第7話 どんなに過小評価したとしても、これは最悪な事態だ

 マンゲツには気の毒だったが、右腕一本を犠牲にすることで、反撃の時間を稼ぐことができるのなら上々だ、とヤマトは思った。この程度の傷なら、あの春日リンがなんとかするはずだ。

 おかげで左に持ち替えたセーバーの先に集まった光は、本来の形である、サムライソードの長さにまで形成されている。

 マンゲツは、ソードを持った左腕で、亜獣の首を一閃した。

 右腕に噛みついた亜獣の首が切断され、緑色の血しぶきが飛び散りはじめた。

 噛む力を失った首は、名残惜しそうに徐々に力を緩め、ゆっくりとそのまま地面へと落下していく。それを横目に見ながら、ヤマトはうかつにも反射的に、亜獣のキバが食い込んでいた右腕の症状を確認しようとしてしまった。

 それはほんの一瞬の隙だった。

 まったくの死角から、亜獣サスライガンの渾身の一撃がマンゲツの身体を強打した。

 エドから注意を喚起されていた大きな尻尾による攻撃。

 ガコンと音がしてコックピット部分のガードが大きくへこむ。

 気づいた時には、すでにマンゲツの巨体は空中に放りだされていた。

 ヤマトはあわてて姿勢を制御しようと試みるが、まったくなにもできない。マンゲツの身体は数十メートル背後の高層ビルに激突した。耳を覆いたくなるような轟音、そしてすぐにビルが崩れ落ちる、ズズズ……という重低音が響いて、マンゲツの上からへし折れたビルの上層階が大きな塊のまま落ちてきた。ヤマトの目の前にあったハッチがさらにへこみ、計器類が火花を散らしながらこちら側に迫り出してくる。

『油断した』

 右の壁から聞こえてくる音で、デッドマンカウンターが、恐ろしいほどのスピードでめくれていくのが、見ないでもわかった。

 亜獣の攻撃に備えようと、ヤマトが身構える。

 が、正面の右側面のモニタがすでに使えなくなっていて、なにも見えなかった。

「サーモ!」

 辺りのサーモグラフィ画面が眼前に投影された。冷えきったビルなどの青や黒の周辺温度にまじって、おびただしい数の赤い点のような色が映し出された。だが、その赤い点は見る間にどんどんと消えていく。

 パタパタと音をたてているカウンターはいまだに止まる気配がない。

 ヤマトは目をこらして、赤く揺らめく周辺の火事のサーモ画像の、むこうのほうに大きな赤い影が動いているのを確認した。

 まだすこし距離がある。

 ヤマトが操縦桿を動かそうとしたとき、ソードを持っている左手が動かないことに気づいた。まだ作動している左側のモニタカメラで確認すると、崩落した大きなビルの塊が左腕を挟み込んでいて自由がきかないことがわかった。手首しか動かせない。

『まずい』

 その状況を察したかのように、赤い影が突然こちらへ突進してきた。

 ヤマトはアルの回線に叫んだ。

「アル!。サムライ・ソードは手を離したら何秒持つ?」

「手を?、手を離したらすぐに力を失うぞ」

「だから何秒!」

「すまん、おそらく1~2秒ってとこだ」

 ヤマトは目の前に迫ってくる赤い影を見据えながら、

「上等だ」

「痛みのスピードよりたっぷり時間がある」

 ヤマトは赤い巨体が突進してくる振動を感じながら、タイミングを計っていた。近すぎても遠すぎても駄目だ。ヤマトの目の前のサーモグラフィ画面いっぱいに、巨体の赤い影が広がる。

 マンゲツは手首のスナップをきかせて、ソードをポーンと空中に放り投げた。みるみるうちに刀サイズだった光のサムライソードがすーっと輝きを失いはじめ刀身が短くなっていく。

 その空中を舞うソードを右手で受け止めるマンゲツ。

 そのままギラリとした歯を剥いて噛みつこうとする、亜獣の真ん中の首を切りつける。

 切断された首が、突進していた勢いそのままにポーンとかなたに飛んで行く。首を飛ばされたからだのほうも、突進の勢いを止められず、マンゲツが腕を挟まれているビルに突っ込んだ。これ以上ないほどの轟音をたててビルをなぎ倒す亜獣の骸。

