永遠を彷徨うコンドルの噺-6-

 インティの言葉で、男が言い争っている。怒鳴り声に対し、比較的落ち着いた声音でそれを諭そうとしているのは、チュチャの兄、ワスカルであろう。先ほど訪れたらしい客と、口論にでもなったのだろうか。咄嗟にチュチャへ視線を向ければ、彼女もいささか困惑した様子で、扉の方へ視線を向けている。

 ノートを閉じ、ヨセフがそっと席を立つ。それをとどめようとするように、チュチャがヨセフの服の裾を引いたが、しかしヨセフはその手をそっと退けると、ゆっくりと家の扉を開けた。

「リクチャ、モスコクユ、アリンクサ……、武力を持った諸部族は、皆、太陽の加護がなければ動かない。王の血族が立たなくては、戦いにすらならないだろう」

「だがこのままじゃ、パーヤの部族は全滅だ。征服者達め、俺達の命なんて何でもないと思ってやがる。金を採掘するためだけに酷使して、立ち上がれなくなったら殺される。このまま耐えてなるものか」

 沈痛な面持ちでいるワスカルに、食って掛かる男があった。この男もどうやら、インティの人間であるようだ。彼はワスカルの胸ぐらをつかむと、押し殺した声でこう叫ぶ。

「太陽の加護? 王の血族? そんなもの、皆とっくに殺された! ならば何を望めばいい。俺達には、このまままるで家畜のように、使い潰され死んでいく未来しか残されていないというのか!」

 悲嘆に暮れたその形相に、思わず一歩後ずさる。ヨセフの肩が扉にあたり、かたんと小さな音を立てた。それでようやく、男もヨセフの存在に気づいたのだろう。彼は血走った目でヨセフを睨みつけると、「こいつは何だ」とワスカルに問うた。

「征服者達のような服装に、この青い目──。インティの女を奪っていった、征服者の倅か」

 「そうだ」と短く肯定する声。ワスカルはそっと、男とヨセフとの間に立ち入ると、低い声でこう続けた。

「白き人々と、インティの間に生まれた混血だ。だがその心は、インティの土地の上にある。この子はインティの伝承を聞きに、妹のところへ通ってきているんだ」

 睨みつける男の視線の先に、ヨセフが手にしたノートがある。ヨセフはそれを抱きかかえると、また少しずつ後退した。

「それは何だ。台帳か。俺達から搾り取った富を、記すための道具だろう」

「違う。このノートは、その、チュチャから聞いたインティの話を、書き留めるためのもので、」

 咄嗟に開いて中身を見せたが、文字を読まぬインティの男に、内容が理解できるはずもない。立ち塞がるワスカルを押しのけ、男がヨセフを追い詰める。

「カイニパ、やめろ。彼は俺達と同じ歴史を共有した、同胞はらからだ」

 唸るようにそう言って、ワスカルが男の肩に手をかけた。カイニパと呼ばれた男は、うざったそうにそれを振りほどき、──その瞬間、なにか小さな塊が、男の胸元から転がり落ちたのを、ヨセフの目は確かに捉えていた。

 足元の草に落ちたのは、拳ほどの大きさをした木彫りの紋であった。顔を持つ太陽をかたどった、何やら見覚えのある紋である。

──これは母さんの宝物。

「その、……」

 見覚えのあるそれを見て、思わず口に出していた。トゥパクが胸につけている、黄金で作られた首飾り。親指の爪ほどの大きさであるトゥパクのそれとは、大きさも材質も異なっているが、──明らかに同一のモチーフだ。

 インティの神、崇高なる太陽神を模したものであるのだと、いつか母が言っていた。それをインティの人間が持っていたところで、おかしなことはなにもない。しかし、

「何故これが、首飾りであることを知っている」

 唸るような声と同時に、カイニパがヨセフの両肩を掴む。ヨセフが思わず呻き声を上げても、この男の力は緩まない。

「この首飾りを見たことがあるのか? それは黄金で作られていたか? 答えろ! もしそうならそれは、──それはが、身につけることを許された品だ!」

──これは母さんの宝物。今となっては戻らない、古い神様の忘れ形見。

 とぷんと静かな水音が、ヨセフの脳裏に蘇る。恐ろしく澄んだ泉の色と、太陽のものとも、月のものともわからぬ、真っ白に輝く高貴な光。

 黄金のコンドルを従えた男は、、ヨセフにこう言った。

──久しぶりだね、コリンカチャ。……おや、違うな。よく似ているが、別人だ。それがどうして、こんなところへ迷い込んでしまったのやら。

 眉根を寄せ、カイニパの手を振りほどく。同時にワスカルがカイニパの体を引いたので、自由を取り戻したヨセフはよろけ、家の壁に背をついた。

──トゥパク。お前は私に残された、宝物のその片割れ。お前は気高く飛翔する、コンドルの最後の子。太陽の神に愛された、コンドルの最後の子。

「……。あなたの胸元から、落ちてきたから、……それで、首飾りだろうって思っただけだ。別に知ってたわけじゃない」

 咄嗟に口を突いて出た、自らの嘘に驚いた。

「似た模様を、見たことがあったんだ。でも俺も、うろ覚えで、……。旧大陸の軍人がたまに付けているじゃないか。星型の、その、胸章? それと見間違えただけだ」

 思った以上に堂々と、ヨセフは言葉を羅列した。有無を言わさぬその物言いに、気圧されるところがあったのだろうか。カイニパが距離を取るのを見て、ヨセフは己の衣服を正すと、ちらと視線を横へそらした。

