短編 幼馴染の幽霊~ゆうれい喫茶へようこそ~

佐城 明

前編

 自分の身近にいる人間が突然死んだ時って。

 意外と泣けないものなんだと、俺は知った。




 俺には幼馴染の女の子がいる。

 それこそ、物心ついた時から家がお隣さんで。

 半分、兄妹みたいに過ごした奴だ。


 でも、お互い中学、高校と人生のコマを進めていくうちに。

 兄妹から、異性にと意識が移り変わっていくようで……。


 なんて、そんな矢先の出来事だった。


 トラックに撥ねられて、あいつは死んだ。


 自室で漫画を読んでいた時だった。

 母親が血相を変えて俺を呼んで。


けい!! 圭ッ! り、りんちゃんが……死んだって……!」

「……は?」


 何を言っているのか、さっぱり解からなかった。

 死んだ? あいつが?



 結局、よくわからないままに。

 葬式が終わっていた。


 その時点でやっと。


「凛……お前。死んだのか……」


 骨になったあいつを見て。

 やっと。


「もう……会えないのか」


 俺は、凛が死んだことを。

 理解した。


 凛の家族も、俺の家族も。大層泣いていたが。

 俺は、何故か泣くことができなかった。








 凛は、明るくて。何かと世話焼きで。

 本当に、漫画とかに出てきそうな幼馴染像そのままみたいな奴だった。


 面倒くさがりな俺を、色々と構いたがるというか。面倒をみたがるというか。


『しょうがないなぁ。圭は』


 それが、口癖。


 朝、寝坊しやすい俺を起こしに来る。なんてテンプレみたいな行動を平気でやるくらいだったからなぁ。


 だけど、凛が居なくなって少したつが。

 俺は、寝坊をしなくなった。


 今日だって、普通に目覚ましより早く起きてしまっている。


「……これじゃ、毎朝あいつを待ってたみてーじゃねぇか」


 アホらしい独り言を呟いてから。

 俺はベッドから立ち上がってカーテンを開ける。


 今日も、憎らしくなる位の天気の良さだった。




 学校に行く支度を終えて、家を出る。

 夏も終わり、暑さも感じなくなってきて。

 過ごしやすい反面、受験生としては焦りのでる季節ではある。

 凛がよく言っていたなぁ。


『私と同じ大学行くんでしょ、圭! だったらもっと勉強しなさいよ。あんた馬鹿ってわけじゃないんだから。私も付き合うしっ』


 まぁ、正直。今の俺は焦りすら感じていないけれど。


 受験が余裕とかそういう意味でなく。

 不思議と、感情の起伏や緩急が無くなっていた。


 理由は……。

 まぁ、考えるまでもないんだろうな。


「はぁ……」


 溜息と共に、隣の家をそっと眺める。

 毎朝、凛と一緒に登校してたけど。

 それはもう、二度とできない。


 もう一度、溜息を吐き出して。

 視線を逸らそうとした瞬間。


「――え?」


 ……凛?


 凛だ。凛が、家の門を通り抜けてひょこりと姿をみせた。


「あ……えっ?」


 少し長い髪を後ろで結んだ髪型も。

 俺より少しばかり低い背丈も。

 凄く見慣れた……でも、最近は照れが入って直視しずらかった顔も。


 全部、全部。

 間違いなく、凛だ。


「おいっ! ちょっまっ」


 慌てて、凛を追いかけて。

 凛の前に立った。


 しかし。


 凛は、一切表情を変える事無く。

 そのまま俺を、するりと。


 


