姉妹のお互い
「お姉ちゃん、何してるの⁉︎」
洗面所を通り過ぎようとした美織が、急激に方向転換して私のところまで飛び込んできました。
「はわっ」
私はと言えば、ハサミを手に持っているところなので動くわけにもいかず。美織が私からハサミを奪い取って鞘に納めました。
「美織。危ないですよ!」
「危ないのはお姉ちゃんだよ‼ これ工作用のハサミ……!」
「あ、ごめんね。美織のハサミ使っちゃった」
よく見ると、持ち手のところに『ななみみおり』と小さな名札シールが貼られていました。リビングで適当に手に取ってきたこれは、妹が持ち込んだものだったようです。
「そういうことじゃなくてえ……ああ、もう……綺麗な髪だったのにい……なんでこんな雑なハサミで」
私の黒髪は右半分が長髪で、左半分がざんぎりになっています。
自分で鏡を見ながら切っていたから仕方ないのですが、なかなか不揃いです。
「シート、引いたんだけど……駄目だった?」
洗面台に『おうちで簡単! 美容室』というキャッチコピーのシートを張り付けて髪の毛を散らさないようにしていました。
「どうして、自分でやっちゃうのかなってことなの! 髪の毛今までどうしてたの⁉」
「ルピネさんがお手入れしてくれてました」
髪が伸びてくると、ルピネさんは私を椅子に座らせて件のシートを敷き、ケープをかけてくれて……至福の時間です。
でも、いまルピネさんは居ないので、自分で切っていたという訳です。
「お姉ちゃん……何か、あったの?」
「……」
失恋しました。
だからと言うほどでもないのですが、なんだかすっきりしたい気持ちなのです。
恋を諦めるためではなく、区切りをつけて思い出にするため――なんて長々続けても、美織を混乱させてしまうでしょう。
いつかゆっくりと話そうと考え、今はこの一言でとどめます。
「気分転換に」
「……そう。じゃあ、うん。美容室行こう」
美織は敏くて優しい子。
「美容室。行ったことないから嬉しいな」
「……昔、髪……」
「今は幸せ」
実家での私の扱いは、美織が気に病むことではないのです。
私は妹に笑っていてほしいのですから。
「だいじょーぶですよ。ありがと、美織」
「…………。うん」
ネットで近くの美容室を調べて、美織と一緒にお出かけです。
切りかけだった私の髪は美織が出来る限り切りそろえてくれました。なんて器用なのでしょう。素晴らしい妹です。
「お姉ちゃん」
今日は土曜日なので、美容室の入っているショッピングセンターは少し混雑しています。
周囲の喧騒に負けないように大き目な声で応じました。
「なあに、美織?」
「明日……会う人たち、お姉ちゃんのお友達さんって。美人さん?」
「それはもう」
佳奈子ちゃんは美人と言うより、可愛い人です。小さな背丈とふわふわの茶髪が小動物を思わせます。
京ちゃんは美人さんです。明るく優しい女の子。
「二人とも優しくてきれいな女の子です!」
自慢の友達を自慢すると、美織が小さくふき出しました。
「そっかあ……」
「美織、どうかした?」
「……後で話すね。美容室見つけたから、受付済ませてきなよ」
「ほんとだ」
――*――
「……」
髪を切ってもらっているお姉ちゃんを待つ間、うちはぼうっと考えていた。
初めて会ったとき、シェルは『あなたの神秘は、時間軸を自由にする神秘です』と言っていた。
検査結果を見せてもいなかったのにどうしてわかるのか不思議だったけれど、『俺の母様と同じだからです』と言われたので納得するほかなかった。シェルは自分がド級のマザコンだと自負していたから、それだけ好きなお母さんと同じアーカイブなら見抜けても不思議はないのだろう。うん。
珍しい神秘だったため、教導役は手配されなかった。5年待ちという通知が検査センターから返ってきた瞬間、お父さんお母さんがうちに冷たく当たるようになった。
それは今となってはどうでもいいのだけれど。
シェルに手ほどきされてから、うちは、たまに未来や過去を見通せるようになった。
明日会う約束をしている『お姉ちゃんの友達』は三崎京さんと藍沢佳奈子さん。