 その衝撃でビルの隙間に挟まれていたマンゲツの左手がはずれた。

 勢いよく数字を刻んでいたデッドマン・カウンターの音がゆるやかになる。

 手が自由になったマンゲツは、ビルにからだを突っ込ませたまま絶命した、サスライガンを横目にみながら、ゆっくりと立ちあがった。

「大丈夫か、ヤマト」

 アルの声がモニタから聞こえてきた。

 先ほどまで使用不能だった、正面と右側面のモニタ画面の映像がいつのまにか回復していた。

 ヤマトは周囲が映し出されているモニタ画面に目をむけた。仙台市は大半が焼け野原になっていた。世界亜獣災害基金から復興費は捻出されるが、通常の状態に戻るまでには相応の年月が費やされるのは間違いない惨状だった。

「ヤマト、帰投します」

 ヤマトは司令部へ声をかけた。 

「アル、コックピットの修理を頼む」

「それと、リンさん。マンゲツの腕……頼みます」 

 ヤマトは大きく息を吐いた。

 これで98体目。

四解文書しかいもんじょ』に啓示された法則によれば、亜獣は全部で108体。


 あと十体で終わる……。


 その時、絶命したはずのサスライガンの尻尾がピクリと動いた。尻尾の先から、ツルのようなものがヒュるッと吐き出され、マンゲツの首に巻きついた。

 その動きにヤマトは瞬時に反応した。

 が、ツルとの間に手を差し入れて、首に食い込むのを阻止するまでが限界だった。ツルはまるで生きているかのように、幾重にも首元を回転して巻きついた。

 ツルがしなり、強烈な力で引っ張られると、マンゲツはなんの受け身をとれないままうしろに引き倒された。持っていたサムライソードが手から離れ、数十メートル先の地面に跳ね飛ぶ。

 そこにいた、赤ん坊を背負い、幼子の手をひいていた若い母親には逃げるすべはなかった。あっという間もなくソードのつかが親子連れをもろとも押し潰した。

 パタパタと無情に数字を刻んでいくデッドマンカウンター。

「な!」

 背後を映し出すカメラが、ツルを吐きだした亜獣の尻尾を映し出す。亜獣の尻尾の根本部分にうっすらと細い目が開いていくのが見えた。


「こっちが本物の頭かぁ!」


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 司令室で投影されている現場のモニタ映像を見ていたブライトは、思わぬ亜獣の反撃にぼう然としていた。尻尾だと思っていたものが、実は頭部そのものであったという驚愕の事実。固定観念でみていた自分たちのミスであることは明らかだった。

 しかし、その口から吐き出された舌とも触手ともつかない細いツルごときに、あのマンゲツが完全に自由を奪われていることには納得がいかない。

「ヤマト、なんとかならないのか」

 ブライトが苛立ちを隠しきれない怒気を含んだ言葉を投げかける。

 その声を無視したまま、ヤマトは無言で操縦桿をやみくもに動かし続けた。だが、彼の腕に伝わってくる感触は、このツルは簡単にほどけるような生易しいものではないということだけだった。歯を食いしばるヤマト。

 と、突然、亜獣が四つんばいでバタバタと足を動かし、ものすごいスピードで走りだした。マンゲツは仰向けの姿勢のまま、勢いよく引きずられていく。首を締めあげられないように、両手をつるから離せないマンゲツにはなす術がなかった。

「く、背中が……」

 デッドマンカウンターがパタパタと数字を刻んでいく。

 ガタガタと揺れるコックピットで悪戦苦闘しているヤマトの下では、ひと揺れするたびに、建物や施設に避難していた人々を押し潰しているに違いない。

 センサーが大幅に和らげているとはいえ、ヤマトの背中に伝わる痛みが、身をもってそれを感じていた。

「ブライトさん、ボクは今どちらに向ってる!」

 眼前に浮かんでいるブライトの映像にむかって言った。

 ブライトは目の前に投影された大型地図に目をやりながらも、ミライにむけて叫ぶ。

「マンゲツの進行方向は?」

 ミライが答える。

「松島湾方向にむかっています」

「そこにはなにがある?」

「なにが……って?。なにもありません。海だけです」

「海……」

「ブライト、いえ、ブライト司令、まずいわ」

 リンが口を挟む。声のトーンがおどろくほどうわずっていた。

「なにがまずい?」

「このまま海を進んでいった先には……」

「日本海溝がある」

 それを聞いても、ブライトは微動だにしなかった。眼前に大きく投影された、太平洋プレートに横たわる日本海溝の立体地図をじっと見つめているだけだった。

 ブライトの脳がその事実から導きだされる可能性を本能的に拒否していた。だから動けなかった。もし身体を動かしたら、その瞬間、脳がこれから想定される最悪の事態を具体的に構築しはじめるに違いない。

