第8話 ボクに死ぬ権利なんてない

 

 マンゲツとの連絡が途絶えた司令室は静まり返っていた。

 率先して命令を下さなければならないブライトも、空気を読まず自分勝手な解釈を押しつけたがるエドも、すぐに人の会話に口を挟みたがる春日博士も、誰も彼もが言うべきなにかを失っていた。本来なら副司令官のミライが司令官を代弁して、各部署に指示や命令をくだすべきなのだが、今日が実戦初日というのでは口を開けるわけがない。

 緊張感が張りつめた室内を見渡しながら、アルは自分が口を開くべきか逡巡していた。アルはふだんムードメーカーとして軽口をたたくという自分の役割をわきまえていたが、今この瞬間においては自分には荷が重たすぎた。

「ブライト司令。現場に空挺部隊が到着しました」

 ミライが室内に立ちこめていた緊張の糸をふりはらってくれた。

 アルは心のなかで感謝した。すぐさま声を張る。

「ブライトさん、空挺重機からレスキューワイヤーロープを射出させてくれ」

「こちらからGPSソナーでマンゲツを誘導する」

 具体的な解決方法が提示されたことで、一気に司令室が動きはじめた。


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 ヤマトはいまの最悪な状況に頭を抱える余裕はないと判断した。シートベルトをはずしながら、目の前にあるカメラにむかって、語りはじめた。

「リンさん、アル。この映像、そっちにつながっているかわらんないけど、現在、マンゲツとの操縦回路をロストしています」

「今からボクの神経回路をマンゲツと直結させます」

 ヤマトはチェアの上に飛び乗り、自分の頭上、椅子のすぐ上にある装置に手をかけた。いくつかの手順を踏まなければなはずせない安全装置だった。

そこにはその手順がわかるように、大きく番号が記載されている。

「まずは一番」

 そこにある重々しいレバーに手をかけてひく。ガタンという仰々しい音が響く。

「それから二番」

 ヤマトがレバーをひいて現れた隠し扉に手を突っ込むと、そこにあるツマミをつまむ。

「これを回すと、マンゲツがうけていた損傷や痛みがダイレクトに伝わります。もしかしたら、それだけでショック死するかもしれない……」

「でも、今はそんなこと言ってられません」

 正面のカメラに顔をむけてリポートをしながら、ヤマトがそのツマミをぐいと回した。

 突然、ヤマトの首がぎゅっと締めつけられ、息がつまった。おもわずツマミから手を離し両手で咽を押さえる。

 息ができないーーー。

 マンゲツが、首にツルを巻かれて引きずり回されているのだ。当然の結果だ。

 ヤマトがカッカッと咽を鳴らして喘ぐ。

 だが喘ぎながらも、先ほどの操作で出現した突起物に手をかける。そこには数字が刻まれたダイヤルがあった。ヤマトはかすみそうになる目を必死にしばたいて、その数字を右、左と交互に数回まわしていく。顔は赤く土気色に変色しはじめ、目は血走り、溢血点らしきものが見えてくる。

 ブラックアウトするーーー。

 ヤマトは奥歯を噛みしめ、今だせる最大の力で、ダイヤルにむかって上から拳を叩きつけた。ダイヤルはガチャリといくぶん鈍い音をたてて、下の台座に沈み込んだ。

 それが神経回路切断のトリガーだった。

 マンゲツとの神経回路が切断され、ヤマトは気管の狭窄から突然開放された。大きく息をして必死で酸素をむさぼるヤマト。

 ヤマトは頭を左右にふって意識が飛ばないように注意しながら、シートに座り込むと、自分の右手を目の前でぎゅっと握りしめた。徐々にだが、マンゲツと筋肉や運動神経などの感覚が共有されていくのがわかった。

「いくぞ、マンゲツ」


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 空挺重機から射出された緊急用ソナーブイは海に潜ると、海溝を下降するマンゲツを追いかけはじめた。自走型のソナーブイは高速回転して、ワイヤーをくねらせながら急下降していく。まるで垂直に潜っていくウミヘビのように見える。

