第103話 ここに亜獣が現われるわけがない

『なぜ、だれも『ハピネス・ライブ』の『黒澤にん』のことを知らないのだ』

 男は電磁パルスレーン上のスカイモービルを走らせながら、その道中、憤りをとめられずにいた。会場をあとにしてすでに一時間は経っていたが、いまだに気持ちは高ぶったままだ。

 だいたい、今回のパーティーは、ふるき良き時代の『ヲタク』種が集まるパーティーだと聞いていた。それがどうだ、まったくの肩透かしな面子しかいなかったではないか。

 女どもはいい。あいつらはいつだって、21世紀後半に『イケダン』と呼ばれていた、見てくれのよい有象無象の男性CGキャラクタに夢中なのだ。

 だが、今回集った男どものレベルの低さときたら……。

 だれも「ハピネス・ライブ」もその続編の「ハピネス・ライブ・サンシャイン」のことも知らない輩ばかりだった。

 当然いちおしの『黒澤にん』のことだって知らない。そればかりか、このキャラクタについて、語ろうとすると、だれもが口をにごし、遠まわしに忌否するのは、どういう了見なのだろう。なかには人をまるで犯罪者のような、嫌悪を顔にあらわにする者さえいた。

 これが、ふつうの人々との集いで、そのような振舞いをされたというのなら納得もしよう。それは自分でもこころえている。いままで、幾度となく失敗を重ねてきた。

 だが、古きよき時代の二次元キャラクタを愛する人々の集まる会で、この仕打ちはあまりではないか。ほかの参加者たちの與味は、主に二十三世紀ごろから主流になった成熟した女性が主人公の話や、自分の魂が二十二世紀頃の人物の体に宿って、過去の世界で活躍する「異世界」ものばかりだ。

 まったく、くだらない。

 そんなものはバーチャル・リアリティの世界で、実際に疑似体験できるものばかりだ。この「ハピネス・ライブ」のように一生懸命頑張っている女の子の成長を、陰ながら応援するというのがどれほど、崇高でゾクゾクさせられることか、彼らはわかっていない。

 男は被っていた軍帽のつばに手をやった。この帽子も人々を遠ざけることになるとは、想像だにしなかった。

 この帽子は劇場版「ハピネス・ライブ」で黒澤にんが被っていた時のものだ。見ればすぐにわかる『アイコン』とでもいうべき、アイテムなのだ。

 彼は思わず車のハンドルを、ドンとこぶしで叩いた。

 この帽子がどれほど貴重なものか、まるでわかっていない。

 男が沈み込むような気分をあらたに感じていると、自分のマンションが見えてきた。

 五十階建ての最上階。

 電磁誘導パルスレーンの制御がゆるみ、スカイモービルが下降しはじめる。自動操縦AIが五十階にある自室のベランダをロックオンしたことを示すサインが点滅する。

 彼の部屋のベランダと一体化された駐車場は五台分。最上階ならではのステータスだ。上空五百メートルの電磁誘導パルス・レーンから、電磁誘動で直接上空から駐車できるようになっている。

 ふと、モニタ画面に、自分の住む高層マンションと、もう一つツインになるタワーマンションの間の道路に、何か蠢めいていることに気づいた。

「何だ?」

 二つのタワーをへだてた道路は広いはずだ。片側三車線に加えて、広々とした歩道がある。たまに気分転換でウォーキングするからよく知っている。

 しかし、今、その広い道路横いっぱいに何かがいるのだ。しかも動いている。

 男はスカイモービルの底面についている、ダウンライトを点灯させた。

 灯りは地面までは届かないほどの強さではあったが、車体についたカメラが、光に浮かびあがったなにかを映像でとらえた。

 おびただしい量のトゲにおおわれた多数の目。

 彼は驚愕した。

 そんな姿をした巨体は亜獣しか選択肢がない。

 だがここに亜獣がいるはずがない。

 ここから数十kmはなれた富士市に出現すると一昨日から再三、メディアを通じて警報がでていたはずだ。該当地区の人々の中に、このマンションの知人をたよって避難してきた者がいると聞いた。だから、ここに亜獣が現われるわけがない。

 現われてはならないのだ。

 彼が忙然として下の様子に気をとられているうちに、自動運転装置から、ピーピーという警報音が聞こえてきた。

 自分のマンションのテラス駐車場へ、駐車準備にはいったという合図だった。

 目と鼻の先に凶暴な亜獣がいる。そのままそのマンションへ帰宅していいものか。それともふたたび電磁パルスレーンの軌道に戻して、どこか遠くへ逃げるべきか。彼は一瞬逡巡した。

 だが自室に飾られている自分のコレクションのことを思いだした。

 あれを置いて、逃げられるわけがない。

 全部は持っていけないのは承知だ。だが、もし亜獣のせいでそれらを喪失したとき、一生悔やみ続けるアイテムが数点あるのは確かだ

 戻らねばならない。

 自分自身の後悔もさることながら、あれは数世紀前からの先達が大切にして、いまの時代に残してきた、いわば人類の遺産なのだ。自分の命惜しさに、簡単にうしなっていい代物ではない。


 まず考えるべきは、なにを最初に持って逃げるべきかだ。

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