そのうちの三崎京さんは、うちの神秘が迷惑をかけた人。
過去と未来を錯綜しながら見通していくあの感覚。視界が開けていく感覚は、何にもたとえがたいものだった。
今にも叫び出したくなって、でもお姉ちゃんを心配させたくないから部屋と廊下を歩きまわって……洗面所で髪を切るお姉ちゃんを見つけて飛び込んだ。
「お姉ちゃんに、お礼……いや……京さんに、お詫び……」
京さんに謝って許してもらえるかを予知しようとしてみたけれど、邪念が入っているせいかぴたりとも未来視は起こらなかった。
今では、とても卑怯なことだと気づいて諦めている。
「……」
いきなり謝っても、不自然なだけだよね。
京さんにうちのプロンプトがどう作用したのかはわからなかった。でも、あんなに真っ青な顔をさせてしまったのなら――
「みーおーり!」
「……あ、お姉ちゃん」
思索の海から、お姉ちゃんの声によって引き上げられた。
ショートカットになったお姉ちゃんがほんわか笑っている。
今までの大和撫子なお姉ちゃんも可愛いかったけど、溌剌とした雰囲気のお姉ちゃんも可愛い。
「どう? さっぱりしたよ!」
「似合うよ」
「えへー……美織とお揃い」
可愛いなあ、お姉ちゃん。
……8年も眠っていたせいでかなり幼い。
「お姉ちゃん」
「なに、美織?」
うちなんかよりずっと強くて優しいお姉ちゃん。
「……お買い物して帰ろ」
助けてもらってばかりだけれど。うちもお姉ちゃんを支えたいと思う。
なので、せめてお姉ちゃんに似合う服を見立ててあげたい。
「お買い物……ああ。今日のご飯はですねー。なんと、オムライスです!」
ほら、またうちのこと考えた。うちの好きな料理を覚えてくれていた。
涙が出そうになってしまうのを何とか飲み込む。
「それもそうなんだけどね、お姉ちゃん。お洋服買おう?」
「洋服? 着られるものあるから大丈夫だよ」
「違う。うちが、お姉ちゃんに服をあげたいの!」
「……」
この日の笑顔を忘れることはないだろう。
「ありがとう!」
お姉ちゃん。
大好きなお姉ちゃん。
うちが買って贈った服を嬉しそうに抱きしめて、『明日はこれ着てお出かけしようね』と笑ってくれた。
オムライスも凄く美味しかった。
「…………」
お姉ちゃんは来月の入試に備え、部屋にこもって勉強をしている。
学校に行っていない姉は、日中のほとんどを勉強して過ごしているのだとルピネさんから教えてもらった。
受験科目である数学と国語、そして魔術理論の基礎。それだけではなく、英語や理科にも手を伸ばして勉強している。
たまに気分転換にジョギングをして、走るついでに買い出しをして……
やさぐれて自堕落に過ごしてきた自分が恥ずかしい。
「……よし!」
ルピネさんの弟さん――タウラさんから渡されたパンフレットに目を通す。
うちの正式な教導役はタウラさんだ。彼は週1の頻度でここを訪れ、うちの様子を見ては『眠る前に瞑想しなさい』などの指示を出して、ルピネさんかお姉ちゃんの手料理を食べて帰っていく。
……凄く適当にぱっぱと指示しているように見えるのに、彼の教えに従うと未来視の暴走が起こらなくなるのが不思議だ。
面談した時、彼は穏やかな物腰とは裏腹に直球で質問を投げてきた。お姉ちゃんが東京の大学に行ってしまったら、うちはそのときどうしているつもりなのかと。
その時は答えに詰まったけれど。タウラさんも私と同じ神秘の持ち主。どうして東京周辺の中学校のパンフレットを渡してきたのかは、自明の理だった。
公立中学のものの中に、私立中学のパンフも混ざっている――成績優秀ならば学費が安くなっていき、最良であれば学費完全免除されるような私立が。
どうせ、七海家は私たちを放り出したままだ。学費なんて望めない。
ならば自分は姉と一緒に東京に行く。
ローザライマ家に頼りきりになってしまうことだけ申し訳ないが、いつか社会に出たら恩返しだ!
「まずは中間テスト、頑張ろう!」
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