「――――!?」



 ……あぁ。


 そうだ。

 見た瞬間からわかってたはずだ。


 心がどれだけ拒絶しようと。

 脳が理解してしまっている。


 この凛は、生きた人間じゃ。……ない。




 それから。

 そのまま、凛は学校へ向かう。

 俺は、それをずっと見つめながら。一緒に学校に登校した。


『ふふ~』

『なんだよ?』

『いやー、もう何年もずっと。私の隣には圭が歩いてるなーって』

『……まぁ、幼馴染だし』

『あはは、そうだよね。でも、凄いことだよ。きっと』

『そうかもな』


 そんな会話をしながら、何度も通った道を。また、二人で歩く。

 二度とないと思っていたソレが、実現した。けれど……。


 喜ぶこともできず。ひたすらに困惑と混乱の中。

 俺は、凛に話しかける事すらできなかった。




 凛はごく自然に、教室に入って。

 花の飾られた、自分の席に座っている。


 まぁ、椅子は引けないだろうから。

 まるで空気椅子みたいになってるけど。

 無表情のまま、黒板を眺めていた。


 俺も、それをただじっと見つめてしまう。



 昼休みになって。

 俺は数人の男友達と集まって飯を食べる。


 凛は、いつも一緒に弁当を食っていた女子のグループの傍で。

 ぼーっと無表情に突っ立っていた。


 それを、横目で見ながら。

 味をあまり感じなくなった弁当を口に放り込む。


「おい、圭。 圭!」

「……え? あっ。なんだ?」


 友達の天野あまのに呼ばれて、慌てて視線を戻した。

 こいつは、友達の中でも一番付き合いが長い。

 俺は特別目立つ方じゃないが。天野は結構イケメンだし、性格もいいのでモテる。

 凛の事を男子の中で一番悲しんでくれたのも、多分コイツだろう。


「なんだ、じゃねーよ。お前……大丈夫か?」


 視線を、俺がさっきまで横目で見てた女子グループに向けながら聞いてくる。

 当然、俺が凛のことで参っていないかを聞いているんだろう。


「え? あ~。うん。大丈夫だって。もう、そんなに気にしてねーよ」

「……そうか。それなら、いいけどよ」

「ははっ。わりぃな心配かけて」


 そう言いつつも、結局。チラチラと視線を送ってしまうことを止められないままに、弁当を食い終えた。


 クラスメートも、最初は凛が死んだことで。

 かなり泣いたり、暗くなったりしていたのだが。

 今は割と普通のテンションで学校生活を送っている。


 そんな中を、凛はまるで空気みたいに。

 俺以外の誰にも存在を感知されないまま、学校生活を送っていた。




 放課後になって。

 凛は、また生きていたころをなぞるように。

 学校を下校していく。


 俺は、友達の遊びへの誘いを断って。

 凛の後をついて行った。


 学校から少し離れ、人が周りにいなくなった辺りで。

 凛の隣に立つ。


「……おぃ。凛。凛っ。聞こえるか? 俺だ。圭だよ」


 そして、凛に向かって話しかけるが……。


 凛は、表情一つ変えなかった。


「――おいっ!」


 思わず、その手を取って。


 いや、取ろうとして。


 それは。あっさりと、すり抜けた。


「…………くそっ!!」


 自分の手を握りしめて。

 そのまま、歩いて行ってしまう凛の後ろを。

 また、すごすごと歩いてついて行く。


「なんなんだっ。ちくしょうっ」


 この苛立ちと悲しみは。

 誰に向けてのものなんだろう。

 自分でも、わからない。


『昔は、よく二人で手を繋いで歩いたよね~?』

『ガキの頃の話じゃねーか』

『……今、繋いでみる? きっと付き合ってると勘違いされちゃうけど』

『繋がねーよ』

『あっそ』


 思えば、あいつが生きていたころの。

 こんな会話が。

 手を繋ぐ最後の機会だったんだな。


 握りしめた拳に痛みを感じながら。

 ふと、そんなことを思い出した。








 それから。

 毎日、毎日。

 凛は、学校に通う。


 壊れたCDプレイヤーが同じところを繰り返すように。

 或いは、まるで焼き付いた残像の様に。


 消えたり。現れたりを繰り返す。


 俺はそれを、無意識にずっと目で追いかけてしまう。



 友達。特に天野には、随分と心配をされるけど。

 どうにもならないんだ。


 俺は、凛から目を逸らすことができない。


 しかし同時に、話かけることも。

 できなかった。


 あいつに話しかけて、答えが返ってこない。

 その事実が、己の感情と何よりかみ合わなかったから。




「なぁ、圭。お前、やっぱ最近おかしいぞ?」


 ある日の昼休み。

 飯も食い終わって、一人教室の端でぼーっとして居た時。

 するりと隣に立った天野がとうとう、俺にそう告げた。

 まぁ、俺の最近の行動を見れば。不審がられて当然だろう。


「ん……。あぁ。そう、かもな」

「お前、やっぱりまだ――」


 まだ――。

 この先の言葉は続かなかった。

 気使いと気まずさが入り混じって口をふさいだのだろう。


「あのさ。幽霊が見えんの」

「は?」


 だから、言ってしまおうと思った。


「凛の幽霊。それが見えてさ。つい目がいっちまうんだわ」

「……マジで言ってんのか?」


 まぁ、信じられないよな。


「俺の頭か目がおかしい可能性が高いけどな。でも、見えるんだ。だから、目がいっちまうのは仕方ないさ」


 そう言いつつも、教室にただ突っ立っている凛に視線が吸い寄せられる。

 天野は、俺の視線の先をなぞるように見つめた後。


「……はぁ。ま、お前が言うなら。いるんだろうな。もし頭がおかしくなってんなら、精神科でもいけ。眼科でもいい。俺は、一応……その手の事に詳しい人いないか調べておく」

「ん? その手?」


 どの手だ?


