいた。


 龍・冴馬

【SAEBA RYO】


「さえば、りょう?」

「えぇ、そう。本名は『りょう・さえば』。あたしは名前を変えたけど、兄は父がつけてくれた名前を捨てきれなかった。でも、家名を汚したくないから、名字も名前も読み方を変えたの」

 アスカはヤマトの前に一歩進みでると、自分の胸に手をあてた。

「だから、あたしも本当は『りょう・あすか』」

 ちらりと兄の墓碑に目をやって続けた。

「その墓碑にならうなら、『あすか・りょう』って言い方になるのかしら」

「あすか……、りょう……ね」


「えぇ、そう。実の兄をみずからの手で殺した、悪魔に魂を売った女の、それが本当の名前……」


「売れちゃあいないよ!」

 ヤマトが強い口調で否定した。アスカはハッとして、思わず言葉を飲み込んだ。それほどまでに力強い叱責だった。

「そんなやさしい魂なんかじゃ、悪魔は簡単に契約なんかしてくれやしない」

 アスカがヤマトを見つめた。厳しい口調にあきらかに戸惑っている。

「ど、どうしたの?。タケル」

 ヤマトはアスカの両肩をつかんだ。やさしくも、荒々しくもなく。だがその決意が手のひらから伝わるほど強く。

「アスカ、キミは本気で悪魔に魂を売る気があるか?」

「なにを言ってるの?」

「ぼくは亜獣をあと八体。全滅させるために命をかける。どんな犠牲をもいとわない。絶対に根絶やしにする」

「も、もちろん……じゃない?。あたしだって……」

「ちがう!」

 ヤマトはアスカの肩を激しくゆさぶった。

「ぼくはキミも犠牲にする。次は決してキミを助けない。亜獣を倒すためなら人類が半分になってもかまわないとすら思っている」

 ヤマトはアスカの目の奥をじっと見た。

「アスカ、君にその覚悟があるか?」

「大げさーーーね」

「本気だ!」

 ヤマトは墓の壁の方に手をむけた。

「ぼくはここにいる歴代のパイロットたち全員に思いを託された。ボクはみんなの願いを受け継いだ最後の男だ。だから決着をさせる義務がある」

「君にそれを手伝える勇気があるか?」

 アスカはヤマトの剣幕に気圧されるどころか、逆にくってかかった。

「あるわ!。あんたが背負っているその重荷。あたしだってすこしは担げる!」

「なら、アスカ、ぼくの盾になれ。そして、最後の一匹を退治するまでぼくを命がけで守れ。誓えるか!」

「誓ってもいいわ!。あなたが一匹のこらず駆逐してくれるっていうならね。一度はなくしかけた命、あなたのために使ってあげる。でも、あたしには何をしてくれるの?」

 荒々しいアスカの返事にヤマトは黙りこんだ。まだ迷いがあるのかもしれなかった。ヤマトはアスカの肩にギュッと力を入れた。

「ぼくは何もしない……。何もしてやれない。もし、その時……、君もぼくも生きていたら、ぼくは……、アスカ、君に別のお願いするだけだ」

 アスカは困惑の色をかくせずに、ヤマトを見つめた。

「もし、すべての亜獣を倒したあとも、二人が無事でいたら——」


「アスカ、ぼくを殺してほしい」


 アスカの瞳が大きく見開かれた。

「ぼくが受け継いだ『四解文書』ごと、ぼくをこの世から消しさってくれ。もちろん、その前にキミとツがってもいい。だけどぼくの頭の中にあるこの秘密は、この世からなくさないといけない」

「こいつは……、人類が知っていい類いのものじゃない!」

「タケル……」

「ぼくと一緒に戦うということは、そういうことなんだ」

 アスカは何か思いあたったのか、ヤマトの心を見透かすような目で聞いてきた。

「レイは?。レイはなんて?」

 ヤマトは顔色ひとつ変えずに言った。

「『えぇ、わかった』と一言だけ……」

 アスカは意地悪げな表情で、ヤマトをにらみつけた。

「あぁ、そう。抜けがけされたのね。なら、あたしも負けるわけいかない。いいわ、タケル、イエスよ。誓うわ」

 ヤマトは突然アスカの肩をひきよせると、ぐっとからだを抱きしめた。

「よし、契約完了だ。もう、あともどりできない」

「は、後悔なんかするもんですか……」


「あたしはこの手であなたを殺せる日まで、あたしの命かけてやるわ!」

「あぁ、君がぼくを殺す日まで、ボクは君を死なせやしない……」

 ヤマトはアスカの耳元で決意がこもった声色でささやいた。


「守りとおしてやる……」



------------------------------------------ 第一章 終了 ------------------------------------------------

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