 ヨセフの後について外へ出てきていたチュチャが、じっとヨセフを見つめている。先程と同じように、──じっと静かに、ヨセフの青い目に見入るかのように。

 ヨセフの青いその瞳から、何かを、汲み取ろうとでもするかのように。

「とにかく、」

 苛立たしげに言うカイニパが、ヨセフを避け、ワスカルに向き直る。

「パーヤの部族に援軍を。もう限界だ。蜂起するより他にない。こうしている間にも、味方はどんどん減っていくぞ。強制労働に、膚のただれる奇妙な疫病。最近じゃ、信仰を口実にした異端審問すら行われてる。審問官がインティを殺す時、どうやって殺すか知ってるか? その身を大地に残させないよう、火で燃やして殺すんだ。今日だってここへ来る途中、西へ向かう審問官の一団を見た!」

 西へ。その言葉を聞き、ヨセフは「えっ?」と声を上げた。アルマスの町からほど近いこの土地から、西へ向かえば他に幾つか、白き人々の領主が治める土地がある。

 そのひとつが、ヨセフの父が治める土地、クェスピ領であった。

「その一団は、……西の、どの領地へ向かったんだ?」

 ヨセフが問えば、カイニパはあからさまな舌打ちをして、「知らねえよ」とそう告げる。

「ただその方向に、向かっていくのを見ただけだ。何だ、西になにかあるのか?」

 カイニパの問いには答えなかった。しかしヨセフはごくりと唾を飲み込んで、表につないでいた馬の手綱を解くと、すぐさまそれに飛び乗った。

「……今日は、もう帰る。チュチャ、話の続きはまた今度」

 三人のインティに背を向けて、馬の腹を蹴り、走り出す。審問官が向かった先が、ヨセフの家のあるクェスピ領であると決まったわけでもないのに、何やら心が急いていた。いかんとも説明し難い嫌な予感が、彼の内に渦巻いていたのだ。

(そうだ、審問官が来たからといって、何かまずいわけじゃない。クェスピ領の人達は、既にインティの信仰を捨て、旧大陸の神を受け入れているんだから、……それに)

 とぷんと静かな水音が、再び脳裏に蘇る。あの曖昧な夜のことを、今こそ思い返せずにはいられなかった。

 、ヨセフは母に言われて、一人で眠りにつこうとしていた。その頃、まだ幼かったヨセフは毎晩母と共に眠っていたものだから、一人で横たわるその寝台が、やけに広く思われたことを、今でもよく覚えている。そこへ、数人の使用人達が入ってきた。

 彼らはやけに強張こわばった顔をして、ヨセフのことを見下ろしていた。そうしてヨセフに、出かけなくてはならないから、支度をするようにと言ったのだ。こんな夜更けに、それも母の留守中に、一体どこへ連れて行かれるのかと、ヨセフは不安でならなかった。しかしその不安を見て取った彼らは、厳かに、ヨセフにこう告げた。

 インティの神の許しをう為に、ヨセフには、なにか大切なお役目があるのだと。母は既にそれを行うべき場所へ向かっており、ヨセフの訪れを待っているのだと。

 窓のない、小さな輿こしに詰め込まれたヨセフは、声を殺し、震えを隠して、じっと彼らに従った。その輿が、一体どこへ向かったのかはわからない。だが目的の場所へ到着し、輿を下ろされたヨセフは、確かにそこで母の姿を見た。

 遠目から見る母の姿は、明らかに怯え、震えていた。深い森の中であった。囁くように何かを告げ、懸命に祈る母の前には、泉があった。

 月の光をてらてらと湛えた、青く明るい神秘の泉が。

 母が手にした黄金が、彼女の言う『宝物』であることに、ヨセフはすぐに気づいていた。母が大切に隠し持つ、太陽の紋の首飾り。けれど長い祈りの後、彼女はそれを、──泉に向かって、投げ捨てた。

 とぷんと響く静かな水音。嗚咽おえつを漏らす母が、しかしやがて背を向けて、泉の傍から去っていく。それを木々の合間から、遠目に眺めていたヨセフに、使用人達はこう告げた。

「あなたの番です。……トゥパク様」

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