後編

 人は、変わっていくものだ。

 失って。得て。

 それを繰り返し、前に進んでいく。

 ひたすらに、死に向かって。


 でも、人生において。

 変わってはいけない。手放してはいけないモノもある。


 その人がその人であるために。

 俺が俺でいるために。

 歪んではいけない物が、体の中で軋む音がする。


 俺にとってはそれが凛の存在だったのだと、あいつの微笑を見て。

 初めて知ることになった。








「この高校か……」


 この学校に来るのは、今日が最初だった。

 天野が、幽霊とかの悩み事に強いという人間を探してきてくれたのだ。顔が広いというのは便利である。


 どうもその相手は、女子高生らしく。

 待ち合わせの予定は入れてあるから、校門で待っていろ。とのことだったが……。


「さ、さみぃ」


 何しろ季節的にはもう冬。

 校門の前で突っ立っているのは中々に寒い。


 それに、違う高校の生徒が校門の前に立っているのは目立つらしく。

 門を通る生徒は皆俺を見てくる。

 下校時刻は過ぎているから数は少ないけど。恥ずかしいのに違いはない。



 今頃、凛は何してるのかなぁ。

 学校から帰っていくのを見届けたのが、今日見た最後の凛の姿だった。


 しかし、ふと思ったが。

 幽霊の悩みに強いと言っても、具体的にどうすればいいのだ?

 これが、俗に言う悪霊に憑りつかれた……とかなら除霊? だか成仏を頼めばいいのかもしれないが。


 俺は……そういうのとは違うし……。



 校門の前で悩んでいると、一人の女子生徒に声をかけられた。


「あの……。矢板やいた圭さん。ですか?」

「あっ。はいっ。そうです」


 その女生徒は、長い髪を明るい色に染めて。

 濃いめの化粧をしている……。なんというか、ギャル。と言えばいいのだろうか。

 凛とかとは全く違うタイプの女子だった。


「私は、佐倉汐穂さくらしほと申します。どうぞ、お好きにお呼びください」

「えっ……あ? あ、あぁ。」

「……? 何かおかしい事を言いましたでしょうか?」


 おかしいと、言うか……。


「その。見た目の雰囲気と、喋ってる雰囲気が全然違うからさ。驚いただけだ。気にしないでくれ」


 すると、佐倉さんは「あぁ、そのことですか」と頷いて。


「これは、姉の真似なんです。なんだか姉が昔こういう恰好を楽しそうにしていたので。どんなものか試しに真似てみたのですよ」

「はぁ……? 真似、ねぇ」


 佐倉さんは、「ま、特別楽しいこともなかったですが」と言いながら歩き出した。

 ……まぁ。そのテンションでそのノリをやっても別に楽しくはないだろうなぁ。


「――って、どこに行くんだっ?」


 俺の相談に乗ってくれるんじゃなかったのか?


「幽霊の相談事でしょう? それに相応しい相手の元にお連れするんです」

「君が、霊感があるとかじゃないのか?」


 佐倉さんは、ゆるゆると首を横に振った。


「私にはそういったものは存在しません」


 そう言って。また歩きだす佐倉さん。


 よくわからないが。

 俺は、彼女の後を黙ってついて行くことにした。








 寒空の下。特に会話らしい会話も無いままに、佐倉さんの半歩後ろを歩いてついて行く。

 そして、しばらくして目的の場所にたどり着いたらしかった。


「ここです」


 佐倉さんが立ち止まった先にあるのは。


「ゆうれい……喫茶?」


 えらくストレートな名前の喫茶店だった。

 外観は、何と言ったらいいのか。懐かしいと言うか、渋いと言うか。

 少しノスタルジックな印象を受ける。

 ただ、きちんと綺麗にされているので。古ぼけた感じはしなかった。


「名前は、姉の趣味なんです。頭がシンプル過ぎるのが欠点でチャームポイントな姉なので」


 くすり。と、佐倉さんは笑ってそう言った。

 どうやら、お姉さんとは仲がいいらしい。


 カランカランというベルの音と共に、佐倉さんが喫茶店のドアを開く。

 俺も、その後に続いた。



 店内に入ると、温かい空気がぼわりと俺を包む。


 入り口に立って見渡すと。中もやはり落ち着いた、どことなく懐かしさを覚える内装だった。


「いらっしゃー……ぃ? 汐穂? と、男の子!? えっ! ちょっ。あれなのっ? 彼氏なわけ!?」


 その落ち着いた雰囲気を完全に無視するようなテンションのお姉さんが、カウンターの中で声をあげた。

 セミロングくらいの髪を明るい色に染めた、二十代くらいの女性だ。

 この人が、佐倉さんのお姉さんなのだろうな。そっくりだし。


「お姉ちゃん、うるさい。そんなわけないでしょ」


 パサリと佐倉さんが一言。

 そんなわけないけど、そんなわけないはひどくね?


