王を象る男の噺-2-

「ご子息様は、このグラエキアにとって偉大な使命をお持ちです」

 あの日、あの晩。詩人はジラルドの手を取って、彼の主人にそう告げた。

 ご子息様、というのがジラルドのことを指しているのだと気づくまでに、ほんの一瞬、時間が要った。主人はそれを否定しなかったが、ジラルドにとってみれば、否定しないわけにはいかなかった。「私は旦那様の息子ではありません」とそう言えば、詩人は目を丸くして、「おや」とおどけた口調で首を傾げてみせた。

「旦那様のご子息様方は、皆さん都においでです。……私は、奉公人に過ぎません」

 「そうですか」と告げた詩人は、納得した様子でもないが、何かを気にする様子もない。「まあ時間の問題でしょう」と不思議なことを言い、しかしジラルドの手を握りしめて、彼はこう告げたのである。

「ロドゥンの竪琴を爪弾いて、先程の詩に歌わせていただいた物語、──に関する物語のことですがね。あれはけっして、作り話ではないのです。嘘偽りは申しません。実のところ、私もその書物に触れたことがあるのです……。それで私には、ほんの少し、この先の未来がわかるのですよ」

 詩人の口調があまりに道化じみていたので、ジラルドは笑ってしまった。きっと余興の続きであろう。詩人の顔は酒をあおって赤らんでいたし、同席を許された使用人達も、同じように解釈している様子であった。

「では教えてください。貴殿は、どのような未来をご存知なのです」

 ジラルドが問えば詩人は笑い、「よくぞ」とその手を握りしめる。

「よくぞ聞いてくださった。人々にその存在を望まれた、建国の父、ジラルド様」

 恭しげなその声は、しかし妙に芝居がかって、屋敷の内に響き渡る。

 建国の父。想像もしない大仰なその肩書に、ジラルドは驚き後ずさる。しかし詩人は、ジラルドのその手を離さない。

「ああ、忍耐強く博学で、勇猛果敢なジラルド様。英雄として歴史に名を残されることはないが、フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方! 貴方様は今現在、この豊かなグラエキア半島に、いくつの都市国家が存在するかご存知でしょうか」

「……に、二十四」

 詩人の勢いに圧倒されながらも、生真面目にジラルドが答えれば、相手はまた大袈裟に頷いてみせる。

「さようでございます! 歴史ある豊かなグラエキア半島には、大なり小なり数多くの都市国家が連なり、それぞれの政治を敷き、互いに切磋琢磨しながら歴史を紡いできたのでございます。──しかしながら、ジラルド様ならご存知でしょう。多くの都市国家は己の主権を主張しながら、結局の所、北はガリアにオストマルク、西はスパニアと、大国を後ろ盾にするという名目で、この土地を蹂躙する名目を、諸国に与えてしまっているのでございます」

 それを聞いて、驚いた。周辺の都市国家と大国の関係とについて、ジラルドは以前から、似た話をよく耳にしていたのだ。元は外交官を勤めていたという主人宛に届く書簡の中には、政治家達からの手紙も多くあり、──その中でも有識者達から盛んに意見を求められるのが、まさしく周辺諸国とそれを取り囲む大国の動向についてであったのだ。

 旅の詩人から、このような話題を振られるものとは思わなかった。ジラルドがちらと主人を見れば、この老人はやはりにこりともせず、じっと詩人を、そしてジラルドのことを見据えている。

 そうしてふと口を開き、彼は厳かな口調で、こう問うた。

「それで、──ジラルドがというのは、どういうことだ?」

 問いかけるその言葉には、冗談めかしたふうが一切ない。元来が、冗談など口にせぬのがこの老人の常である。その事自体に驚きはない。だが旅の詩人が語った、突拍子のないその話に、興味を示すなどとは思いもよらぬことであった。

 問いを受けたこの詩人は、にこりと笑って礼をとると、「言葉のとおりでございます」と頭を垂れる。

「かつてこのグラエキア半島は、強大なラカ帝国に治められ、他の追随を許さぬ繁栄を誇っておりました。人々はジラルド様の旗下にて、失われし帝国の威信を取り戻すのでございます」

「ふん、それは貴殿の考えか? それとも、そう私にけしかけてこいと、誰かに吹き込まれでもしたか。それにしては、にジラルドを指名するというのが、不可思議だが」

「何の不可思議もございませぬ。これは私めの考えでもございませんし、他者の言葉でもございません。私めはただ、年代記にをお伝えした。それだけのことでございます」

 ふと顔を上げたこの詩人が、もう一度ジラルドの手を取った。それからこの男は、笑みを深くしてこう述べたのである。

「王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。貴方様は真なる王を育て、導き、──やがてグラエキア統一という、偉業をなされることでしょう」

 