「だから、幽霊だろ? いるじゃんたまに。見える、とか。そういう奴」

「お前、幽霊とか信じてんのか?」

「ねーよ。でも、圭がそう言う以上、無視もできねぇだろ。だから、調べるだけ調べてやるよ」


 天野……お前。


「いい奴かよ。気持ち悪いぞ」

「うっせぇな。俺だって、圭と。まぁ……凛ちゃんとは、付き合い長いほうだ。お前ら二人ほどじゃないけどな。――それだけだ」


 そっか。

 ありがとうな、天野。


「変な霊感商法に引っかかるなよ?」

「そりゃ圭のほうだろ!」


 大丈夫。ツボとか買わねーから。








 凛は、常に無表情だ。

 そして、決まった行動を繰り返していた。

 その姿を見ているだけで、体の芯が軋むような感覚を覚える。


 だが今日の凛は、放課後に真っ直ぐに帰らなかった。


 この方向は……。

 図書室?



 予想の通り図書室まできた凛は、扉を素通りして入っていく。

 俺も、その後をついて入っていった。


 凛は、別に本を物色するわけでもなく。

 誰も座っていない端っこのほうの机に座った。


 あぁ……これは……。


『図書室で勉強ぉ? 俺、家でやる派なんだけど』

『圭は家だと漫画とか読み出すじゃん。だからここなんだよ』

『え~……。別に今から頑張んなくたっていいじゃねーか』

『受験なんてすぐにきちゃうんだよ? 圭は自分の地頭がいいからって調子乗り過ぎ! そういう人ほど油断して失敗するんだから』

『はぁ……。へいへい』


 そうだったよな。

 テストが近くなると、よくお前に引っ張られてここで勉強した。

 確かに、もうすぐ定期テストの時期だ。


 凛の座っている隣に、俺も座る。


 まわりの生徒に聞こえないように。

 いや、どうせ凛にも聞こえないから。


 とても小さな声で、呟いた。


「……お前。そんなになっても、俺の心配してるのか」


 やっぱり。

 凛は表情一つ変化させることなく。

 ぼーっと座っているだけだった。


 俺は、なんとなく。

 そんな凛のとなりで勉強を始めて。


 凛がそこから消えてしまうまで、それを続けた。








 季節は進んで、すっかり冬になって。

 それでも凛は、俺の前だけに姿を見せていた。


 姿を見るたびに視線が吸い寄せられて。


 姿を見るたびに、少し視点がぼやけて。



 ある朝。

 俺は、久々に寝坊をした。


 夜中まで凛の事を考えていたら寝れなくなって。

 そのせいで寝過ごしたのだ。


 時計を見た後、慌てて布団を跳ね除けて。


 ――そして。


 ベッドの脇に、凛が立っているのに気が付いた。


 いや、俺が寝坊しそうな時間帯には。いつもいたのかもしれない。


「……お前」


 お前は、本当に。


「俺の、心配ばっかしてるんだなぁ」


 凛の表情は、変わらない。


「本当、お前がいないとさ。俺は、ダメなのかもな。どうして、生きているうちに気づけなかったんだろう」


 いや、気づこうが気づくまいが。

 未来が変わっていたわけじゃない。


 凛は、どのみち。


「生きている実感が湧かないんだ。でも、勉強も、運動も、どれも順調なんだぜ? お前がいなくても俺は一人で十分やっていける」


 だから。俺の心配なんてしなくても。


「だけど。俺は……お前が……」


 凛の前に立って。

 目を合わせる。


 彼女の目は。何も映さない。


「――凛」


 気が付けば。

 初めて。

 今の凛を名前で呼んでいた。


 すると。


 凛が、笑った。


 ほんの少し。


 見間違いかと思う程に微かに。

 でも確かに。


 微笑んだ。


 そして。


 ――しょうがないなぁ。圭は……。


 どこからか。

 声が聞こえた。


 そんな、気がして。


 俺の頬を熱いものが滑り落ちる感触を覚える。


 あぁ。

 俺は泣いているのか。


 泣くって、こうやるんだったか。


『圭と私はさ、いつまで一緒に居ると思う?』

『知るかそんなん。飽きるまでじゃねーの』

『ふ~ん。でも、きっと圭は私と離れたら寂しくて泣いちゃうと思うなぁ』

『そんなわけあるかっ』


 なんだ。

 凛の言ったとおりじゃないか。

 俺は……。


『私はさー、圭と一緒にいるの嫌いじゃないけど。恋人みたいになりたいかって言われたら、よくわからないんだよねぇ』

『まぁ、俺らは兄妹みたいなもんだしなぁ』

『ん。だよね。でもさ。やっぱ、一緒に居たいなぁと思う時はあるよ? ずっと』

『……そうかよ。好きにしたらいいんじゃねーの』


 俺は……。


「凛……俺も。お前と。ずっと一緒に居たかった」


 例え、どんな関係でも。


「お前と……一緒に居たい」


 どんな、存在でも。


「――一緒に居たかったよ。凛」


 凛は、少し困った表情で。

 また、笑ったような気がした。




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