「えぇ~? んん? あー、そゆことか。まぁまぁ、そんなところ立ってないでさ。こっちきて座んなよっ」


 お姉さんに手招きをされるままに、カウンターの真ん中の席に腰かける。

 佐倉さんは、少しだけ離れたボックス席に座った。


「お姉ちゃん、私いつものね」

「もー、金とるかんねっ」

「じゃ、いらない」

「嘘だって! ったく汐穂は冗談つうじないなぁ~」


 カウンターの向こう。正面に立つお姉さんが、唇と尖らせつつ珈琲を入れる準備を始めた。


「で、君はなんにする? 少年」


 少年って……。


「いや、あの。俺は客ってわけじゃ」

「わかってるって。女の子の事でしょ。でも、珈琲の一杯くらいは飲んでいきなさいよ。ここ喫茶店なんだぞー?」


 ――!?


 女の子って……。


 いや、見えると聞いてきたからここに来たんだ。

 でも、面と向かって言われると。やはり驚きは隠せない。


「じゃあ。珈琲を」

「はぃよ。オリジナルブレンド一丁~」


 そう言って、お姉さんは珈琲を淹れる準備を始めた。


「いや~。ここ若いお客さんは珍しいからさー。少年くらいのお客に珈琲だしてみたかったんだよねぇ」

「はぁ……。なんつーか、落ち着いた店の雰囲気ですし。寧ろ、お姉さんみたいな人がいるとは思いませんでした。もっとお爺さんとかがやってそうって言うか」


 ダンディな感じの人が似あいそうだが。


「あははっ。元はそうだったんだよ? 私は元バイト~。でも、歳で引退するとかいうからさ。貰ったんだ。この店」


 えぇ……。店ってそんなあっさり貰えるもんなの?


「そしたら、常連さん以外には違うことで有名になっちゃってさー。……君も、それで来たんだもんね? 事情、きかせてよ」

「……わかりました」


 お姉さんにそう言われて、俺はぽつりぽつりと。

 話し始めた。


 凛が、死んで。

 死んだ凛が、見えるようになった。

 今の状態を。


 話している途中で、お姉さんが珈琲をそっと出してくれた。

 佐倉さんも、珈琲は自分で取りに来て。それを持ってまた後ろの席に戻る。

 どうやら、一緒に話しを聞いているらしい。




「なーるほど、ね」


 俺の説明を一通り聞いたお姉さんが、腕を組んで頷いた。

 どうでもいいが、腕を組むとエプロンで隠された胸が押し上げられて……。

 思った以上にでけぇ。


「……少年。私は心に決めた相手がいるからダメだぞっ?」

「はっ? 何が――あっ、いや。ちがっ」


 視線の事がバレたらしい。

 いやいや。これはほら。勝手に視線が動いただけで他意は無いし!


「そんなことじゃ、幼馴染ちゃんに嫌われちゃうぞー? ねぇ? えっと、凛ちゃんだっけ」


 お姉さんが、そう言って俺の横にふいと顔を向けて話しかけた。

 つられて、顔を向けると。


「……っ凛!?」


 そこには、凛がまた無表情に立っていた。


「え、なんっ……いつからっ?」


 凛は、放課後そのまま下校していったのに。


「この娘はね。基本、君の傍にずっといたんだよ。見えたり見えなかったりしていても。実際には殆ど君の傍にいた。学校に通っていたのは、少しでも少年の知っている自分に近づけたかったんだろうね」


 凛が……俺の、傍に?

 ずっと。


「ん~。心配だったみたい。自分の事、悲しんでないかって。不幸になってしまわないかって。後、自分も寂しかったからって。そんな感じかなぁ」


 ……凛。


「それが、わかるんですか?」

「ま、ね。幽霊ってさ、存在するエネルギー? と伝える相性みたいなのがあってね。その分の表現しかできないんだ。声も、姿も。完璧に届けられるとは限らない。そして、普通の幽霊の寿命……消えるまでってことだけど。持って数か月」

「――ッ!? すう、カ月……?」


 じゃぁ……凛は、もうすぐ。

 消えてしまう?


 また、俺の前から。

 今度こそ、完全に。


 居なくなってしまうのか……?


 横に立っている凛は、何の反応もしない。


「なんとか、ならないんですか?」


 思わず、縋り付くような声でお姉さんに尋ねてしまう。


「……なったとして。どうするつもり? この娘、もう死んでるよ?」


 ――死んでる。


 あぁ、知ってるさ。

 凛は、もう。死んでる。


 だけどっ!!


