王を象る男の噺-3-

──ああ、忍耐強く博学で、勇猛果敢なジラルド様。英雄として歴史に名を残されることはないが、フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!

──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。貴方様は真なる王を育て、導き、──やがてグラエキア統一という、偉業をなされることでしょう。

 

 全てが順調であるように思われた。

 少しずつ糸が綻んでいっていたことに、ジラルドは終ぞ気づけなかった。

 否、恐らく気づいてはいたのだ。ただ、立ち止まることは出来なかった。

 目を閉じればいつだって、竪琴の音が聞こえていた。

 それはまるで祝福のように、

 それはまるで、呪いのように。

 

 ***

 

「自らが、王となることを望んでしまわれたのですね」

 ぽつり、ぽつりと暗闇の中、語られてゆく言葉があった。

 懐かしい声。懐かしいあの旋律。身体中が痛むのを感じながら、すっかり痩せて落ち窪んだ目をなんとかこじ開ければ、そこに一つの人影があった。

「ああ、お前は、……」

 月も星もない暗闇の中。まるで世界から切り離されたかのようなその闇に向け、ジラルドはそっと声をかけた。

「いつか屋敷に訪れた、あの詩人じゃないか。……久しいな。何故もっと早くに、顔を見せに来なかった」

 まるで友に語り開けるかのようにそう言えば、詩人はにこりと微笑み、また物語を歌って聞かせた。

 ある書物の物語。過去未来を問わず、この世の総ての歴史を記録するという、──アカシア年代記の物語を。

「お前の予言は嘘っぱちだ」

 投げやりになってそういえば、詩人は「いいえ」と否定する。

「予言ではありません。私めはただ、既に書かれた未来の歴史を、旋律とともに吟ずるだけ」

「ならば何故、グラエキア統一は失敗した。……列強からの猛攻に、思いもよらぬ第三国からの参戦表明。軍備は足りず数多の血が流れ、実らぬ革命のために多くが死んだ」

 そうしてグラエキア統一の旗印となっていたジラルドは、自国からも諸外国からも責任を追求され、──こうして何の権力も財もなく亡命し、今、まさに、路傍で力尽きようとしているのだ。

 

   詩人の口に語られまするは、全能の書の物語。

   弦よ、そのはじまりを歌いませ。

   人よ、その終わりを歌いませ。

 

 詩人の紡ぐその歌が、そっと暗闇に染みてゆく。ジラルドは涙の浮いたその目で、ただ呆然と物語に耳を傾けていた。

(世のすべてをる年代記。ある者は、その存在に狂わされ、ある者は、その存在に救われて、──)

 ジラルドは、一体どうであったろう。

 幼い頃、詩人の語る年代記の断片に触れ、その熱に浮かされるまま、に邁進したジラルドの、この一生は。

「──私の王はどこにいる。このグラエキアを統一する、才に秀でた私の王は」

 唸るように呟けば、詩人がはたと、指を止める。

──王を見つけなさいませ、ジラルド様。

 冷たい石壁に囲まれた、薄暗く狭い路地の内。襤褸ぼろのマントを身にまとい、白いものの混じった髭を伸び放題に伸ばしたその男は、ぐったりと石壁に寄りかかり、譫言うわごとのように繰り返す。

「私の王はどこにいる。私の王、私が仕えるべき王は、……」

 王を見つけろと詩人は言った。グラエキア統一を成し得なかった理由を、曖昧な予言のせいにしようとは思わない。だがもし、もしも、

 ジラルドの足元に、まだ、模索すべき道が残されていたというのなら。

(議会が政治を取り仕切り、人民が声を上げて国を動かす共和国を、王政に書き換える気などさらさらない。だがもし、私の為すべき道が、まだ他にもあったというなら、それを試してみたかった。取れる手段は何もかも、──。きっかけは、詩人の語った物語。私の一生はただ、それに踊らされただけのもの。だが私は、私はそれでも、自分の意志で夢を見たのだ。グラエキア統一を果たすという、大きな夢を)

