クジラが泳ぐには、この青空はあまりに狭すぎる

伊達ゆうま

空にはクジラが泳いでいた

「知ってるか?クジラって、昔は海(うみ)って場所にいたらしいぜ」

「うみ?なんだ、そりゃ?」


チタの言葉にタタリは首を傾げた。


「下界に昔あったらしいんだよ。

塩の味がする大量の水の世界が」

チタのあまりに真剣な顔に、タタリは思わず笑い声をあげた。


チタは空想好きなところがある。

夢でみたものが現実とゴッチャになったのだろう。


「バカ言うなよ。

クジラってのは、空を飛ぶもんだ」


タタリたち人類にとってはクジラは、神聖な生き物とされている。

クジラは肉も骨も皮も脂も余すところなく、使うことができ、現在の人類の生活には欠かせない存在だった。


1頭捕まえれば、1つの街が1年は豊かに暮らせる。


だから、人類はクジラを神聖な生き物として崇め、捕らえた後は、必ずクジラの為に祈りを捧げる。


「けどさ、クジラは雲を食べてるだろ。

海って場所にいた時は何を食ってたんだよ?」

タタリの質問にチタは得意げな顔をした。


「魚や小さなエビだそうだよ」

「嘘つくなよ。クジラのあの巨体で、そんな小さい生き物食っても、ハラは膨れないだろ。

それにクジラが食べるほど、魚はいないだろうし」

「それがいるんだなぁ」

チタはポケットから、シワシワの紙を取り出した。


とても古い紙には、クジラらしき生き物が、大きな口を開けて、何かを飲み込んでいた。


「お前!!これは禁書じゃないか!!」


この街には領主が保管している本がある。

本は書庫に保管されており、勝手に入れば鞭打ちの罰にあう。


チタは人差し指を唇に当てて、周りを見た。

幸いにも周りは白い雲と、能天気な顔をしたハゲワシしかいなかった。


タタリは舌打ちをした。

チタは好奇心が人一倍強い。

チタの好奇心に付き合って痛い目にあったことは、両手では数え切れないほどだ。


「チタ、お前、なんか企んでないか?」

「よく分かったね。俺さ、下界に行こうと思う」

チタの言葉にタタリは目を向いた。


「お前!!下界は危険なんだぞ!!

どんな獰猛な生き物がいるかも、分からない。

今まで、数多くの勇敢な男が下界に出かけたけど、1人として戻って来なかった!

それなのに、お前が行って何になる!!」

タタリは必死にチタに言った。

しかし、チタの表情は真剣なまま変わらない。


「俺は、空(ここ)の暮らしには飽きた。

小さな世界で、与えられた仕事だけこなして生きるのは、もうイヤなんだ」

チタの青い目が輝く。


「何を見つけたんだよ。

領主の書庫は、領主以外触ることが出来ない。

お前、クジラのこと以外にも知ったことがあるんだろ?」


タタリが言うと、チタはニカッと笑った。


「すげぇ面白いものをたくさん見つけた。

タタリ、今夜空いてるか?」

「まぁ、今日の仕事はもうすぐ終わるから大丈夫だけど、お前、まさか!!」

「正解!!書庫に忍びこむぞ!!」


チタの好奇心に満ちた目を見たら、タタリには断ることは出来なかった。



その夜、見張りがいない時間帯を狙って、2人は書庫に忍びこんだ。


「書庫の鍵を複製するなんて、よく出来たな」

タタリが呆れたように言った。


「一度、書庫の扉が壊れたことがあって、領主が俺の師匠の元に修理の依頼に来たんだよ。

その時に鍵穴を調べて複製した」


チタは腕利きの大工の元で働いていた。

師匠は年老いており、チタが仕事の大半をこなしていた。



2人はランプに灯をつけた。


書庫は暗く静かで、闇は2人を覆いかぶさっていた。

ランプの明かりがなければ、身動き1つ取れない。


「こっちだ」


チタは慣れた様子で、書庫の奥へと進んでいく。



書庫の中は埃と紙とインクの匂いがした。



「これだ。この本だよ」


チタが見つけた本は随分と古い本だった。

その本はインクで書かれたとは思えないほど、字と行間が整っていた。


「お前、古代文字が読めるのか?」

「そんなわけないだろ。

けど、挿絵がついてるぞ」

そう言って、チタは本を開いた。


「なんだ!これ!!」

タタリは思わず大声を出して、チタに足を踏まれた。


「タタリ、これが海っていうんだ」

チタは得意げな顔をする。

そして、ペラペラと本をめくる。


「!!!」

また声をあげそうになったタタリの口を、チタが手を伸ばして塞いだ。


「タタリ、これが山っていうんだ」


タタリは何度も、海と山の絵を見た。


「チタ、俺、こんなの初めて見た」

タタリは大きく息を吐いた。

チタは得意げに鼻の穴を膨らませた。


「なんで領主が、みんなをここに立ち入らせないようにしているかよく分かった」


こんな風景を見たら、下界に行きたくなっても仕方がない。

生まれた時から、空と雲しか見たことがない人類には、この風景はあまりに魅力的だ。


嬉しそうな顔をしているチタにタタリは笑いかける。


「お前、俺を巻き込む気だろ」

タタリが言うとチタはペロッと舌を出した。

チタが口を開こうとしたが、慌てて口を閉じた。



人の声が聞こえた。

どうやら見張りが書庫の扉の鍵がかかっていないのを見つけて、慌てて書庫の中に入ってきたのだろう。



チタとタタリは足音を殺して、書庫を歩いた。

幸いなことに、書庫は大きく、いくつもの通路があったので、見張りの足音を頼りに入れ替わりの形で、外へと出ることが出来た。




2人は外へと出ると、全速力で走った。




街の端まで来ると、2人は雲の上に倒れこんだ。

チタがケラケラと笑い出した。

その声につられてタタリも笑い出す。

しばらくの間、2人は笑い続けていた。



夜が明けたのか、東から日が昇ってきた。


空が黄金色に輝く。



「なぁ、チタ。どうして、俺を巻き込んだんだよ」

ようやく笑いが収まってから、タタリは聞いた。


「そりゃあ、お前と一緒の方が楽しいからだよ」

チタは悪びれることなく言ってみせた。



コイツには敵わない



チタの顔を見てタタリは思った。


いつも同じ日々の繰り返しが、タタリはイヤでたまらなかった。

けれど、それを変えるほどの勇気はなかった。

イヤだ、イヤだと思いながらも、踏み出す勇気がなかった。

周りの大人と同じように、年老いていくのかと諦めていた。

チタのように、自分の心の声に従って生きることなど出来なかった。


それをチタは見抜いていた。


タタリを巻き込むという形で、手を差し伸べてくれた。




「下界なんて、何があるか分からない。

食い物だってないかもしれないんだぞ」

タタリはチタではなく、自分に言い聞かせるように言った。


今まで下界に行って戻った者は1人もいない。

だから、下界に行くと言い出した者は、気が触れたのだと思われて、迫害を受ける。


タタリは、それでもと思った。


せっかく生まれてきたのだから、思うように生きてみたい。

見たことのない景色を見てみたい。


「決まってるだろ」

チタは胸を張って言った。


「クジラが本当に海で泳いでいるのか、見に行こうぜ!!」

チタの言葉はタタリの心の奥まで響き渡った。




2人の目の前には、どこまでも青い空が続いていた。

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クジラが泳ぐには、この青空はあまりに狭すぎる 伊達ゆうま @arimajun

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