「セラ・ムーン、深度400メートル超えました」

 アルがそれを打ち消すように叫ぶ。

「こちらは、深度300メートルまで到達した。もうちょっとで追いつく」

 リンが手元のペーパー端末を目の前に掲げて、透かしてみるようにして言った。

「マンゲツの圧壊深度がわかったわ」

「深度600メートルまでしかもたない」

 ブライトはその事実を耳にするなり、思わずシートから立ちあがった。

「あと200メートルしかないのか!」

 そのことばに、アルがめずらしくつよい口調で返してきた。

「司令、すまねーな。あと200メートルある、って言ってくれねーか」

「なにぃ」

「悪ぃですね。いまはネガティブな情報は勘弁してほしいんだ」

 ブライトは息を吐きだすと、どんとシートに腰を落とした。ブライトは文句を言いたかったが、アルの言い分はもっともだ。

 ブライトは目の前の海のなかの映像を凝視した。ソナーから送られてくる不透明な映像では、どこにマンゲツがいるのかわからなかった。

 だが、自分も含めて司令室のみんなはその映像に目を奪われていた。

 いまや、それに賭けるしかないことは、皆わかっていた。


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 ヤマトが自分の首元に両手をよせ、ぎゅっと握りしめた。それはマンゲツが首に巻きついたツルをつかんでいるのと同じポーズ。これで動きをシンクロさせる。

 ヤマトは指先に力をこめた。体中の表皮を這うようにして、青い粒状のイルミネーションが集まりはじめる。指先に光がたまっていく。ヤマトは首にまきついたツルにぎゅっと指を食い込ませはじめた。指先が『移行領域』の薄いベールを通り抜け、ツルがジュッと溶けはじめる。

 両手を横にひろげて、ヤマトがツルを引きちぎった。そのままツルを自分のほうへ手繰りよせはじめる。だが、サスライガンはまだ深海への旅行を諦めようとはしていない。身体を器用にくねらせながら、マンゲツをさらに深みへと引きずり込もうとしていた。

 マンゲツが尻尾部分をぐっとつかむ。

 サスライガンは尻尾を大きく動かしてふりほどこうとする。

 すでに水の抵抗のせいで本来の攻撃力はない。

 マンゲツは尻尾の根元部分からこちらを睨みつけている本物の顔と対峙した。マンゲツはなんのためらいもなく、サスライガンの目に指を突きたてた。亜獣が目から体液をまき散らしながら、のたうちまわった。

 マンゲツは構わずそのままずぶずぶと手を眼窩にねじ込んでいった。

 あたりが緑色の血煙で染まっていく。

 ヤマトが亜獣の目に突っ込んだ右腕を、渾身の力をこめて突き出して叫んだ。

「てめえのせいで、死にかけただろうがぁ」

 マンゲツの腕がサスライガンの右目から左目まで突き抜けた。反対側から飛びだしたその手には抉りとった目玉がふたつ握られていた。

 断末魔の声をあげる暇もなくサスライガンは絶命していた。

 マンゲツがサスライガンの頭から腕を引き抜くと、命尽きた巨体がゆっくりと上に浮上しはじめた。

 ヤマトはその浮力を利用しようと、亜獣の尻尾に手を伸ばした。

 が、マンゲツの手からスルリとすり抜けていった。腕に力が伝わらなかった。

 マンゲツの右腕の一部がへしゃげていた。

 この水圧に耐えきれなかったのだ。

 ヤマトはすぐに左腕の方でつかもうと伸ばしたが、すでにその腕も折れていた。

 あわてて何度も腕をかくしぐさを繰り返すヤマト。

 だが、ぶらぶらと水のなかで腕がゆれるだけで、推進力を生むことができなかった。


 ヤマトはここにいたって、はじめて恐怖した。


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 下へ潜っていくソナーのスピードがあがっていたが、いまだにマンゲツのからだが見えないことに司令室の面々のいらだちや不安はピークに達していた。レスキューワイヤーロープでの救出に一筋の光を見いださせた手前、アルにはこれを成功させる義務があると考えていた。

 今回ばかりは、すまねぇな、では済まない。

 苛立ちがピークに達しているブライト司令官は、さきほどから30秒に一回は、まだか、の怒号を背後から投げつけてくる。アルは、腹のなかに鉛でも流し込まれたような緊張に、叫びだしそうになるのを抑えつけられる限界が近づいているのを感じていた。

