Black Messenger

かおり

黒の使者

 施設の敷地を囲むフェンスの上を、素早く黒い影が通った。少年が思わず視線を向けると、影が止まる。

「あっ……猫だ」

 黒い猫が、少年をじっと見据えている。

 暫し視線が交差したのち、黒猫はそろそろと歩き始めた。度々少年の様子を伺っているのか、止まって振り向く。少年は好奇心に背中を押されて、黒猫に付いていった。

 黒猫はひたすら歩いた。少年もひたすらそれに付いていく。途中、猫はフェンスを降りて、狭くて薄暗くじめじめした通路に入った。施設の裏側だ。そこを行って少しすると、黒猫が立ち止まった。少年も立ち止まる。

 黒猫は、施設の白い壁の一点を、じっと食い入るように見つめた。少年は、不思議そうに黒猫と壁を交互に見ている。

 突然、黒猫が見つめていた壁の白が、渦巻きのように一点に吸い込まれ、穴が生み出された。穴の向こうは初め闇であったが、霧が晴れるかのように、徐々に景色が見えてくる。

「わ……! 何これ……!」

 少年は驚いて後退る。

「にゃ」

 猫は一声鳴いて、穴の中へ飛び込んだ。少年は息を呑む。猫は無事に穴の向こう側に着地すると、振り返って少年を見つめた。しばし一人と一匹の視線が交錯する。

「付いてきてっていうこと……?」

 少年が呟くと、返事をするかのように、猫がまた一声鳴いた。

「でも……」

 少年はごくりと唾を飲み込むと、困り顔で、左の方に目を向けた。日が照らして明るいグラウンドが微かに見える。子供たちが遊ぶ楽しげな声も聞こえてくる。

 施設の先生たちははっきりと言わなかったが、少年は知っていた。両親はもういない、もう会えないのだと。両親がいないから、自分はここに連れてこられた。自分を含む、帰る場所がない子供たちが集められる場所。

 猫に付いていき、ここから自分がいなくなったら、どうなるだろうか。誰かが心配してくれる? 施設の人たちは多少してくれるかもしれないけれど、だからといって、何も変わらないだろう。

 両親がいない、帰る場所のないこの世界に、自分が居続ける意味はない。そこに自分がいなくても構わない。

 少年は穴の方に向き直る。また、猫と視線が交差した。

「僕を、この世界から連れ出して」

 一歩踏み出し、穴に飛び込む少年。歓迎するかのように、猫が鳴く。

 少年の両足が向こう側に着地した刹那、一瞬で、再び渦巻きのように一点に吸い込まれると、穴は消失した。元通りの白壁だ。

 いつの間にか、子供たちの声は止んでいた。みんな外で遊ぶのを終わりにして、室内に入ったのだろう。代わりに、大人たちの少年を呼ぶ声が響く。

 しかし少年は、何度呼んでも出てこなかった。少年の姿を見た者も一切いない。そしてその後、何日経とうとも、何週間、何ヶ月、何年経とうとも、見つかることはなかった。


(2019年01月26日)

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Black Messenger かおり @da536e

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