「俺は、例え幽霊でもなんでも。凛に傍に居て欲しい。どんなになっても……どんな方法でもっ」


 無理でも。無謀でも。

 これだけは……諦められな……。


「そっか。オッケー! んじゃやってみようか」

「……は?」


 お姉さんは軽く言った後に、凛と見つめ合う。


 何か、話している?


「ふむふむ。凛ちゃんはさー、君にはフツーに幸せになってほしそうだけど?」

「無理です。凛がいないことが俺にとっては普通じゃないので」

「だって、諦めろっ凛ちゃん! 貴女だって本当は一緒にいたい癖に~。お姉さんにはバレバレだぞ?」


 な、なんだろう。えらく軽い。

 こんな軽いノリでいいのか……?


「よし。要はさ、幽霊として存在するためのエネルギーを少年が供給すればいいんだ。二人は相性いいし、まぁだから見えてるんだけど。私が切っ掛けをあげれば簡単につながるから」

「それで……凛は、消えないんですかっ!?」


 そんな、簡単に?


「うん。幽霊自体は珍しくないけど。こんなに相性がよくて、心底想い合ってるのはめっずらしいから。イケルイケル。ただ、君が彼女のこと本気で思いやれなくなったら、多分消えちゃうから。覚悟しといてね?」


 お姉さんは、さらりと言った。


「俺の、心次第だと?」

「そそ。だって、幽霊って心の塊みたいなもんだし。少年が、彼女の心を固定しておかなかったら。消えるよ? あっと言う間に」


 ……だったら問題なんてない。


「お願いします。覚悟は、いりません」


 そんなものは、いらない。

 俺は何より自然に、凛が必要だ。


 凛は、俺の半身みたいなものなのだから。


「……そう。じゃぁ凛ちゃん、ちょっと失礼。少年、手ーだして」


 突っ立っている凛の手と、俺の手を左右それぞれの手で持つお姉さん。


「えーっと、う~。あー。若いなぁ君ら……」


 なんか、赤い顔になってブツブツ言っているお姉さん。

 若い?


「はい、おっけー」


 お姉さんの宣言と共に、凛の姿が消えた。

 だが、わかる。これは。


「充電、みたいなものですかね?」

「お、良い例えだね。まさにそんな感じ。少年から、彼女にね。だから、今日はいっぱい食べて、早く寝な? 倒れるよ、下手すると」


 そんなに体力を持っていかれるのか。


「だったら、そろそろ帰ります。……本当に、ありがとうございました」


 思いっきり、頭を下げる。

 実感はまだ湧かないが、凛とこれで一緒にいられるのなら。

 感謝しても、しきれない。


 下げた頭が、ふわりと撫でられるのがわかった。


「ふふっ。いいのいいの。おねーさんもねぇ。昔、幽霊だったからね」

「……はっ?」


 ゆう、れい?

 何を言ってるんだ……?


「これから色々あると思うけどさ。幽霊になっても消えないような絆だったら。きっと大丈夫だから」


 顔を上げたら。

 凄く、優しく微笑んでいるお姉さんと目が合った。


「頑張ってね。少年」


 それは、なんだかえらく実感のこもった。

 頑張れ。

 だった。



「……兄さんに、お姉ちゃんが若い燕にツバつけてたって言っちゃおう」

「なっ! つけてないしっ! ただの若人に対する応援でしょー!?」

「あ、あの。お会計は……?」

「ん? あー今日はサービスしたげる。また凛ちゃんとおいでー?」

「……やっぱり、兄さんに」

「だからー! ちがうってばっ」


 佐倉さんの突然の乱入で、最後は賑やかになったけど。


 また、来ようと思った。

 あいつと。








 お姉さんの言った通り。

 夜になると急激に体が疲れて、眠くなっていくのがわかった。


 これが、凛の。

 存在の重さ。

 それを背負った証なのだろう。


 言われた通りに。

 すぐにベッドに入る。


 ……眠れないんじゃないかと思う程に。精神は揺れていた。


 本当に、聞けるのか?

 もう一度、凛の声が。


 そんな不安定な中でも。

 体は強制的に、電源を落とすように。眠りについた。















「圭……圭……!」


 凄く久しぶりに。


「起きろっ! 圭!」


 聞きなれた声で目が覚めた。



「――おはよ、凛」


 凄く久しぶりに。


「まったく……しょうがないなぁ。圭はっ」



 懐かしい、困ったような笑顔を見た。




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短編 幼馴染の幽霊~ゆうれい喫茶へようこそ~ 佐城 明 @nobitaniann

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