『セラ・ムーン、深度500メートル』

「アル、まだか、まだ追いつかないのか」

 まただ。また苛立ちのつぶてが後頭部に当たる。

「あと30メートル。もう見えるはずだ!」

 その時、ソナーから送られてくる映像に、マンゲツの姿がうっすらと映し出された。

「いた!!」

 が、その映像を突然なにかが遮った。ソナーの先についているライトの強い光のせいで、そのものの表面が白々と照り返して正体がすぐに判別できない。

「なに?」

 リンが眉根をよせて、とげとげしい口調で焦燥感をあらわにした。

 ソナーのカメラの脇を、大きな泡とともに亜獣の巨体がすり抜けていく。その体躯には力はなく、すでに命がないことは、カメラ映像を通してもわかった。

「よし、ヤマト。亜獣を倒し……」

 アルは快哉を叫びかけたが、モニタリングしていた映像が突然あらぬ方向に切り替わったのを見て、そのまま声を失った。

「な、どうなったんだ、アル!」

 投影されている映像から、ソナーが亜獣の死体と一緒に浮上しはじめていることは明らかだった。

「嘘だろ!!」

「ワイヤーが亜獣に……」

 それ以上は声にならなかった。だが、誰もがそれがなにを意味しているかわかっていた。

『セラ・ムーン、深度550メートル』

 事務的に状況を読みあげたミライの声は、アルにとって、いや今の司令部の全員にとって、まさに死刑宣告のように響いた。


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 ヤマトは操縦桿をつかんで必死で動かしていた。自分とマンゲツの神経のシンクロと機械的操作、どちらかでも動けば、まだこの危機を脱せる可能性がある。

「マンゲツ、動け!、動いてくれ」

「ボクは死ねない」

「ボクに死ぬ権利なんてないんだぁ」

 ヤマトの目から涙があふれだしてきた。悔しさのあまり声がひきつる。

「あと10体なんだぞぉ」

「あとたった10体なんだぁ」

「頼む。ボクを死なせるな……」 



 その時、声が聞こえた。脳に直接語りかけてくるような微かな信号のような声。

「誰だ」

「誰がいる?」


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 ミライには、からだに満ちあふれていたはじめての実戦への意気込みが、急速にしぼんでいくのが自分でもわかった。今、この狭い司令室内で、百戦錬磨の専門家たちが、抜け殻のようになっているさまを目の当たりして、どうして晴れやかな気分でいられるだろう。自分のもつ最大限の「才能」をして、ここまで到達したのに、今は、すぐにでもこの場を離れたい、気分でいっぱいだった。

「嘘だろ、おい……」

「ヤマトが……、最後の日本人がいなくなったら……」

 隣で焦りの色をぶちまけていたはずのブライトが弱々しい声でつぶやきながら、背後のシートに倒れ込むように座り込んだ。だらしなく足を投げ出していたが、ミライにはその様子を見ることすらはばかられるほど小さく縮んでみえた。

 ミライは目の前のセンサーをみながら、今できる自分の仕事をこなすことにした。


『セラ・ムーン、深度580メートル……』


 ミライの目の端に、リンの手元からシート型端末がすべり落ちるのが見えた。手が小刻みにふるえ、とても持っていられなかったのがすぐにわかった。木の葉のようにひらひらと落ちていく端末には、マンゲツの下降位置をしめす光点が表示されていた。端末は床に落ちると勢いあまってふわりと浮き、リンの靴の先にあたった。ようやく端末を落としたことに気づいたリンが、それを拾おうと屈みこんだが、そのまま数歩前によろめいたかと思うと、その場に崩れるように膝をついてしまった。

 その横でその様子をエドも見ていた。ミライは、エドがリンを助け起こすしぐさくらいはするだろうと思っていたが、まったく動こうとしないのに驚いた。それどころか、おもむろに眼鏡をはずして指で目を揉みはじめた。メガネをかけていないので、今自分にはなにもできない、という意思表示でもしているのだろうか。

 ミライははじめての最前線の実戦にして、おそらく最後になるだろう仕事を続けるしかないと腹をくくった。自分が願った職務を、ほんの半日だけでも遂行できたのだ。今後、誰かにうしろ指さされることがあっても、胸をはろう。

 私は逃げなかった。

 最後までその場にいて、与えられた仕事をまっとうしたのだ。


『圧壊深度を超えます』


 ブライトのつぶやきが聞こえてきた。

「四解文書は……」

「内容はアイツしか……、ヤマトしか知らないんだ」


『深度610メートル……』


 ブライトの目にはすでに精気もなく、ただのうわごとのようでもあった。

「もしこのまま……」

「四解文書は永遠に……謎のまま……」

「世界は……世界は……どうするつもりだ……」


 目の前のモニタ画面で明滅していた光がふっと消えた。

 そこにいる誰もが息をしていなかった。

 そのなかで、ミライだけは息を大きく吸い込んだ。

 これがたぶん最後の仕事だ。


『セラ・ムーン……』



『圧壊…………しました』

  






 最後の……日本人が……死んだ…… 

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