 ──グラエキア統一。それはかつて強大なラカ帝国を築き上げた、ラカの末裔にとっての悲願であった。

 同じ民族の暮らす場でありながら、散り散りになった数多の都市国家。それらをまとめ上げ、強大な一つの国家をなし、東西南北を取り囲む列強国と渡り合う。その大業を、ジラルドのこの手が導くという。

(簡単なことじゃない。それぞれの都市国家には代々連なる権力者がいる。奴らが既得権益を貪り続けるために、列強国と手を組むからこそ、事態が混迷するんだ。無理に統合しようとすれば、──統合どころか、内戦になるだろう)

 まさかそんな大業を、ジラルドになせようはずもない。

 都に身をおいて数ヶ月の後、彼の養父となった老人が、息を引き取ったと連絡があった。葬儀には、彼の実子達が連なることになっている。ジラルドのことなどお呼びではない。だからジラルドは、その場へ赴くことはせず、ただ老人との最後の会話を思い出していた。

(夢、……)

 ジラルドの胸の内で、何かが動き始めていた。

「──聞いたか? ガリアの政変に巻き込まれた影響で、隣接するリグーアにまで、ガリアの法律が交付される運びになったらしい」

「絶対君主制をとるガリアの法を、このグラエキア半島に連なる共和国が受け入れたっていうのか? 冗談じゃない! 俺達には、ラカの時代から培ってきた共和国憲法があるだろう! それを、何故、外国の法なんかに」

「リグーアが折れたとなっちゃ、フロレンティアも他人事じゃない。このまま黙っていられるか!」

 時代は着々と流れていた。周辺の列強国は徐々にその勢力を伸ばし、過去の栄光に縋るばかりの都市国家群は、じわりじわりと他国に食い荒らされていく──。

「ジラルド。あんた、随分と優秀なんだな。政治学専攻の学生さんって聞いたんだが、法律にも軍学にも詳しいなんて」

「俺達と共に、病めるグラエキアを救おう。ジラルド、力を貸してくれ」

 いつからともなく、改革派の出入りする集会に足を運ぶようになった。知識の豊かなジラルドは、積極的に人々と意見を取り交わし、学びと刺激、そして憂国の友を得た。

(周囲と比べ、私は特段愛国心が強いわけでもない。だが故郷が諸外国の食い物にされるのは腹に据えかねる。それに、……)

──人々にその存在を望まれた、建国の父、ジラルド様。フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!

 学位を取得し、養父と同じ外交官の位に就いた。それからは忙しなかった。目まぐるしく移り変わる情勢を読み、グラエキア半島中を駆け回り、フロレンティアと同じく都市国家の形式をとる諸国に、講和の必要性を説き続けた。列強諸外国の君主と書簡を取り交わし、時には敵国に頭を下げることもした。

(グラエキア半島統一。まだ、その言葉を口に出せるような段階じゃない。だが)

 子供の頃に聞いた詩人の言葉を、信じていたわけではなかった。

 ただ確実なのは、

 その言葉を忘れることなど、出来ようはずもないことだけだ。

(旦那様も、──義父上も、同じ夢をご覧になったのだ)

 どこの誰とも知れぬ、流れ者の詩人が吟じた、その詩に操られるかのように。

 ジラルドが垣間見たのと、きっと、同じ夢を。

──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。

(我が共和国が今更、王を戴くことはない。詩人の言葉通りにはならないが、それでも、……)

 それなら。

──英雄として歴史に名を残されることはないが、フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!

 ある頃からジラルドは、幼い頃に聞いた予言めいた詩人の言葉を、他人にも告げるようになっていた。いつしかこのグラエキア半島に統一をもたらす、その立役者は自分なのだと、彼は友人達を相手に、面白おかしく吹聴ふいちょうしたのだ。

 酒のさかなの話題であった。だが血気盛んな友人達も、集会に参加する後輩達も、この話を真に受けた。そして、まるで伝説を語るがごとく、熱弁を振るいこの予言を喧伝けんでんしたのである。実際、フロレンティア国内の議会においても、グラエキア半島内においても、ジラルドの名とその外交手腕の巧みさは話題に上がり始めていた。それで人々は熱い期待をもって、このを受け入れたのだ。

「総ては。グラエキアは統一され、列強の脅威は一掃される!」

「自由、独立、我々の民族の為の国! 知恵の書物に約束された、グラエキアの輝かしい未来は今まさに、現実に描き出されようとしている!」

 周辺の列強国のうちでも、市民による革命が起こりつつある時勢であった。その混乱に乗じ、なんとかして国内の列強勢力を駆逐し、半島統一をなしえようと、機運が高まっていた時期でもあった。

 人々は声を高らかに、こう持て囃した。

 グラエキア統一は果たされる。──ジラルド・ジランの手をもってして。

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