 自分はその瞬間に、正気でいられるだろうか。

「ブライト司令!」

 耳元で大きく叫ぶ声に、金縛りが解けたようにハッとするブライト。

 リンが下唇をぎゅっと噛んで、こちらに厳しい目をむけていた。リンの前歯にかすかにだが赤い色が付着しているのが目にはいる。

 あれは、口紅なのか、それとも血、なのだろうか。

 一瞬、そんな疑問が頭をかすめたが、それほどまでに切羽詰まっている事態であることは間違いない。自分の知る春日リンは平常時ならそのような姿態をみせることは考えられないからだ。

「ミライ……、国防隊に協力要請を」

「でも通常兵器しかないんですよ」

「亜獣を倒せと言っているんじゃない。デミリアンの救出を要請しているんだ」

「了解しました。要請します」

 連絡をいれようとアクションをおこしはじめたミライにリンが叫ぶ。

「一個大隊、いやそれ以上、一個旅団を。緊急招集を要請して!」

「そんな無茶な」

「やるの!」

「でないと、あの子が死んじゃう」


  ------------------------------------------------------------

 

 ヤマトはコックピット内で、今、自分がどのような状況になっているか探るべく悪戦苦闘していた。中空でセンサーを操作しながら、地上や空中、人工衛星などから配信されているライブカメラ映像をスイッチングしていくと、目の前に投影された映像が、またたくような速さで切り替わっていった。

 投影映像に、亜獣が港を突っ切り倉庫をなぎ倒していく映像がヒットした。そのうしろに引きずられているマンゲツの姿が見え隠れする。

「まずい!」

 ヤマトは思わず叫んだ。

 その瞬間、ドーンと大きな音とともに、仰向けのままマンゲツの身体が、おおきく地面から浮きあがった。ヤマトは衝撃に備えて身構えた。が、来るべき衝撃はなく、そのままなにかに包み込まれたような感覚を感じてハッとした。

 海に引きずり込まれた!

「タケル、あわてるな」

 状況を察してか、アルが司令室に飛び込んでくる映像が目に映った。走ってきたせいで息は乱れている感じはあったが、いつものアルらしく落ち着いた声色で、ヤマトの不安を和らげようとしてくれていた。

「コックピットは1000メートルの水圧に耐えられる設計だ」

「アル、そんなに持たない」

「コックピットが破損している」

「いや、すまん、たぶん、なんとかなるはず……」

「アル、気休めはいらない!」

 ヤマトはここにいたっても、へりくだったようなアルの口調にいらだった。

「コックピットがもっても、セラ・ムーン本体がもたないわ!」

 リンが彼らの心配などおかまいなしに割って入ってきた。

「亜獣の本体は別の空間にいるけど、マンゲツはこっちにいるの」

「その子は水圧に耐えられない」

 リンさん、ありがとう。おかげで取り組まねばならない課題が二つに増えた。

「ブライトさん!、こちらでやれること……」

 ヤマトが司令室の面々にむかって、渾身の苛立ちをぶつけようと叫んだ瞬間、突然、コックピット内の計器が一斉に沈黙した。投影されていた各部署の映像も、計器類のシグナル、室内の電灯も消え、狭い小部屋が真っ暗になった。

 だが、突然のブラックアウトに、ヤマトは慌てることはなかった。今までの戦いで何回か経験している。

 コックピット内に予備電源による淡い光がともると、ヤマトはすぐに操縦桿を引き絞った。が、なんの反応もない。ヤマトは次に目の前に迫り出してきている計器類に顔を近づけた。制御機器の動作をモニタリングするメーターやシグナルパネルは、信号や電力が通じていないことを示していた。

 ヤマトはかなりのトラブルやピンチを乗り越えてきた自負があった。だが、今のこの状況はどうだろうかと思案した。

 コックピットにダメージをくらっている、相手に完全に動きを封じられている、海の中に引きずり込まれている、そしてマンゲツに操縦を伝えるすべを失っている……。



 どんなに過小評価したとしても……………… 最悪だった。

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