 いつのまにやら、暗闇は晴れていた。

 身体中がやけに痛んで、うまく力が入らない。この数日、熱が出たまま下がらないのだ。荷物の中にはいくらかの水と、固くなったパンが入っていたが、それすらも喉を通らない。

 追っ手の目をかいくぐり、ようやくここまでたどり着いた。だが視界は霞んで歪み、立つことすらもままならない。

(私はこのまま死ぬのだろうか。売国奴の汚名を着せられ、友に裏切られて、──こんなところで、ただ、惨めに)

 そう考えればまなじりに、熱いものがこみ上げる。ああ、まさかこのに及んで、まだ涙が流れようとは。

(随分と長いを見た)

 身の丈に合わぬ夢を見た。それだけだ。その夢がただ、終わるだけ。しかし目を閉じた彼の肩を、──そっと揺さぶる力がある。

「あの、大丈夫ですか。……旅の方、どうか目を開けてください!」

 

──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。貴方様は真なる王を育て、導き、──やがてグラエキア統一という、偉業をなされることでしょう。

 

 ***

 

「──ああ、よかった。お目覚めですか! 少し待ってくださいね。今、スープを持ってきますから。……母さん、母さん! 例の旅人さんが目を覚ましたよ」

 明るい声で少年が言い、家の外へと声をかける。まだ思考の定まらぬまま、それでもなんとか体を起こしたジラルドは、そっとあたりを見回した。

 農家だろうか。随分粗末な作りの家に、藁にシーツがかぶったベッド。そこに横たわっていた己の身体を見下ろせば、傷口には清潔な布が当てられ、一通りの手当がされている。持参した旅の荷物は全て、枕元に置かれていた。

 いや違う。彼が持参した荷物のうち、一冊のノートだけが、抜き取られて机の上に置かれていた。そのノートの傍らには、何やら文字を書き散らしたような木片が置かれている。

「旅人さん、今、母が来ますからね。そうしたらもう一度、傷口に薬を塗りましょう。……あっ、」

 ジラルドの視線に気づいたのだろう。少年は気まずげに肩をすくめると、机に置かれていたそのノートを、そっと手に取り、すぐジラルドに手渡した。

「あの、ごめんなさい、何か物語のようだったから、……。これなら俺にも、読めるかも知れないって、その、文字の勉強にちょうどいいと、思って……」

 物語。そうだ、まだ幼かった頃のジラルドは、詩人から聞いたその物語を忘れてしまわぬようにと、幼い文字でそれをノートに書き留めたのだ。亡命の折り、切迫した状況にもかかわらず、ジラルドはそのノートを荷に詰めた。そうして今まで肌身離さず、こうして持参してきたのだ。

「……、勉強がしたいのか?」

 かすれた声でそう問えば、少年が「はい!」と明るく返す。

「俺の家には父さんがいないから、学校には通えなくて、……。でもみんな言ってます。いずれグラエキアが統一されたら、新しい平和な時代が来たら、俺みたいな農民でも、仕事を選べるようになるかも知れないって。この国のために、働くことができるかもしれないって! だから俺、少しでも勉強しておきたくて、たまに学校の窓の外に立って、授業を盗み聞きしてるんです」

 少年の言葉は、まっすぐであった。

 ジラルドはノートをこの少年に与え、傷の手当を受ける間、彼に可能な限りの学問を与えようと約束した。

 

 そうして気づけば数年が経った。ジラルドの傷は癒えなかった。少なくとも、そういう事になっていた。

 彼は田舎の町に学校を作り、名を偽って少年達に学を与えた。

 そうして教えた少年達こそ、長じて後、青年団を結成し、グラエキア半島統一を成し遂げる中心人物となることを、ジラルド・ジランはまだ、知らない。



── 『王を象る男の噺』 完 ──

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